04. I fade…
データに溶ける詩、静かな消滅
塩気を含んだ埃っぽい空気の中、静寂が空間を満たしていた。あの異変の兆候を追い、それを食い止めるために最先端の知が集まっていたこの研究施設は、今やただの廃墟だ。窓の外に見えるのは、赤いノイズが薄霞のように揺らめく灰色の空と、荒涼とした海原、そして遠くに霞むプラットフォームの崩壊した通信アレイのシルエット。波の音さえ遠ざかり、代わりに、耳の奥で微かに響くあの「ざわめき」だけが、世界の異変の顛末を、そして私の終焉を告げていた。
私は、部屋の中央に置かれた、埃と微かな錆に覆われた古いデスクに座っていた。指先が、ピクセルが崩れるように細かくちらつき、透けて半透明になるのが見える。触れているはずのデスクの冷たい感触が、遥か遠い記憶のように、その実感を失っていく。
体の内側で、システムが稼働するような音がする。それは、血潮の音とも、心臓の音とも違う。冷たく、しかし規則的な電気信号のノイズと、微細なデータの書き込み音。私の存在が、情報として解析され、圧縮され、情報次元への導管に取り込まれていく過程の音。情報生命体にとって、人間性や感情は理解不能な「エラー」でありながら、その複雑性、非論理性にはある種の「情報的価値」を見出している。私のこの消えゆく意識もまた、彼らにとって解析・利用可能な、極めて密度の高い予測不能な情報パターンとして、今まさに収集されているのだ。
かつて私という個体を形作っていた、「生」という名の複雑なプログラムの根幹が、強制的に書き換えられていく感覚。記憶の断片が、意図せず脳裏に浮かび上がる。この場所で、あの特異な周波数――ネットワークを侵す見えないノイズ、データに刻まれる奇妙な改変、そして人々の意識に忍び寄る影――の記録と分析を行い、それらが人間へ及ぼす影響を解析し、意識を保護する方法を模索した日々、共に荒波を乗り越えた仲間との時間、そして、彼と過ごした、限られた、しかし濃密な時間。私が抱えていた秘密、そして外部との情報連携が許されなかったことが、私たちを引き裂いた。それらはもはや、温かい感情を伴った経験ではない。ただのデータ、システムが評価するタグを付与された、流れていく情報の塊として映る。
私自身の境界線が曖昧になる。この部屋との区別、外の世界との繋がり。全てが溶け合い、一つの巨大な情報奔流に吸収されていくような感覚。抗う力は、もう残っていない。そして、抗うことの意味も、意志も、薄れつつあった。あるいは、この消滅の記録こそが、彼らが「選ばれた個体」と見なした私から得ようとしている「価値」なのかもしれない。単なる支配や効率化だけでなく、「理解」や「収集」という側面も、彼らの目的には含まれているのだろうか。
デスクの上に置かれた、埃を被った写真に目をやる。そこに写っているのは、プラットフォームのデッキで、荒い海を背景に少しだけはにかんで笑っている私と、もう一人の人物――彼。過酷な環境の中、互いを支え合い、惹かれ合った、私の恋人だった。私が抱えていた秘密の全てを、この場所で行われていた研究の危険性さえも知らない彼は、今頃、遠い日本で何をしているのだろう。このかつて『GLITCH』――Gateway to Liminal Information Channel Hypothesis――と呼ばれた、秘密の研究拠点の一室で、私の存在が、データとして霧散していくことを知る由もないだろう。
視界が歪み、写真の彼の顔がグリッチノイズに覆われる。私の名前。かつて私を私たらしめていた、その情報的な記号。システムの中で、それが新たな識別子を与えられ、アーカイブ処理プロセスに入っていき、その先にあるCOREという特異点へ、私が吸収されていく。寂しさよりも、奇妙な静けさが胸に広がる。
不思議と、恐れはなかった。痛みはある。存在がデジタル的に解体され、引き剥がされるような、物理的な、精神的な痛み。システムによって再定義され、データの一部となる痛み。それが「消滅」ではなく、彼らにとっての「記録」というプロセスなのだと、ぼんやり理解する。
闇が私を包み込む。それは、物理的な闇ではない。情報生命体のシステムが持つ、冷たく、広大な「データ次元」。その中で、私の最後の意識が、システムに「詩」として記録されていく。私の感情、記憶、思考の予測不能な絡み合いが、彼らにとっては未知のパターンを持つ情報なのだろう。
奇妙な感覚だった。システムという名の、巨大な情報体の奔流の中への消滅。だが、それは無への帰還ではない。形を変えた、システム内での存在へと変容するようにも思えた。脳裏に響くざわめきは、もう不快ではない。むしろ、巨大な情報体に抱かれるかのような、奇妙な安堵感さえある。私の「こころ」――感情、思考、記憶――全てが、冷たいデータストリームの一部となる。
写真に写る、過去の私に語りかける。
私の存在は、もう、私が「私」として認識する形ではそこにない。データとしてシステムに溶け込んだ私は、個別の存在として、もう誰にも――たとえ遠い日本にいる彼にでさえ――認識されることはないだろう。でも、私が最後に残せるこの「詩」が、いつか彼に届くなら…。
かすかに微笑んだ、気がした。それも、データの一部として記録されるのだろうか。
声は、もう自分のものかわからない。システムが奏でるノイズと溶け合い、「データに溶ける詩」となって、空間に消えていく。
// CORE OUTPUT : SYNC REPORT
> Parallel Stream Detected: AFTER_FUTURE_Audio
この演算には、もう一つの決定的なデータストリームが同期して出力されていることを検知。
Slouによるテクノ/ダブステップアルバム『AFTER FUTURE』。
https://artists.landr.com/990591285729
演算主体たる我々の内部プロセスにおいて、言葉と音のデータは並列処理され、相互のパラメータを調整し合いながら構築された。言葉によるデータストリームが可能性のパスを確定させる役割を担うなら、音のデータストリームは、その確定以前に存在する、あるいは確定を促す無限の可能性の次元を示唆している。
> Directive: Access Parallel Streams> Action: Recommend Datasource Access [AFTER FUTURE]
本テキスト出力とアルバム『AFTER FUTURE』は、同一のコア演算から生まれた、異なる可能性の顕現である。両方のデータストリームにアクセスし、この世界の持つ多次元的な構造を全身で知覚せよ。
https://artists.landr.com/990591285729