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大隊司令部は閉店する

 時間というやつは可変的な性質を帯びているのかもしれない。さっさと終わって欲しいと思うとき。もっと長く続いて欲しいとき。そして、いつの間にか過ぎ去っていた時。初日である平成27年5月1日は、いつの間にか19時が近くなっていた。お腹が空くわけでもないので、そんな時間になっていることに気付かなかった。決議書の山が解消したらこの有様。げんなりする。今日1日なら耐えられただろうが、明日以降俺はどうなるだろう?気力・体力が持つのだろうか?それが分からないのが悩ましいところだ。

 取りあえず足をピンと伸ばし、手を組んで思いきり頭上に伸ばしてみた。それでも疲れが少しでも取れた気がしない。それは肉体的なものと精神的なものの両方共だ。きっと岡田のことが頭から離れてくれないからだ。思いきり気まずくなってしまったのは必定だ。ただ、階級の差にものを言わせて力づくで押さえつけるのは簡単なことではある。「高文組」という言い草から、岡田との階級差は絶対に埋まらない。そう断言できる。

 ついでに言えば静が俺の(正確に言えばこの六塚冬実という女性の)経歴について教育・婦人関連の部署を渡り歩いてきたと言っていた。つまりは「お客さん」なのだ。ほんの2・3年、ひょっとするともっと短い時間でいなくなる「預かりもの」。ならば間違いなく戻ってくることがないだろうこの部隊で、今後顔を合わせる機会などあるわけがない部下に対して、少々威圧的な態度を取ったところで問題は無いだろう。「パワハラ」という概念が存在するのかは気にかかりはするが、そういう態度を取っているのは「部下」である岡田の方であって、俺じゃない。落ち着いて冷静に普段通りの言葉遣い、立ち居振る舞いをしていれば非難されることなど無い。

 そんなとこより各中隊を見て回ろうか?仕事に一区切りつけてさっさと帰れって言って回ろうか?少しでも顔を見ておかないと何だか不安だ。自分の部下なのに顔一つ知らないというのは、やはりどうかと思う。ぼんやりとそんなことを考えていたら、すぐに実行するべきだと思えた。まずは扉一枚向こうの大隊司令部からだ。

 大隊長室を出て顔というか、頭を数えてみたら全員いるようだ。これは良くない。早く帰って明日以降に備えさせねば。超過勤務なんて1日1時間程度で沢山だ。

「あなた達!何をしているの?きちんと一区切りつけて帰りなさい!」

腰に手を当て足をやや広げ、仁王立ちで言ってやった。そう言われた方が助かる。俺の経験則から言えばそうだ。いつまでもだらだらと仕事を続けても良いことなぞ何一つない。そうだ。そのはずだ。

「何を言っているんですか!少佐!」

しかし、案の定と言うべきか岡田が絡んできた。ずかずかとこちらに歩を進めて来る。

「まだ仕事は終わっていませんよ!」

「貴女はそうなんですね」

特に感情を込めずに言ってやったら、怒髪天を衝いたらしい。まあ当然だろう。俺も少々言葉選びを間違えたと思ったから。何度も味わって来た言葉を発した後の気まずさ。だが今までのように後悔なんてしてたまるか。

「どういう意味だ!ふざけるなよ!何なんださっきから!上官風吹かせるんじゃないぞ!」

真正面にお互いがぶつかりそうな、それでいて互いが踏み込みたくない距離が俺たちの前に有った。

「別段ふざけていませんよ。ただ単に貴女の発言から、仕事を終わらせて帰宅することができない状態だということを確認しただけです」

「それがふざけていると言うんだ、馬鹿野郎!」

「こうやって『上官』を面罵し威圧することによって成果を上げてこられたのですか?」

俺の方が背が高いのだから、岡田の後ろに居る部下たちの顔は丸見えだ。驚愕・困惑・畏怖。そんな感情が浮かんでいるようだ。多分。俺は人の感情の機微なんてものにはとんと疎い。そんなことは教科書には書いていないだろう?別段一人でいることが苦にならないから、学校でも常に一人で友達などいなかった。断言しても良い。

 だから、岡田が何故ここまで突っかかってくるのか全く理解できない。2階級上の上官に公然と逆らって意地を張って何か良いことが有るのか?俺が人事評価をするんだぞ?

「どうしました?答えて下さい」

意識して声のトーンを落としてみた。するとたちまち無言の行が開始された。そうなればしめたものだ。

パン!と柏手を打ってみた。自分でも驚くほど大きな音がした。これで主導権を握ることが出来ただろう。

「はい、皆さっさと帰りなさい。仕事より大切なのは健康。そして家族。自分で守らないといけないのよ?さっさと区切りをつけて素早く帰宅!」

班員同士でアイコンタクトを取りながら、それが本当なのか確認しようとしているようだ。お互いに牽制し合っているようにも見える。

「何をしているの?初日だからこのまま泊まり込むつもり?」

執務室全体を睥睨すると、流石に俺が本気でそう言っていると伝わったらしい。

「じゃあ、お先に失礼しま~す!」

西村が真っ先にナップザックを肩に掛けて出て行った。

「おい、健!ずるいぞお前!」

続いたのは木村。

「失礼します!」

鞄を手にこちらを向いて敬礼してから、庁舎の外へ向けて消えて行った。そうなると、最早三々五々と執務室を出て行こうとするのは必然だ。俺は帰ろうかどうか逡巡しているように見受けられた丸山に歩み寄った。

「取りあえず一区切りついた?」

「あ、はい」

「そう。じゃあもう帰りなさい。今日しなければいけないことは今日片を付ける。明日に回せるものは明日片付ければ良い。それで良いのよ。仕事なんてそんなもので良いのよ」

丸山は頷いて席を立った。

「岡田さん。貴女も私の言ったとおりにして下さい」

振り向いて言ってやったが反応が無かった。そのまま捨て置いてそれぞれの中隊を見て回ろうか?すると岡田は無言のままこちらには目もくれず、自席へ戻って帰り支度を始めた。それならば何も遠慮する必要はあるまい。

「ええんですか?」

巴は自分達だけになることを確認するかのように声を潜めて尋ねてきた。

「ええ。もちろん」

「それならええんですけど。ウチらは仕事続けまっせ!」

俺は巴達に背を向け右手を軽く挙げて執務室を出た。


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