白い影に逃げた花婿と呪われた妻【アイゼル編】
暗い森の中の重い沈黙を破ったのはロイスだった。
「ここでアイゼル様に追いついた時の事を思い出したよ」
「結婚式の後でアイゼル様が居ないと気づいて、辺境伯の城からここまで探しに来たんだったな」
ダリルが答えると、コリンも話し始めた。
「クレア様が見ていられないくらい落ち込んでいたから、何があったのかと思ったら、見つけたアイゼル様がそれ以上の取り乱し方で驚いたなぁ」
「そうだったな」
僕も思い出していた。
◆◇◆
僕は、辺境伯の城で行われたクレアとの結婚式から逃げて、自分の暮らす城砦に向かっている所だった。
クレアと一緒に暮らす為に数日後には通る予定のこの道を、護衛もつけずに馬を走らせていた。
城砦には子供の頃から集めていた書物が置かれていたから、今の状況を打開する手掛かりがあると思ったのだ。
——白い影。
その存在は噂では聞いていたが本当に存在するとは思っていなかった。
どこからともなく現れた白い影が、人や物を家ごと飲み込んで連れ去ってしまう。
実際に調べても消えた人や物、家は無いのだが、噂だけが一人歩きしていた。
その白い影が、結婚式の行われる城の窓から見えた。
城下町の一画を覆い尽くす程に巨大な白い影が何匹もうねっていたのだ。
“クレアにかかった呪いなの”
ただ、クレアと一緒に幸せになりたかっただけなのに、どうしてこんな事になったのか分からなかった。
分かるのは、あの白い影は人間にどうにか出来るものではない事——。
街の人々の様子を思い出し背中に冷たいものが走る。
正気を奪われた青年が僕の横を通り抜けた時のあの感覚——。
あれが僕がクレアを愛したせいなら、もう彼女には近づけない——。
子供の頃に出会って、ずっと大好きだったクレア。
やっと会えたのに、彼女に触れる事も出来ない!
僕が去って、クレアを傷つけてしまった結婚式。
強張った彼女の唇にそっと触れたキスが、僕と彼女の最後の触れ合いになった——。
◆◇◆
子供の頃にクレアと会った時に、そばに居たのはギリアムだった。
まだ辺境に連れて来られたばかりの僕は、何故ここにいるのか、理由は分かっていても受け入れられずにいた。
心を閉ざした僕を、少しだけ環境の違う場所に移す為に開かれたのが、あのクレアと出会った屋敷での招宴だった。
大人が何日間か逗留する間に、連れて来られた子供達と触れ合えるようにという配慮だったが、僕はやはり一人きりで庭で本を読んでいた。
お世話係だったギリアムは距離をとって僕を見守っていた。
グレンも居たのだが、子供達と一緒だったから彼とは別々に過ごす事になった。
クレアちゃんは始めはグレンと同じく子供達と一緒にいたが、馴染めずに外に出て僕と出会ったのだ。
一目見た時から、とても可愛い子でそっけなく接していたけど、内心はドキドキしていた。
顔に似合わないおてんば振りには驚いたけど……。
最初にクレアちゃんには僕がベンチに置いていた本を投げられてしまった。
後で聞いたのだが、子供たちの集められている部屋でグレンがやっていたのをクレアちゃんが真似したらしい。
素直さがクレアちゃんらしいなって、聞いた後に僕は笑ってしまった。
数日だけだったけど、クレアちゃんと過ごした時間はとてもかけがえのないものになった。
遠くから見守っていてくれたギリアムとの距離もいつの間にか縮まっていて、辺境に戻る間もクレアちゃんの話をずっと2人でしていた。
辺境に戻った後には、彼女の話を他の4人にも聞かせた。
グレンはクレアちゃんに会った事があるから、僕が彼女に夢中な事が腑に落ちないようだった。
5人は、辺境の地に来た僕を守り、将来の側近となる為に集められた少年達だった。
勝手にこんな辺境に連れてこられて、僕が心を閉ざしているように、彼らも勝手な運命に翻弄されていた。
僕が、彼らとちゃんと話して助けて貰おうと思えたのはクレアちゃんのお陰だと思う。
まだ帝都で暮らす兄や弟を助ける為に、辺境で仲間を作らないといけないと彼女が教えてくれた。
「じゃあ、正式な婚約をしないといけませんね」
そう言ったのはコリンだっただろうか?
「この間、婚約者のマリエルと初めて会ったけど、とても可愛い子なんですよ」
僕が出会った初恋の女の子の事を聞かされて、婚約者がいたコリンとロイス、ダリルは真剣に話し合っていた。
婚約なんて自分には関係ないと思っていたが、思いつくと、いても立ってもいられなくなった。
すぐに彼女の事を調べて、父親である辺境伯に頼んだ。
だけど、同世代の従者が用意されていたように、僕の婚約者はすでに決められていた。
内々の取り決めで、逃がされた皇子である僕は辺境でも兄である皇太子の予備として生きる事が決められている。
それは仕方のない事だった——。
皇帝になる兄や弟を助けたいと思うなら、僕が兄の予備として生きる事が助ける事にもなるのだろう。
ただそれでも、彼女だけは諦める事が出来なかった。
クレアが居てくれたら、僕は強くなれる。
強くなって、必ず兄と弟を救えるはずだ。
彼女が居なければ、兄と弟は救えない。
そんな思いで日々鍛錬を積んで、ずっと強くなった僕を、従者に選ばれた彼らは自分の意思で認めてくれた。
彼らの協力もあってクレアと婚約が決まった。
ギリアムとグレンは少し複雑そうだったが、最後には心から喜んでくれた。
それなのに、あの結婚式の日、僕はクレアを置いてこの城砦まで逃げだして来たのだ。
——彼らにも事情を話さずに。
◆◇◆
月が高く登った夜に、暗い森の道を馬を走らせていた。
結婚式は深夜まで続くが、花婿が途中で抜け出してたら騒ぎになっているだろう。
1人残された花嫁のクレアの絶望がまた深くなるのは確実だ。
女神のように思っていた女の子が、目の前に実体を持って現れて、少し照れたように僕を見つめた。
愛おしさに熱くなった僕の心もまた絶望が冷たく冷やそうとする。
クレアの為に何か自分が出来ることを探したくてここまで来た。
れど、僕はただ白い影の根源的恐怖から逃げ出したかっただけなのかもしれない——。
急がせていた馬の手綱を緩めた。
昼間でさえ恐ろしい城砦の下に広がる暗い森から、不気味な鳥の声が聞こえる。
けれど、白い影に切り取られた場所を見た後では、なんて生命に満ちている場所なのか。
遠くから何体かの馬が蹄の音を響かせて急いで近づいて来た。
ギリアムたち5人が結婚式の行われていた城から僕を追って来たらしい。
「ア、アイゼル様……」
珍しく、ギリアムが動揺している。
他の4人も同じだ。
怒るつもりだったのが気を削がれたようだ。
僕は、白い影に飲まれた人間の様に正気のない顔をしていたのだろう。
「……どうしたんだ? アイゼル。クレア様を1人にしてこんな場所に来るなんて……! クレア様が、どれだけ心細い思いをしているか……」
意を決して、グレンが怒りを露わにする。
グレンはクレアの事が好きだから、僕に対する怒りは人一倍強いだろう。
ギリアムもそれは同じか……。
他の3人も、僕がどれだけクレアを好きだったのか知っているだけに、戸惑いは大きい。
僕は、たった一人でどうすればいいのか分からずにここまで来てしまった。
彼らが来てくれた事でどれだけ救われただろう。
人を狂わせる白い影はどうする事も出来ない。
ただ、クレアを守る—。
その為の武器はこんなに近くにあったんだ。
「……助けてくれ……!」
絞り出すようにそう言うと、僕は今日の出来事を話し始めた。




