もしもの私
白く光るそれは、光線のように空間を一直線に突き進む。間もなく私のいたところを通過して後ろの壁に当たると、バシュッという音と火花を撒き散らして消える。
「やるじゃん」
間一髪で避けた私に向け、彼女が素直に褒めてくる。もし少し反応が遅れていれば、あの魔法は私の胸部を貫いていたことだろう。
魔化した動物と戦った経験で、身体が咄嗟に動けたのだ。1回しかない戦闘経験とはいえ、マジックネイティブの学習能力があれば2度目は十分に対応出来ると自身の経験から推測していたが、ヒヤリとする。正直、私がマジックネイティブ以前の世代の人であったら、無意識下の動きが足りずに掠っていたかもしれない。
私は戸惑いの残る目で彼女を見つめ返すと、早くも次の攻撃が飛んできた。今度はすぐさま避ける。
「動きの方は問題ないね。でもまだ心の方は戦い慣れていなさそう」
「当たり前でしょ! 私は誰かを殺したことなんて一度もないし、そんなことこれからもしたくない!」
「それは立派な心掛けだと思う。けどね、そういう贅沢は力がある人の特権なの。力がないうちにそんなもの求めて口にして何になるの? まして貴方は私と戦わずこの幻覚魔法をどうにか出来る訳でもないのに」
私の非力を指摘しつつ、彼女は魔法での攻撃の速度を早めていく。狭い室内、躱しきるにも動けるスペースは広くない。
その内魔法が腕を掠めると、当たった部分から皮膚を擦りむいたような鈍い痛みが出てきたが、当たった場所の袖は傷ついておらず、出血なども見られない。
(この魔法を使った攻撃も幻覚なの?)
戦う前の言葉を思い出そう。彼女が私をどうやって追い詰めるつもりかは既にその口から語られている。幻覚によってもたらす痛みに心を疲弊させたあと、自殺を選びたくなるほどに追い込むと言っていた。今の攻撃もその一環だと思えば、これは幻覚だ。実際に身体が傷ついている訳じゃない。
とはいえ痛みを感じるのに違いはない。対抗手段を取らなくては痛みは増すばかりになってしまう。私は逃げながら様々な方法を考えていく。
(治癒魔法は……本当の怪我じゃないから効果がない。目を瞑って攻撃の瞬間を見なければ痛みを回避出来る? 幻覚で痛みが走る条件は?)
「まだ私を殺すには覚悟が決まらない? それとも痛みから逃げる方法でも考えているのかな?」
「貴方も心を読んでいる訳じゃないよね」
「うーん。どう思う?」
答える気はないのか、彼女は思わせぶりな笑みと共にしらばっくれて見せた。
「っていうか、そんなことはどうでもいいでしょ。早く私を殺しにきなさいよ。さっきから逃げてばっかじゃん」
「そう言うなら近づかせてよ!」
避けながらも阻止するために距離を詰めたい私に対し、向こうは適度に距離を取りつつ牽制のような魔法も放ち、室内を縦横無尽に逃げ回っている。
逃げているのはそっちもだと言いたい。
「私は無抵抗でやられる必要ないから、自助努力で何とかしなさい。大体、これくらいの魔法はツカサだって使えるでしょうに」
同じ魔法をぶつけられる筈だと私に向けて言った。
彼女の使っている魔法は恐らく【放射系】である2族の魔法。見られる効果は物体やエネルギーなどの射出・放出といった現象で、放射系という名前も放出+射出=放射という由来から来ている。
『放射』という言葉本来の意味からは大分ズレているが、つまり放射系とは物体を遠くに飛ばす効果の魔法なのだ。無論それはイグノーツにある程度教わっているので私にも出来なくはない。魔物と戦った時に使用した『渦を発生させる魔法』も放射系である。
しかしあの時はあくまで魔化により変わってしまった動物へ向けての使用であったのに対し、今求められているのは人に向けての使用。平和な日常に慣れていた心にそれをやらせるには、“人を傷つけたくない”という精神的な枷が働いて上手くいかない。いくら学習能力が高いと持て囃されるマジックネイティブであろうと、心の問題は人並みにしか解決出来ないのである。
(そもそもどう倒せばいいの!)
それ以前に向こうはまず幻覚である。
幻覚とはどうやって倒せばいいのか? 普通に魔法を当てれば通じるのか? 殺す方法なんてあるのだろうか。アーノルドが最低限ゲームをするつもりならきっと方法はあるとして、それが何なのか私は掴めていない。
(とにかく魔法で牽制しよう。どれが通じるか分からなくても、色々やっていれば何が効いて何が効かないのかくらい見えてくるはず。攻撃に使えそうなのは2族と4族……防御なら1族と6族でいける)
手始めに私は魔法で渦を発生させ、それを彼女のいる方へと放った。青い渦が彼女まで迫ると彼女はふっと笑い、直後に渦はその目前で壁にでもぶつかったかのように飛び散る。
前方で起きたことに私は驚かない。1族……【障壁系】と呼ばれる魔法を使えば壁のようなものを発生させることが出来るから。今までの動きからして避けて回避すること自体は可能だったはず。こちらの渦を見えない障壁で防いだのは、そういう魔法も使えるのだと私に示すためなのか。或いは透明な壁を作って見せることで、闇雲に接近しようとしても無駄だと言っているのか。
「やっとまともな攻撃が飛んできたね。楽しくなってきたよ」
少しずつ攻撃に対する忌避感を失っていく様子を見て、彼女は機嫌良さそうに呟いた。
間もなく、私と彼女での魔法の撃ち合いとそれへの防御が繰り返される。お返しにと向こうから放たれる3本以上の曲がる放射系。それを障壁系魔法で防御してやり過ごすと、反撃にまた渦を放つがその単純な攻撃ゆえにあっさりと避けられてしまう。
(同じ攻撃じゃあ当たりそうにない)
私は彼女が使った魔法を見よう見まねで発動させる。既に使うところを何度か見たからか魔法の成功率は悪くなく、体の中にあるO系魔力の影響もあって素早く3つ発動出来た。3本の光線が教室の壁に沿って直角に迫り、三方から同時に彼女へ飛んでいく。
一瞬、上手くいったと思ったのも束の間。それらは瞬時に展開された結界系の魔法により防がれてしまう。苦い顔をする私に対し、向こうは喜びを見せている。
「応用が早いね。じゃあ次はこれを学習してみてよ」
続けて彼女はそう言うと、出題者の如く振る舞ったあとに放射系の魔法を放ち、私目掛けて撃つ。
(——え!?)
真っ直ぐ、或いは横に曲がってくると思った攻撃は、輪のように中空を作りながら広がりつつ迫り、私の方へ集束してきた。咄嗟にその場から逃げようとすると、なぜか前後を見えない壁のようなものに遮られて動けない。
障壁系では防ぎきれないと判断し、私は結界系を使おうとした。すると今度は結界が何かに干渉されて思うような形状にならない。そうしたことが起きて対応も間に合わず、彼女の魔法が直撃した。
「…………っ!!」
全身に現れた腫れあがりそうなほどの痛み。
それに悶え、立っていられなくなった私はその場に倒れる。
「あらら、防げなかったの。幻覚じゃなかったら死んでたわよ」
「い、今のは一体……」
結界系を発動する最中、自身の周辺を囲うように形成しようとしたが、前後の方で形成が阻まれてしまい発動仕切れなかった。そのせいで実質魔法が失敗し、彼女の攻撃を喰らうことになったのだが、そうなった理由がハッキリとしない。
「結界系魔法を二重に展開したのよ。1つ目で貴方と私の間に卵のような形の結界を作って、2つ目で同じ形のそれより大きなものを作り、貴方を2つの結界で挟んだの。1つ目の外側と2つ目の内側になるように」
やがて彼女は膝をついている私を見下ろしながら、何をしたのかを解説してくれた。
説明の内容は痛みのせいもあってすぐには飲み込めなかったけれど、やられたことは想像出来る。
彼女はこの場に結界を利用して卵型の鋳型のようなものを作り、鋳型において溶けた金属などが注がれる空間に私を挟み、そこへ魔法を流し込んだのだろう。だから放射系魔法は鋳型の形状に沿うように変形しながら流れてきて、私は自由に動けず、防御のために発動しようとした結界が彼女の先に発動した結界に干渉し、上手く形成出来ないという事態に至った。
(手間のかかったやり方だけど、予備知識なしにやられたら対応を間違う……)
それこそ、今さっき彼女が述べたように死ぬ可能性もある。
彼女が幻でなく本物で直接殺す手段があれば、痛みに苦しむだけでは済まなかったのではないか。そう思うと、自分の判断の甘さが見えるようになる。やられる前にやらなければ、命が奪われなくとも心を殺されるかもしれない。それが比喩なのか、魔法によって本当に心を殺せたりするのかは知らないが、どれだろうと嫌だというのは変わりなかった。
(早く、倒さないと)
心を奮わせながら痛みに抗い立ち上がると、彼女の使った技を分析し出す。
説明を聞く限り、先程の攻撃は複数の魔法を併用して行われていた。私の知識において魔法の同時発動は上級者向けのテクニックであり、それを実行可能なことは高い技能を持ち合わせていることの証明になる。1級魔法士であり魔法の腕にはそこそこ以上の自信があった私だが、もし同じことをしようとしたらどこまで出来るだろうか。
(2つならすぐに出来るかもしれないけど、3つ4つと同時に発動する数を増やせば失敗するかも……)
最低でも3つは同時に出来る『もしもの私』は、私と同じくらいかそれよりも上の熟達した存在であると仮定。この場合、私が有利な点は向こうの攻撃が幻覚であるがゆえに死ぬ心配は少ないこと。不利な点は魔法の腕において上の可能性がある彼女を、幻影の倒し方を調べて倒さないといけないこと。更にそこへ死ななくても喰らえば痛いのと、物理的な争いごとに慣れてないせいでそういう行為に抵抗がある点が加わる。
総合的に見れば不利なのは私。それも向こうにこちらを殺す手段がないというハンデをもらっている上でだ。キツい。「負ける方が簡単だ」という愚かな思考が過るがそれを振り払った。
「にしても、ダメージを与えておきながら無傷っていうのは頂けないよね。例え幻覚だから傷つきようがないと言っても」
「…………?」
痛みが徐々に薄れ彼女のことを考える余裕が出てくる中、向こうもまた別のことを考えているようでその内容を口走り出す。何やら幻覚の効果に不満がある様子だが。
(何が不満なの? 偽物とはいえ痛いのに変わりはないのに)
今までの彼女との戦いで使われた魔法などが全部この空間で生み出されている幻覚であるなら、その物理的な影響は皆無に等しい。だが偽の痛みでも精神は削れるし体への疲弊も蓄積する。こちらへの影響がない訳ではないだろうに。
そう思う私を他所にして、うんうんと唸りながら考えていた彼女は何かを閃いたのか、急にハッとなった顔をした。
「——そうだ。折角だしダメージも見かけに反映させましょうかしら。そっちの方が精神的にも追い込めそうだし」
ぼそりと言いながら怪しげな思惑を秘めていそうな目をこちらに向ける。
今からやろうとしていることがとても碌でもないと、自ら物語るかのような悪意を含んだ目つき。続いて彼女は虚空に向けて誰かと会話をするような仕草をし、何かを交渉し出した。相手は恐らくアーノルドだろう。
暫くして交渉も終わった風になると、彼女は私の方へ向き直って笑顔を浮かべた。嫌な予感を覚える。
「ねえツカサ。自分の格好を見てみなさい」
「……?」
警戒しつつ自分の格好を見た。すると私の身に纏っているそれらが急激に傷み出し、ボロボロになりながら剥がれていく。
「え……な、何よこれ!?」
突然のことにすぐに状況を飲み込めず、数瞬の間硬直するが、上着が剥げてその下に着ていたものまで見え出すと、流石に我に返った。
「何って、受けたダメージの表現よ。貴方はさっきほぼ全身に放射系魔法を受けたからね。その分服もダメになったってわけ。というか結構可愛いの付けているね」
「見ないでよ! 早く戻して!」
叫ぶような大声で戻してと言うが、彼女は「嫌よ」と素っ気なく返す。
「貴方が恥ずかしがっている姿が楽しいからやめない。あ、ちなみにその格好はゲームが終わるまで続くから。彼を助けに行く時も服は元に戻らないわよ。どう? リタイアしたくなった?」
心の底から楽しげに喋る彼女。その発言とくすくすと笑う姿から、私は彼女が想像していることを何となく理解する。試しているのだ。こんな格好にさせられてまで、私がサヤやケイスケさんを助けたいと思うのか。こんな格好になってまで助けようと思う相手なのかを。
「……しない」
「へえ……これくらい酷い格好にすれば続ける気も起きなくなると思ったけど、意外と上辺だけの関係じゃないんだ。大抵の人はどれだけ相手を思った行動をしているように見えても、結局は自分本位だからこういうリスクが生まれると割と仕方ないって諦めるものだけど」
「私が諦めたらサヤ達に何するか分かったものじゃないもの」
まだクリアを諦めるつもりはないと彼女へ宣言する。
ゲームの敗北条件は私がクリアを諦めること。その時にアーノルドがすると宣言したのは私が後悔するようなことという曖昧なものであったが、でもそれが禄でもないことだというのは察しがつく。そんなのを許す気はない。
(でもこんな姿で助けに行くわけには……)
見かけ上残っているのは下着と、ボロボロになって用をなさない状態の上着だけ。
幻覚とのことなので本当の服は無事なのかもしれない。けどこの格好がケイスケさんにも見えるように細工されている可能性は、彼女の言動から考慮して高いと言える。
狙いを推測するに、私がここを切り抜けて助けに行った後、彼にこの状態の私を見られることを想定しているのではないか。こんな霰もない姿を見られること、それに対して向こうがどう反応するか、考慮させた上でゲームのリタイアをするかどうかを見ようとしている。
代わりの布を用意しようにも、校舎内にはカーテンなどのような服の代わりに纏えるものは見当たらない。仮にあったとしても隠している可能性まで出てくる。
ならばどうするか。同じ魔法を使って服を着ているように上書きする……というのは理屈では可能かもしれないが、そんな魔法は頭の中を漁っても出てこない。目の前で起きてる幻覚を作れるレベルの魔法を初めて見たくらいだ。魔法によって誤魔化す対処法は今の私には使えない。だったらどうすればいいかなど明白だろう。
でも、その一歩を踏み出すことを決めるのが、
(——怖い)
一度は襲われそうになり、強い身の危険を感じたことがあった身の上で、その記憶も遠い昔などではなく割と最近。
(もしケイスケさんが……)
いつかは自分も誰かと付き合って結婚することを考えていた。そのために相手へ魅力的に見えるよう努力はしてきたし、適齢の男性から見て自分がどういう目で見えるのか、欲求を掻き立てるに値する対象なのかなど、想像出来ないことはない。ケイスケさんから見てどうかは知らないものの、襲われかけた経験があった以上、十分に男の人には効果がある体になっているのだろう。それが不安を呼び込む。
今までの彼との交流で知った人柄を思うなら、そんなことをするような人ではない。根拠を以て理性はそう告げる。
人の本性なんて分かったものではない。巧妙に良い人の面を被っているだけだ。根拠も曖昧に恐怖はそう告げる。
冷静に考えるなら理性の方が正しいはずなのに。一度心に根付いたものは簡単には引き剥がせないのか、例え彼との間にそんなことは一度もなかったとしても、恐怖は理性を上回ろうとしていく。信じたいが、信じきれない。信じたいという気持ちが別の気持ちに邪魔される。
「……うん? もしかして怖くなってきた? ふふ、まあそうでしょうねえ」
私の心を見て感じとったのか、彼女は驚きつつも意地悪そうな表情で語りかける。
「心の問題はお得意の勉強のようにはいかないもの。人生経験の足りない人に簡単に解けるようなものじゃない。ましてまともに育った貴方に露出趣味なんてないでしょうし、そんな姿を見せて欲情を煽ったりする可能性を考えれば、もしもの恐怖もあるわよねえ」
「……『もしもの私』なら解けるっていうの?」
その表情が気に入らなくて、不快であるという態度を隠さないまま私は聞き返すと、「ええ」とすぐに肯定された。
「言ったでしょ、私は貴方のそれを仮定した存在。貴方が人生の中で出会った優しさや温もり、そういうものを与えてくれる人に出会えなかった姿をしたもの。心の傷への対処法は熟知しているし、熟知しなければいけなかった。だから貴方とならいくつの時に比較されようと勝てる自信がある」
彼女は私の方へ近寄るとしゃがみ、目線を合わせる。その動作・発言。全てから揺るがない意思を感じられ、見返せばそれが幻影だなんて思えないほど、瞳の奥に意思が宿っている風に見えてしまう。
「といっても、今日この場で生み出された幻影の言葉なんて、厚みが全くないだろうけどね。でも私にそんな風に自分の何と引き換えにしても守りたいものがあるって言うなら、どんなものだろうと賭けるし差し出せる。そういう覚悟が出来ているから」
「……覚悟」
それが私にはなくて幻影の彼女にはあるもの。
決して失いたくないもののために他の全てを投げ打つような。殺されないために相手の命を奪うような。平時では決して求められないし、求めようとしなくていいこと。
まだ足りていなかったのだろうか。これまでにも何度か意識したことのある、生きるため、助けるためにしてきた覚悟。私の中ではそれは、死を覚悟するよりも難しい覚悟なのかもしれないのかと、自分自身に問う。
「貴方は人生が長い分、覚悟をするのも大変そうね」
「……当たり前だよ。死んでただ終わりになるより、傷つけられたことをずっと覚えながら生きる方が、ずっと嫌に決まってる。簡単に割り切れないし、覚悟だって出来ない」
「そうね。けどだからこそ、天秤にかけるに相応しいのよ。貴方にとって友達よりも大切か、友達の方が大切なのか」
次の瞬間、彼女がパチンと指を鳴らすと、取り巻きのように現れる5人の幻影。
その顔には一瞬覚えがないと感じる。だけどその格好には僅かに覚えがあった。それは私がデパートの中で襲われそうになった人達。そのことを認識した途端、心の底から恐怖が溢れた。
「い、いや……」
ゆっくりと迫ってくる幻影から、身を庇いつつ後退る私。魔法を使って幻影を倒すという考えは、あの時に受けた恐怖によって出てこず、冷静な判断力がみるみるとなくなっていき、ただそれから一心に逃げたい感情へ支配されていく。
遂には壁際に追い詰められた時、彼女の「待て」という指示に反応して止まったあと、
「さあ選びなさい。自分と他人のどっちが大事か」
これが最後の機会であるとばかりに、男達の向こう側にいた彼女が選択を迫った。




