破滅の推進者
時刻は昼過ぎ。
ツカサが初めて魔物と戦ってから数日後の、とある指定避難所である学校の体育館。そこはツカサの弟が両親と共に避難している場所であった。
「母さん、あとどれくらいここで過ごすの?」
「そんなの知らないわよ」
段ボールで仕切られたスペースの中、尋ねる弟に母親は素っ気なく答えた。続く避難生活によるストレスか、母親の気分は普段より良くないように見える。父親は別の場所で他の大人達と一緒に働いているのか、同じ場に姿はない。
「悪いけど今は構っている余裕がないの。話がしたいなら母さん以外の人としてちょうだい」
「……分かった」
会話は瞬く間に終了し、弟は体育館を離れて1階の渡り廊下に行く。廊下の上は左右から侵入する植物によって生い茂っており、一歩進むごとにガサガサと葉が当たって音を鳴らしていく。体を低くして、顔面部分を両腕で庇いながら校舎に入った。
「もう1階はダメか……」
呟く弟の視界には、小さな森と化した1階の廊下と教室が見える。壁も床も隙間なく大きな雑草に埋め尽くされた変わり果てた光景に、避難してきた当初の姿は残っていない。
ざっと一瞥してから弟は1階通路を駆け抜けていく。そして階段を上って2階にやってきた。2階は1階よりマシであるものの、既に壁や床の半分に侵食する植物が確認出来る状態。残っている机や椅子には植物が巻きついて、一部はもう動かせなくなっているようだ。
「ひっどいな」
避難してからまだ1ヶ月も経っていない。しかしその間にそこら辺の雑草や草花が凄まじいスピードで成長していき、今では大人の背すら超えているものも珍しくなくなった。あまりの成長速度に通路までたちまち侵入され出したので、一度大人達も雑草駆除を試みられたが、結果は雑草に負けてご覧の有り様である。
大人達が言うには非常に強い根の張りで抜くのに抵抗する上、草刈り鎌でも断ち切れない茎の強度に酷く苦戦したらしく、周囲の土を少しずつ除いて根を完全に露出させないと1本すら抜けなかったらしい。あまりの疲労対効果の悪さに人力だけでやるのは割に合わないと、除草剤も試されることになった。
だがそれがまるで効かなかったというのは、この景色を見れば分かるだろう。
「あ、ネッシーだー!」
弟が2階の教室の中で外を眺めていると、教室のドアの方から高い声が聞こえてきた。振り向くとまだ年端もいかない男の子が2人、内一方が指を差しながら嬉々としている。
「俺はネッシーじゃない」
自分のことを言われていると判断した弟は、冷静にそう言い返した。
「つうかこんなところになんで子供2人でいるんだ」
「高校生は大人なんですかー?」
「今隠れんぼしているの。ネッシー兄ちゃんもやらない?」
「やるわけないだろ。ていうか俺は十分大人だ」
子供と言えば厳密には彼もそうであるのだが、2人が小学生くらいの年であるのに対し、弟は15才の高校生であるため、生きてきた長さでは倍近い差がある。2人に比べればまだ大人と言えなくもないのだろう。
「あと兄ちゃんを付ければいいってもんじゃない」
「えー、ケチネッシー」
「そうだそうだ、ケチだぞ兄ちゃんネッシー」
「それだと俺が“兄ちゃん”って名前のネッシーになるだろ!?」
もしくはネッシー兄弟の兄側ということになる。おかしなワードに突っ込む弟に、男の子2人はキャッキャと楽しそうに騒ぐ。
随分前からの間柄のように親しげな様子の3人であるが、弟とこの子供達は知り合ってまだ間もない関係だ。子供達との馴れ初めは避難所に来て数日後の頃、親の目を掻い潜って校内に消えた時に始まる。
上手に隠れんぼしていた子供達に親や大人が苦労していた際、弟が手っ取り早く魔法を使って居場所を探し出したことで、魔法使いだと目をキラキラされた。以来弟は、避難者の中にいる一部の男の子から、謎の憧れや好奇心の対象になりつつあることを知っている。
「ほら、また親が心配しているかもしれないだろ。早く戻りな」
「えー……でもまだ学校の中に2人隠れたままだよ」
「このままじゃ僕らの負けになるー」
なんでだよ、と突っ込みたくなる弟だが、これは子供達のマイルール隠れんぼが理由だった。
子供達のしている隠れんぼのルールは、まず鬼を1人選んだあとに他が全員隠れる。そして鬼が校舎内に隠れている他の子を探す。鬼は隠れている子を見つけたら名前を言って見つけたことを宣言し、見つかった子は鬼に回る。あとはこれを隠れている子がゼロになるか時間まで隠れきるか。
1人でも見つけられなかった場合は鬼の負け。逆に全員が見つかったら鬼の勝ちになる。弟が魔法で探す羽目になった際も、同じルールで隠れんぼをやっていた。ため息をつきそうになる弟だが、自分を大人と言った手前かグッと堪えた。
「それなら俺が代わりに見つけておくから、先に戻っときなさい」
「またあの魔法使うの!? 僕見たいー探すとこと使ってるとこ見たいー」
「見せもんじゃないから早く帰れ。しっし」
ブーブーと膨れっ面になって抗議を示す子供2人。しかし弟が一歩も譲らない意思を態度で返すため、諦めて帰った。やれやれ、と誰もいないのを確認してからため息をつくと、弟は魔法を使う。
「大体本当は、物探しの魔法で人を探すのはいけないんだよ……」
弟が子供達を探す時に使った魔法は、ツカサやサヤも割と使っている物探しの魔法。効果は特定の探したいものを指定した範囲から探すものだと弟は知っている。
一聞して物を探すのに使えそうな魔法に聞こえるが、この魔法は人間や動物などの生き物も探せる。それゆえ日本では法律で人やペットに向けて使用するのは基本的にダメとされた。なにせ相手の視界に入らないところからストーカーが出来る訳だから。他にも住居内に人がいるかどうかの確認に使って留守を狙って侵入するという悪用手段も考えられる。
ゆえに使用に際しては特に禁止事項の多い魔法として教わった。
魔法を勉強していた弟はそれを理解していたため、この行為が法に照らし合わせると違法である可能性を知っている。もし今が非常時でなく平時であれば、どうなっていただろう。
「——3階の教室の中と、理科室の中か」
あっという間に校内に隠れる子供の居場所を把握出来ると、思う。もし自分が今よりずっと歪んだ人間に育っていたら、この魔法を何かに悪用していたのではないかと。
「昔は姉ちゃんを困らせたこともあったよな……」
今でこそまあまあ真面寄りの価値観や思考の出来る人間である自負を持つが、反抗期には姉であるツカサに酷く当たったことも何度かあったと、その頃の記憶を思い出す。懐かしいと同時に恥ずかしく、思い出の一部となりつつある昔のことだ。
心の中で浮かんでくる姉の顔。耳の奥から消えかけている姉の声。それを思い出すほど、弟の中で記憶は定着し、その顔や声にモザイクがかかっていく。
そうこう考えている内に、弟の顔は物憂げな表情になっていった。姉との再会を望みながらも、それが叶わないでいるために。
「なんか、疲れた……」
隠れていた子供を全員見つけて親のところへ帰るよう言った後。理科室の中で長い机に腰掛けた。寂しいせいなのか、自然と独り言も増えていく。
「姉ちゃん、無事かな……また会えるよね」
時折、嫌な想像が浮かぶ。
もしかしたら姉はもうこの世にいないのではないか。
この災害のどこかで、ひっそりと命を終えてしまったのではないかと。携帯に電波が届かなくなり、メールも電話も通じなくなった中、姉の無事を確認する方法は直接会う以外にない。
弟は不安だった。もし姉が既にこの世からいなくて、自分だけが生きているのだとしたらどうしようと。弟にとってツカサは家族の中で一番親しい相手であり、大切な家族として思っている。だからこそ、一番に無事かどうかを知りたかった。
加えて最近、街の中で大きな動物を見かけたという話を大人がしているのを聞いている。姉の性格上避難先でジッとしている気がしないと思う弟は、せっかく避難まで出来てもその後何らかのトラブルに巻き込まれていそうだと感じ、考えるほど不安になってしまう。
「あーもう! こんなことを考えていたって、何も変わんないのに!」
実際にそれを確認した訳でもないのに、勝手に悪い方向へ考えて勝手に気分を下げて何になる。そう思ってブルブルと頭を大きく横に振り、悩みを飛ばそうとした。
「ん……?」
その時、弟は自分の影に重なるように別の人の影があることに気付く。途端に背後から感じる人の気配に振り向くと、そこには確かに人がいた。
「——こんにちは」
それを見た弟が抱いた感想は、奇妙な格好をした年上の女性。
現代の日本人が着る服とは思えない、独特で伝統がありそうなデザイン。まるで漫画やアニメに見る中世西欧風の村娘のような、コスプレを連想するレベルの見た目と、それでいて日本人離れした顔に、非常に目立つ青い髪と翠の瞳。
「こ、こんにちは」
イラストから出てきたような綺麗な姿の人。それがいつの間にか自身の背後にいたということに弟は混乱しながら、冷静さを保つことに努めようと振る舞う。
「ふふ、ごめんなさい。いきなり後ろに立っていたから、驚かせてしまったかしら」
その様子を見て驚かしたと思った女性は、くすくすと上品な風に笑いながら弟に尋ねた。
「あ、いえ……大丈夫です」
「そう? なら良かったです。私はあまりこちらのルールに詳しくないものだから、挨拶がこれで良いのか少々不安だったもので」
「る、ルール……?」
こちらのルール、という言い方に妙な感じを覚える弟だが、聞き返されたことに気付いた女性が疑問に答える。
「申し遅れてしまいました。既にお気付きかもしれませんが、私はこの国の生まれではありません。名前をマリア・ジル・メルシクルと言います」
自らの胸元に手を添えながら、女性はそう告げる。そして一礼をした後に自らの紹介を行い、名前を名乗った。
名乗られたことで弟も慌てて自分の名前を名乗ろうとする。しかし、
「僅かな間になるでしょうが、良かったら覚えていてくださいね。ツカサさんの弟さん」
不意に自身のことをツカサの弟だと言われ、開きかけていた口が固まった。くすくすと笑うマリアという女性。
「……なんで俺のことを、それに姉ちゃんのことを知っているの?」
「当然知っていますよ。貴方のお姉さん、ツカサさんは現在の本の所有者ですもの」
「本……? ————まさか、あのよく分からない本か!?」
心当たりとしてツカサが持っていたあの一際謎の多い本を思い出した弟は、そう聞き返した。するとマリアは「はい」と頷く。
「なんで今その本のことが……いや、それより姉ちゃんの今を知っているの? 姉ちゃんは無事なの!?」
「安心してください。彼女はあの本の持ち主です。守護者である1人目に守られていますから、人類が滅びる途中だとしても最後まで無事でいられます。私達の邪魔をしなければ、という但し書きは付きますが」
落ち着かせるつもりでそう言っているのか、それとも落ち着きを失わせるつもりでそう言っているのか。マリアは自身の言葉の中に様々な情報を混ぜ込みつつ、弟へ語っていく。それを聞いている弟はただ心の平静を乱されかけ、取り乱す一歩手前のような精神を理性で抑える。
「“私達の邪魔?” 貴方は、マリアさんは何をしようと……?」
「平易な言葉で述べるならば、『ヒト族の滅亡』、『人類種の絶滅』。それをしたく思っております」
「は、はあ? 人類を滅ぼす?」
正気な人間の発言とは思えない言葉に、一層の混乱を来たす弟。頭の中で彼女に対し「ふざけている」、「冗談のつもり?」、「頭がおかしいのか?」と思い出す。するとマリアは口を開いた。
「冗談でもありませんし、頭がおかしくなっている訳でも、ふざけているなどでもありません。私がこの場に現れたのは、ここにいる人を1人残らず殺すためなのです。少しでも人類の滅亡へ近づけるために」
心を読むような返答に弟は鳥肌が立つ。マリアは本気でそう言っているのだと悟って、段々とぞわぞわしていく背筋。今目の前で話している相手は、明らかに普通ではない。
そして、マリアが今言った言葉。
「“ここにいる人を”って……まさか」
「ええ。貴方を含めたこの学校という施設にいる全員です」
質問に答えている間も、マリアは微笑みを欠かさない。そしてその発言も心の底からの本意であるかのように聞こえてくる。
彼女から滲み出る雰囲気が急激に変わる。初めは村娘のコスプレをした変な人にしか見えなかったはずなのに、今では途轍もない数の人命を奪ってきた殺戮者のようにしか見えなくなる。弟は恐怖に掻き立てられた。
「あ、あ……」
ゆっくりと歩いてくるマリアから逃げようとするが、なぜか体が動かない。脳からの命令を一切受け付けないかのように、首から下がそのままの無防備な姿勢で固まっていた。
マリアは袖の中に潜めていた包丁と思しき刃物を携える。動けない彼の目前まで来て、それで胸を刺そうと振り上げた。最後の挨拶としてマリアが弟に告げる。
「では、ご機嫌よう」
だが、その包丁が刺さることはなかった。
2人の間に割って入った何者かが彼女の刺突を防いだことで、包丁はマリアの手から離れ床へと転がる。
「なっ……!」
驚いて声を上げるマリアと、呆然としているツカサの弟。そこにいたのは、マリアと同じくらいかそれより少し年上と思われる外見をした男性で、弟の知らない人。
「張っていて正解だったな。お前のことだ、必ず所有者の肉親を殺しにくると思っていた」
「くっ、なぜ貴方がここに……あの子の側にいたのでは……」
「いい加減お前の動きも読めるようになったということだ」
そう言うと男は何処からか金棒を取り出し、それを片手で握って何の躊躇いもなくマリアへと振るう。いきなりのことに動揺が顔に出るマリアだが、すんでのところで仰け反って回避するとそのまま後ろへ飛び退き、男の方を見返す。
「ふざけた真似を……この世界の人類を滅ぼすのに、抵抗するおつもりですか?」
「俺はお前達と違って最初からそんなことを望んじゃいない。自分のいた世界だけならまだしも、他所の世界の人類まで滅ぼそうだなんて、いつまで繰り返すつもりだ、マリア」
男はマリアと知り合いであるかのように会話を交わしつつ、弟を守るような位置取りをし続ける。男が邪魔で弟を殺せないせいか、感情を露わにして言い返すマリア。
「貴方こそ何を考えておいでですか? この期に及んで人類を生かそうとするだなんて。悪魔の思惑にまんまとハマっているのではないのですか?」
「悪魔か神かだなんてどうでもいいことだ。お前はお前で、無知から生み出された偶像にいつまで囚われている」
言い合いを繰り返す2人であったが、やがて言葉での戦いは不利とみたマリアが、話の流れを変える。
「……仕方ありません。貴方に1対1で勝てる自信はありませんので、この場は私が退きましょうか」
「何処へ行くつもりだ?」
「何処へでも。少なくとも1年以内にはアジア一帯から人は消す予定ですし、そこから波及して他の地域に住む人間も絶滅させます。ここで数十人を殺し損ねた程度、別に問題でもありません」
マリアがそう言った直後、彼女の背中側にあった窓がいきなり割れた。マリアはさっと跳躍して割れた窓の縁に足を乗せると、弟の方へ振り返る。そしてよく透き通る声で再び名乗った。
「私はマリア・ジル・メルシクル。イグノーツ・ステラトスの1人として、必ずやこの世界の人類も滅ぼします。ではまたいつか会いましょう。ツカサさんの弟さん」
弟に向かって微笑んだ後、マリアは窓辺から跳躍した。そして一瞬で空の向こうへ消えていった。




