それは本当に、私のキスだったのか
私たちは城塞都市フェルゼン一のホテル『黄金の獅子亭』に着いた。
辺境伯の次男のアイゼルなら、領主の用意した場所に滞在するのが通例だけど、今回はあくまでも休暇で急な出発だったのでホテルに泊まると言うことになっている。
実際には教会の調査が目的で、領主の目が届く場所は動きにくい。
特に辺境と城塞都市の間には過去の戦争での長年のわだかまりがあった。
馬車を降りる時に先に降りたアイゼルが私の手を取って、降りた瞬間に頬にキスされた。
「アイゼル!?」
さっき話した婚約した時にアイゼルが届けてくてたキスの場所だった。
「どうしたの? アイゼルのキスはいつでも嬉しいけど、ここは大事な場所なのに……」
私がキスされた場所を押さえて言う。
「そんな思い出なんて大事にしなくてもいいだろう? 僕はここにいるんだから」
アイゼルが言うけど、私は反論した。
「思い出しか大事に出来ない時だってあるでしょう?」
アイゼルに無視されてた結婚後の6年間の事を言ったんだけど、私を守る為だったんだからちょっと皮肉過ぎたかしら。
アイゼルは何も言えなくなってる。
「アイゼル、ごめんなさい。アイゼルがくれた思い出があったから私、ずっと幸せだったのよ」
私が言うと、アイゼルはさらに複雑そうに顔を歪めた。
本当にどうしたんだろう。
「僕のキスが君を支えてたなら嬉しいよ……」
そう言ってアイゼルは、私の反対側の頬にキスをした。
◆◇◆
ホテルの部屋は想像して居たよりも素晴らしかった。
さすがに仮面舞踏会の都市の一番のホテルの一番いい部屋だった。
テラスから街を一望できる眺めに感動していると後から声がする。
「アイゼル様、あれはいただけません」
アイゼルがギリアムに叱られていた。
「アイゼル様は冷酷な辺境伯の次男で通っているんですから、人前でクレア様に甘過ぎる態度は控えて下さい」
「僕とクレアがフェルゼンにいる事を宣伝する為に妻には甘い夫を演じるはずだったろう
アイゼルが反論する。
「さっきのは甘い夫ではありません。完全にクレア様に主導権を握られている夫です。あれでは妻以外には冷酷だと言っても説得力がありません」
ギリアムの様子にやっぱりアイゼルは反論できない。
私も結婚前にアイゼルが冷酷だって噂は聞いていたけど、私や側近たちへの態度を見ても冷酷のレの字もない。
冷静で論理的ではあるけど、優しい感情の方が強くて、いつも悩んでいる。
そんな人だ。
「私が良くなかったのよね?」
アイゼルとギリアムの話に割って入る。
「夫に冷たくされる不仲な妻を演じれば良かったのに……」
ついこの間まで実際にそうだったのだから、演じるくらいどうって事ない……。
そう思ったのだけど、私は自然にアイゼルの腕に手を置いて、アイゼルも片手で私を支えてる。
「今更、お二人が不仲の夫婦を演じられるとは思っていませんよ。ただし、人前では控えて下さい!」
そうギリアムは念押しして部屋を出て行った。
不仲で有名だった辺境伯の次男夫婦が、実は仲が良いと言う噂が広まる事は最初から計画していた。
私たちはフェルゼンに来るにあたり、ターニアを城砦に残してきた。
皇族の男子の血脈を狙う者が、女の子のターニアに興味がないのは分かっていたが、私たちを狙ってまた城砦に来る事もあるかもしれない。
だから、私たち辺境伯の次男夫婦がフェルゼンに来ていて城砦にいない事を大々的に宣伝する必要があったのだ。
アイゼルの冷酷なイメージは守りつつ、妻にだけは甘い、と言うのがベストだったんだけど……。
「冷酷なイメージがなくなったら、アイゼルは困るの?」
私はアイゼルを見上げて聞いた。
「フェルゼンの領主と辺境伯仲が良くないから、少し調査に協力して貰うのに低く見られるかもしれないな」
そう言うものなのかしら?
「でも、僕の側近たちは荒くれ者ばかりだから大丈夫だよ」
そうイタズラっぽく付け加える。
アイゼルの側近って、ギリアムやロイスたちよね?
城砦を出る時に、ロイス、コリン、ダリルの奥様たちが入れ替わりにやって来て、ターニア様は任せて下さいと私に言った。
寄り添う3組の夫婦は穏やかで、荒くれ者って感じじゃ全然なかったわ。
そう言うイメージが必要な時もあるの?
私はアイゼルとその側近たちに苦労が少し分かった気がした。
いつもありがとうって気持ちで、アイゼルを抱きしめる。
◆◇◆
ホテルに着いて、クレアに抱きしめられた。
僕だけを見つめてくれる彼女を僕も抱き返す。
婚約した時にグレンを使者として送った事は覚えてる。
まさかそんな事があったとは思いもよらなかったが、クレアは純粋に僕からのものだと信じてる。
僕からのキスだったから彼女の支えになれた。
それでいいじゃないか。
ただ、僕が触れられなかったクレアにグレンが触れていたと思うと、怒りが込み上げて来る。
6歳で出会い別れた時に彼女の頬にキスをした。
だから、初めては僕だけど、14歳のクレアに触れたのはグレンだ。
トントン
ノックと共に再びギリアムが入って来る。
「グレンが到着しました」
「グレンが!」
クレアの顔がパアッと明るくなる。
ただ、僕の友人に会いたいだけだとは知っていても、さっきの話の後だと胸が苦しくなる。
「頼んでいた調査の報告を聞きたいから、会うのは後だよ、クレア」
僕はそう言ってまたクレアの思い出と逆の頬にキスをして部屋を出て行く。
グレンのいる部屋に入るといつものようにグレンはくつろいで座っている。
僕の腹心で友人でもある彼はいつもこんな態度でいる。
僕がそれを気にした事はなかったけれど、いつからか彼に不審感を抱くようになっていた。
理由は、あのキスだったのか——。
「調査はどうだった」
僕はいつも通りに聞く。
「魔力を持っている者は見つからなかった。本当にフェルゼンに居るのかも怪しいよ。ただ、2、3確認したい所がまだあるから、もう少し待ってくれ」
グレンが答える。
「いや、それはこっちでやる。君は別の調査に向かってくれ」
僕が言うと、グレンは笑って言う。
「俺を追い出したいみたいだね。アイゼル」
「……」
「クレア様と、とても仲良くなれたみたいで、もう僕にクレア様を譲る心配なんてしなくていいのに」
グレンはニッコリと笑う。
さっきの馬車を降りた後のやり取りを見ていたのか。
グレンがクレアを好きな事は昔から知っていた。
彼が僕の代わりになりたいと思っている事も。
クレアに離婚の提案をした後は、そうなっても仕方ないと思った事もあった。
僕のクレアに対する煮え切らない態度がグレンは気に入らなかった。
クレアを無視していた6年間に、グレンが隠していた秘密が僕以上にクレアを支えていた。
その事が、彼の中で大きくなったんだ。
——僕はそれを感じて不審に思う。
いつの間にかこんなズレを生んでいたのか、
グレンが立ち上がる。
「クレア様を悲しませるつもりは無いから、調査が終わればすぐに次へ向かうよ」
「じゃあ、また、アイゼル」
そう言ってグレンが僕の頬にキスをした。
こんな事をされたのは、今まで一度も、ない……。
『クレア様はとても素敵な人だったよ』
そう言って14歳のグレンが僕の頬にキスをした——。
あれはクレアへの使者を頼んだ後で、戻って来た時。
グレンもクレアを好きになったんだと思ったのがあの時だった。
クレアは僕と婚約していたから気にしていなかったけど、まさか——。
——あれは、クレアから僕への返事だったのか?




