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愛してはいけない妻【アイゼル編】

 アイゼルは城砦のクレアの部屋の方角を見上げた。

 城砦を出て急な道を馬でしばらく走った後だ。

 城砦ももう小さく見えるだけで、クレアの部屋の様子など見えなかった。

 見えたとして、先ほど城門まで来て見送ってくれたクレアは、まだ部屋には戻っていないかもしれない。


 それでも見上げてしまうのは6年間の月日の積み重ねだろう。


 6年間、アイゼルはクレアと顔を合わせることもなく城砦を出るのが常だった。

 しかし、6年間ずっと、城砦を出る時に、クレアが自分を見つめているのを知っていた。


 クレアを見ずに城門を出る間、いつも一緒に行動しているギリアムの様子が目の端に映る。

 ギリアムの仕草でクレアを強く感じながらも、見つめ返せば自分を止められなくなる事がわかっていたから、一度も振り返らずに城砦を出た。


 そして、この場所に着くと耐えきれなくなって振り返った。

 この6年間で、細い道の先に見える細い枝が二股に伸びたひどく痩せた木が、強い後悔と恋慕を呼び起こす象徴になっていた。


 城砦からの下り坂は道が悪く、崖のように剥き出しの地層が見える植物もまばらな上層から、暗い森の下層へと続いている。

 森は荒野の多い辺境では珍しく深い緑で、大きな岩が森を遮るだけの場所が道とされていた。

 昼間でも道から森に目をやると暗く底が知れない畏怖を感じた。


 少し森の中に入ったこの場所は、少しだけ広く開けていて、立ち止まっても城砦からは見えず、こちらからは城砦が見えると言う場所だった。


 何度、ここから彼女を見上げる事を繰り返しただろう。


 いつも、城砦を出る時に自分を見つめていたクレアはどんな顔をしていたのだろうか?


 自分を顧みない夫に何もない荒野の城砦に閉じ込められて、さぞ自分を恨んでいるだろう。


 きっと怒りに震えて、ぷくっと頬を膨らませて……。

 そんなクレアの顔を想像すると心が温かくなる。


 そんな可愛い反応が出来るほど優しい仕打ちを自分はしていないのに、交流の少なさが幼い彼女しか思い出せなくさせていた。


 あるいは、結婚式で最後に見つめた時の、希望から絶望に突き落とされたよう表情が頭の中にこびりついている。


 僕がクレアにそんな表情をさせてしまった。


 クレアちゃん、そんな風に呼んでいた頃が懐かしい。


 子供の頃に少しだけ一緒に過ごしたクレアちゃんは、ちょっとした事ですぐに怒ってすぐに頬を膨らませた。

 ちょっと過ごした間だけでも、僕はクレアちゃんが怒るたびに「またかぁ」と呆れるようになっていた。


 でも、すぐに明るく笑うクレアちゃんのくるくる変わる表情に釣られて僕はいつの間にか笑っていた。

 やはり、いつもこの場所で僕は彼女の思い出に微笑んだ。


 彼女にどれだけ酷い事をしているのか自覚はある。

 けれど、彼女がそばに居てくれるだけで、彼女が存在してくれているだけで、僕は嬉しかった。


 その喜びが、エゴが、一層僕を傷つけていた。

だが、皮肉にも、あの彼女の母親の“呪いの言葉”が、彼女を守る為の理由になって僕を支えていた。


 今、城砦を見上げる僕は、“呪い”が動き出した事に安堵と不安を感じている。


 数日前に、皇帝の子だと言う赤ん坊を連れてきた、マーシャルとルーク。

 そして皇帝とクレアの妹の子だと言う赤ん坊のターニア。


 急速に動き出した出来事が、僕とクレアを近づけた。


 いや、先に動いたのは僕だった。

 彼女をこれ以上閉じ込める事に限界を感じて、クレアに離婚の提案をしたのだ。

 離婚を選ばないでくれと願いながら。


 僕の支えになっていた彼女の母親からの“呪いの言葉”は、6年の期限を切っていた。


 もうその期限が切れるのだ。

 呪いを解けるような出来事が無いのだから、僕には解けないのだ。

 期待して、彼女の人生を僕の運命に巻き込んで弄んではいけない。


 そんな気持ちが、一刻も早く彼女を解放しなければという気持ちと、呪いを解く出来事を待つ焦りになっていた。


 離婚の提案をした時、彼女の様子はどうだったのだろうか?

 彼女の一挙手一投足に彼女の答えを探してしまう自分が嫌で、彼女を見ないようにした。

 まだ彼女が自分を選ぶ希望を持っていたかった。


 そして、クレアの答えを聞かないままに、赤ん坊が現れた。


 これが僕がずっと待っていた、呪いを解く出来事なのかもしれない。


 皇帝の、兄上の子を守るには夫婦でいる事が必要だ。

 クレアの妹の子でもあるなら彼女も逃げられない。


 全てがクレアを自分のものにする正当な理由になった。


 クレアを解放したいという思いは、自分の本当の気持ちの前で消し飛んだ。


 欲望をぶつけるようなキスにクレアは戸惑っていた。


 それは当然だと思う。

 自分でもなんて調子のいい奴なんだと軽蔑する。

 ただ、もう自分の気持ちを隠さずに彼女に伝えて守る事が出来るなら、それだけ良かった。


 本当はどれだけ僕がクレアを愛していたのか——。


「やめてください!」

 赤ん坊の名前を決めた後に、執務室でキスした後にクレアに拒絶された時は流石に傷ついた。


「嫌われていても仕方ないですね。アイゼル様」

 クレアを部屋に送って戻って来たギリアムが追い討ちをかけた。


 僕は長椅子に力なく横たわるしかなかった。


 部屋から出て僕から逃げるようにギリアムの影に隠れたクレアの仕草が可愛すぎた。

 嫌われてもいいから、もっと抱きしめたい。


 最低だな、僕は。


 僕が落ち込んでると思い、見かねたギリアムが、

「でも、クレア様はご自分の部屋に戻る時は嬉しそうでしたよ」

 などと言うから、更に立ち上がれない衝動に駆られた。


 城砦を見上げた場所から、馬の歩調を緩めて少しだけ進んだ。

 急いで行かなければならないが、クレアを感じられる場所から離れがたかった。


 拒絶された後で、クレアに愛してると伝えられて、クレアも僕を嫌っていない事がわかった。

 ルークに対して何故か強く感じる嫉妬がなければ、僕は自分の気持ちをまだクレアに伝えられていなかっただろう。


 ルークを見ていれば、マーシャルを好きな事は一目瞭然だ。

 クレアも知っていて、2人を見守っているように見える。


 だが、どうしてだろう?

 クレアとルークが一緒にいるのを見ると、ルークに対する嫉妬が止められない。


 赤ん坊が来たことで、クレアが僕が皇帝の弟だと気付いたのには驚いた。

 クレアもずっと僕を愛して、小さな頃に話した事をずっと覚えていてくれたんだ。


 僕の部屋で抱き合ったクレアが静かな寝息をたてて、幸せそうに僕のベッドで眠っていた。

 それだけで僕の6年間は報われた。

これからはクレアを幸せにする為に生きよう。


 “呪い”と向き合わなくてはいけない。


 城砦にやって来た赤ん坊のターニアが鍵を握っている。

 まずは、ターニアを連れて来た2人の足取りを確かめなくてはいけない。


 やっと想いが通じたクレアを置いていくのは心残りだったが、一刻も早く確かめなければ“呪い”の手掛かりは消えてしまう。


 翌朝、城門の前で僕を見送ってくれたクレアを、本当の意味で守れるようになった事は嬉しいが、守り切れるのかと言う不安が込み上げてくる。


 僕を幼い頃から守ってくれたこの城砦なら、クレアを安心して残して行けるが、寂しさは募った。


 別れ際クレアは、ポロポロと涙をこぼし心の底から心配そうな顔で僕を見送ってくれていた。


 そうか、これが今の彼女なのか。

 6年間妻だった女性の顔を僕は改めて見つめた。


 子供の頃のぷくっと頬を膨らませた顔とは全く違う大人の女性の顔をしている。


 真剣に僕を見つめる瞳は変わらず、心を温かくしてくれた。

 永遠に触れられないと思っていた彼女に触れて、僕はその熱を感じた。


 不安など感じてはいられない。

 彼女を絶対に守り抜かなければ!


 思い出に浸っていると、ふふっと笑い声が聞こえて、僕は振り返る。


 ギリアムが微笑んでいた。

 他の3人の従者達も穏やかに微笑んでいる。


「アイゼル様が嬉しそうで何よりです」

 心から思っているように従者の一人ロイスが言い、ダリルも続ける。

「クレア様も泣いておられたけど、もう辛そうではなかった」


「こんな晴れやかな気持ちでこの場所を通れる日が来るなんて思わなかったなぁ」

 コリンも言う。


 重い気持ちで城砦を振り返る事がいつもの習慣になっていたから、彼らの反応も無理はない。

 僕とクレアの事をずっと心配して見守っていたのは彼らも同じなのだ。


 ギリアムとコリン、ロイス、ダリル、ここにはいないがグレン。

 5人は僕がこの辺境に連れてこられてからずっとそばに居る友人でもあった。


「すぐそばの村にマーシャルさんとルークが滞在していて、白い影を見て急いで城砦まで来たと言っていましたが……」

 ギリアムが問うように言う。


「やはり、アレなんでしょうか?」


 和やかだった空気が一気に張り詰めた。

 暗い森の中で風のざわめきが強くなった気がする。


 白い影。

 それが、僕とクレアの間にあった”呪い“であり、立ち向かう敵だった。


 ただ、それはあまりに強大だった。

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