やっと愛された妻は夫から疑われる
私、クレアが目を覚ますと、アイゼルが隣で寝ていた。
いえ、隣で寝ていると言うのは正しい表現じゃない気がする。
ガッチリ私を捕まえていると言うのが正しくて、私の胸の下から回されている手が、腰の上から回された手と、背中を包み込むように重ねられて、私はアイゼルの身体に引き寄せられて身動きが取れなかった。
ここはアイゼルの部屋。
夫婦ならこんな朝があっても良いと思う。
けど、昨日の真夜中の出来事から、私はアイゼルに疑われている——。
本当なら、真夜中に馬を走らせて私を助けに来てくれたアイゼルに抱き寄せられて眠れたら、とても安心出来るはずなのに、今はちょっと寂しい。
アイゼルの胸に抱かれて動けない私の耳に、スーっという寝息だけが耳に届く。
目を覚ましたアイゼルがどんな事を私に告げるのかは分からないけど、今はまだ私の夫だ。
窓から注ぐ日の光が、昼間の暖かさを伝えて居る。
本当ならもうとっくに起きて居る時間だけど、昨日の事を考えたら、アイゼルにはゆっくり休んで欲しいと思う。
起こしたくないし、そうしたくて、ぎゅっとアイゼルの腕を握って身体を押し付ける。
もしかしたら、ずっとこのまま捕まえていてくれるかも知れない。
そんな淡い期待をつないだ。
「クレア……」
その時、アイゼルが目覚めた。
ボーッと寝ぼけた顔が可愛い。
アイゼルの腕から離れ、アイゼルの顔がよく見える。
ハッとして、昨夜の出来事を思い出した様子のアイゼル。
何を言われるのかと身構える私を置いて、アイゼルはそのまま部屋を出て行った。
昨日の夜中に城砦に戻ったまま寝ていたらしく、着替えずに行ってしまう。
そして、すぐにミアとギリアムが部屋に入って来た。
私の部屋から着替えを持て来たミアがベッドに駆け寄ってくる。
「クレア様ー!」
安心して泣きだしそうな様子から、ミアがずっと心配していてくれた事が分かる。
「ごめんなさい、ミア。心配させて」
「クレア様は何も悪くありませんよ。夜中に襲われた被害者なんですから! アイゼル様がどうしてクレア様に怒ってるのか分かりません!」
ミアが捲し立てるのを、ギリアムは一歩下がって見ている。
表情は読めない。
アイゼルが出て行った後に入って来たのだから、アイゼルと何か話をしたんだと思うけど。
ギリアムも私を警戒してる?
「アイゼルは怒っていたの?」
私は少しためらったけど、聞いてみる。
「クレア様……、アイゼル様は『クレアを頼む』とだけ言って行ってしまいました。私は怒っているようにみえましたらけど……」
何も言わずにこの部屋を出て行ってしまったアイゼル。
やはり、私に対して不信や怒りがあるんだ。
——知るはずのない事を知ってる事。
転生者の知識を持つ事が、アイゼルに疑われて相入れないなら、私はアイゼルに相応しくない。
諦めが体の底から湧いて、身体の力が抜けていくようだった。
涙を流す気力も無い。
「アイゼル様は、クレア様に怒っていたわけではありませんよ」
ギリアムの声が聞こえた。
理解するのに少し時間がかかったが、見るとギリアムが微笑んでいた。
「アイゼル様は混乱されてるだけです。ルークの所に行って話を聞いて、事情が分かれば落ち着かれますよ。今は、待ってあげて下さい、クレア様」
ギリアムの落ち着いた話し方が、混乱した私の気持ちも落ち着けてくれる。
けれど、問題はルークではなく、私自身なのだ。
それは変わらない。
「ルークくんは、地下牢に居るんですか」
ミアが唐突に言う。
ギリアムは少しためらいがちに答えた。
ルークを地下牢に連れて行かないで欲しいって私の願いが、昨夜の失言のきっかけだから、私への気遣いだろう。
「ルークは昨夜から地下牢に入れられています。ずっと惚けたままでしたが、朝方には眠りについて、先程目覚めた報告がありました」
昨夜のアイゼルの側近たちに連れて行かれるルークの正気のない顔を思い出すと胸が痛い。
惚けていたと言うのは、操られていたままだったからだろうか?
眠ったと言うことは、身体が解放された?
目が覚めたのなら良かったけれど……。
「ルークくんが操られていたのは本当なんですか?」
ミアがまた率直に聞く。
「それはこれからの調査次第です」
「自分の意志だった可能性もあるの!? あのルークくんが!?」
ミアが驚きの声を上げると、私も叫んでいた。
あ「絶対ないわ! あの目は操られている目だったし、『ここだ』ってルークの声じゃない声が聞こえたもの!」
ルークは私の理想像がこの本の世界に具現化された存在。
本来のヒロインのマーシャルに誰よりも相応しい人物であるように願って生まれたの。
誠実で、勇敢で、自由で——。
運命に翻弄されなかったアイゼルが、自由に生きられた時の姿でもある。
——病室で、理想の自分を本に探してた転生前の私の願い——
だから、自分の意思で私を襲うなんて事は絶対にしない!
「クレア様?」
強く否定する私にミアが少し不思議そうな目を向けた。
襲われた被害者がここまで強く否定するのはおかしかったかしら?
でも、ルークは、アイゼルの分身のようなものだから、少しでも悪く言われるのは我慢できなかった。
「声が聞こえたと言うのは本当ですか? クレア様」
ギリアムが真剣な声で言う。
「え、ええ。普段のルークの声とは全然違う声で、ナイフを振り上げながら『ここだ』と言う声が聞こえたわ」
言いながら私は昨夜、自分の身体をなぞったルークの手の軌跡を思い出す。
『ここだ』
その声が示した場所に自分の手を置く。
ちょうど命の宿る場所だった。
「低くくぐもって、まるでそこにいない誰かが囁いている様だった……」
思い出すだけで背筋が寒くなる。
感情のない声で、ルークを操っていた謎の敵が狙っていたのは、私じゃない。
アイゼルの子供——。
——皇族の血を継ぐものだ!
私は、今やっと気づいた。
「ターニアは!? ターニアは無事なの!?」
ギリアムは目を伏せて考え事をしていたが、すぐに答えてくれる。
「無事ですよ。今も女中に囲まれて過ごしています。見張りも増やしています」
ホッと胸を撫で下ろす。
確かに昨夜、ルークに追われた時に、ターニアの部屋に異変はなかった。
「クレア様が聞いた声からも、ルークが操られていたのは本当の様ですね……」
ギリアムが言った。
「ホムンクルスの治療が利用されたのは間違いないでしょうね。私も初めて見ましたが、あれだけ強力な支配は他の魔法では無理です」
自然にそう続ける。
ホムンクルスの治療の事、こんなにあっさり話しちゃっていいのかしら?
国家の最重要機密の様だけど……。
「今更、隠しても仕方ないでしょう」
事もなげにギリアムは言う。
「この事は他言無用ですよ」と付け加えるのも忘れない。
「わ、私とクレア様は、昔、教会で操られた人を見て……」
ミアが昨夜の嘘を繰り返そうとする。
「ミア。クレア様を庇おうとする貴方の気持ちは買いますが、それはあり得ないんです。
ホムンクルスの治療で人が操れると言うのは、教会でも特に禁忌とされ、クレア様の住んでいた地方では教会にも使える者がいません」
ミアが小さく息を呑んだ。
これじゃ、反論の余地がないわ。
ミアの気持ちはありがたいけど、やっぱり私の立場はどうする事もできない。
どうにも出来ない状況に、胸が苦しい。
「じゃ、じゃあ、なんで、教会が全力で秘匿している様な秘密を、あなた知ってるの? ギリアム——」
ミアが反論する。
確かに、それは矛盾だった。
アイゼルは実務を殆どこなしてると言っても、辺境伯の次男だ。
その側近に過ぎないギリアムが、こんな国家機密を知っているのは謎でしかない。
アイゼルが皇帝の弟で、命を狙う者から逃げて隠れている。
知らなければ不自然だ。
年上だけど、私よりもずっと小さなミアが、アイゼルよりも背の高いギリアムと渡り合ってる。
なんだか頼もしい光景だった。
ため息を軽く漏らしたギリアムが私を見て言った。
「クレア様、ミアは何処まで知っているんですか?」
えっと、ターニアがアイゼルの愛人の子供だと思ってるはずで、私の知ってる事は何も話していなかった。
ギリアムに事情を話すとますます余計な事を言ってしまいそうで迷う。
「ミアには事情を話して下さい。貴方の為にも——」
そう言うと、ギリアムは部屋を出て行った。
私は着替えながら、ミアに何から話せばいいのか考えていた。




