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全てが上手くいかずとも

 世の中、思い通りにいくことよりそうでないことの方が一杯だ。そのことを私は忘れていたのかもしれない。いや、もしかしたら忘れていたのではなくて、目を逸らしていただけかもしれない。


 極大繁茂の発生まで一週間を切ったその日。私とサヤとイグノーツで、避難所にいる人たちへ最後の説得を試みた。「これが最後だから」……そう約束して。


 そうして耳を傾けてもらい、イグノーツからの説明を聞いてもらいながらも、ここから離れることに頷いてくれた人は、残念ながらいなかった。どうして誰も応じなかったのか、言葉にすればそれぞれな理由があったけれど、そうなる原因として共通したのは、学校の外に広がる別世界の存在。


 当たり前だけど、ここにいるのは日本で暮らしてきた人々。日本での生活に順応し、その枠組みの中で日々を過ごしてきた人たちにとって、いまや学校の敷地を出た先は異国の地よりも恐ろしい場所だ。


 2階に迫るほど背の高く、石のように頑丈な雑草がコンクリートなどを突き破ってどこまでも生え、……その中には人を見かけ次第躊躇いなく襲ってくる、魔物といわれる恐ろしい動物が潜む。昼間はジャングルかと思うほど鬱蒼とした光景しかなく、夜になれば文明の明かりのない、深い闇に包まれる。そんな世界に、避難のためといえ出ていこうとすれば、誰だって恐怖を感じざるを得ない。


 気持ちは分かる。それでも、ここに留まっていれば待っているのはより確実な死。だから何としてでも諦めてはいけないと、私は思って行動していたはずだった。けれども、残された時間で皆の意思を『避難』にまとめるのは無理でないかと思わされる度、その気持ちは激しく揺らぎ、諦めざるを得ない方向へと進んでいく。


 このままでは全員が死ぬ。彼らだけでなく私達もが。

 ことの成り行きはとっくに、私ではどうにもならない方へと向かいつつある。


「…………ごめんなさい」


 極大繁茂が発生する4日前。その正午過ぎ辺りの頃、私はサヤに謝った。

 謝った内容はあの時、正直に明かして信じてもらえるのかと考えていたサヤに、「大丈夫」と言ってしまったこと。


「あの時は私、ちゃんと言葉にすればきっと信じてもらえると思ってた。例え全員には信じてもらえなかったとしても、何人かは信じてくれるんじゃないかって、期待してた。でも、こんな結果になっちゃって……」


 結果として私が選んだ方法は失敗だったのだろう。

 数人どころか1人すら動かすことが出来なかったという事実は、残された貴重な時間を間違った方向へ努力するのに浪費させ、今日に至るまでの成果を減らすことに繋がったという苦い現実を残していった。


 こんなことになるのなら、もっと別の方法を考えるべきだったのではと。

 そう思いながら俯く私に、サヤはそっとこちらへ振り返る。


「…………ごめん」

「……ツカサだけのせいじゃないわ。悪いのは私もよ。もっと相手の反応を相手の側に立って、考えてから決めるべきだった。こっちの都合ばかり気にして何もかも進めようとしたところで、上手くいくわけないって。そのことを前から理解していたのに」

「……これからどうしたらいいのかな」

「これだけ押しても駄目なら、引くのが一番マシな選択でしょうね。けど、ここで引くってことはつまり……」


 そこから先はサヤも口に出しにくい様子だった。引くというのはつまり説得を諦めるということ。その先に待つ未来なんて、今更聞くまでもない話である。ゆえに私は尋ねようとはしない。


「ねえサヤ、いっそ強引にでも連れていくってのは――」

「気持ちは分かるけど、これだけの人数をどうやって? 無理やりってことは力づくとか騙してって形になるだろうけど、普通に考えて無理よそんなの」

「それは……何かの魔法で……」

「……少なくとも、そんな魔法があるなんて聞いた覚えはないわ。イグノーツから聞いたりした?」

「…………ううん」


 質問をするサヤに、萎みそうな声で答える。

 イグノーツからはそんな魔法について、聞いたことはない。もしかすれば単に言い忘れているだけという可能性もある。後で確認したら実はこういう魔法が……なんて教えてくれるかもしれない。そう期待したい気持ちがあった。でも、


「だったら、ない可能性の方が高いわね。この状況でわざわざ言わない理由なんてまずないでしょうし、あるならとっくに教えていたでしょうから」

「そう、だよね……」


 彼が敢えて言わない理由などないだろう。

 だからきっとその望みは薄い。そう考えるのが自然なのは、私にも分かる。他にそうしない理由が思いつかないから。


 意固地になって否定すれば変わるのであれば、そうしたい気分。私は本音を押さえつけるように口をぎゅっと閉じた。そんな空気の中で、しばらくお互いに会話のない時間が流れた後、サヤから口を開いた。


「ツカサ。明日だけど、ちょっと一緒に出かけない?」

「え、いいけど…………どこにいくの?」

「外よ」


 行けるうちに行っておきたいところがあるの、とサヤは告げる。

 あまり不必要に外へ出かけるのは避けた方が良いのではと思いながら、ずっと学校の中にいるのも気分が滅入りそうで、私はちょっと考えたけど出ることに頷いた。翌日の朝、私はサヤと2人で外へ出かける。


「外って、学校の外?」

「ええ。割と遠いだろうから、朝のうちに出ておきたかったの」


 向かう先は、海とは反対の内陸側。周囲に魔物の反応がないことを本から確認し、サヤの向かいたい先へ進む私達。


「もう私達より背の高い雑草ばかりね……」

「帰るとき道分かるかな?」

「大丈夫よ。帰りはイグノーツに頼んであるから」


 体重をかけても折れ曲がる気のない頑強な草花を、魔力操作によって柔らかくし、折り曲げて目印にしたり道を作りながら、目的地へ近づいていく。


(今、どの辺まで来たんだろう) 


 歩き始めて3~4時間。いつまでも変化のない景色に自分のいる位置もよく分からなくなりそう。

 私が所持している『異世界災害収集碌』にマップ機能があって助かった。もしこれがなかったら、ビルなどの遠くから見える建物、山などを頼りに把握するしかなかっただろう。


 少し前なら自分のいる場所が分からなくなれば、携帯からマップを見て手軽に確認出来た。それが今はGPSが機能しない、通信も繋がらない、ダウンロード済みのマップを見ても実際の風景が変わりすぎていて役に立たない。


 もしこの本がなかったら、私も他の人たちと同じ思考に至っていたのだろうか。最初に出会ったイグノーツがいなかったら、生きるために逃げるより、いっそ楽になることを選ぼうとしただろうか。そんな仮定が頭をよぎって消える。


「サヤ、どこまで行くのー?」

「あともう少し……いえ、多分すぐそこだと思うけれど、地図見せてくれる?」

「うん」


 私は本に表示されている地図を見せ、現在地を共有する。自分のいるところを確認したサヤは行きたい方向へと進路を修正し、そこへ到着した。


(ここって……)


 辿り着いたところは、私達の背より高い草が生い茂っている、ただそれだけの場所。

 目の前の変わり果てた風景に見覚えは、ない。

 けれどマップ上に映し出される現在位置とこうなる前の写真から、そこは私が初めて、魔物と戦った場所であると理解した。私がここであったことを思い出して立ち止まる中、サヤは少し前へと進んで、同じく立ち止まる。


「……いつか離れるなら、行ける内に来ておきたかったの」


 周囲に生えている草を魔法でサヤが除いていくと、一か所だけ不自然に土の盛られた地面が姿を見せる。人の手で直に作られたような極々小さな山に、私は心当たりがあった。


「サヤ、それって……」

「あの人のお墓よ。目印になる石も木もないけれどね」


 サヤは膝を折りたたんで、その前に屈みながら答えた。


「この人がいなかったら、私は死んでいたかもしれない。今でもあの時のことはよく覚えているもの。忘れられないし、忘れようがないから。同時に何も出来ない自分の無力さを、あれほど感じたことはなかった」


 落ち着きのあるその声には、滲むような後悔を感じられた。私にはなんとなくサヤの気持ちが察せられる。彼を死なせてしまった理由について、自分のせいではないかと思っているのではないか。


「……ねえツカサ。正直に言って欲しいの。この人が……ロクトさんが死んだのは、私のせいだったのかしら?」

「…………それは」


 その質問にどう答えればいいか、どう言うのが一番良いか、分からない。


 私が到着したのは彼がサヤをかばったあとだ。サヤ達が魔物と遭遇したあとすぐに向かったから、その後現地でどういう風に彼が死んでしまったのか、伝聞でしか知らない。魔物の注意をサヤから逸らすべく自ら囮になったこと。それが私の聞いた彼の最期。


 だから彼が死んだ直接の原因が誰にあるかなんて、はっきりと言えない。上手く言葉を濁すことが私に出来る限界ではないのかと迷う。ただあの後、学校に戻ってからサヤは私にこう言っていた。


“――私のせいで彼を死なせたも同然なのに”


 きっとサヤは、自分のせいで彼が死んだと思っている。もしかしたら今もそう思い続けてるのかもしれない。自分の言い出した行動の結果ああなった以上、そうやって彼の死と向き合うのが一番の償いだとか、考えそうだから。


「――私は、サヤのせいだなんて思わないよ。あれにいきなり襲われた時、冷静に判断できる人なんて私達の中にはいない。例えサヤ以外の誰がリーダーでまとめていたとしても、誰かはああなっていたと思う。サヤのせいであの人は死んだなんてことなかった」


 私は精一杯思いをまとめてサヤに伝える。サヤのせいじゃないと。でもそれだけで納得がいくなら、サヤもそんな風に聞いてきたりはしないだろう。


「そんなの……信じられないわ」


 ある程度想像していた言葉を、サヤは返した。


「何度も考えるのよ……あの時死なせずに済む方法があったんじゃないかって。魔法を使える私なら、助けられた相手じゃないかって。私のやることに一緒にいさせたから、私が奪った命じゃないのって。……知り合ってまだ長くない間の、ちょっと覚えのある他人だったけれど。私にとって直接、生き死にに関わった命だった」

「だとしても…………死なせずには多分無理だったよ。あの魔物をどうにかするには、私達が身につけていた魔法だけじゃなんとか出来なかった。イグノーツさんがいた世界の、異世界の魔法がなければ、どうにもならなかったんだから」

「ツカサがそう思っていても、私はそう思えない。……思えないのよ、今も」


 頑固に同じ主張を繰り返す彼女に、このままでは埒が明かないと私は考える。


 きっとサヤは、自分の手でどうこう出来たかもしれない、自分のために亡くなったかもしれない人の命……それと向き合おうとして、向き合いきれていないのだ。自分のせいで死んだかも、本当は助けられたかもと思い込むように、起きてしまった出来事を割り切れずにいる。


「サヤ……」


 私達の年なら両親が生きていることは普通だし、人によっては祖父母も健在だ。同年代の大勢にとって、人の死は赤の他人が死んだことしか聞いたことがない。それに心が動くかは……内容にもよるだろうけど、あんまりないと思う。有名な誰かの訃報でも、それで生活に支障が出るくらい精神に影響が及ぶ人なんてそういないから。


 それくらい私達は、死に慣れていないと思う。よほど何かが重ならなければ、身近な死を経験することもその原因に関わるなんてこともないのだから。そんな世の中に暮らしているのだから。だからこそ、最初に経験した身近な死は、本人の心に深い影響を残す。


 もしかしたら彼の死は、サヤが初めて経験した身近な死だったのではないか。そう考えると、一見らしくなさそうなサヤの言動、その中に見え隠れする心の声に近づける気がした。


「……私はロクトさんじゃないし、あの人の気持ちを代弁出来るわけじゃないけど…………あの人はサヤを助けようとしたんでしょ。ロクトさんは、サヤにそんな風に思い詰めてほしくて助けたの? サヤはそう思っているの?」


 私の投げかけた問いに、サヤは沈黙する。


「私はそうじゃないと思うよ。思うからこそ、もう自分のせいだなんて思い詰めるのはやめよう。それでもサヤが自分のせいだって思うなら……私がもっと早く来ていれば、ロクトさんも助けられたはずなんだから。サヤだけのせいじゃない、私のせいでもある」


 普段のサヤなら過ぎたことをいくら考えてもしょうがない、と言うだろう。だけど人の死が関わっていれば、そう簡単に割り切れなくたっておかしくない。むしろ普通だ。この国の現代での生活がすぐそばに死を感じるようなものじゃない以上、動揺しないなんて無茶な話なのだから。


「それに……もし何もかもが逆だったら、サヤはあの人に自分のせいだってずっと思っていて欲しい?」

「…………そんな風には思わない」

「多分、あの人もそう思うよ。ロクトさんがサヤを助けるために囮になったのなら、きっと元気に生きていてくれた方が喜ぶ」

「……そうね。あの人なら、そう思うかも」


 サヤの瞳が揺れ、声に明るさが戻り出す。そして彼の埋葬された先を見た。


「今日までお礼を忘れてたけれど。あの時、助けてくれてありがとう。でも、私は貴方にも生きていて欲しかったわ。貴方にも、貴方に……」


 段々と言葉が詰まっていき、代わりにその声が震えていく。

 胸の奥に秘めてあっただろう思いを吐露し、その場で気持ちを吐き出し始めたサヤの傍で、私はそっと寄り添った。

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