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生贄は増えているか?

「補佐、お茶をどうぞ」

紺色の制服に身を包んだ巴がお茶を持って来てくれた。

「ああ、有難う」

そう返すとにっこりと微笑んでくれた。憂鬱な月曜日もこれで乗り切れそうな気がする。朝こうやってお茶を入れてもらうだけの、そんなことでも元気が出て来る。男というものは単純なのだ。

「次長、はい」

そして嫌われ者の次長は明らかに扱いが違う。それとなく臨時の女の子たちに聞いたら、次長のお茶には雑巾の搾り汁が入っているとか。吹き出してしまった。嫌われ者だからってそこまでする必要は無いだろうと思ってはみたが、かばいだてする理由は一つも無い。今も悠然と新聞を読みながら、煙草を燻らせているのだ。そんな態度の上に腹立たしいのは、俺に仕事を平然と押し付けてくることだ。何でもだ。面倒くさいときは、必ず俺に仕事を振ってくる。おまけに最近は、部長までもが俺を当てにするようになった。さらに面倒くさいことに、部長が自分の頭越しに俺に仕事を振ってくることに嫉妬しているらしい。どうやら、

「おい、部長はこう仰っておる。分かったか」

というような命令の取次ぎをいちいち執り行って、悦に入りたいらしい。全く付き合っていられない。そう心の中でやれやれと呟いていると、でっぷりと肥えた部長が現れ、

「なあ、補佐。ちょっと」

と手招きする。

「いや、私の方で言い聞かせますよ。部長のお手間を取らせるのは何ですから!」

次長は飛んで行って揉み手をしている。読みかけの新聞は机の周辺に散乱しているというのに。ふと、記事の見出しが目に入る。

「大型間接税導入に向け、衆議院本会議で論戦始まる」

え?何だよそれ?

「売上税(仮称)税率は3%か?」

おい!いつの話なんだよ!摩訶不思議な、しかし確実にあったであろう記事。一体今はいつなんだ?その疑問が生まれた刹那、机を見るとそこにあったのは黒電話とワープロじゃないか!

「おい!」

俺を偉そうに呼びつけやがるのは岡田だった。

「部長はこれより貴様にこの書類をやっつけろと、かように仰せである。分かったか!」

 それが夢の世界の不愉快な出来事だとはっきり認識出来る頃には、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は第1楽章の佳境に入っていた。ヴァイオリンソロが一旦終了して、それからトランペットのファンファーレが響き、オーケストラ総動員で奏でられる音色。ヴァイオリンソロも素晴らしいが、この辺りがこの曲のハイライトシーンだろう。

「ねえ、ねえ、起きて、起きて」

桜が俺の体を揺さぶりながら、覆いかぶさるように声をかけてきている。頭が痛い。喉がカラカラだ。早く水分を補給しないと。だが真空管の如き我が頭脳は、ボーっとしていて意識が覚醒するまで時間がかかる。

「眠い・・・」

などど呟きながらどうにか体を起こし、でも布団に倒れてしまう。

「ああ!又寝ちゃダメだよう!」

桜に腕を掴まれ、梅に背中を支えてもらってやっと起きられた。

「おはよう・・・」

何とか口を突いて出てきたか細い声に、

「おはよう!」

桜は太陽のような眩しい笑顔を元気な声付きで返してくれた。梅も負けじと元気な声を出す。

布団からごぞごぞと起き上がる。背伸びをするとようやく意識が完全に覚醒したような気がする。そんなことをしている内に、梅は押し入れの中の衣装ケースの中からブラウスとスカートを取り出そうとしている。だから、それは止めるよう言った。

「え、どうしてですか?」

梅は茫然としている。布団をしまおうとしていた桜は、

「え!何で!」

と、こちらも驚きを隠せない様だった。

「男物がいっぱいあるでしょう?Yシャツを取って。それからスーツのズボンだけ履くから、それも取って頂戴」

「どうしましょう?」

梅は桜の方を見て言うと桜は、

「分んない」

と返した。

「私の言った通りにしてくれる?」

と言ってもまだ何を言われていたのか理解できていないのだろう。仕方が無いから言葉を付け加えよう。梅に向かって、

「この体格だから婦人服はそもそもサイズが合わないの。だから男物を着るしかないのよ。引っ越しの時に言ったでしょう?何で男物ばかり持っているのかって質問するから、そう答えたはずよ?」

「でも・・・」

「でも?なあに?」

と問い返すと、怒られたと判断したのだろう、尻尾がピンと立ち伏し目がちになった。

「ブラウスは特注品だから、あまり着たくないのよ。それだけ」

それで頭を撫でてやったら機嫌は直ったみたいだ。梅は、脱いだパジャマを洗濯機を置いてある脱衣所へ持って行き、桜はYシャツとズボンを差し出した後布団を畳んで押し入れにしまっている。

 着替えてからコンポのリモコンで演奏を終了させ、台所に向かう。

「おはようございます!」

桃と椿は、同時に挨拶してきた。そしてそれをまたも同時に笑った。けたたましい笑い声では無かったから不快感は全く無かった。時々笑い声が癇に障ることが有る。心の健康を損ねている証だろう。

「どうぞ召し上がって下さい」

椿は笑顔を見せる。桃は、

「ニュースを聞きましょう。ラジオを着けますよ」

と言うので任せる。CDダブルラジカセからラジオ放送が流れてきた。

「御覧のスポンサーの提供でお送りします」

だがスピーカーから聞こえてきたのは明らかにテレビ放送だ。

「あれ?」

桃は不審に思い、CDダブルラジカセをもう一度見る。

「あ、レバーがTVの方に倒れてる」

「え?じゃあそれってTVが見れるの?」

桜は驚きを隠せないようだ。近寄って見つめている。

「桜ちゃん、それ、音だけみたいだよ」

梅の言葉に、

「ちぇっ!つまんないの!」

とむくれる。

 俺はその間、無言で無心に朝食を食べていた。ようやくどうでもいいCMが終わってニュースが流れる。

「続いて次のニュースです。今朝4時頃、大阪市内の雑居ビルで暴力団関係者と合成麻薬の密売人の死体が発見されました。現場には更にもう1人の身元不明の男性が意識不明の状態で横たわっており、病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されました。警察では、麻薬取引に関する揉め事により殺害された可能性が高いとみて、慎重に捜査を進める方針です」

箸が止まってしまった。これは、あれだ。昨夜、第1中隊が盛り上がっていたあれだ。「お掃除」だ。その「成果」が今、ニュース原稿として読み上げられたのだ。間違いない。鈴木はそれが1件成功し、これを基にもう1件いけそうと言っていた。おそらくそれに間違いないだろう。急に死体が乗っかかって来たような気がして、しかし次の瞬間それはあっさり消失した。消されたのは犯罪者じゃないか。特に麻薬の密売人なんぞ、さっさっとこの世から消えるべき存在だろう?そんな気分がむくむくと盛り上がって来て、あっという間に頭の中を埋め尽くす。だから食事を再開するのは訳の無いことだった。それから5分かそこらで朝食を食べ終わり、

「ご馳走様」

と手を合わせると、椿が、

「お味はどうでしたか?お口に合いましたか?」

と心配そうに聞いてくるので、

「美味しかったわよ」

と答えてやると、それはそれは良い笑顔を見せる。

 それを尻目にクローゼットに吊るしてあるスーツの上着を探す。ネクタイもしておこう。階級章も着けて行った方が良いかな?休日出勤などしたくはないが、何度もしてきた事ではある。嫌だけど行かないと。ネクタイを結んでいる内に覚悟は完了した。さあ、行こう。目標設定をしないと部下が困る。俺はそんな立場になってしまっているんだ。手のひらを組んで大きく伸びをする。上着を引っかけ、引き止められない内に素早く部屋の外に出る。嫌になるくらいの五月晴れだった。



 

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