その後
彼が仕掛けたゲームに勝って校舎から出た私は、勝った報酬を要求したあと体育館へと戻った。館内は行く前とそれほど変わらない雰囲気であり、校舎側で起こった異常に気付いた人がいる様子は見られなかった。イグノーツが何かしたのかもしれない。
私は真っ先にサヤが待っているところまで行くと、「遅かったわね」と開口一番に聞かれる。比較的落ち着いている様子から、サヤもやはり校舎の方であったことには気付いていない。
「ごめんね、ちょっと色々あって」
私が校舎の方へ行った理由はツェレンのお願いに応え、人目のないところで遊んであげるため。だから体育館の中にいる今は姿を隠してもらい、あの本の中へ戻ってもらっている。
ツェレンがいれば説明は簡単に済むのだが、誰が聞いていてもおかしくないこの場でその話題を出す訳にもいかなかった。けれど心配させてしまった訳なので、今は謝りつつも『色々』という言葉でぼかして伝えた。
「色々?」
サヤは隣にいるケイスケさんをじーっと見る。見つめられたケイスケさんはその視線に反応しながら、そこに込められた意図が読めないのか頭を傾げた。
「な、なに?」
「……いや、色々あったの? なんだか疲れているみたいだし、運動後って感じだけど」
「え? ……そ、そういうことじゃないよ!?」
一瞬言葉の意図を分かりかねたが、すぐにとんでもない誤解をされているのだと気付き、慌てて訂正を入れた。疲れているのは主にアーノルドのせいで、運動については幻影の私と戦っていたからだと思うが、どちらも今この場では説明が難しい。
「じゃあ色々って何なの?」
しっかりと答えてもらえないためか、サヤは怪訝な感じで私達を交互に見遣ってくる。
「これはちょっと、その、魔法を教えていたの! ケイスケさんに! ね?」
「あ、うん。そうだよ!」
ほら、ケイスケさんも何か言って! と視線を送る私に、ケイスケさんも急いで答えた。ただもっと落ち着いた風に取り繕った方が良かっただろう。
ただまあそれが余計に怪しく思えたのか、サヤは納得していないという態度を示す。片眉を上げて疑惑の視線を止めない。
(ヤバい、変に疑われたままだ!)
これは不味いと思い、きちんとした証拠を見せるべきだと判断する。
「本当だってサヤ! その証拠にケイスケさんも新しい魔法が使えるようになったんだから!」
「ふうん。なら見せてくれない兄さん? 出来るようになったんでしょ?」
「ケイスケさん!」
困った私と疑うサヤ、2人で彼に視線を送った。この状況で言っていることを本当かどうか手っ取り早く証明出来るのはケイスケさん以外にいない。それを共に分かっていたからの行動だった。
「……透明の壁を作る魔法、でいいんだよね?」
「そうです、それ」
念を入れて確認されたので、全力で頷き返した。
ケイスケさんは「じゃあこの辺に出すよ」と、胸くらいの高さを指してから魔法を発動。空中に見えない壁を作り出し、コンコンと叩いてみせた。その動きを見たサヤも同じところへ手を伸ばし、見えない壁をペタペタ触る。
「どう? 信じてもらえたかい?」
「本当に出来ている……パントマイムの魔法じゃないわよね?」
「いや壁を作る魔法だって言っただろ。どんな魔法だよ」
ボケに突っ込むケイスケさん。ともあれこれで、彼に魔法を教えていたということの証明が出来、追求からは逃れられた。サヤにも何とか信じてもらえたらしく、既に会話の内容は『色々』のことからこの魔法についてへ変わっていて、ホッとする私。
(流石にあんなこと説明するのは恥ずかしいし、気まずいもん。ケイスケさんにも迷惑かかるかもしれないからね……)
サヤの考えていそうな出来事はなかったが、他人には言えないドキドキするようなことはあった。思い出すと今でも落ち着かなくなりそうで、出来るだけ意識しないように努めている。でないとケイスケさんの顔も見ていられない。
「……兄さんだけズルいわ。ツカサから魔法を教えてもらって」
しばらくして魔法のことを聞き終わったであろうサヤは、あからさまに口をへの字に曲げて拗ねた顔しながら私の方へ近づいてきた。
「ツカサ、後で私にも教えて」
「え、ええ? 魔法のことを?」
「他に何があるのよ」
(ど、どうしたんだろう。何かあったのかな?)
いつもならもう少し冷静そうに振る舞うというか、むしろ私が教えてもらう側になることが多いので、教えてと頼んでくることは稀。だからサヤから教えてほしいと頼まれたのは珍しく感じ、驚いていた。
無論サヤが私に聞きたいのは普通の魔法ではなく、イグノーツが教える魔法だとは予想が付いている。あれは現状イグノーツ以外だと私が次いで詳しいはずだから、頼んでくる理由も分からないものじゃない。でも中々見ない反応に、ちょっと私も頭の処理が混乱して遅れてしまった。
「いいけど、私でいいの? その、イグノーツさんに教えてもらった方が早い気もするけど」
「……先に頼んだけどダメだったのよ。“私から教えることではない”とか言われて」
既にイグノーツに頼んでいたらしいサヤは、そう端的に口にする。
「うーん、そう言うことなら私が教える以外にないのかな……私もそんなに詳しい訳じゃないんだけどなあ」
一体何を考えているのだろう、と心の中でぼやく。
“私から教えることではない”……その言葉が一字一句間違ってないなら、魔法を教える気がないというよりは「直接伝える気はない」というニュアンスに伝わってくる。見て覚えろとでも言いたかったのだろうか。
もしくは他の人に聞きなさいとか。いやないな、教えられる人が限られ過ぎている。あ、だから私か? どっちにしろそんな遠回りにすることへの理由が不明だけど。
「でも今日はもうクタクタだから、明日からにしようね」
「分かっているわ」
「あ、でも教える前に1つ条件」
言いながら人差し指を立てる。それにサヤも「なに?」みたいな顔をして繰り返す。
「条件?」
「そう。これを飲めることが教えることの条件です。飲めないなら教えてあげません」
「ええ…………」
大人の教師をイメージして喋る私とその言葉に、サヤは若干引き気味の目を向けてきた。まあ、条件を付けられると聞いて変なものでも想像したのかも。魔法を教えるのは1日1時間までとか。でも恐らくサヤが「いいえ」と答えるかもしれないものを条件に要求する可能性はある。
「とりあえず言ってみなさいよ。条件を聞かないことには同意もなにも出来ないでしょ」
ある程度観念したようにサヤは口を開く。聞く姿勢が取れたと判断した私は、じゃあ、と言葉にする。
「サヤ、前に私が助けられた後、無茶しないでって言ったことは覚えている?」
「……覚えているわ。なに? これからは無茶しないでって約束することが条件なの?」
「ううん、違う」
首を振って否定した。
「これからは私も、サヤと同じくらい頑張らせて。それが条件だよ」
私が条件を告げるとサヤは、何を言われたのかピンと来なかったようだった。
なぜそれが条件なのか、どうしてそれを条件にしようとしたのか。答えが見えず、でも頭を回転させて考えた結果、答えに辿り着いたのだろう。思考を終えたサヤは目を見張ってこちらを見つめる。
「私が無茶だと思うことも、サヤにとっては無茶じゃないんだよね。だったら私も同じくらい頑張る。サヤが無茶だって止めようとしても、止めないでほしい」
「っ……そんなの!」
何かを口にしようとしたサヤだったが、結局寸前のところで言葉に出来なかった。
そんなことやめて。今にも私に向けそう言いそうな、沈痛な顔で。
「ありがとうサヤ。でも私も、守られてばかりは嫌なの。もしこの魔法を教えてからサヤが、私を危険から遠ざけて自分だけ前に出ようとするなら、私は教えたくない」
あの時イグノーツから魔法を教わったのは、サヤに教えて後ろで守られるためじゃない。自分がしたことを自分で出来るだけ解決出来るようになりたくて、教えてもらったんだ。サヤがこれでより色んなことが出来るようになるのは歓迎したい。けど、それを理由に私に出来ることを奪わないで欲しい。
私は真剣だという目でサヤの目を見返し、サヤもまたその目から私の本気度合いを読もうとしているらしく、下手な言葉を控えている。でも止めてほしいような目をしているのに変わりはない。
「サヤ、お願い」
それだけサヤが守ろうとしていることが伝わってきて、嬉しい反面、頼りにされてないことも分かり辛かった。
「…………私は」
目線を下に向けながら、何かを言いかけるサヤ。しかしそれを言う前に、隣で黙っていたケイスケさんが一歩進み出て、サヤへ話しかける。
「サヤ、あまりわがままを言ったらいけない」
「兄さん」
「心配なのは分かる。だけどそれはツカサさんも同じじゃないかな?」
無茶をしないで欲しいと思っているのはサヤだけじゃない。
諭すケイスケさんに、サヤはただ黙って俯く。
「私もサヤが1人で頑張っている間、安全なところでずっと留まっていたくない。出来ればサヤの隣で……ううん、サヤと一緒に頑張りたい。無茶する時も、そうでない時も」
「………………」
そう言われたサヤは、また黙り込んでしまう。長考だった。
「……ツカサ。私が無茶をしなければ、貴方も?」
「うん。無茶しないよ」
「…………そう」
問いかけへ私が肯定したのを聞き、また黙り込む。けれど今度は数秒くらいの時間で、サヤは顔を上げた。
「分かった、その条件を飲むわ」
キリっと引き締まり、覚悟を決めたような表情。
一方で、その答えに私は思わず綻んだ顔になった。
「……ありがとう」
これでサヤは無茶をする頻度を抑えてくれるだろう。
条件は「同じくらい頑張る」だから、サヤが無茶をすればその分私も無茶をする。なのでサヤは私に危険な無茶をさせまいと行動を選んでくれる。大切なサヤに、これ以上危険な行動を取らせたくない。だからこれで良かった。
「良かったね、ツカサさん」
「はい。ケイスケさんもありがとうございます」
「大したことは言ってないよ」
ケイスケさんが柔和な表情で笑いかけてくれると、なんだか温かい気分になれる。
あの時は疲れているからかと考えてみたけど、どうしたんだろう。こんな気持ちになったことは今までなかったので、自分でも判然としない。
(休んだら落ち着くかな?)
不思議と心地良い気持ちは邪魔ではないけど、どう受け止めればいいのかに困らなくもない。私はちょっと悩んだ結果、寝たら明日には戻っていることを期待し、今日の残りは落ち着いて過ごすことに決めたのだった。
*
「お久しぶりですね。アーノルドさん」
異世界災害収集録。ツカサがアーノルドのゲームをクリアして帰ったあと、その本の中で、イグノーツは同じ空間に佇んでいるアーノルドへ声をかける。その振る舞いは彼らしいいつもの穏やかな仕草と微笑みを浮かべたもの。
「全くだな。この世界に来てから顔を合わせたのは何回目だ? 少なくとも両手の指よりは少ないと思っているが」
対するアーノルドも、様になっている不敵な笑みをしながら応じる。
しかしその頬の辺りには強い力で殴られたような跡が残っており、それが不格好に見えたのか、イグノーツはふふっと笑う。それでやや不機嫌そうな面をするアーノルド。
「なんだ、言いたいことがあるなら言いたまえ」
「いえ、思いっきり殴り飛ばされたあとがあるものですから。よほど怒りを買ったようですね」
「そうらしいな。あのケイスケという男も、一体何が許せなかったのだろうね」
「貴方がツカサさんにやったことを知ったら、そうもなるでしょう」
純粋に疑問気な様子のアーノルドに、彼のいまだハッキリと腫れている頬を見るイグノーツ。そしてくすくすと笑いながら「自業自得です」と告げた。
——あの後、ケイスケは校舎内で起こったことを聞かされた。ゲームを行ったアーノルド自身の言葉で。
途中までは冷静に話を聞いていたらしい。だがある話が始まった時、ケイスケの手がピクリと揺れ、やがて何事もなかったように収まったかに見えた。けれどツカサがその場を去ったあと、拳が握られてアーノルドの頬を力の限り殴りつけたのだ。それによってアーノルドの身体は勢いよく吹っ飛び壁に激突した。
『お前は人の心を何だと思っていやがる』
イグノーツはその時の激しい剣幕をしたケイスケの発言を覚えている。床に倒れたアーノルドを睨んだまま、嫌悪と侮蔑のこもった目で見下ろしていた。
(ケイスケさんにとってツカサさんはどういう存在なのでしょう。サヤさんの……妹の友達として接しているのは確かですが)
イグノーツは考えながら、本に記録されてあるデータを閲覧する。それは過去に実行されたオド譲渡の際のデータだった。
(ツカサさんがケイスケさんから受け取った時の吸収率は『50%』。対してケイスケさんがツカサさんから受け取った時の数値は『64%』)
その数値の意味を知っているイグノーツは、ふむと考える。しかしある程度思考を巡らせた後、詮索を止めた。
「細かいことは後にしよう。復讐の進捗はどうだ?」
「現在は私が日本とその近傍を担当しており、残っている人間を殲滅している状況です。といってもツカサさんを守りながらなので中々進みませんが」
「お守りをしながらだと気軽に遠出は出来んだろうな。他はどうしている?」
アーノルドは続け様に質問を投げると、それにまたイグノーツは淡々と状況を伝え出す。
「最大の準備は問題なく進行中ですね。ユーラシアの方ではガラクさん、ここから南の大陸にはコリョウさん、極東ロシアへはエステルさんが行って待機中です。南アメリカへもマリアさんが至急向かいました。ただし現状では政府などの統治機関が機能しておりますから動いてはいません」
「無政府状態へ変わるのを待つ最中か。まあここはその点ラッキーだろう。魔力嵐の通過によってすでに壊滅同然だったから、軽くトドメを刺してお仕舞いだからな。例え軍隊が動こうが、お前と比べれば脅威度も知れている」
少し楽しげに語るアーノルドの前に大きな球体が現れると、それは地球の姿に変わり、表面へ5つの点がポインターのように表示された。1つは日本に置かれてあり、他それぞれがイグノーツが説明した地点、ユーラシア大陸の東アジア側、オーストラリア大陸、極東ロシア、南アメリカの辺りへと置かれてある。
北アメリカとアフリカ、それにヨーロッパへの配置がない。目の前の表示を見て思ったアーノルドはそこはどうなのかという視線をイグノーツへ向けると、すぐに返答がきた。
「北アメリカにはアレがありますので。アフリカは後にガラクさんが対応、ヨーロッパはエステルさんが北方破壊の後対応予定です」
「所有者は気付いているのかね?」
「まだ気付かれては困りますので言っておりません」
「そうか。知っていればあんなに暢気に過ごしたりなどしないだろうから、当然だな」
イグノーツの言葉に同意を示したアーノルドは、表示されている地球を見遣ると、ふっと笑う。その笑みはこの状況を楽しんでいるかのような笑いに見えるが、何も知らないことを嘲るような笑いにも見えなくもない。
一方のイグノーツは、地球の表示を見ながら日本のある付近をズームするような指の動きをする。
「そういえば日本近海で、無人化しつつある列島に侵入を試みている勢力がいるのはご存知ですか?」
「いや知らないな。大陸から来ているのか?」
「はい。どうやら被害を受けた日本を確認するため送り込んできているらしいです」
地図上の日本近海へ複数の矢印が表示された。それらの矢印は日本列島へと向けられており、人の流れを表している。横目に見ていたアーノルドも「ほう」と楽しそうに頷き返す。
「逞しいことだ。この期に及んでまだそんなことを考えている余裕があるなんてな。今の日本列島は極大繁茂の発生する直前、特大の地雷が敷き詰められている場所に等しいんだが……無知というのは恐ろしい」
「こちらに関しても脅威にはなり得ないでしょう。極大繁茂という災害の特徴を考慮すれば、送り込んできている人間は全滅します」
「全滅か。随分とハッキリ言い切る」
冷静に答えるイグノーツ。それはもう死が決まっている人を見るかのような冷ややかな視線と、崩れぬ微笑であった。アーノルドはそれを見ても何ら驚く様子を見せない。目の前のイグノーツの言動にはとうに慣れている、などの反応を示すだけ。
同時に、人が大量に死ぬことにも思うところがないという、どうでも良さげな表情。ある意味ではイグノーツと同じ顔を浮かべていた。
「そうですね。このまま全滅させるのは勿体無い気もしますが……」
「ふむ、勿体無いか」
顎先に手を当ててアーノルドは考える。見たところ、このままでは地図上で日本に向かっている矢印、すなわちやってきている人は1人残らず全滅する予想が立っている。放っておいても自身達の計画に支障はないと判断された。しかし、それをもっと有効活用する術はないものかと、アーノルドは思考を巡らせ始める。
しばらくした後、妙案を思いついたであろうアーノルドの目に無邪気な光が宿る。
「だったら私の実験にでも使おう。どうせ死ぬためにやってきた連中だ。あれの命などあってないようなものだし、ただ死ぬのを眺めているよりは死の瞬間まで私のために使ってやった方が、下らない生に価値も残るだろう。構わないか?」
同意を求めるように視線を向けると、イグノーツは「別に構いませんが」と、やや含みのある答え方で彼を見返す。
「報酬としてツカサさんへ本の機能を教える約束があるのでしたよね? そちらはどうするのですか?」
「もちろんやり切った上で向かうさ。ああ、心配しなくてもいい。本については教えるが、イグノーツの復讐については教えるつもりはない。今回の私は中立気取りだから、反対派のような真似はしないよ」
「気分屋の発言は、信用していいか困るものです」
「違いないな」
アーノルドは自虐にも近い言葉を吐いた。
2人の間に会話のない時間が数秒生まれる。やがてそれが終わると、お互いに心の読めない顔で微笑む。
(ツェレンをここに留めなくて正解でしたね)
もしこの場にツェレンがいたら、酷く怖がって自室に帰っていただろう。自身らを客観視した上でそう思わなくもないイグノーツは、同時にツェレンを早く戻らせていたことに少しホッとしたように頬を緩ませる。
「とはいえ楽しみであるのは確かだ。この世界の人類は何も出来ずに滅びるのか、それとも復讐を止められるのか。お前はどう思うイグノーツ? いや…………ザガム?」
問いかけるアーノルドの下卑た笑みに、ザガムと呼ばれ直したイグノーツは普段と変わらぬ顔をするや、息を溜めた後、平然と述べる。
「どうなるにしろ私のすることは変わらないとだけ、言っておきましょう」




