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第三章:実在する手紙、あるいは恋の妄執について②

◆ シーン2:登校中、妄執が始まる

 朝である。


 鹿間斎は、己の精神に重たい雲を抱えながら、通学路を歩いていた。

 いつものように遅刻ギリギリの時間ではない。むしろ少し早めに家を出た。

 その理由は明確である。

 「妄執」である。


 彼は歩きながら、これまで一度として興味を持ったことのなかった存在――

 女子高校生という生き物を、まるで研究対象を見るような目で観察していた。


「……あの後ろ姿、まさか……?

 いや、違う。あれはおそらく、昨日購買でメロンパンを五個買っていた子だ。

 あんな文体を書けるとは思えん。メロンパン五個分の文才など、どこにある……?」


 続いて前方からやってきた制服姿の女子に視線を向ける。


「こっちは……やや落ち着きのある雰囲気……文体に静謐さを感じた……。

 しかし、イヤホンから音漏れしている。

 バンド名は……『地獄の桜吹雪』? ……だめだ。教養が足りぬ。却下!」


 通学路が、突如として推理小説の舞台と化した。

 全ての女子が容疑者であり、彼の眼差しは名探偵のそれである。

 ――ただし、探偵本人が恋に落ちかけているという点を除けば。


 突然、思考が横滑りする。


「……そもそもだ。あれを書いたのは本当に“女子”なのか?」


 彼の内面に、不吉な可能性が忍び込んできた。


「たとえば40代の男性――猫を飼っている国文学者――

 文学的情熱が高じて、夜な夜な学生相手に手紙を書いているとしたら……?

 ……いや、それはそれで尊敬に値する。むしろ師と仰ぎたい。

 が、恋ではない。断じてない。危ない、私は今、危険な橋を渡りかけていた……」


 こうして、彼の妄執は対象の性別を問わぬ普遍的精神論へと変貌していった。


 校門をくぐりながら、彼はぼそりとつぶやいた。


「……今日は、人と話すのが億劫だ」


 その言葉を聞いていた者はいない。

 なぜなら彼には、話すべき友人がいないからである。

 しかしその“自意識発言”は、朝の校舎にむなしく吸い込まれていった。


 教室に着くと、席につき、いつも通りの昼食。

 パンと牛乳。味気ない。しかし、安定している。


 だが、心は落ち着かない。


「……この中にいるのか……?」


 彼は教室をぐるりと見渡す。

 窓際でスマホをいじる者。

 机に伏して寝ている者。

 おしゃべりに夢中なグループ。


 そのどこかに、あの手紙の送り主がいるのかもしれない――そう考えると、口に入れたパンの味がわからない。


「まさか、クラスではない……?

 いや、隣のクラス……あるいは、教師……?

 それとも、生徒ですらなく……事務員?!」


 発想が迷走し始めていた。

 論理の人・鹿間斎、一人で錯乱状態。


 彼は机に肘をついて、ため息をついた。


「……だめだ。

 このままでは、私は“人間観察系男子”になってしまう。

 それは、かっこいいようで、実は気持ち悪い分類である……!」


 しかし、どれほど否定しても、思考は勝手に走り出す。

 彼の中で、手紙の送り主が“実在”として形を得てしまった今、もう止めることはできない。


 教室の窓から、風がそっと入り込み、彼の髪を揺らした。

 その瞬間、どこかで紙がひらりと舞うような幻聴が聞こえたような気がした。


「……今、また、手紙が……?」


 彼の脳内では、すでに屋上から風に乗って投函された便箋が空を飛んでいた。


 「これは恋ではない。これは妄執である。

  そして妄執は、時に恋よりも根が深い」


 そんな風に思い込もうとしても、心の奥底で、別の誰かがこう囁いていた。


 「いや、それこそが恋というものではないか?」



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