幻覚の隠れんぼ
影踏みも十分遊び、お互いにそろそろ別の遊びをしても良さそうに思われるだけの時間が経つ。
「ツェレンちゃん。影踏み以外にも、ツェレンちゃんの世界の遊びを紹介して欲しいな」
「いいよ。……ん?」
私の提案に頷き返した直後、ツェレンは窓の方へ振り返った。
「どうしたの?」
「今、この建物の中に誰か入ってきた」
「本当?」
私には全然分からなかったが、ツェレンは嘘を言っている様子ではない。窓辺にいた訳じゃないから北棟の入り口部分はここからだと死角になって、お互い見えないと思うのだが。
「男の人が2人。片方は私も知っているおじさんで、もう片方はお姉ちゃんと同じくらいの男の人、かな。体育館? の方から来たみたい」
入ってきた人は誰だったのか、まるで見ていたように答えていくツェレン。
その特徴で言うと来たのはイグノーツとケイスケさんか、男性スタッフの誰かになる。片方は多分ケイスケさんだろう。スタッフが私を探す理由なんて特にないし、大方サヤに頼まれたのか。イグノーツは前聞いた時にツェレンのことを知っていた様子だったので、ツェレンも知っていておかしくない相手。
「お姉ちゃんを探しているみたいだよ?」
「……私は迷子か何かなのかな?」
出掛けるなら出掛ける旨をちゃんと伝えるし、そうでなければ学外に出るような真似はしないつもりなのだけれど。イグノーツらしくないというか、この程度の距離で探しにくる必要も何もないだろうに。
どうせ魔法を使えばこっちがどこにいるかを把握することなんて簡単に出来る。まして心を読む魔法が使えるのだから、直接私にそれで聞けばいいのに。
(今になってプライバシー意識でも芽生えてきたのかな。それは別に構わないんだけど……)
ともあれ、探しに来たというのならば会いに行こう。
「一旦遊びはやめて、2人のところへ行こっか。ツェレンちゃん、私とイグノーツさん以外には見えないようにしておいてくれる?」
「うん、分かった」
ケイスケさんには悪いが、ツェレンのことは後々改めて説明しよう。この場で彼女の事情を伝えるには色々とすぐには飲み込みきれないような話が多すぎる。気持ちの整理がある程度付けられるようになってから、段取りを経て紹介するべきだ。
良い子にしているツェレンと手を繋ぎながら、私は校舎北棟の入り口まで下りていった。しかし、入り口の一階通路の場までやって来たものの、そこには誰もいない。閉じられている頑丈そうな入り口の扉だけ。
「あれ、すれ違ったのかな」
「…………」
校舎内ですれ違うとはあまり思えないが、違う階段を上り下りしている間に階ごとすれ違ってしまったのかもしれない。偶にだけど起こる話である。私は2人に会うために来た道を戻ろうとするが、手を繋いでいたツェレンが黙ったまま、グッと腕を引っ張って抵抗する。
「どうしたの?」
「お姉ちゃん、閉じ込められている」
「え?」
「この校舎、魔法かかっているよ」
ツェレンの唐突な言葉に理解が遅れる私だが、「そんなまさか……」と言いながら扉を開けようとドアノブを握ると、それが回せなかった。ドアノブが錆びついている訳ではない。今日入る時はちゃんと開けてきたし、その時は扉の寿命が来ているようには窺えなかった。
一歩下がって少し考える。扉が開かないならば窓から出れば良い。私は少し引き返し一階通路の窓を開けようとする。しかし窓が動かないよう固定するクレセント錠が、どんなに力を込めても全く回らない。流石に私も理解した。
(え、出られないじゃん……)
片っ端から窓を開けようと試みるが、全部同じ結果だった。ゴリ押しでは解決出来ないパターンか。
「お姉ちゃん、魔法を解除しないと。これって【結界系】だよ。それに【活性系】と【放射系】もある」
「え、3つも魔法が起きているの?」
「結界系で閉じ込めているみたい。残りの2つは多分……幻覚用」
活性系とは3族の魔法で、主にエネルギーの増大効果が見られる魔法。
放射系はそれに隣接する2族の魔法で、エネルギーの放出という効果が見られる。
ツェレンはその場で発動中の魔法を見抜いた上で、それが幻覚をもたらすのに使われていると説明した。
「幻覚……」
しかし、当の私には幻覚を見ているような自覚はない。視界は至って正常だし、見えちゃいけないものが見えている、変な声が聞こえるなんてこともない。首を傾げる私だが、その疑問を読み取ってか、ツェレンは答える。
「お姉ちゃんは私が魔法で守っているから、幻覚の効果が強く出ていないの。まずは魔法を解かないと。この魔法はあの人の……」
「あの人……?」
「ううん。とにかく、お姉ちゃんは私から離れないで」
何が何だか話が見えてこないが、ツェレンは私よりこの状況に詳しいみたいである。なので、みっともなく感じるものの私はツェレンのお願いに従うことに決めた。
*
ツカサがいる北棟の中。2階の廊下部分。
「駄目だ、校舎から出られるどの扉や窓も開かない」
一体何が起きているのだと、ケイスケが焦りを帯びた顔で伝える。一方、それを伝えられた隣のイグノーツは、冷静に状況を観察している様子。壁に手を触れたり、触れた手を開いたり閉じたりをして、やがて口を開く。
「どうやら、閉じ込められているようですね」
「閉じ込められているって……誰に?」
校舎内には自分達と恐らくツカサ以外には誰もいない。当然の疑問として、誰がそんなことをしたのかという問題が出てくる。
「ツカサさんではないのは確かです。恐らくは……あの人ですか」
イグノーツは彼の疑問に答えつつも、言葉尻に向かうにつれ声を小さくする。そのため、『あの人』以降の言葉をケイスケは聞き取れなかった。
「恐らく……なんだ?」
「——とりあえず、身の危険を直接害するようは意図はないかと。ここに私達を閉じ込めた相手は大方、“探しに来ている相手と探されている相手が同じ建物に入ったから迷わせて遊んでいる”だけでしょう。性格が悪そうですね」
「は、はあ……なんていうか、相手を知っているような言い方に聞こえるんだが」
「こういうことをする性格の人に心当たりがありましてね。まあ私は外国人なのでこんなところで会うとは思いませんし、考え方が似た別人でしょうが、その人がこの状況を生み出しているのは間違いないです。校舎から出るにしろ、ツカサさんを見つけるにせよ、その方の魔法を解く必要があります」
真実が見えているかのように答え、イグノーツは近くの教室へと入った。彼が何を言っているのかいまいち理解し切れていないケイスケであったが、事態に慣れている雰囲気のイグノーツを追いかけ、教室へと入る。
「あれ、椅子と机がない……」
その教室には本来あるはずの、生徒用の椅子に机が1つも見当たらない。戸惑う彼に対し、イグノーツは整然とした姿で室内をざっと見渡す。
「幻覚魔法でしょう。机と椅子は今もここにありますよ」
そう言った後、室内の隅の方へ『物を飛ばす魔法』をイグノーツは使った。何かが天井へとぶつかって、後ろの壁を叩いてから床へと戻ってくる。硬そうな物体が跳ね返る音。
「ケイスケさん。今のが見えましたか? もしくは聞こえましたか?」
「え、いや……なにも」
尋ねた質問にそう答えられる。
イグノーツは顎に手を当て考え出すと、結論を出した。
「五感にまで影響を及ぼす幻覚のようですね。対処法を知っていないと余裕で騙される…………直接危害を加える気はないという発言は、少々誤りだったかもしれない」
自らの発言に間違いが含まれていたと、謝罪の言葉を述べる。
「ケイスケさんは左腕を骨折していましたよね。今はもう治ったんでしたっけ」
「軽く動かす程度になら問題ないけれど……それがどうしたんだ?」
「自分の腕が今どこにあるか、把握していますか?」
妙な質問だと思うケイスケ。そんなもの分からないはずがないだろうという不思議そうな表情を浮かべ、
「どこって……」
そうして左腕の位置を見た時、ケイスケは目を見開いた。
彼の左腕は今、すぐ横の壁に手を当てている。
それは自身の認識から大きくズレた場所であった。
「どこにあると思っていましたか?」
「……普通に立っている時みたいに、ぶら下がっていると」
それまで、左腕の位置は体の横で自然な状態を維持していると思っていたのに。そんな目で語る。
自身の感覚が正常か分からない。
「幻も見せられたり変な声を聞くというのが定番のイメージですが……これはそれら幻覚魔法の中でも極めてタチの悪い、ほぼ全てを騙せる幻覚魔法でしょうね。視覚はもちろんのこと、聴覚から嗅覚に触覚、果ては痛覚など……己の肉体位置や動作感覚までも騙しにかかっている。知らない間に身体を捻りすぎて自分から怪我をすることも、痛みも感じずに怪我を蓄積することもありえる魔法です」
その言葉に、傍にいたケイスケが一層の驚きを示すが、説明内容が事実ならあらゆる動作が目に見えている通りか、感じている通りかを常に疑わなくてはならない。
ゆえにイグノーツは「驚いている場合ではありませんよ」とケイスケへ声をかけ、対処法を教える。
「自身の体表を自身の魔力で覆ってください。それで多少は幻覚の影響から抜け出せます」
「俺、魔法を使う練習はあまり……」
魔力を操る練習はしてきたが、魔法を発動させる練習はそこまでではないと伝えた。
これにはイグノーツも驚きを隠せないでいた。
「サヤさんからは相応に腕を扱いていると聞いていたのですが……仕方ありません。魔力制御で体内に侵入してくる魔法効果のある魔力を拒んでください。異物を追い出すイメージでやるといいでしょう」
やむを得ず魔力だけで魔法に対抗する方法を伝えるが、これでは十分な効果を得られないと彼は内心思う。事実、イグノーツから見たケイスケはもう立ち上がることも難しくなり始めており、防御効果は十分発揮されているようには到底見えない。
流石に判断を誤ったと思わざるを得なかったイグノーツ。普段は常に絶やすことのない微笑みがすっかり消え失せ、真面目な表情に切り替わっていた。
「平衡感覚まで惑わされてきたようですね。この分だと間もなく完全な空間識失調に陥る……相変わらず、彼のものは酷い効果に即効性がある」
イグノーツは魔法でケイスケを眠らせる。意識と見当違いの動きをすることが怪我をする一番の原因なので、意識を失わせることによって対処した。ケイスケを教室内の隅側へ安置したあと、イグノーツは廊下に出てから本を呼び出す。開くとメッセージが書かれてあった。
“小さなイグノーツが所有者と遊んでいるのを見ていたら、私も君と遊びたくなってね。ハイド・アンド・シークはどうかな? ついでに所有者も巻き込んでおいたので、気合いを入れて探して欲しい。身内贔屓なイグノーツへ、気分屋なイグノーツより”
「——やはりアーノルドさんですか」
読んだあと、すぐに消えた文章から目を離したイグノーツ。この状況を生み出した相手が誰だかを理解し歩み出す。
気分屋なイグノーツ……アーノルドの目的は隠れんぼであるらしい。
(あの方は少々苦手なんですが、相手にしない訳にはいきませんね)
苦手意識を感じながらも行くしかないと、彼は進む。有言実行をサヤに示そうとした手前、ここで引く選択肢はないのであった。




