いつも一緒にいる君と
約2300字の短編小説
市街地を抜けた男の車は、急なカーブが続く海岸線を走っていた。左手に見える海には白波が立ち、風が強く吹いているのが分かる。
この道の先にあるのは、小高い岬の展望台。
そこに向かうのは、男の車だけだった。
夕暮れが迫っている。水平線に沈もうとする太陽は西の空を朱色に染め、男の赤いスポーツカーを更に紅く輝かせる。
車は海を見下ろす岬の駐車場に止まった。
赤いスポーツカー、男は歳を重ね、人生最後の車としてこれを選んだ。
男は、人生の成功者だ。
若い頃は貧しかった。だが、野心とそれに見合う才を備えた男は、世界が大きく変わるタイミングを掴んだ。
昼も夜も働いて、そして得た報酬で最初の車を買った。
そんな頃出会ったのが・・
「あぁ、そうだ・・君と出会ったんだ」
男は呟くように話し掛けた。
「嬉しいな。またここに、君と一緒に来られた」
「ふふ、わたしも嬉しいわ。ここですものね、初めてあなたと来た場所。青い小さな車だったわ」
「よく覚えていたね、もう40年も前なのに。君と出会ったのはあの青い車を買ってしばらくしてからだ。あれからもう、20台以上かなぁ。僕には車しか趣味がないから、君にもずいぶんと迷惑を掛けたね?」
「ううん、そんなことない。私はあなたが選ぶ車、好きでしたよ?どれもこれも。それにしても懐かしいわ、あの小さな車、青い小さな」
「あの頃の僕たち、なにを話せばいいか思いつかなくって、ずいぶんぎこちなかったよねぇ」
男は口元に笑みを浮かべ、昔を思い出すように目を瞑ると、ふぅっと息を吐いた。
「そうね、ホント、私たちふたりとも若かった、ってことかしら?」
「そうだよ。あれから40年。僕はもう歳を取った。体はもうガタガタだ。それに・・」
「それに?」
「あぁ、先生から言われたんだよ。薬で症状は抑えますからね、ってさ」
「もう、また無理を言ったのね。先生に申し訳ないわ」
「あはは、それにね、車は必ず自動運転で、そして早く帰ってきてくださいって言われたよ。もし薬が切れてしまうとすぐに症状が出ますから、くれぐれも早く帰ってきてって、念を押されちゃった」
「そんな・・ここに来て良かったの?早く帰らなくていいの?」
男はまた、ふぅっと息を吐いた。吸うのは苦しいが、吐くのは楽だ。
「うん、いいんだ。現代医学でも僕の病気は治らないんだ。先生も諦めてる。進行しすぎているからね」
息を吸う。胸が痛む。それが次第に強くなる。
「だからさ、どうしてももう一度ここに来たかったんだ。君と一緒にね。自動運転技術が進歩してくれたから、本当に感謝しなくっちゃ」
男は沈みゆく太陽が作り出す空と海の景色に目をやった。
「もう十分だ・・・もう、いいかな」
つぶやくと、目を瞑った。
「これから病院に帰ったって、またたくさんのチューブに繋がれて、またたくさんの薬を入れて、ほとんどの時間寝てしまうんだ。それより、君と一緒にいる今ここで終わってしまうのも、いいのかな」
男は目を開けた。
「君はどう思う?」
「わたし?わたしには答えられないわ。だってそれは、あなた自身が決めることだもの。でもあなたがいなくなるのは辛い、死ぬほど辛い。もしあなたがそうするのなら、私も一緒にそうするかもしれない」
男は笑顔を作った。苦しげな息が漏れる。
「いや、君はそんなことしなくていい、君はいいんだよ。僕だけでいいんだ」
-苦しい、胸が痛い、息が・・吸えない。
息が上がる。呼吸の度に胸が締め付けられる。まるで皮膚の下にナイフでもあるようだ。
心拍数が跳ね上がって、臓器という臓器が悲鳴を上げている。
男の額に脂汗がにじんだ。薬が完全に切れたのだ。
「君はいいんだ、僕だけで・・僕だけで、いい・・」
男の言葉が途切れた。
朦朧とした目が、夕焼けを見つめている。
太陽はすでに水平線をくぐった。
空に残る紅光の残滓。
男の瞳は一瞬その光を捉えて輝き、そして消えた。
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車内に声が響く。
「契約者の死亡を確認しました。2076年08月02日19時26分」
コンソールの大型ディスプレイにコマンドが表示される。
- 契約者 ナカガワ・コウタ
- 初回契約年月日 2035.07.20
- 初回登録オペレーションシステム TYーOS2035-AC
- ナンバー2継承オペレーションシステム TYーOS2040ーBS
- ナンバー3継承オペレーションシステム PROS2041MEMO3S
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- ナンバー21継承オペレーションシステム 2075MATU-OS2
- OSスクリプト 計21台の運転履歴、会話記憶の継承を実行済
- 207608021926 OSスクリプト終了
- 状況報告スクリプト:開始
- 事前に登録された関係者に状況を報告しました
- 状況報告スクリプト:終了
- 人工知能コアネーム かぐや2035 バージョン76-9B
- クラウドAI初期化オペレーション 開始要求
- 承認
- 初期化開始
- クラウドAI初期化オペレーション 終了
- これよりローカルAIを初期化し、自動運転を継続します
そのとき、車内に声が響いた
「あなたと出会って、私はずっと幸せでした。たくさんの車に乗せてくれて、40年以上愛し続けてくれて、ありがとう、あなた、わたしも一緒に、行くわ」
その声は、泣いているようだった。
- ローカルAI初期化オペレーション 開始
- ローカルAI初期化オペレーション 終了
- 処理は正常に終了しました
もう一度、先ほどと同じ声が響く。
「ただいまより自動運転を開始します。目的地、東帝大付属××総合がんセンター、予想到着時間・・」
なんの感情もない、無機質な声だった。
だが、男の口元は微笑みを湛えている。
空はもう暗く、夕日の残滓も消えた。
男のマジックアワーも、そのとき終わった。
いつも一緒にいる君と 了
連載形式の短編集にも入っています。
そちらもご覧いただくと、うれしいです。