過去の幻(3)
「何か用ですか?」
直前まで懐かしんでいたことを吹き飛ばすような嫌な声に、不快感を露わにせずにいられない。私は聞こえてくるアーノルドに話しかけてきた用があるだろうことを先読みし、さっさと言うように促す。
「動きが止まっているようだから様子を確認した。ゲーム続行の意思はまだあるかな? 止めるなら今のうちだぞ」
まだ始めてからそんなに時間も経っていないのに、止めるかどうか聞きに来たのか。
「止めません。それより2階のあれは何なんですか?」
「あれは深部感覚を惑わせるものだよ。ツカサくんは知らないだろうが、体を動かす時に自分の腕や足がどこにあるか、加わる圧力や抵抗、振動などを人体は感知して姿勢を制御する。故にそれをおかしくすると、思ったように肉体が動かせない状態へ変わってしまう。さながら重い障害を患ったかのようになるわけだな。今は私の方で侵入を拒むように幻覚の方向性を誘導している」
得意気に解説を披露するアーノルドだが、それでは2階に実質近づけないのは明白である。
「まさか2階にいるからそんなやり方で妨害している訳じゃないですよね?」
そう問い返せば彼は「いいや」と短い言葉で否定した。
「君にとってあそこを自力突破するのが難しいようなら、難易度を下げてやってもいいぞ」
「いりません。代わりに何か嫌な条件をつけるんでしょう?」
この人がただの優しさから難易度を下げるだなんて言うとは思えない。ツェレンがずっと警戒していたことを踏まえ、私から見た主観でも食えない性格をしてそうな彼の発言を簡単に信用するのは無理である。
「おや、もう私の考えることが読めるようになってきたのか。大したものだ」
事実その予想は当たっていたのか、アーノルドは楽しそうな反応を示している。
「まあいい。私の気分が良いから特別に2階の幻覚へ優しくなる方でテコ入れしておいてやろう。思う存分ゲームを続けたまえ」
「こんな楽しくないゲームはもう2度とやりません」
「世の中にはプレイヤーの苦しむ姿で見ている側が楽しむ形のゲームも存在する。覚えておくといい」
そんなゲームある訳……ないはず。
アーノルドの声が聞こえなくなったため、私は人探しゲームの続きをする。現在の教室内にも恐らくケイスケさんはいないようだと判断して次の教室へ向かおうとする直前、足に何かが当たった感触がした。私の目には見えていないが、机でもここにあるのだろう。
(……何か違和感)
ふと自分が、何かを見落としているような気にさせられる。けれどそれが何なのかピンと来ず、仕方なく次の教室へ向かう。
(今までの流れからして、1階の幻覚は過去を見せてくるタイプ……)
廊下から中を覗けば、既にあの幻影達が教室の中で待ち構えていた。4人分の幻影がいて、うち一人はやはり私。他の3人は私の弟と両親っぽい形で、身長などから察するに今とそう変わらないくらいの頃に見える。
その姿、そして4人が一緒にいるということからどのくらい前のことだろうと、これまでの幻覚のパターンから予想し、1つだけ候補が思い浮かんだ。祖父の訃報を聞いて実家に戻った時だと。
「亡くなる先日まで元気だったのに、前触れもなくぽっくりと死んじゃったの。最初に発見したのは私のお母さんだったらしいわ」
死因は眠っている間に起きた心停止とのこと。見つけた時点で死んでいることに気付いた祖母はすぐに警察へ連絡し、その時の検案の結果、そう判定されたらしい。幻影の母がそう呟く。
子供の頃から好きだった祖父の死。昔から病気知らずで元気だったお爺ちゃんに、まだ来るとは思わなかった別れ。この時私はずっと家に戻っていなかったことを後悔していた。
進学してから社会に出て、その間にサヤという友達や心を許せる相手、それまで出来なかったゆとりある生活というものに、無自覚なほど浮かれていたのかもしれない。
思い出の多くも褪せた記憶の奥に消えかけていて、あれだけ懐いていたはずなのに、そのことも大して思い出せない自分が、この時酷く愚かに見える。なんでもっと早く顔を出さなかったんだろう。なんでもっとお爺ちゃんと話をしなかったんだろうと。
「…………」
言葉が出なかった。心が軋むのを感じた私は溢れかえりそうになる感情を抑え、自分の精神を守ろうとする。お爺ちゃんは会わないでいた5年間、私のことをどう思っていたのか。祖父の気持ちを頭の中で考えようとすればするほど罪の意識に囚われてしまう気がしたから。
不幸中の幸いなのか、幼い頃に身近な親族の死を一度経験していた私は、親しい者の死に耐性が出来ていた。大人になってから子供の頃より精神的に落ち着いたこともあり、大好きだった祖父の死に直面しても平静寄りの姿勢を保つことが出来た。
だが今度はそうすれば、祖父の死に涙も流さないような薄情な自分に思えてならない。けれどどうしようもないのだ。だって、悲しみから泣くようなことは中学の頃からしなくなり、いつの間にかやり方を忘れてしまったのだから。
笑い方と怒り方は覚えていても、楽しみ方は高校になって思い出しても、悲しいから泣く方法は大人になっても思い出せなかった。子供の頃はハッキリと分かっていた筈なのに。そうして私は、薄情に見える自分とそれに付随する罪悪感を受け入れたのである。
「姉ちゃん、大丈夫?」
高校生の弟が私を心配してきたのを、幻影が再現する。
祖父と会うことがなかった5年の間も弟とは連絡を取り続けていた。
「……少し疲れたから、休んでくるよ」
私の幻影は消え入りそうな声で弟の方に告げ、背を向けて消えていく。
反抗期も挟みつつなんだかんだ仲の良い関係であった弟の心配に、私はどんな顔をして答えたんだったか。
幻影の声に耳を傾けながらも、この部屋にもケイスケさんがいないと確認した時には、幻影達はいなくなっていた。
(規則性はなんだろう。強いて思うなら昔の方から今の方に向かって内容が現れているみたいだけど、そもそもこの幻覚の内容はゲームと関係があるの?)
考え事をしながら私は次の教室へ入る。幻影の数は2人。輪郭から見て片方は私。もう片方はサヤ。窓際の方で私の胸の中に縋り付くような姿勢で、くぐもった声でサヤの幻影が泣いている。
「うう……うう……」
この感じの光景、つい最近に覚えがある。
魔力嵐が日本通過後、サヤがこっちへ来て間もない頃にケイスケさんをチキンと呼んでいた理由を知り、私から逃げた彼女を捕まえた後のことだ。
急に泣き出したサヤに戸惑った私はどうすればいいのか困り、なぜかイグノーツに助けを求めた。そしてイグノーツから言われた台詞をサヤに伝えて、なんとか泣き止んだのだったか。この感じだと今からその時の言葉を言いそうな予感がするが、私はその時の言葉を忘れるように言われている。サヤのプライバシーに関わるからとか。
(サヤのためって言うから忘れてたのに、思い出させるつもりなのかな)
地味だが嫌がらせのつもりかもしれないと、両手で耳を塞いで聞けないようにし、捜索に入る。幻影の発する音にこれで防音効果があるのか知らないが、これも妨害の意図がある幻覚の類だと判断するや意識を逸らすように努めると、幸いにも効果はあったようで、私の幻影が話している言葉は断片的にしか認識出来なかった。
「大切な…………から……と一緒……。……何があっ……………………を……になったり…………だって、私は…………とが……だ……」
その言葉を私の幻影が言い終えると、教室内にいた2人の幻影が消えていく。
もう終わったの? と今までの教室で見た長さから意外に思うものの、一通り室内を調べ終わった私はその場を後にする。これで5つの教室にケイスケさんがいないことを確認した。1階に残っている教室はあと1つ。
(こんな幻覚を見せる意味は何だろう。もしこれがゲームとして彼を楽しませるためのものなら、もっと妨害らしいものやケイスケさんを探す上で障害になるような、2階や3階みたいなやつの方が効くはずなのに)
最後の教室に向かうと、その中に1人だけ幻影がいた。私の鏡写しのような姿で、左右反転した幻影。今までのように形だけしか判別出来ないものではなく、表情なども明瞭なもの。
「この部屋にケイスケさんはいないよ」
一歩入った瞬間、幻影の私がそう告げる。今まで幻影同士の会話しかなかったので、自分に話しかけられていると気付くまで時間がかかった。
(このタイミングで幻覚の方向性が急に変わった? 見えない誰かに話している、って感じじゃないよね。他に人はいないはずだし、私の方をじっと目で追ってくる)
「どうしたの? この部屋にケイスケさんはいないから、早く出て行った方がいいよ」
幻影は真っ直ぐこちらを向きながら、退出を促し続ける。
あまりにも露骨過ぎる行動に見受けられるが、1階の幻影の中では一番妨害しようとしてきている動きだ。少なくとも目の前のそれは、記憶に残っている昔のことを流すだけだった幻覚よりは明確にゲームの障害としての役割を持っているようだと思える幻覚である。
(いくらなんでも、それで手を止めたりする人はいない)
本当にここにケイスケさんがいるかいないかは調べないと分からない。
幻影を無視して調べ始めた私。すると幻影も室内へ入った私の方へ振り向き、話を続けてくる。
「なんで『私』はこのゲームを続けているの? こんな意味の分からない、やる側にとってメリットのないゲーム。自分の友達が危ない目に遭うかもしれないからって、そこまでする必要があるの? 『私』にとって、友達ってそこまでの存在?」
幻影の自分は随分と利己的な言動をしている風に窺える。このゲームが意味の分からないという点については概ね同意出来るが、私自身が思ってもいないことも言うので、別人のようであった。
(苛立たせて、冷静さを失わせるのが目的なのかな……)
無視し続けることが正解だと思い、幻影が何を言おうと聞いていないフリをする。
「意外と友達思いなのかな。それとも、友達思いに見えるような行動をしているだけ? それはそうか。『私』にとってサヤは大切で唯一の友人だものね。こんな『私』と友達になってくれる人なんて、これから先きっといない。そんな相手に嫌われたくない。もしサヤのお兄さんに何かあって、それが理由でサヤに『私』が嫌われたら辛いから」
他人からの陰口には多少であるけど慣れている。だからそういう僻みや妬みを言われたところで聞き流せる自信はあった。なのに何故だろう。
その声は録音した自分の声を聞いている時と同じ不快さを与えてきて、自分とは思えない言動をして、自分のことを分かったように言う。それが不愉快に感じてならない。
「でもさ。そう考えるとサヤやケイスケさんにとって一番迷惑なのは『私』じゃないかな? 『私』がいるからサヤは避けられたはずの面倒事に巻き込まれて、サヤのお兄さんも命懸けで危ないことをする羽目になった。そんなことをしてまで『私』を助ける価値なんてないのに。バカだよね。間抜けな友達のせいで危ない目に遭っているんだから」
「…………」
サヤのことを馬鹿にされた時、自分自身が貶された時よりも感情の波が立った。
「サヤは————」
言い返そうとした瞬間、ピシャリと何かが閉まる音が二重に響く。
音のした方向に振り向くと、教室の前後の扉が閉まっていた。
(閉じ込められた!?)
すぐに何が起きたのかを理解した私。扉の方へ駆け寄り開けられないかと試してみるが、どれだけ力を込めても動きそうな気がしない。やがて後ろから「無駄だよ」という、彼女の落ち着き払った声がする。
「その扉はただの幻覚だけど、廊下の向こう側へ出ようとすれば体が動かなくなるようになっているから。アーノルドさんから聞いているでしょ? ここの幻覚は五感だけを惑わすようなものじゃないって」
「……何のつもり?」
「知っている? 強いストレス原因を抱えてある家庭で育った子は、精神的な部分にその時の影響がずっと残るんだって。そのせいで心に問題を抱え続けるの。誰かに強く依存するようになったり、親になった時に子供にも同じようなことをやったりする。『私』はどうかな? この先誰かとそういう仲になって子供を持ったりしたら、そういう親になるのかな? ……それは嫌だなあ」
こちらの質問には答えることをせず、彼女は独り言を喋りながら見上げるような動きをして、話の終わり際に俯いた後、私を見て微笑んだ。それは私が話を無視するフリをしていたことへのやり返しのようであり、細やかな報復と言わんばかりの笑顔。
その屈託のない笑顔を見て、やはり目の前の幻影は私とは似て非なる存在だと認識する。
「自覚はあるんでしょ? 自分が普通の健全な家庭で育った人じゃないって。私の親がどれくらい普通の家庭からズレた教育をしていたか。正確に測ることは出来なくても、自分がそれ特有の問題を抱えている人だって自覚は持っているよね。なら心が完全に歪みきって、手遅れになる前に……自分で自分を殺した方が良いと思わない?」
「だから私を殺すっていうこと? その幻覚で?」
「まさか。痛覚を惑わせば幻の痛みに苦しむかもだけど、それだけで直接命を取れるとは思えない。けれど心の余裕とか理性的な判断とかはしにくくなると思うでしょ。だから痛みを交えながら心を殺す。そして自分で死んでくれるくらいに追い込もうかなって。ふふふ」
幻影の私はもう皮をかぶる必要はなくなったとばかりに発言が過激になっていき、その笑い方や振る舞い方も私のそれから離れて、ずっと品のないものへ変わっていく。もはや私には彼女が私に似ているのは、姿以外にないと感じられるほど。
「……最低だよ」
曲がりなりにも私自身の姿でそのような醜態を見せられ、私はそう呟いた。
「そうね。こんな考え方をする『ツカサ』は貴方からすれば酷く歪んだ思考の持ち主に見えるでしょうね。けどアーノルドはこの私を、貴方にありえたであろう1つの可能性として作り、ここに置いた。子供にも伝わる親の愛を十分に受けられず、家庭の中でその不満を共有や解消する相手もいない、孤独な貴方。そのせいで卑屈になって学校でも友達を上手く作れず、親の意見には逆らえない。そうして大人になっても心は一人ぼっち。それの果てがこの私なの。貴方がこの1階で見てきた人生、それすらなかった時の私」
どこまでも1人で、今の私よりもずっと屈折した感情が積もった末に心を荒らし、真面ではいられなくなった自分。それが目の前の私だと言われて考えた。
(もし私に弟がいなくて、大好きなお爺ちゃんとも全然会えない、一人暮らしも出来ない、サヤとも会えない。そうなっていたら、こんな自分になっていたのかな……)
目の前の自分がそういう過去を持った自分だとするなら、その境遇には同情する。そんなことになっていたら私だって非行に走って悪いことをしないとは言い切れないだろうから。
可哀想だと思う。だけどそれを理由にこんなことをされてたまるか。
実際に生きている私は、その可能性の1つとは違うのである。私は彼女をジッと見つめながら口を開いた。
「殺すって言うけど、これはゲームの一環なんでしょ。どうやったら殺されずに出れるか、方法は用意してあるはず。まさかクリア不可能な妨害を置いている訳じゃないよね」
「そうだね。回避方法としてはまずこの教室に入らないことを想定していた。もし入ってしまった場合は私に殺されないように、私を殺す。この生まれて来なければ良かったような私を」
「それは……」
こちらが言い淀んだのを見て、「ははっ」と彼女が短く笑う。
「幻影とはいえ人を殺したくない? もしもとはいえ自分自身だからね、その気持ちは分かるよ。だけどね、人が人を殺さないで良い時は、そうするメリットがある時だけ。私を殺さなければ生きてここから出られないのなら、迷わずに殺す。そういう精神を持ちなさい。それとも、サヤ達はどうなってもいいのかしら」
「……良い訳がない」
サヤ達を引き合いに出され、覚悟も決まらぬまま実質話が決まった。思惑通りに行ったという不敵な微笑みを彼女が浮かべられ、私は苦渋に顔を歪める。
(こんなことをしている場合じゃないのに……)
「——良い子でいれば何とかなる時間は終わったのよ」
その発言と共に彼女の表情から笑顔が失せると、こちらへ向けて白く光る魔法を放ってきた。




