約束をする
勉強を教えて? 今そう仰いましたか?
ポカーンとなってその言葉が頭の中を何度もリピート確認。聞き間違いでないかのチェックをする。うん、間違いなく言った。言いました。
「どういうこと?」
その言葉の真意を尋ねる。
「だって、なんでもしてくれるんだろ? 俺は将来魔法士になりたいけど、魔法士になるのって色々大変なんでしょ。それで生活していくってなると尚のこと。だったら1級魔法士の姉ちゃんに教えてもらえれば近道が出来ると思って」
「な、なるほど」
言いたいことの筋は通っているのを確認した。自分は将来魔法士になりたい。けど魔法士になるのは大変。だったら既に魔法士になれている人に勉強を見て貰えばいいのではと、そういうことか弟よ。
だけどそれはこんな形でお願いしないと叶わないことかね? 私は別に弟のためならいつ教えても構わないつもりだったのだが。
「それで本当にいいの? もっとお願いしたいこととかは?」
「これでいいんだって。姉ちゃんは俺が何を言うと思ったのさ」
もっと普通に罰になりそうなやつを言われると思ってました。
「で、いつ教えてもらえる? 予定がつく日を聞きたいな」
「別にそっちが良ければ今からでもいいけど……」
なんだか照れてるような反応を見せる弟に、若干の戸惑いを感じている。私の理解が追いついていないのだろう。なんでだ? どうして何でもしていいって言ったら勉強教えてになるんだ? この子はそんなに勉強マニアだったっけ、分からん。
頭の中で解けない謎を抱えつつ、私と弟は勉強の準備をして机に向き合う。私はまだ疑問点に引っ張られ気味だが、弟はもうやる気になってる。仕方ない、これを考えるのは後日改めてにしよう。
「とりあえずだけど、魔法士を目指すにあたって進捗を確認するよ」
確か弟は今高校1年だから、学習範囲が変わっていなければ魔法は最低でも5級のやつまで進んでいる。進路を積極的に考えている生徒ならある程度目指す方向は絞っているだろう。
「今持っている資格は何級?」
「3級だよ。この前総合試験を受けて合格したんだ」
わお、我が弟は既にそこまで来たのか。3級って言うと魔法士としてやっていける最低ラインの資格検定だけど、2級や1級と比べると見劣り感が歪めない。どうせ目指すなら出来るところまで行こう。
でも高1の時点でそこまで行っているとは思ったより頑張っているな。
「じゃあ次は2級の内容をやっていく番だね。内容はちゃんと覚えてるわね」
「勿論だよ」
2級魔法士検定に合格するための条件は大まかにして以下のものがある。
(1).2級指定魔法までの習得が完了している。
(2).各魔法の成功率が95%、3級以下は98%を超えている。
(3).2級指定魔法の各種運用における基本事項、並びにそれに対する法規制の内容理解度が一定基準を満たしている。
まず1の項は受験するなら誰もが習得した状態で臨むだろうからほぼ除外。これに引っ掛かるやつはそもそも2級魔法士へ相応しくないと見做される。問題なのは2と3だ。2は一目瞭然な評価基準であり、実技試験中に使用を求められた魔法をこの成功率で通過すればオーケー、出来ないと不合格。
体力面で最も厳しいと言われる実技試験だが、より良い就職先とお給金が望みならこれが突破出来なければ難しい。私もキツかったけど頑張った思い出。あの時はなかなか辛かったよ。最低でも95%は厳しいと思われるかもしれないが、2級魔法には人体へ干渉するタイプのものが割合多く含まれているので、95%でも手緩い基準なんです。
だって考えてみてください。今時成功率95%ですよ? 人の体にかける魔法が5%の確率で失敗するって言っているんです。これが成功率90%だったら、ぞっとするでしょ?
さて、これだけ狭き門を抜けて頑張ってきた受験生達だが、ここまでのはせいぜい手加減混じりの接待問題だ。がむしゃらに学習を重ねていけば理論上誰でも出来てしまうこと。残っているのは試験の中の試験にして手抜き一切なしの3番。魔法士として本気でやっていくために倒さなくてはならない存在。今一度引用しよう。
“(3).2級指定魔法の各種運用における基本事項、並びにそれに対する法規制の内容理解度が一定基準を満たしている。”
色々と堅苦しい言葉が並べられているけれど、要するに2級魔法を使う上での注意事項と要注意事項、それにそれらの魔法が法律によってどう縛られているかを把握しているかのテストである。
先程も述べたように2級魔法には人体へ干渉するものが割合多い。人の命とは法で最も保護された存在だ。これに対し何の規制もなく「魔法で弄っていいよ!」なんて認められるか? ダメに決まってる。
ゆえに当然これらの魔法は法規制によってガッチガチに固められ、生半可な法律知識では間違った使い方をしてしまいがちになる。そうならないためにも、そちら側の知識を有していることを示さなくてはならない。判定は専門家と法律AIのダブルチェックだから、すごくキツい。
と、ここまで煽り立てておいてなんだが……。
「3級でやったこととあまり変わらないね」
弟の言う通り、これは3級の時点で既にやっているのだ。
だって3級の内容って文面的にはほぼ変わらないもん。
(1).3級指定魔法までの習得が完了している。
(2).各魔法の成功率が95%、4級以下は99%を超えている。
(3).3級指定魔法の各種運用における基本事項、並びにそれに対する法規制の内容理解度が一定基準を満たしている。
とまあこんな具合なので、3級が受かるんなら2級だって受からなくはないのだ。2級までは怠けなければ多分普通にいけると思われる。
1級はその格に違わぬ難しさだが、私の弟ならきっとそれも合格出来るだろう。
「じゃあ2級魔法の練習から始めていくよ。発動で分からないことあったらいつでも聞いてね」
「分かった、頼むよ姉ちゃん」
「うん。成功率95%以上目指して頑張ろー!」
私と弟の魔法士検定対策は、こうして初日を終えた。
自宅でのんびりと横になって過ごしていた日、暇潰しに眺めていた携帯端末の画面より、気になるニュースが飛び込んできた。その内容は近頃観測されるようになっている異常気象を取り上げたもの。
「洋上で謎の低気圧発生か……」
ずっと向こう側の海上で異常低気圧が発生したらしい。
私はよく知らないがこの低気圧、現象として低気圧っぽいから一応低気圧扱いされているが、気象情報から見られる前線位置・気圧・気温などの情報を合わせると「それは低気圧なのか?」と詳しい人ほど疑問を抱くようだ。専門家もこれといった理由を導き出せていないようだ。
奇妙なその低気圧は更に不思議なことに、偏西風に逆らうように真っ直ぐ西へ進んでいる。発生地に最も近い場所で暮らしている一般人も「なんでそっちへ進むんでしょうねえ」とインタビュアーに喋る動画があって、ネット上では様々な人の憶測や根拠不明の発言が飛び交っており、皆この現象に興味を抱いている。
「人為的に起こした魔法が原因、って言ってる人もいるなあ」
1級魔法士である私から言わせてもらえば、その可能性は現状最も低い。
そもそも魔法はまだ研究途上の現象であり、その利用は魔法具として日常生活へ浸透しているが、いずれもごく小規模かちょい小規模なものに留まっていて、中規模の魔法だと発動すら実現していない。
「あり得るとするなら自然に起こった場合だけど」
魔法とは、魔力を使って起こる現象の総称である。魔力を使う現象ならどんな効果・人の介入があったかなかったか関係なく魔法。私が読んでた小説にはそうでないものも含まれるが、現実ではそう定義されている。
もし自然発生した魔法なら、人類の科学力に左右されないものだから起こったとしておかしくない。が、人類が魔法を利用出来るようになるまで観測されていた魔法はいずれも小規模なものだ。
蛍のような光が宙を舞ったり、何年も使われてた椅子がいきなり新品同然になったり、誰かの声が聞こえるようになったり、など。
現在まで蓄積されているデータで、あれほどの現象を引き起こすような魔法はどこを見ても存在しない。これが魔法士から見た一般的な意見だ。私もそう考えている。
けれどなぜだろう、薄らと胸騒ぎを感じるのは。私はこの異常気象について全く知らないはずなのに、本に書いてあったあの内容を思い出してしょうがないのだ。
……ダメだ、寛いでいられる気持ちではなくなった。起き上がるとすぐにあの『異世界災害収集録』を本棚から取り、そのページから自分が求めている情報を探す。
「——あった」
“その発生には大気圧でなく魔力圧の影響を強く受け、高魔帯と低魔帯の衝突が発達を促す”。
今思い出したけど魔力圧という単語は私も聞いたことがあった。新魔法発見を目的とする国立魔法研究機関の発信情報で、その単語を見たことがある。忘れていたのは正直私にとって興味の薄いことだったせいだろう。
「もしもし、サヤ」
『どうしたの? こんな時間にかけてくるなんて珍しいわね』
私はサヤに電話で連絡を取った。今から確認したい情報が色々出てきそうだったからだ。
「サヤの知り合いに、魔法研究機関の知り合いか、その知り合いの知り合いっている?」
『いるけど……なに? コンタクト取りたいの?』
「ちょっとそこに勤めている人に聞きたいことがあって。出来るかな」
『出来るわよ。でもその前に何を知りたいのか聞かせてくれないかしら。その方が向こうにも用向きを伝えやすいの』
「魔法の安定・効果・再現と魔力へかける圧力の関係って内容のやつよ」
これは4年ほど前に発表された内容のもので、端的にいえば魔法の成功率とその効果には、使用する際に魔力へかかる圧力が関係しているという主旨のものだ。比較的新しめの記事だがそこには一部魔法士、特に新魔法発見がしたい人達にとって興味深い内容が書かれてある。
『ああ、その記事ね。丁度いいわ、私もそれについて聞きたいことがあって今度向かおうと思ってたのよ』
「向かうって、研究機関に?」
ええ、と電話の向こう側で肯定する声がする。
なんという偶然だろう。まさかサヤも同じことを知ろうとしていて丁度コンタクトを取っていたとは。
『良かったら貴方もくる?』
「行っていいの?」
『別に一人増えたって構いはしないわ。ツカサも1級魔法士だし、魔法に関する知識は十分あるでしょ。寧ろ一緒に来なさい』
行っていいどころか付いてこいとまで言われました。はい、私ツカサはサヤと一緒に今度魔法機関に行きます。いついつの日に行くかの確認だけをして電話を切ると、部長にその日だけ用事で休ませてもらいたい旨を伝えた。部長は快くオッケーしてくれた。本当に良い人。
さて、今出来ることは粗方終わったかな。
予定の日までは仕事と休日に弟の勉強手伝いをこなしますか。