幻覚の隠れんぼ(3)
「被害範囲はほぼ日本全域に及ぶだろう。辛うじて被害が少なくなるのは東北地方、本州以外なら北海道に沖縄、本土から離れた諸島には直接的な影響は届かない。しかし大陸の方でも極大繁茂の発生する地域と、枯渇荒廃の発生する地域が現れる。その災害に前後して魔化による魔物の数が一気に増え、地球上でいうアジアから殆どの人が死に絶えるだろう」
アジアから。そうアーノルドは大言を吐いた。
スケールの大きな話である。常識的に考えるなら疑うべき内容だと思うけれど、相手はイグノーツの1人と名乗る者。どことなくその言動は嘘と断じきれない存在に感じられた。
「……理由は?」
「魔力嵐の通過したルートは覚えているか? アレはその原理上、地球を取り巻く魔力圧の影響を大いに受けている。もしアレが通れなかった場所というのがあれば、動きを変えるほどの魔力が既に存在しているということを意味する。つまり裏を返せば——そこには地表付近まで伸びる魔力の溜まり場があるのだよ。するとどうなると思う?」
魔力嵐は、地中奥深くで高圧環境にあった大量の魔力が地表まで出てきたもの。魔力をばら撒き攪拌しながら地表を動き回ったあと、ゆっくりと墜落して地中へ戻っていく。その性質から連想するに、魔力圧の高低差がある場所が進路に存在すれば、魔力圧の低い方へ流れていくのだろう。
魔力嵐の進路がああなった原因として、ルートに隣接する地域の魔力圧が高かったために入れなかったとするなら、魔力嵐が通らなかった場所は豊富な魔力で覆われているといっても言い。そして極大繁茂なる現象は、M系魔力の豊富な土地で発生しやすい……。ここに更に、魔力嵐自体が地中で成長した『魔力圧が変動しない領域』であり、魔法を自然発生させやすい性質を持っていることを考えると……。
……そういうことか。
「魔力が不安定化……通過地域を中心に極大繁茂などの災害規模の魔法が自然発生して、周囲に連鎖する。それで通過地域付近に壊滅的な被害が起こる?」
「良い答えだ。実際はここに魔化現象による魔物の大発生も加わるから、先程述べた地域も決して安全とは言えないが、では生き残る方法がないかといえばそうではない」
それら比較的マシな地域へ逃げる以外にも生き延びる方法はある、とアーノルドは告げる。思わず耳を疑った。
「助かる方法があるの!?」
「助けられる相手はごく一部に限られるがね。まず魔力を使えない者は助からない。更に魔力の扱いが未熟な者も実質無理だ。君のように魔力の扱いが既に一定の域に達しているものくらいだろう」
「……っ!?」
それではここにいる殆どの人は助からない。老人などが多くいて、若くても19歳。その年齢に該当するのは私とサヤだけ。他は全員年齢差があれど年上しかいない。なぜなのかと聞き返すと、アーノルドは答える。
「極大繁茂が本格的に発生すれば、日本中に存在する全ての植物が大きく変わる。君が前に校庭で殺されかけたああいう植物を思い出したまえ。あの時は一本だけだったが、今度はそれが無数に生えてくるのだ」
想像を絶する光景になるだろうとアーノルドは言う。どこか楽しげな表情で。
そんな彼に対して、傍にいるツェレンが眉間に皺を寄せて見ている。
「対抗するには対処出来るだけの魔法を使え、魔力操作も精密に出来る人のみに限定される。それ以外はハッキリ言って足手纏いかお荷物だろう」
「そんな言い方……あんまりじゃないですか!」
「ならばあと2週間以内に、魔力の操作技術を君と同じにまで育てられるかな? 極大繁茂の発生後の日常を生きるには、最低限君のレベルの技術が必要になるのだが。その域に達するまでにどれくらいの時間をかけたのかは知らないが、その学習能力はこちらではまだ特殊なものなのだろう?」
こちらの世界のことを知っているアーノルドは、マジックネイティブと呼ばれる世代の持つ学習能力を“まだ特殊なもの”と呼称し、私に言い聞かせるように語った。
(必要なのは、マジックネイティブに見られるその能力……)
子供の頃から魔法や魔力に触れてきた子供ほど、その学習能力は高い傾向にある。それは英才教育を受けたかのように、幼いうちから触れた人にほど見られる特徴だった。
どれほど凄かったかは前に国立魔法研究機関で聞いている。集めた子供が中学2年生になる年で平均的な高校3年の範囲までを学習し、テストに合格したと。その後全国の学力がグンと上昇したので、特別その子達だけが賢い訳ではなく、世代全体に見られるものだと判明したのだ。
逆にマジックネイティブとされる世代とは対照的に、それより上の人々は年を重ねているほど特殊な能力が弱くなるか、ない側にいた。世界において明確な魔力の観測は40年前まで遡るので、それより上の人は魔力というものをオカルトやフィクションでしか知らない。魔力を使って起きる現象、魔法については更に後のことである。生まれた時から魔法が側にあったというのは、私達の世代が始まり。
もし私達が学んできたことを教えようとして、マジックネイティブでない人達は2週間の間にどれだけ吸収出来るのだろう。自分自身でも感じている懸念から言い返すことに抵抗があった。でも、だから彼の言うことを受け入れるというのにも、抵抗があった。
「魔力の扱いは知識としてのみならず、感覚での学習も含まれる。どちらか一方が出来たとしても、もう一方が出来ないのでは役に立たない。加えて君のように魔力操作に慣れきった者の記憶力は、それ以前に生まれてきた者達よりも高いものだ。データベース代わりに記憶力が高いものを連れていかねばならないということもないだろう」
「そ、それでも……やらずに決めるだなんて。もし今生きている人が、2週間後には絶対に死ぬから諦めろって言われて、納得出来るはずがない」
もし私が逆の立場だったら、それに納得出来るとは到底思えない。しかしアーノルドはやれやれという具合に首を横に振ってこう答える。
「だったら2週間後まで魔法で眠らせ続けてやればいい。どの道助けられない命だ。見捨てることに苦しみを覚えるくらいなら、穏やかな最期を与えてやればいいだけだろう?」
あまりにもあっさりとした態度で、あまりにも思いやりというものが感じられない言い方。
彼が真顔で言い放った言葉に少しの間愕然としたあと、すぐに彼を睨みつけた。
「……どうしてそこまで酷いことが言えるの?」
「助からない命に死の瞬間の苦しみを味わせないようにという行為が、酷いことなのかね。それともとりあえず生きていれば良しなどという、中身のない答えが正解だと考える側なのか?」
アーノルドはつまらなさそうに受け答えをすると同時に、腕を組んで退屈を紛らわすかのように身体を動かし出す。
「簡単に割り切っていいものじゃないでしょ……人の命は。まして、貴方の言い方はぞんざいに扱っているようで、聞いていて気分が良くない」
「なるほど。所有者、君がなぜ酷いと思っていたのか今知ったが、この世において理想というものは芸術の1つに過ぎない。ゆえに忠告しておこう。芸術は芸術として鑑賞するに留めなさい。理想と現実を主従で現すなら、理想が『従』で現実が『主』だ。どちらの方が上かは、言わなくとも分かるだろう?」
理想を追い縋る者は遠からず現実に心を折られるか、寿命が尽きて敗れたままこの世を去る。愚かな理想には愚かな現実しか待っていない。壊れた世界がお望みでもなければ、理想は捨てることだ。
そう言いながらアーノルドは、屋上を歩く。その周囲には幻覚によって見える人影が何十人分も立っていた。
「私は愚かな理想の果てに滅び去ったものを沢山見ているが、所詮理想とは願望であり欲望だ。そして理想というものは、人という生き物が扱い切れるものではない」
「…………」
「捨てたまえ。身の丈に合わない価値観は身を滅ぼすだけだ」
最後に彼は諭すようにそう述べ、私の答えを待つように口を閉じる。
彼の言うことは、ある意味そうなのかもしれない。理想とは、往々にして自分の中だけでは完結せず、外にまで求めてしまうもの。自分の心の中だけで管理し切れていない時点で、決して人が扱い切れるものではない。多分そうだ。
まるでそれは、暴走した好意と似ている気がする。好きという気持ちが高じてストーカーへなるような、それを叶えるためになりふり構わなくなっていく。私は誰かに恋焦がれるほど好きになったことはないけれど、とある人に憧れたことはあった。あれは中学生の頃の……懐かしいことを思い出しちゃったな。
「——ごめんなさい。それでも私は、見捨てて行くことが出来ない」
「なるほど。では仮にだ、君の大切な人を助けに行かねばならない時、彼らを見捨てなくてはならないとする。どちらか一方を助ければどちらかが助からない。そうなったら君はどちらを取る?」
大切な人とは私の場合、弟やサヤのことになるだろうか。
その質問への答えは出せなかった。私は判断を迷ってしまった。
「答えに窮するか。本当は大切な人を助けに行きたいのに、見捨てることが出来なくて。その判断の結果として、君は大切な人を失うだろうな。それでもその価値観を持ち続ける価値はあるのか?」
「それは……」
意地悪な質問だと思う。けど、現実は時にそんな意地悪な二者択一を押し付けてくるかもしれない。アーノルドは現実を見ろって言っているだけで、もしそうなった時に選ぶことで後悔するかもしれないのは私だ。
彼と話していると、自分の中で曖昧にしていた事項に順位をつけざるを得なくなる。等しく大切であると思っていたはずのものに、明確な順番が決められる。それがなんだか辛くて、俯いていく。
「気付いているかな? 自分の心に蓄えた脂肪で、身動きが取れなくなっていることを。このままだと君は遠からず取り返しのつかないミスをするだろう。彼も多少は厳しく教えたのだろうが、生き延びるにはまだ足りないな…………ふむ」
考えるように腕を組んだアーノルドは、暫くして腕組みを解くと私を見下ろすように見てから、再度口を開いた。
「ツカサくん、君はこの場にいる者以外で、校舎内に来ている人がもう2人いるが、誰かは知っているかな」
「なんですか突然……片方は、私の知っているイグノーツさんで、もう片方は多分だけど、ケイスケさんじゃない?」
自分の目で見たわけではないので多分という推測になるが、そう答えた。
私の返事を聞いたアーノルドは、「なるほど、あれはケイスケか」と誰に向けるでもない言葉を呟いている。
「ツェレン、一応確認してもらえるかな? 私の視界を貸す」
「うん。…………ケイスケさんだよ」
「分かった。ではツカサくん、今からゲームをしよう」
ゲーム? この状況で何を……って、そういえばこの幻覚はアーノルドが生み出しているものだったか。しかもイグノーツとの隠れんぼに使っているらしいし。
正直こんな時にゲームなんて、しかもこの人相手にやりたい気分はサラサラないが、今も心を読んでいるなら引き受けないと断れないか、強引に始めてこっちを困らせようとしてきそう。引き受けるしかない。
「ゲームは人探しだ。この校舎内には現在、君の知り合いのケイスケという者がいる。ただし彼は意識を失っており、今はとある教室内で横になった状態である。幻覚の中にいるケイスケを探し出して、私の本体がいる場所に連れてくること。ただし条件として、探すのは君一人でだ」
「え……?」
「お姉ちゃんだけで!?」
端的にゲームの内容を説明されたあと、私とツェレンはほぼ同時に驚いた。
されどアーノルドはその反応をスルーして説明を続行した。
「勝利条件はケイスケと共に私の本体があるところへ来ることだ。屋上の私はダミーだからここへ戻ってきても意味はない。敗北条件は君が諦めることに設定する」
「……もし私が途中で諦めたらどうなるの?」
「その時は、君が諦めたのを後悔するようなことをケイスケにするだけだ。もしくは、彼の妹であるらしいサヤにかな」
楽し気に言うアーノルドに、思わず怒りを感じる。感情のままに視線をぶつけるが、彼はあのイグノーツのように動揺する素振りもなく話を続けていく。
「さて、どうする? ちなみにゲームに乗らず私自身へ逆らうという選択肢もあるが、ゲームに乗る選択肢よりオススメ出来ないとは予め言っておく。イグノーツ曰く、私はイグノーツの中でも人の心がない側らしくてね。今の君の抵抗なんて無価値に出来るだろう」
「……いいよ、やる。やればいいんでしょ。その代わり、勝ったら貴方に要求することがある」
「構わないとも。ゲームの勝者は報酬を得る権利がある。勝てたら望みを言いたまえ」
どの道、ここで承諾する以上にまともな選択肢はなさそうだと、仕方なく選ぶ以外にない。例えそれすら全然まともには思えない話でも、ケイスケさんやサヤに被害が及ぶくらいなら、こうした方がマシだ。
報酬についても取り付けた。忘れるなよアーノルドめ。
そうこうしてゲームをやる羽目になった私。隣を見ると、手を繋いでいるツェレンが私を心配するような目で見上げていた。
「お姉ちゃん、やめよう?」
「ツェレン……」
ツェレンと目の高さを合わせようと屈むと、ギュッと強い力で腰に抱きつかれる。
「アーノルドおじさんがあんなに楽しそうな顔しているの、悪い時ばっか。きっとお姉ちゃんに嫌な幻覚を見せてくる。行っちゃダメ」
必死で止めようとしているのが伝わってくる。
ありがとうツェレン。心配してくれて。
「私も本当は行きたくないよ」
「お姉ちゃん……」
「でも、サヤとケイスケさんは私の大切な知り合いなの」
こんなろくでなしのイグノーツのせいで何かあったら、私は私を許せない。
抱きつくツェレンの頭に手を添えたあと、そっと引き離す。そして不安な表情を隠せないでいる彼女に笑いかけると、ツェレンから完全に離れた。瞬間、私の目や耳はツェレンの姿と声を認識しなくなった。何もかもの感覚を彼に支配されているのだと実感する。
「では頑張ってきなさい。いつでもリタイア宣言は受け付けているよ」
愉快そうに笑って見送る彼の顔を見やったあと、私はすぐに階段を下りていく。
ゲームの開始であった。




