表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/48

物語のズレたはじまり

 その朝、目覚めた私は自分が本の世界へ転生し“推し”と暮らしていた事に気づいた。


 こんな幸せな夢を見た後だったのに——。



「一緒にこの子を育てて行こう」


 赤ちゃんがスヤスヤ眠るベビーベッドを目の前に、整った顔の私の王子様が微笑んでいる。


 金色の髪が陽に煌めいて紺碧の瞳が輝く、背の高い完璧な男性。


 ——彼は私の離婚寸前の夫だ。


 スヤスヤと眠る赤ちゃんは夫と同じ金髪で、二人は他人とは思えないほどよく似ている。


 夢の中で2人は、とても幸せな親子にしか見えない。


「はい」

 そう答えた私もその幸せの輪の中に入って行く。


 夫は私の茶色の髪も包み込むように肩を抱くと、

「やっと、君を手に入れた」

 そう甘く囁いた。


 身体を寄せ合って若い夫婦が可愛い赤ちゃんを見つめている。


 夢の中で、ずっと夢見ていた幸せな家族の肖像画が完成した。


 私は痩せた身体で、それを離れた所から見ていた。

 だって、これは夢だから、絶対に手に入らない幻だから……。


 見渡すとそこは機械に囲まれた病院のベッドの上だった。


◆◇◆


 病院のベッドの上で、私は本を閉じた。

 ヒーローがとても素敵で何度読んでもドキドキする。


 力の入らない痩せ細った腕で、ギュッと本を抱きしめて、本の中の登場人物になれたらって夢想する幸せな時間。


 ヒーローに溺愛されるヒロインになるのは畏れ多いけど、夜会に参加している女の子の一人になるとか、木の上から眺めている鳥になるのもいいと思った。


 健康な体と自由があれば、ヒーローに私の存在を知られなくても、同じ世界の住人になって同じ空気を吸って陰ながら見つめたい! 応援したい!


 そう! ヒーローは私の“推し”だった!


 そして、そのヒーローが本の世界に転生した私の夫だ——。


◆◇◆


 ハッと目が覚めると病院のベットの上ではなく、豪華な飾りの付いた天蓋付きのベットだった。


 痩せ細った身体は、適度に肉付いた女性らしい肢体になっている。

 よろめく事なく立ち上がる脚は、間違いなく私の身体だ。


 ここが何年も寝起きしている自分のベットだと頭では分かっていても、夢の中で眠っていた病院のベットはそれ以上に体に馴染んだ場所だった。


 ただ、この身体の方が何倍も動きやすくて、私に馴染んでる。


 ——ここは辺境の城砦で、私は結婚して6年間もずっと不仲だった夫と離婚寸前の貴族令嬢だった。

 初恋の王子様との幸せな結婚生活を夢見たのに、結婚式の当日に夢が砕け散った。


 それが、唐突に現れた赤ちゃんのおかげでやり直すきっかけを掴んだ。

 昨日の私は、何年かぶりにこの上なく幸せな気持ちで眠りについたのだった。


 ——そして、その翌朝に目覚めて自分が転生者だと気づいた——。


 いくら夢想していても、まさか本当に本の世界に入れるなんて思ってなかった。


 でも、今、現実に私は本の世界にいて、しっかりこの世界で育って来た記憶もある!

 遠くから見つめているだけでもいいと思った“推し”のヒーローと結婚している!!


 一体、何をどうすればこんな展開になるんだろう!?


 ……確か、この世界でも、子供の頃にちょっとしか会った事のないヒーローに私は恋焦がれていた。

 どういうわけか婚約者になったと知った時はとっても嬉しかった。


 で、どう言うわけか転生者の私が、この辺境伯の次男である物語のヒーローの妻に収まっている。


 ——でも、その後の結婚生活は幸せな記憶がないままだった。


 この城砦はヒーローの幼い頃からの住処で、結婚後も拠点として使われている。


 城砦から出掛けて戻ってくる。

 そのヒーローを何度も影から見つめた。

 窓の外で馬に乗って出掛けるヒーローと従者たちの姿が小さくなって見えなくなっても、無事を祈り続けた。


 どんなに冷たくされても夫を嫌いになる事はなかった。

 好きな気持ちだけが、どんどん積み重なって溢れていく。


コレは前世の“推し”を想う気持ちの記憶がそうさせていたの?


 結婚式の日に幸せそうに私に笑いかけてくれたヒーローが、その日のうちに急に冷たくなったのは何か理由があるんだと思う。


 冷遇された6年間に一度も私を振り返らなかったヒーロー。

 何か強い意志で彼は私を避けていた——。


 ——たぶん、それは、私がこの物語の真のヒロインではないから。

 先日、ついに離婚を切り出された事とも辻褄があう。


 前世の記憶を思い出しても私は私のままで、なんの変化も無い。

 ただ、じんわりと、この世界に私は要らない存在なんだって理解する。


 だって、物語にはヒーロと対のヒロインがいるから——。


 ヒーローと同じ痛みを持った少女。

 昨日、赤ん坊を連れて来た彼女こそがこの物語のヒロインだった。


 私とヒーローが夢の中で理想の家族の肖像画のようになって見つめていた先にいた赤ちゃん。

 この子は、本当のヒロインとヒーローを繋ぐ赤ちゃんだ。


『安心していい。この子は妻と私が育てる』

 ここまでの旅で疲れて見えるヒロインに、ヒーローは優しく微笑んで言った。

 妻の肩を抱きながら!

『ありがとうございます』

 と、ヒロインが微笑んで答えていた。


 昨日、私の目の前で起こったこの光景は、この物語には無いシーンだった。


 本来のヒーローが赤ちゃんを連れてきたヒロインに事情を聞くシーンは二人っきりだった。

 ヒーローの隣に妻など居なかったのだ。


 ——物語はズレている——。


 これから、この二人が赤ちゃんを巡って対立しながらも恋愛感情を育んでいくのに、妻がいたらそれは不倫になってしまう!


 私と夫の結婚生活は通りで上手くいかないわけだ。


 大好きな夫に無視されても、初恋の運命の人だからいつか気持ちが通じると思ってたけど……。

 それは一方的な私の勘違いで、結婚よりも出会った事が——私の存在そのものが間違いだった。


 きっと、ヒーローはこの間違いに、違和感に気付いていたんだと思う。


 そうでなければ私の“推し”は妻に対してこんな酷い仕打ちが出来る人ではない。

 私と言うイレギュラーな存在と、真の運命の相手へ続く本来の物語との間で起きたバグのようなものだったんだろう。


 そうか、そうだったのね。


 虚しい結婚生活に対する答えは、寂しい気持ちよりも納得感が上回った。


 ホッと天井を見上げて息を吐く。

 微笑んでいるのに涙が一雫こぼれる。


 赤ちゃんを連れて現れたヒロインとヒーロー、物語の主役二人が出会ったのだから、これから居ないはずの私が大好きな夫と幸せに暮らすなんて夢は絶対に叶わない夢。


 幸せな家族の肖像への憧れは、この世界で継母に疎まれて生きて来た私が持った夢だったけれど、もう叶うことはない。


 身を引くのが本の世界に転生して来たと思い出した私がすべき事なんだろう。


『アイゼル様、クレア様、お願いします。この子をお二人の子として幸せにして下さい!』


 ヒロインは澄んだ瞳で私と夫に頼み、


『私たち二人に任せてくれ』


 と、ヒーローのアイゼルが城砦の主人らしく答えていた。


 二人に恋愛感情の萌芽は見えなかった。

 けど、本当ならヒロインのあなたがアイゼルの妻として一緒に赤ちゃんを育てるはずなのよ。

 アイゼルも、きっと彼女を待っていた。


 離婚寸前だったはずが、関係を修復して赤ちゃんを育てる。

 昨日の束の間の幸せな夢が、私は必要ない存在だって事実のショックをより大きくしている。


 私は頬を伝う涙を止められない。


『私たち二人に任せてくれ』


 ヒロインの前で私の肩を抱いてそう宣言したアイゼルは、2人っきりになると、

『もうこれで逃げられなくなった』

 そう言って、


 ——私にキスした。


 唇に触れると、6年間のわだかまりを全て吹き飛ばす熱がまだ残っている。

 やっと、アイゼルが私の方を見てくれてた。


 この熱を残して、私は何処にも行けない——。


 ——私は、ずっとアイゼルを好きだったんだもの!


 この気持ちは誰のもの? 転生者の私? 病院のベッドの私?


 実際にこの目で見ていた城砦を出掛けるアイゼルの後ろ姿と、本で読んだヒーローのアイゼルが重なる。


 どれだけの時間、貴方を好きだったのかしら?

 あの、初めて本を開いた日から——。


 ヒロインが赤ん坊を連れてヒーローの城砦を訪ねる所から、この本の物語は始まる。


 でも、物語はズレてはじまってしまった。


 そう、こんなふうに——

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ