過去の幻
お父さんの声に思わず、思考することを止めてそちらを見てしまった。
(幻聴の類なのは分かりきっている。ここは今そういう場所になっているから。でも……)
考えていると、人の形をした幻影が目の前で1つ増えた。
「そう、またなのね」
「仕事上の付き合いでね。断ると心象を悪くしてしまうから、やむを得ない」
増えた幻影から聞こえてくるのは、母親の声。気のせいか幻影自体の振る舞いも母のそれを思い出す動きをしている。逆に父の幻影も私がよく覚えている父の身振り手振りにそっくりに思えてきた。
私はまじまじと会話する幻影2人を見続ける。
「そういうわけだからすまない。今年の誕生日にはお父さん出られそうにないんだ。代わりに何かお土産でも買ってくるから、お母さんや弟と良い子にしているんだぞ」
そう言ったあと、父親の幻影はぼんやりと姿が消えていく。
消える直前に放たれた言葉で思い出した。これは確か、私が7歳くらいの頃の出来事だ。
父の働いている会社……というか職業は、その繁忙期と私の誕生日がちょうど重なるような形になっており、頻度として2年に1回ほど、私の生まれた日に父親は家にいなかった。
「お父さん、今年もいないの?」
それまで私の誕生日に家にいなかった年は、私が2歳、4歳、6歳の時。つまりこの時は2年連続で家に戻れなかったことになる。
幼い私の幻影が、母親の幻影の近くに現れる。そして母親の方を見上げるような動きをすると、それに母親の幻影が喋る。
「仕事が忙しいのよ。分かってあげてねツカサ。お父さんやお母さんが働かないと、ツカサ達を大人になるまで育てて上げることが出来ないの」
「うぅ…………」
幼い私の幻影は、露骨に寂しそうな声と振る舞いを見せた。この頃のは昔すぎて流石に曖昧な記憶も多いが、前の年がダメだっただけに、今年は祝ってもらえることを期待してたから、いつもよりがっかりしていたのだ。生まれた時から2年周期で続いていたのがその年ズレて、大きなショックを受けていたのを覚えている。
「その代わり、今年はお爺ちゃんが来てくれることになったから」
「お爺ちゃんが……?」
「そう。だから寂しくないわよ」
母の幻影が語るお爺ちゃんというのは、私から見て母方にあたる祖父のことである。父方の祖父は弟が生まれてくる前に他界しており、この時点でお爺ちゃんというと実質その1人だけを指す言葉。
子供の頃の私は、忙しくてなかなか構ってもらえない・もらいにくい父のため、その代わりにと来てくれるお爺ちゃんへ懐いていた。そこには純粋に家族として思う存分甘えられるから好きという気持ちがあり、もう1人のお爺ちゃんと会えなくなって2年ほどしか経っていない期間から、一層甘えたがったのだと今は考えている。
ちなみにお婆ちゃんに関しては、お爺ちゃんよりよっぽど多く来ていたしお爺ちゃん同様甘えさせてくれたので好きであったが、祖母である前に私と同じ女としての立場から、過ぎた要求には「ダメ」をすることも時々あった。孫娘である私に激甘だった祖父と比べると飴と鞭を使い分けていたと思うので、割りかし距離感としては祖父の方が大好きで、祖母には大好きと好きの間くらいの感情だったろう。
(なんで、今になってこんな昔のことを)
幻覚の影響なのは違いない。だがそれにしては私の覚えている昔のことそのまま過ぎている。もしかして、私の記憶を元に幻覚を作っているのだろうか。
教室内にいた幻影が全て消えたあと、ぼーっとしていたのに気付いた私は室内を調べると、そこでもケイスケさんを見つけられず次の教室へ入る。するとそちらにも幻影がいて、私が入ったのを合図に会話を始めた。
「ツカサ、学校のテストはどうだった?」
「——ん!」
「ちゃんと勉強を頑張っているみたいだな。えらいえらい」
小学生になって4年くらいの私の幻影が、威張るような素振りで解答用紙を見せびらかす。テスト結果は幻影だから見えないけれど、父の幻影は上機嫌だった。
父から褒められた幻影が「えへへ」と笑う。そういえばそんなこともあったなと懐かしみを覚えた私だが、その気持ちに浸っている間もなく幻影達の会話が切り替わる。今度は私が中学1年の時の、扉越しに偶然拾った2人の会話だ。
「学校の成績が良いのはありがたいし、いじめの話を聞かないのはいいんだけど、物覚えが良過ぎない? 私が同じ頃でももうちょっと用事を忘れたり、忘れ物をしたことはあるわ」
「なんでも最近の子は全体的に頭が良いみたいだよ。少し聞いただけで大抵のことは覚えるし、忘れにくいんだとか。マジックネイティブ? だっけか。凄いよなあ……」
確かこの頃は、世間一般でもまだマジックネイティブという概念が疎い頃だった。しかし、それまでの世代と比べて顕著に見られる学習能力から段々とそういう部分の認知度が上がっていった時期でもある。
父が覚えたての単語みたいにうろ覚え感ある言い方をするのも当然だが、子育てとして父よりもよく子供に接する母の方は、もっと真剣に考えている様子だった。
「“凄い”の一言で済むようなものじゃないわよ。塾に通わせている◯◯さんとこの話だけど、中高の範囲なんかもっと時間をかけて教える予定だったのに、途中から勝手にネットで学び始めちゃったとかで……塾講師の人が教えられる範囲どころか、進学校での授業より先の内容を学び出しちゃったのよ」
「ええ……? あそこの子ってまだツカサと同い年だろ?」
「そのせいか◯◯さんの子、高校の授業一部を免除して欲しいとか、いっそ大学か専門に行かせてって言い始めてるみたいで……◯◯さんもどうすればいいか困っているみたい。出来れば子供の意思を尊重してあげたいけれど、高校を飛ばして大学や専門でやっていけるのかとか、就職の時高校に行かなかったことが懸念要素になるんじゃないかって」
「日本の社会はそこらへん、まず気にするからな。ツカサは塾通いじゃないし高校には行かせる予定だけれど、もしツカサにもそれだけの能力があるんなら、腐らせてしまうのは勿体無い気もするが……」
そこで扉越しに会話を盗み聞いていた私の幻影が近くを離れ、会話が終了する。
話が聞こえなくなったからこの続きで母が何を言ったのかは知らない。けれど、多分この時までに考えていたことが母の後の行動へ影響したのだろう。
この時期から母は、それまでよりももっと上の能力を私に示すよう求め出した。この時でも普通なら文句の付けられない点を各科目のテストで出していたけれど、それからは漢字検定とか学生の頃からでも取りやすい資格の勉強をやらされたり、空いている時間があればあれやこれやと勉強をするよう言い出したのである。
まだ中学生だった私は親への抵抗というものもあり、今までの伸び伸びとした勉強感覚に慣れていたこともあって楽しくはなかった。他の子がさっさと勉強を済ませて友達と遊んだりしている中、なんで自分はこんなことをしなければならないのかという不公平を感じずにいられず、不満を募らせた。
遊ぶ時間を奪ってまで色々なことを学ばされようとし、私が内心嫌がっていることを父は察していたようだが、母の行為を止めたりはしなかった。代わりに就職の時は出来るだけ行きたい方を尊重すると言い、教育方針には口を出さなかった。
(あの時のお母さんはきっと、自分の子だけが親同士の教育で一番遅れているのが嫌だったのかも)
マジックネイティブの子を持つ親は、自分の子がなんでも出来る天才だと勘違いする。今までそんなことが出来る子供が一握りの存在だけだったから、仕方ないのかもしれない。けれど実際は天才になったのではなく、それが普通になっただけだ。
普通に良い点を取っているだけで子供を利用した親同士の比較を受けても気にせずいられた。それがマジックネイティブという概念が認知され出したことで、逆にそれしか学ばせないダメな親に見られでもしたのか。
それだけのことが苦労なくやれるのなら、もっと色々なことが覚えられるのでは、吸収出来るのではと疑問が生まれ、そうした大人の期待に子供は振り回される。
私の子供は凄いのだと。
私の育て方は優れているのだと。
私の方が人間として上であるのだと。
いつからか私は自分の家にいるのが窮屈に思え、高校では出来るだけ親の干渉を受けたくないと寮で暮らせる場所を探し、そこへ進学することにした。
(決め手になったのは『一人暮らしが出来る寮があったから』だっけ)
厄介な親元から離れ、自分だけの時間を確保したいという思いが学校選びに強く影響した。加えて中学生の頃に魔法を使う職業に就きたいとも思うようになって、それが出来る学校を選びたがっていたのである。
2つ目の教室も探し終わり次の教室へ入ると、また現れた幻影がその続きを再現し出した。
「そこじゃないとダメなの? それに一人暮らしだなんて……」
「私は魔法士を目指しているの。この辺でそこよりも充実していて良いところなんてないでしょ。それにその学校は寮があるから、お母さんやお父さんが心配することなんてないよ」
「ない訳ないだろ。お前はまだ15歳なんだ。一人暮らしはいつかするだろうと思ったが、高校に入ると同時に? いくらなんでも早い。認められない」
一人暮らしをしたい私と、それに反対する両親。3つの幻影が言い争う。最初は私の姿の幻影も強く言い返していたが、大人2人の言いくるめにはいくらマジックネイティブでも経験の浅さから敵わない。この時の自分は、どう言い返しても納得させるに至らないと思ったはず。
だからか、幻影の私も最終手段に出た。
「いいもん。だったらお母さんとお父さんのことなんて知らない!」
「——ツカサ!?」
大した荷物も持たずに家を飛び出たのである。つまり家出。
急な行動に驚き戸惑った両親は、娘が家を出るのを阻止出来なかった。
(もう少し良いやり方は思いつかなかったかなあ、当時の私……)
今見てみるとあまりにも危ないというか、先の先まで考えていない行動に色々と言いたくなる部分もあるが、こうして昔の私は、行く当ても決めないまま家を出た。とりあえず電車に乗って2つ3つ隣の街まで向かうくらいである。当時の思考はうろ覚えだが、家に帰らないということ以外碌に考えていなかったと思われた。
現在の私がそう思っている側で、どこかの道端で途方に暮れている雰囲気の幻影が現れる。
『どうしよう……』
(ほら考えていない)
当時の私の思考まで聞こえてきて、思わず内心でツッコミを入れた。
昔の自分のことだがもっと頭を使って行動しろと言いたくなる。今よりずっと未熟な自身の行動は、見ていて恥ずかしく顔を覆いたくなる。
(ひょっとして、そういう精神攻撃をしてくる幻覚なの?)
『暗くなってきた……』
確か家出した時刻が夕方なので、電車に乗って移動する間に日も暮れてしまったのだろう。
11月くらいの出来事だったので気温も低く、寒かったはずだ。外用の防寒着を持っていく間もなく家を出てしまったので、身につけていたのは室内用の長袖長ズボンな普段着。外出時につけるやつより寒さに若干弱く、幻影の私も少し身震いしていた。
思い出すと、この時私は降りた駅近くの駅前通りにいたと思う。暫く同じ場所でボーっと立っていたが、遠くに見回りをしている警官が見えたことで一旦別の場所に離れ、またボーっとするを繰り返していたような気がする。
「ねえねえ、君誰か待っているの? この時間もう良い子は家にいるんだよ」
「え? えっと、あの……」
場面が進み、突っ立っていた私が知らない男性に絡まれるシーンが始まる。
自分よりもずっと背の高い大人の男に絡まれ、その私は明らかに困っている様子。
「今1人なの? 親御さんの姿は見えないけど、お友達とかと一緒に来てるの?」
「そ、それは……」
「ひょっとしていけないことでもしていたり? 実は親に内緒で遊びに来ているとか。うーん、なんでこんなところにいるの?」
「じゅ、塾に通っているんです。それで今帰……家族が迎えに来るのを待っていて」
塾で来ているとの理由を咄嗟に思いつき、幻影の私はそう答えた。
「ふーん、そう。でも勉強道具とかの荷物を持っているように見えないし、こんな中途半端な場所で迎えを待つ必要ないでしょ。塾の前で待っていればいいじゃん」
だがそれが嘘だと見抜かれてしまい、男の幻影に詰め寄られると、幻影の私は顔を背けて両腕で体の前を庇う。
「どうしようかなあ。警察に言って来てもらった方がいいかなあ……きっと勝手にいなくなったなら親御さんが探しているだろうし」
「っ……お願いします。どうか警察には」
「警察は嫌? でもここに居続けたら警察に見つかるよ。だったら俺と一緒に——」
その時、男の幻影の背後にもう1つ、人の形をした幻影が現れる。そして男の肩に手をポンと乗せる動作をすると、そっちの幻影が振り向く動きをした。
「その場合、お前が警察に捕まることになる」
「あん?」
「あ……」
思わず声が出る。幻影の私ではなく、本物の私の声が。
この時私を見知らぬ男性から助けてくれたその人は、魔法士を目指すきっかけになった人で、私にとって忘れようもない、命の恩人でもある人だったから。




