避難前最後の準備
船内を探索している間に昼時になったらしい。
通路で人と偶然すれ違ったとき、手に保存食などの入ったパックや缶詰を持っているのに気付く。
(個室で食べるのかな?)
私がそう思ったのは、そうする人が少なくないと乗客から聞いたからだ。
メインデッキを始め一部デッキにはレストランやバーなどの食事を取るためのスペースがある。避難当初こそそこで集まって取っていたという。けれど皿などを用意しなくていい非常食タイプが出されるようになるにつれ、1人で静かに食べていたい客が個室に持ち帰り、食べるようになったのだとか。
だから該当する場所に向かっても人は少なく、5〜6人見かけるのが普通。10人以上いるのを見られる機会は稀という話である。避難所でも別々に食事は取るとはいえ場所は同じ体育館だ。船の中ならではの生活様式の変遷、ってやつだろうか。
そんな風に思いつつ歩いていると、また船員とすれ違いそうになる。私達はそのまま横に避けて通り過ぎようとする。
(結構外国人のスタッフが多いんだよね)
船に乗って沢山のクルーを見かけたが、この船に乗るクルーは外国人と思わしき方がよくいた。なんというか日本にずっといると珍しい顔立ちの人が、ここでは珍しくもなんともない。中には肌白やモデルみたいな体型の人、顔の彫りが濃い人、ブロンドの髪をした人などもいる。
どうもこの『本月晶』、もとは外国でクルーズ船として運航されていたのを日本の企業が買い取ったという経歴があった。それでその頃から雇われている人が日本の船となって以降も雇用されているんじゃないか、と思われる。
日本でずっと働いているだけあり日本語が話せる人は多く、アクセントに独特のクセがあるけれど、他はさして気になることもない話し方。
流石、この規模の旅客船で働き続けている人達だと思う。
(私もちょっとお腹空いてきたかも……)
「ツカサさん、俺たちもご飯にする?」
「あ、はい。私もそうしようかなって思ったところです」
タイミング良くケイスケさんから昼食の提案があったので、私はそれに乗っかることにした。
(でも確認は取っておこうかな。勝手に残りの食べ物を減らしたら悪いだろうし)
船長がいる船橋の方へ向かう。仕事の邪魔にならないよう近づかないでいたが、今回は一応きちんとした理由があるので行く。船橋の中にそのまま入ってしまっていいのか迷ったが、タイミング良く船橋から船員が1人出てきたので用件を伝えた。するとあっさりと入れてくれた。
「やることがなくて暇をしていたものでしてね。あまり気にせず、楽な姿勢でいて構いません」
船橋に入り、用件を話して緊張を隠せないでいる私へ、席から立った金本船長がそう言う。
「最近は港の中にいるだけですからな。船もそう遠くへは行けませんし、やることと言えばクルーの業務が筒がなく行われているか、船内でトラブルが発生していないかの確認。問題がなければ……ここにいる。こう言ってはなんですが、仕事の一部は退屈と戦うようなものでね。話をするだけでも私には有り難いのですよ」
それが私達を通してくれた訳だと言うように、船長は朗らかな様子で語った。食事を貰う許可ならわざわざ船長にまで言わずともいいだろう、と言われる可能性も想像していた私は、「ここを訪ねに来たことへ何ら不快感を抱いていません」という船長の態度に、僅かな安心感を覚える。
「食事は避難者全員に渡しています。貴方達へだけ提供を拒むなんてことはありません。気にせず担当の者に言ってください」
「あ、ありがとうございます……!」
「貴重な食べ物を、ありがとうございます」
私がお礼を言う横でケイスケさんも、船長に頭を下げた。
「困った時は、お互い様ですよ」
微笑みを浮かべながら、船長はそう言った。
そんなこんなで昼食を取って休憩し、イグノーツが魔法具を携えて戻ってくると今度はこの船にそれを取り付け、ついでに船体へ強度を補うための魔法紋を入れる作業をし、まるまる半日が過ぎた。
お陰で向こうに帰る頃には日も落ちた時間である。船は出航する前に最後のチェックを念入りに行うからと出ず、行きと同じ方法で戻った。帰るとサヤに向こうであったことについて聞かれたので、色々と情報共有した。サヤは極大繁茂から逃げられる船を用意出来そうだという話を聞き、一瞬口元を緩ませる。
「…………何とかなりそうのね。良かったわ」
気を引き締め直してかすぐ元に戻ったものの、サヤにとっても多くが助かるならそれに越した話はない。いつまでに船は来られそうか、全員は受け入れられるのか、荷物は最低でもどれくらい持っていけるか、そういった細かい点を詰めていく。
「船は用意出来そうとなると、これで残った問題は1つね……」
「問題?」
他に何か残っている問題があったかと頭を傾げた私に、サヤは「え?」という戸惑いを見せる。
「ツカサ、私達がなんで船に乗って周りを避難させようとしているか忘れたの?」
「それはここにいると危ないから……あっ」
極大繁茂の発生。それが近い将来必ず起こるという認識から、私達は船を用意してみんなを助けようという考えで動いている。だけどその行動が出来るのは、イグノーツという異世界人からもたらされる知識と、それを信じさせる物があるからだ。
『ここが一番難しいところよ。今まで存在すらしなかった災害があと2週間後くらいに起きる。だからそれから逃げるために、船で逃げよう。そう言って、まともに信じられる人がどれくらいいると思う?』
少なくとも、私が同じ立場だったら信じることは無理だわ。
サヤは魔法を使い、私の心へ直接そう伝える。そしてサヤの言う通り、もし自分がその立場にいて何も知らない側だったら、同じように思うだろうと考えられた。
普通の人なら、なんでそんなことが断定出来るの? なんでそんなことが起きるって分かるの? と思うだろう。そしてそれへの理由として、仮に本当のことを伝えたとしたら、信じられるだろうか?
『私やツカサは、あのイグノーツってやつが非常識な存在であることを知っている。でも周りの人にはそういう部分は伏せているから、せいぜい日本語が堪能でハイスペックな外国人くらいにしか思われていないでしょうね。今まではトラブルを避けるためにあの人の素性やら出身についてはボカしていたけど、もし実は違う世界から来た人で、その人がこれから起こる災害に詳しいし、的確にアドバイスを出せるような知識がある……なんて判明したらどう思われる?』
『ええっと…………』
『楽観的な予想と悲観的な予想の両方を考えてみなさい』
2つのパターンを予想しろと言われたので、私はそのように考える。
楽観的な場合だと、イグノーツがこちらより進んだ文明から来た異世界人として受け入れられ、みんなが指示に従ってくれるパターンだろう。知識の出どころとして彼以上に相応しい者がいないため、自然とそう説明することになる場合だ。
では悲観的な場合はどうなるのか。
考えるが、どういう流れを経ていけば悪い方向へ話が傾くのかハッキリとは思いつかない。現時点においてイグノーツが怪しまれているような状態なら、言ったところで信じてもらえない、嘘だなんだと言われることは想像出来た。そこから避難してもらおうにも信じてもらえず、助けられないというのが予想されるパターンか。
私は考えた2つの予想をサヤに伝える。するとサヤは首を縦に振って答える。
『そうね。まずまともに信じてもらえるかって話になると思う。素直に明かして信じてもらえる人がどれくらいいるか分からない。下手すれば避難生活のストレスでおかしくなったと思われるかもしれないわ。私が言えば「もっと休ませるべきだ」って言われるかも』
『いくらなんでも……いや、うーん』
否定しようとしたが、それは有り得なさそうで地味に有りえるかもしれないラインだ。なにせつい数日前までサヤは周囲からの気遣いで休まされていたし。休みが足りてなくて変な方向へ思考が進んでしまったと思われかねない余地が生まれている。
……なんだか、サヤがそう言った瞬間周りに布団へ寝かせられるイメージが浮かんできた。さながら体調が悪い生徒が保健室へ連れていかれるみたいに。
『なんだか情けない姿を想像された気がするわ……』
『ご、ごめん!』
『はあ……まあいいけど』
頭の中でサヤの言葉を反芻するにつれ、隠さず言ったとしてもダメな気が私の中でもしてきた。そんな懸念を感じる心が伝わってか、サヤは目線を外して本音を吐露する。
『嘘偽りなく言って信じてもらえるなら私もそうしたいけどね。私も迷ってるの。嘘を言えばいいのか、本当のことを言えばいいのか』
『……私は、本当のことを言えばいいと思う。ここにいる人達なら、サヤがどういう人かきっと分かっているよ。おかしな嘘をついて混乱させたり変なことを言う人じゃないって』
サヤは魔法士として持つ技能を余すことなく使い、ここに避難してきた人達の生活を支えられるよう尽くしてきた。その背景から、サヤは比較的多くの人から信頼され、時に気を遣われる相手になっている。それを見て知っていた私はサヤが言うなら信じてくれるかもしれない。そう考えた。
『だから言おう? 一度に全部言って全部を信じては貰えないかもだけど、大丈夫だよ。サヤなら本当のことを言っても最悪保健室行きになるだけだよ』
『……そうね、ありがとう。もう保健室は使える状態じゃないけど、少し前向きに考えてみるわ』
苦笑しながら答えたあと、サヤは気持ちを固めた目をする。サヤの中で答えはまだ出ていなさそうだったが、本音を話した時よりも元気を取り戻した風に見えた。私も気持ちが上向きになってくる。本当のことを伝えるなら私も協力するつもりだが、何か他にやっておける準備はあるだろうか。
(あ、それならイグノーツさんにも言っておこうかな。あの人が他ならぬ当事者なんだし、絶対協力してもらわないと)
彼が直接証拠を見せてくれれば、サヤが言うのに合わせて一層信じてもらえるだろう。
そう思った私は後でイグノーツに話をし、みんなが話を信じやすくなるよう助けをお願いした。
*
「じゃあ、お願いね」
「ええ。わかりました」
夜中。殆どの人が寝静まっている時間帯の校舎の屋上。
この時間帯、イグノーツは体育館にいないことも珍しくない。既に死んだ人間であって今いる彼は複製された意識でしかないからか、夜眠りにつく必要などないのか、長い暇を持て余すように校内を散策している。
そんな彼をツカサが見つけると、協力の約束を頼んだ。それにイグノーツが応え、約束を了承した。
約束を得られたツカサがその場を去り、残されたイグノーツ……ザガムは彼女が去った方を見つめ、しばし立ったままでいた後、目的もなく歩き出す。
『随分と動きが早いじゃないか。野放しにしておいていいのかね?』
彼の頭の中に、アーノルドからの声が届く。それにザガムは反応を示し、声に応える。
『予想の範囲内、と言いたいところです。船に関しては私自身が協力していますので。ただまあ、もう少し打ち明けるかどうかで悩んでくれると期待していたんですがね』
『人が人の思い通りに動かないことなど当然だ。束縛も誘導もなしに人が行動を縛られたり操られたりしない。それで、ザガムはどうするつもりかな? このままだと私の生涯の結晶とも言える『あの本』が無関係者の手に渡る可能性が出来てしまうのだが……その場合、本の【守護者】を担当する君はキチンと守れると?』
アーノルドは変わらぬ声音で、問い詰めるように聞く。感情をナイフの如く鋭くし、心を抉って傷つけるような尖った害意が、ザガムの心に突き立てられた。それでもザガムは変わらぬ様子で彼へと聞き返す。
『本が破壊される心配はないでしょうし、利用するにも権限を与える管理者が認めなければいいだけでしょう。何かご不満な点でもお有りですか?』
『大有りだとも。私が生涯をかけてその製作に全てを費やし、他のいかなる人間が創造した物より価値のあるそれを、公共物のように公開するなどあってはならない出来事だ。あれはイグノーツとその関係者、それに選ばれた者だけが使うことを許されたものだというのに』
そう言って、極めて遺憾であると言う風にアーノルドは言葉を並べていく。しかし話し方はザガムと同じくどこか落ち着いていて、不満を述べながらも客観的な思考から己を自制しているような印象を与える。
まるで本気では不愉快だと言っていないようにも聞こえるし、不愉快さを感じつつもそれを表に全く出していないようにも聞こえる。だがザガムは彼の心から漏れ出る感情を直に読み、彼の奥底にある気持ちを正確に読み取って、言葉を返した。
『それは失礼しました。今まではイグノーツ以外で本の所有者になった者はいませんでしたので、こうなった時のアーノルドさんの気持ちを分かっていなかったようです。では仮に貴方の想像通りに本が公開されたとして、その場合貴方はどうなさるおつもりなのでしょうか』
その場には誰もいないため言葉と心だけ謝罪の態度を取ってから、どう対応するのかについてザガムは確認する。アーノルドは「そうだな……」と短い間考えると、いくつかの思考と想像を経て彼に言う。
『その場合はまず認められていない者が二度と手を出さないよう、大きな釘を刺しておこう。加えてそんなことを思い考えた現在の所有者にも、制裁を課さねばならない。彼女がやろうとしていることは【所有者】に許されている権限を逸脱した行為だ』
罰を与える論調でそう告げられる。ザガムはアーノルドの言葉を聞きながら感情の動きを捉えつつ、それへ返事する言葉を吟味しないと望ましくない方向へ話が傾くだろうと感じた。
ザガムは次に言うことを考える。内容を決めると言葉を選び、彼へ返事する。
『私としてはツカサさんを罰しないで頂けると有り難いのですが。以前貴方の前でツカサさんが示したように、彼女は周りを見捨てる形で生きたくないのでしょう。恐らく、目に見える範囲で誰かを見捨てることで、自分の心が傷つくのではと察しているのだと思われます』
ザガムの言葉に、アーノルドは「ほう……」と声で頷きを示す。魔法で読める心の方でも、多少ながら興味がそそられた動きが感じられた。
『仮に貴方がそれを実行したとしても、ツカサさんへの制裁は要らないはずです。彼女は事が終わった段階でもう、十分制裁を課したのと同じ状態になります。ですから最初の大きな釘だけで十分目的は達されるのです』
『……なるほど。その発言にも一理ある。私としても彼女はまあまあ気に入っているからな。出来ればおいそれと再起不能になるような真似はしたくない。が、このままでは遅かれ早かれ私は手を出す事態になるぞ。そんな時でも彼女だけ例外扱いはしてやれないぞ』
『…………でしたら、私が代わりに行いましょう』
『ほう、ザガムがか?』
数秒考えるような動きを挟み、ザガムはそう申し出た。まさか彼が名乗り出るとは思ってなかったのか、或いはそう聞き返したかったのか、アーノルドはこれにも興味を持った風に聞き返す。
『私としても、身内以外の人を大勢も守るつもりはありません。ましてこれからツカサさんの前で守ることになる人が増えるかもしれない以上、このタイミングで数を減らしておく他ないのでは、と考えています』
『そうだな。しかしザガム、それはつまりザガムが守ろうとする彼女の前で、彼女が守ろうとするものを殺すということに聞こえるが、そうすれば彼女とは一緒にいられなくなるだろう。守護者でありながら』
ザガムは所有者であるツカサを守らなくてはならない。そういう役目があの本の守護者という役目に含まれている。だがそんなことをすればその役目が果たせなくなる。
アーノルドは自らの認識を述べて、その点はどうするのだと提起する。避けては通れない問題だという感じに。それにザガムは落ち着き払った様子で答えを述べる。
『勿論、ツカサさんには全容を伏せたまま実行します。必要なことはツカサさん達以外の人が殆ど知る必要がなくなること。極大繁茂の発生までに実行されること。そしてツカサさん達に気付かれない方法で行くこと、です』
『そうか。それは…………楽しみだな』
その言葉で、彼がどのような方法により実行するのかを想像したアーノルドは、くつくつと笑いながら返事した後、期待を寄せた感情をあからさまに伝え、心を読む魔法を切った。
(ツカサさんの気持ちを裏切ることは、いつかはなる予定でありましたが……)
ザガムは歩みを止め、屋上からツカサ達が寝ている体育館を見下ろす。その中では自分のスペースに戻ったツカサも既に眠っているだろう。これからのことに前向きになって、人を助けることにやる気を満たしながら。
そんな彼女の心をザガムは想像した。想像して、これからそれを大きく裏切り、恐らくは傷つけるのだということを理解しながら。ザガムの中で、全てが終わった後の彼女の姿が浮かんでくる。膝から崩れ落ちて、髪に隠れて顔が見えないほど俯いた姿の彼女を。
(もし私がやっていることを話したら、その時ツカサさんは、どんな言葉を返すのでしょう……)
ザガムには想像出来なかった。
ふと考えたもしもの話。もしも確認するなら、実際に尋ねるしかない。けれどザガムの中に、それをもしもから現実にするつもりはない。
ただの空想を終えた彼は、見下ろしていた体育館から視線を外すと、屋上を後にした。




