私の秘密を知らない、唯一の味方
アイゼルの部屋でミアに手伝って貰って着替えた。
もう外の太陽は高く登っていて、影が1日で最も短い時間になっていた。
柔らかな日差しの中で、風がゆっくり雲を運ぶ。
城砦の外は私の心と違ってとても穏やかに時が流れている様だった。
私は着替えながら、ギリアムに言われた事を考えていた。
『ミアには事情を話して下さい。貴方の為にも——』
ミアに話した方がいい事情。
アイゼルが実は皇帝陛下の弟で、ターニアもアイゼルの愛人の子ではなく、皇帝の子だと言う事実を指すのだろう。
私もいずれはミアに話すつもりだった。
でも、
『貴方の為にも——』
少しこの言葉が気になった。
ギリアムは、私がこの本の世界に入り込んだ転生者だと言う事まで話せと言ったのだろうか?
当然、ギリアムは私の事情を知らないけれど、信頼できる味方を作りなさいと、それが私の為になると教えてくれた?
何故、ギリアムがそこまで私の事を考えてくれるの?
ギリアムはアイゼルを1番気にかけている従者だ。
けど、本当の信頼関係は築かれていない——。
アイゼルは、子供の頃に逃げるように辺境に身を隠す事になった影響で、ずっと心を閉ざしたまま大人になっていた。
ずっとそばに居たギリアムにさえ本当に頼る事は出来ない関係だったんだ。
そこに現れたのがこの物語のヒロインのマーシャルだった。
今、この城砦に現れたマーシャルと同じく、明るく勇敢で屈託のない少女。
マーシャルが城砦の雰囲気を変えていく中で、アイゼルと従者たちも信頼関係で結ばれていく。
そして、アイゼルは長年自身を悩ませた皇帝の血を狙う陰謀に立ち向かう力を手に入れる——。
この世界は、そう言う物語だった。
私が変えてしまった世界——。
ギリアムは私とミアに、自分とアイゼルが築けていない“真の信頼関係”を築けと言ってるの?
「終わりましたよ、クレア様」
ぐるぐると頭の中で考えを巡らせていると、ミアの声が聞こえた。
食事も用意しますからと、部屋の外に置いてあった食事をアイゼルの部屋のテーブルに並べる。
メイド服のスカートの裾をひるがえしながら廊下とテーブルを往復するミア。
軽やかな動きを私は知らず目で追っていた。
いつもと変わらないミアだけど、さっきのギリアムの言葉は聞いていたはずで……。
「どうぞ、クレア様。召し上がってください」
軽く微笑んだミアに促される。
テーブルの上にはいつもより少し豪華な昼食兼朝食が用意されている。
スパイスの香りが忘れていた食欲をそそる。
私はミアに話をどう切り出そうか迷って、スープに口を付けた。
温かく油の乗った魚の旨味が舌に絡みつく。
その様子をミアが微笑んで見守ってくれる。
ミアの優しさ、スープの温かさ。
同時に、この世界に自分が生きてるって実感が喉を伝って身体に染み込んだ。
生の感覚に、頭の中での迷いが一つにまとまっていく。
飲み込んだスープの代わりに、言葉が私の喉をせり上がる。
「……ミア、どうして私を庇ってくれたの?」
真っ先に私の口をついて出て来たのがこの言葉だった。
横に立っていたミアは、ふいの私の言葉にも動じなかった。
私が話すのをずっと待っていてくれたように——。
微笑むと、
「クレア様をお助けするのが私の役目ですから」
迷いなく言う。
澄んだ瞳に私は少したじろぐ。
ミアは私をずっと昔から仕えてる辺境に嫁いだ貴族令嬢クレアとして慕ってくれているんだ。
ミアは、私がアイゼルたちの前で、前世の知識で知っていた知るはずのない知識を言ってしまったとは知らない。
アイゼルの雰囲気から察して咄嗟に庇ってくれたのだろう。
あの時、ミアの持っていたランプの光が近づいて来るのを見ているだけだった空っぽの私。
自分が何者で、どうしてここに居るのか、曖昧になっていた。
でも、ミアにとっては私はクレアなんだ。
前世の記憶なんて関係なく、私自身も自分の事をクレアだと思ってる。
記憶だってずっと小さな頃から一続きで続いてる。
前世の記憶は私の中でそっと閉まっておけばいい。
私は、この世界に生きるクレアとしてミアと信頼関係を築きたい。
でも……。
言ってしまった知識自体は取り消せないし……。
ミアも不思議に思っているだろう。
心が決まってもまた行動を妨げる悩みに囚われそうになった私を現実に引き戻してくれたのはミアだった。
「クレア様は出会った時からずっと不思議な人でしたよ」
なんの含みもなくそう呟く。
「え?」
思いがけない言葉だった。
「だから、不思議な事があってもクレア様なら不思議じゃないんです」
ニッコリ笑うミアの答えになってない答え……。
でも、いつも私に現実を教えてくれるミアの口調だ。
——ミアと出会ったのは私が10歳くらいの頃だったかしら?
ミアは12、3歳にしては小柄な子だったと思う。
街の道を一人で歩いてる姿が気になって声をかけたんだった。
遠い村から歩いて来たらしく、帰るところがないと言うので、お母様にお願いして私の侍女にして貰った。
子供だったからミアの事情に多くの疑問は持たなかったけど、不思議なのはミアの方だと思う。
故郷に帰れないと言っていたけれど、あれから何度もミアは里帰りをしている。
辺境に来てからは一度も帰って無いけど、本当に帰る場所が無かったわけじゃない。
その頃の私は、継母であるお母様から誰にも分からないように無視される扱いに慣れきって、暗い表情が身体に染み付いていたと思う。
その頃の妹のアリシアは4歳で、言葉を覚えて使いたくてしょうがない感じだった。
無邪気な笑顔で、
『おねーたま、だいすき』
と言う横でお母様が優しく微笑んでいるのが、たまらなかった。
他の同じ年頃の子たちと違う暗さが、私の不思議なイメージを作っていたのかもしれない。
アイゼルとの婚約話なんて全くなくて、何処に住んでいる男の子なのかも分からなかった。
ただ、初恋の男の子の思い出が私の唯一の光だった。
悲しい気持ちで過去を思い出す。
でも、ミアが侍女になってくれてからは、私の毎日は明るくなった。
お母様との表面的なだけの冷たい繋がりを、部屋の中でのミアとの楽しいおしゃべりが癒してくれる。
私のお願いを聞いて、お母様がミアを侍女にしてくれた事で、ミアは私にとっても特別だった。
アイゼルの話をすると「探しに行きましょう」とか「私も会ってみたいです」ってミアが言う。
初恋がただの思い出にならずにずっとアイゼルを好きでいられたのはミアのおかげかもしれない。
——そうだった。
ずっと私とミアの間に秘密なんてなかったんだ。
きっと、前世の記憶が無ければ、アイゼルの秘密は真っ先にミアに話していただろう。
「クレア様は、白いモヤの中を歩いていた私の前に現れた光だったんです」
ミアが言う。
「あの時、街を彷徨っていた私は、自分が何なのか、何をしているのかもわかりませんでした。
ただ、何かを求めて歩いていた……」
——私は歩いた。
ただ、歩いても歩いても白くモヤのかかった視界は変わらず、いつから歩いているのか、時間の感覚もなかった。
手を伸ばして何かを掴もうとしても、手のひらが虚空に揺れるだけ。
いつから、私はそんな事を繰り返していたのか、考える事さえ白いモヤに阻まれて、歩くだけだった。
また、私の手が虚空を掴もうと伸びた時、
「どうしたの? 迷子なの?」
声に手を握られる。
目を向けると、光がたたずんでいた——。
小さな女の子の形をしたそれが、心配そうに私を見つめる。
澄んだ彼女の瞳に映る痩せた少女——私だ。
彼女の輪郭が明らかになると、後ろに止まっていた馬車や、道を歩く人達が見えた。
私のいた村とは違う賑やかな通りに、華やかな店が立ち並ぶ。
どうして自分がここにいる分からない。
「あ……」
不安と混乱の波が押し寄せて、泣き出しそうな衝動が胸も突き上げる。
「大丈夫よ。一緒にお家を探してあげる」
手を握る少女の温かさが、私を包み込む。
ああ——、
この人は光だ——
——強すぎる光を守る事が私の使命になった。




