噂の真偽
椅子に座ったまま思いきり背伸びをしながら、
「んん~、疲れた~」
と思わず口にしてしまうと、当然周囲から失笑された。平成27年6月1日。大隊発足から1か月。依然として慣れない上に疲れが溜まっていたのだ。それで定例会議が終了して緊張が取れた途端、醜態を晒してしまった。特に渡辺に笑われたのが痛かった。渡辺の顔を見るのは、ほぼひと月ぶりだ。まともな音沙汰も無かったくせに突然定例会議に出席したのは、どういう風の吹き回しかと思ったが、局内の状況が「変化」したことと関係しているようだ。会議の前に挨拶に来たのだ。
「ご無沙汰しております大隊長。ところで、昨日付で次長が懲戒免職になったそうですが、何かご存じではありませんか?」
「何故私にそんな質問を?」
「いえ、ご存じだとばかり・・・。日々情報収集されていらっしゃるでしょうし」
「確かにそうですね」
少し渡辺の目を見つめてみた。
「あのう、本当にご存じないのですか?局内では専ら我が大隊の仕業ということになっているのですが」
「私は大阪放送局内のことは存じませんよ。その方たちに確認なさって下さい」
それで話を打ち切って会議になった訳だ。失笑されたのはそれも関係しているの違いない。しかし渡辺はそういういきさつは関係ないらしい。会議後にまた話しかけてきた。
「次長の件、本当にご存じないのですか?うちの部隊の新型を壊した責任を取らされた。そう囁かれていまして。その件に大隊長が絡んでいると噂されているのですよ。私が何故かその噂について聞かれることが多いものですから。そうじゃなくても私個人として噂の真偽が気になるのです。本当に何かご存じありませんか?実は局長からも確認を求められていまして」
「そうなんですか」
「あ、あのう、そうなんですかじゃなくて、もう少し真剣に答えて頂けると有難いのですが」
「私の方ではそれ以上答えようが有りませんから」
間が空いたが、渡辺はまだ食い下がる。
「局内では混乱が続いているんです。私も確認を求められているのですよ。お願いですから意地悪をしないで下さい!」
「意地悪?」
ことここに至って、俺もいい加減頭にきた。
「渡辺さん。混乱の収拾はそちらでなさってください。あなたにとってこちらのことは関係ないように、私にとってもそちらは関係有りません。当然ですが何の権限も有りませんから。ご存じでしょうけれど、こちらはごっそり人員が抜けてしまって大変なのです。そのことに渡辺さんが関わっているわけではないのは私も承知していますが、感情的な部分、わだかまりが有ることは承知しておいて下さい」
「いえ、それはですね・・・」
「私はともかく、山本少尉以下こちらに残っている第3中隊全員が、多少なりとも複雑な思いを持っていると思いますよ?」
「話がそれています!そうじゃなくてですね!」
俺は渡辺の目を見据えた。少しの間沈黙が続く。
「知らぬが仏という言葉をご存じですね?」
渡辺は一瞬たじろぐ。唇が震えている様に見えた。
「そういう事です」
俺は大隊長室へ戻る。決裁しないといけない決議書はまだある。さっさと片付けて部下たちを帰らせねば。そして俺もさっさと帰ろう。土日のあれこれで疲れたからな。ある程度決裁印を押したら、喉が渇いたので給湯室へ行こうと大隊長室を出た。扉を閉めると椿がいて、
「マグカップをお持ちと言う事は、喉が渇いたからコーヒーを飲みたいのですね。私が入れて差し上げます」
「そう。じゃあお願い」
「はい!」
元気の良い返事だ。感心しながら大隊長室の扉のノブに手を掛けると、
「あ、大隊長。ちょっとよろしいですか?」
川本と帝国情報管理システムの佐藤だった。
「さっき報告した委託事業従事者に関する一連の書類です。それと佐藤さんから一言ご挨拶があるそうで」
佐藤はこちらに向かって深々と頭を下げる。
「大隊長さん。先日は大変ご迷惑をお掛け致しました。にも拘わらず寛大な措置を賜り、感謝の念に堪えません。今回雇い入れました事業従事者につきましては、よくよく言い聞かせております。今後とも私共にお力添えをいただきますよう、どうぞよろしくお願い致します」
何だか無図かゆい。
「ええ、こちらこそよろしくお願い致します。やはり委託事業者さんと力を合わせないと上手くいかない部分がありますから、佐藤さんのような優秀な方が指導・監督してくださるなら、特に心配する必要は無いかと存じますので」
こちらも深々と頭を下げておく。頭を上げると佐藤の顔は喜びを表していた。
「はい。ありがとうございます。今後とも頑張りますので」
何度かぺこぺことする。当たり前と言えばそうなのだが、何と言うか気恥ずかしい。
「今日は月報ですとか報告ものが一杯で大変でしょうけど、頑張ってくださいね」
川本は俺にそう声をかけ、佐藤と共に去って行った。そこへ椿が帰って来た。
「はい、コーヒーです。川本大尉と委託業者の方とお話しされていたのですね」
「そうね。新しく補充する人についてのお話しだったわ。コーヒー有難う」
椿はにっこりと微笑む。良い気分だ。さあ、コーヒーを飲みながらもうひと踏ん張りだ。




