表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

アナログコミュニケーション

作者: 藤野ゆくえ

 僕はミカに、右手を差し出した。


「え、なに?」


 ミカはきょとんとして僕の右手を見る。


「手、繋ごうよ」


 僕はなんとなく恥ずかしくて、小さな声でそう言った。


「え、カイ君って、手とか繋ぐっけ?」

「いや……でもなんとなく、たまにはいいかなって……」


 ミカは「なんかちょっと恥ずかしいね」と言いながら僕の右手を握った。なんだかあやふやな皮膚越しに、すっとミカの体温が流れてくる。


「なんか、手の繋ぎ方ってよく覚えてないや。最後に手を繋いだのなんて、もう何年も前だし」

「僕も、もう数年ぶりだよ」


 少し握る手の力を強めると、それに応えるようにミカの手がこわばった。


「手って、こんなにあったかかったけ」


 照れ隠しのように、彼女がうそぶく。


「きっとみんな、手のあったかさなんてもう忘れてるよ」

「こうやってたまに思い出すのも、いいかもね」


 手の力を強めたり弱めたりして、僕はミカの物理的存在を確認しようとする。


「アナログなコミュニケーションなんて……久しぶり……」


 ミカの声のボリュームは段々と小さくなって、消えた。

 右手の中にあった温かさも、一緒に消えた。


「うん……みんな、デジタルになっちゃったもんね……」


 もうミカに届くことのない声を宙に放り投げて、僕はセカイの電源を切った。

 電源を切られたセカイは、僕の体内でころころと転がる。


 脳内にぱっと赤い光が灯り、ミカの思考が流れ込んできた。


「もう諦めなよ、今はわたしがいるんだからいいじゃん? それにデジタルのほうが便利だよ」


 僕はそれに応えるために、ゆっくりと思考する。


「嫌だよ……アナログなミカのほうが好きなんだ……デジタルになってから、君はなんだか変わってしまった……」

「そりゃ少しは変わるよ、アナログなミカなんて死んだも同然でしょ?」


 眠りたい。

 そんな願いさえ最近では、老人のうわごとだと笑われてしまう。


 僕たちは食欲も性欲も睡眠欲も、満たすことを必要としなくなった。ほぼ全ての生き物はデータに変えられ、物理的な存在は殆ど壊された。時々ミカや僕みたいな「頭のオカシイ人間」が、それを壊されないように守っていたりする。けれどそれは、多くの人の目には馬鹿げた行動としてしか映らない。


 それでも僕は、アナログなミカが好きで、毎日セカイの電源を入れて物理的なミカにアクセスを試みる。でもセカイに住んでいるミカもデジタル化が進んでしまって、僕の好きなミカからどんどん遠ざかってしまう。


「ねえカイ、どうやったらあんたの中にあるセカイ、壊せるの?」


 脳裏に流れてくるミカの思考が、いつもより鋭くなった。なんだかくらくらする。


「いつになったら私を見てくれるの? どうしてそんな出来損ないのアナログなほうばっかり可愛がるの? デジタルな私じゃ、駄目なの?」


 それは泣き声みたいだった。

 脳裏に赤く灯る彼女の思考が、僕の思考を浸食していく。


「いくらそれがかつての私だとしても、もうカイは私じゃなくて別の誰かを愛してるように見えるよ……。私を見てよ。ねえ、早くシナプスを繋いでよ……」


 脳内でミカが暴れ回る。このままじゃ僕の思考回路は全部壊れてしまいそうだった。


「わかった、わかったから。落ち着いてくれよ、ミカ。セカイはもう捨てるから……」

「ほんと?」

「うん、全部捨てるよ、ちゃんと今の君を愛するよ」


 ミカの思考がきらきらと輝いた。


「ねえじゃあ、シナプス繋いで?」


 僕はミカの思考をなぞって、シナプスを差し出した。彼女もシナプスを差し出す。

 そして僕は……。


 僕は彼女のシナプスをひきちぎった。

 ミカの存在はあっけなく廃棄された。


「やっぱり僕は、昔の君が好きなんだ……」


 僕はセカイの電源を入れて、ミカの姿を探した。ミカは冷たそうなベッドの上で泣いていた。けれど僕の存在に気がつくと、ぱっと笑顔を咲かせる。


「ミカ、手を繋ごうよ」


 差し出した右手を、ミカの左手が握る。やっぱり少しだけ、あたたかい。この感触を、忘れたくない。


「カイ……、もう、離さないよ……」


 僕が違和感に気付くより早く、ミカは僕をセカイの中に引っ張り込んだ。僕は息ができなくなって、たまらずにのたうち回る。


「やっとアナログなミカを捨ててくれたんだもん……、もう絶対に逃がさないよ……」


 脳裏にかろうじて残っていた赤い光が、完全に消えた。体が痺れて、言葉を発することさえできない。


「愛してる……」


 そう言ってミカは、僕の体に噛み付いた。久しぶりに機能した痛覚によって、僕は気を失いそうになった。なんとかそれをしのいだけれど、体はまだ動かない。

 ミカは僕の体中に次々と噛み付いて、僕の皮膚を噛みちぎって、咀嚼した。あまりの痛みに、意識が遠のいてゆく。


 もう僕の体は殆ど残っていなかった。ミカは口を血液で汚しながら笑っていた。


 そして最後に残されていた僕のセカイを、彼女は噛み砕いた。完全に僕がなくなる寸前に、彼女の声がセカイの上に響いた。


「愛して……た……」


 僕は消えて、セカイは壊れて、ミカだけがずっと笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ