初めての戦い
魔法士という言葉を聞いた時、一般的な人の想像するところではそれは『魔法使い』であり、ステレオなイメージ像であれば杖を持って摩訶不思議な力を操る者であろう。私が学生時代を通して見てきたアニメや小説、漫画などでは正にそれであった。
ある種完成された記号のようなその存在に、昔の私は憧れる。だけど成長するにつれ、実際になれる魔法士というのはそんな幻想的な存在ではないと知り、夢想の中の魔法使いには程遠く微妙なものだったと理解していくと、淡い夢は段々と薄れて消えていき失われていった。
そんな私が今、ファンタジーの魔法使いのように魔物なんてふざけた存在を相手に、命をかけているだなんて。昔の私に教えたら、信じられるだろうか。
「ツカサ!」
サヤが呼ぶ声と、魔物が走り出してきたのは同時のこと。
馬鹿正直に正面からまた突っ込んでくるようだ。避ければサヤは助からないが、それを分かっていても普通はあんな猛獣の突進、喰らいたくないと思うのが人である。足が竦んで動けないなんて訳でもなければ命可愛さに逃げるだろうし、対抗手段がなければそうする他ない。
「————!?」
2度も突進を素手で受け止められ、かつ相手を一歩も動かせなかったことに、魔物の目が動揺する。防がれたのは偶然とでも思っていたのだろう。今度は私の番だ。魔物に触れている手の部分から、自身の魔力を操作して魔物の体内にある魔力の分離を試みる。やはり強固に肉体と繋がっているらしく、それによって体の耐久性を強くしている。
自身の肉体へ干渉されていることを感じたのか、魔物は私の腕を振り払おうとしたり、勢いよく頭突きや前脚での蹴りを入れてくるが、私はそれを受けても全く痛くなどないし傷もつかない。
衝撃吸収の魔法。平たく説明してしまえば文字通りの効果がある魔法だが、その効果は詳細に語るなら、“相対速度の大きいエネルギーがぶつかった時、それを吸収する”。つまり、私の視点から見て高速で私に向かってくる物体ほど、この魔法の効果を受けて威力を失うということ。
イグノーツが言うには、この魔法の効果がある相手には速度のある攻撃が通じなくなる。加えて質量の差なども関係なく勢いがあればエネルギーを吸収してしまうので、飛んでくる物体がボールだろうと弾丸だろうと変わらない。
“砲弾で殴るよりも水をかけた方がまだ効く”。イグノーツ曰くそんな冗談が異世界であるくらい、この魔法は相対速度というものを条件に効果を発揮する。だからさっきから魔物がやっている突進や蹴りなんて、一番効かない類の攻撃なのだ。
魔物は攻撃が効いていないと理解してまた距離を取った。しかし困ったことに引く気はなさそう。
(…………引いてほしいんだけど)
さも無敵かのような魔法であるが、弱点もある。
相対速度が大きいほど効かないということは、相対速度が小さいほど素通ししてしまうということ。肉薄した状態から刃物を当てられてゆっくりと押し込まれれば普通に刺さるし、プレス機でじわじわと圧力をかけながら圧殺しようとすれば抵抗手段がない限り圧死する。
ゆえに私から見て魔物に取られたくない行動は、こちらが倒れた状態などで脚で踏まれ続けたり、噛みつかれた後にそのまま噛み千切られること。噛みつかれる時の威力は勢いがあれば衝撃として吸収出来るが、そのままやろうとすれば勢いのないただの剪断なので、衝撃吸収の魔法では防げない。
あくまで衝撃を相対速度から判定して吸収するだけ。そのことを肝に銘じて動かなければ、あっという間に私も死ぬだろう。今のところはまだこちらに通じる攻撃が何なのか分かっていない様子だが、それもいつ分かってしまうか定かでない。
一先ず、ここにいてはサヤを巻き込むことは確実。私は魔物の注意を完全に私へ向けさせるべく、前方に魔力を動かした。魔力を動かした先の宙には紺碧色の渦が発生し、魔物へ向けて一気に渦が伸びる。
魔物はそれに抗ったが、数秒も経たないうちに地面から脚が離れ、空中を流れる渦に巻き込まれて遠くへ行った。狙い通りに行ったことに安堵。
「今のも……魔法なの?」
「そうだよ」
私の魔法を後ろから見ていたサヤの疑問にそう答えると、宙を流されていった魔物の方を追いかけるべく、今度は自分をその魔法で向こうに飛ばした。
その際に空中で姿勢が乱れかけるが、なんとか立て直す。
「っとと……!」
人間は本来空を飛べるように出来ていないので、空中でバランスを崩すとまず立て直せない。だから最初は空でのバランス感覚が掴めるまでは簡単な軌道である跳躍にのみ絞って覚え、やり方を掴めてきたら空を飛ぶように。そうイグノーツに言われたのを思い出し、現実は思うように行かないなあと息を吐いた。
(雰囲気だけで良いから杖っぽい棒でも持って来れば良かったかなあ)
正直下らないことで後悔しつつ着地の衝撃を魔法で吸収すると、魔物も近くの草むらに落っこちる。これで周囲には、私と魔物以外に誰もいない。1対1の環境だ。
距離を取って様子見をしている魔物に対し、私は魔力を操作して次の魔法を仕掛けようとする。だがその瞬間、魔物がこちらに向かって突っ込んでくる。
(やばっ……!)
危ないと思って4族の切断系魔法を放つが、魔物はそれを大ジャンプで躱すや否や、私の背後に回り込んで噛み付いてこようとするので、反射的に横へ跳んだ。
(それをやられたら不味い!)
だけどそれで魔物は、この攻撃を避けられる=当たったら殺せると判断したらしく、走って近づくとほぼ必ず噛み付いてこようとするようになった。
私は足元に上向きに飛び出る渦を発動させて壁を作ろうとするが、なぜか突っ込んできた魔物の頭部に渦が当たる。そしてそのまま勢いよく後方へ吹っ飛んだ。お陰で連続噛みつき攻撃からは逃れられたが、足場の悪さにお互いが一歩で動ける距離を考えると、引き離すのも一苦労である。
(何とかなったけど、今の1回だけで学習したっていうの?)
元の鹿がこれほど賢かったのか、それとも魔化によって知能にも変化があったのかは不明であるが、これだと長引くほどこちらには不利。私が使える魔法は増えたが、殆どはまだ練習途中で成功率が高くないものの方が多数。確実な対抗手段だってまだない。
とりあえずまたあの渦の魔法で距離を——とした途端、魔物が避けるような行動を取った。
(な、なんで? まだ魔法は発動していないのに……)
ただの偶然? いや、そういえばさっきにも魔法を使おうとしたタイミングで急に動きが変わったはず。1回だけなら偶然かもしれないが、回数が重なるほど偶然である可能性は低くなる。
(発動前に魔法を見抜いている……?)
魔法を発動するのに詠唱や動作は必要ない。相手の動きから次の魔法を読み取る手段はないと思われる。ではこちらの行動を読んで、次に使おうとする魔法とそのタイミングを予測しているのだろうか。
即座に否定する。そんなことが成立するとするなら、あの魔物はそこらの人間より賢いということになってしまう。馬鹿げた話だ。もっと現実的に考えて、より明快で単純な理由で説明出来るもの……
「——魔力の動きが、見えている?」
辿り着いた結論に対し、私はただただ驚いた。
魔力とは肉眼で見ることの出来ない物質であり、それが見えるという前提で話をしたことなどない。だけど世の中には景色がモノクロに見える動物や、人が視認出来ない紫外線を見られる鳥類などがいて、人基準で測ろうとすると大きく認識を間違えることもある。
まさかと思いつつ、それくらいしかあの魔物が異常に賢い以外で説明が上手くいくものはない。
(魔力の動きが見えているなら、そこから発動しようとしている魔法も予測出来るの?)
半信半疑になる仮定だが、事実であれば私の動きは魔物に読まれている。それに対応しなければ不利は一層こちらに働くだろう。
私がどう対処すべきかを考え始めた時、魔物が声を上げた。
「ボオオオォォォォ……!」
動物の声とは思えない低く唸るようなそれと共に、魔物の体から肉と肉が裂ける音がし、徐々に図体が一回り大きくなる。更に頭部から枝分かれしながら伸びていく2つの角。
一体何が起こっているのか? 変質によってまた体が変化しているのは間違いないけど……流石にこれは危ない予感を覚えた私はこちらに近づかせまいと魔法を使う。無論、魔力を動かした段階で相手に悟られるものの、予備動作が分かるなら分かっても避けられないようにすればいい。
(——いけ!)
先程の紺碧の渦を起こす魔法を2つ発動し、横2列になるようにしてから横薙ぎに放つ。魔物は咄嗟に跳躍して跳び越えようとするが、ジャンプと同時に後列の渦を持ち上げて縦2列に軌道を変えた。すると魔物は持ち上がってきた渦にぶつかり回避に失敗。そのまま2つの渦に飲まれて遠くへ突き離される。
(ジャンプ力は既に見ているから対応は出来た。そして今のでまた分かったけど、魔力の動きを見るのに視覚的な制限がありそう)
2つ目の渦の存在や動きをキチンと捉えているなら、今の動きはあまりにも迂闊すぎる。
魔力を動かす更に向こうで魔力を動かした場合、それを見ることが出来ない、或いは見えにくい可能性に気付き、予想がより確実なものとなった。
何より魔法の向こうにあった魔法に対応出来ていなかったというのが、相手のそれが万能でないことを示す証左。
(私も情報アドバンテージを1つ失ったけど、これで多少は取り戻せたかな)
魔物は私がされたら困る行動の1つに気付いている。私は魔物が魔力を見ていることに気付いている。情報格差が少し埋まったことで不利な点が減った。しかし依然として気の抜けない状況。
まだ私自身見せていない手はあるものの、魔物だって出来ること全てを見せていないだろう。相手の手を出来るだけ見てから倒すか、手札を見せ切る前に畳みかけて倒すか考え、私は後者を選ぶ。一瞬でも油断したら命がなくなって終わりの戦い。
(不確定要素? とかいうのはあるけど、体力があって存分に動けるうちにやらないと、魔物の動きについていけない)
体力面で不安を感じた私は、悠長に情報収集している時間はないと判断する。
(とはいえ、どう倒したものやら……)
倒し方についてはイグノーツから聞いてある。それを実行に移せばいいのだが……サヤ達がシェルターの魔法で避難したかどうかが気になる。あれで退避してくれていないと最悪巻き込む可能性があるので、確認が取れないと牽制しか出来ない。
けれど確認のために目を離せば、魔物は間違いなく距離を詰めてくる。今は結構な距離が互いの間にあるが、こうしている間もじわじわと向こうが近づいているし、走り出せば5秒か4秒で至近まで近づかれそう。
そうして睨み合いながら次の手を考える私に、声が届いた。
『ツカサさん、生きておられますか?』
『い、イグノーツさん!?』
驚いて魔物から視線を外しそうになるが、なんとか正面に捉え続けた。
『こちらの方は暫く人が来ないようにしたので、連絡を入れました。そちらの状況はどうですか?』
『あ、えっと……今魔物をサヤ達から引き離して時間を稼いでいるよ。だけどここからだとサヤ達がシェルターの魔法で退避出来たかどうか見れなくて』
『分かりました、こちらで確認します。確認終わりました』
『早っ!?』
お願いとか急いでとか告げる前に確認が終わったため、適当に言っただけなのではと疑いたくなるレベルだが、どうせイグノーツのことだろう。
『ちゃんと確認しておりますよ。私が喋っている間に手を動かさない間抜けだと思われます?』
ですよねー。
心の中を読んでいる訳だから当然こう返事してくる。流石に私も慣れた。
『シェルターの魔法が発動している反応があります。付近に人の生命反応は見られません』
『ならもうやっていいの?』
『どうぞ遠慮なく』
そっか。ならばもう気にしなければならないのは私の怪我くらいだ。
『……イグノーツさんは、私1人であの魔物を倒せると思う?』
『それはツカサさんの行動次第です』
倒せるとも言えるし、倒せないとも言える。その言葉をそう受け取る私。
『もしもの時はサヤをお願い。それと、ごめんねって』
『遺言は受け付けておりませんので、言いたいことがあれば生きて本人に告げてください』
『もう……分かったよ』
——やることを頭の中で振り返ろう。もしこれが失敗すれば私は終わりだし、相手の動きで重要な部分の予想が外れたら、上手くいかない。
これで本当に大丈夫か。
これでちゃんと仕留められるのか。
大事に至る見落としはないか。
もっと良い方法はないか。
「……よし!」
私は魔法を発動する体勢に入る。使うのは渦を起こす魔法。
私の動かす魔力を見ただろう魔物も走り出した。やはり逃げるのではなく突っ込んできた。魔物は全力疾走してこちらへ迫るが、魔法の方が発動が早い。
(行けっ!)
私の前に現れた渦が正面の魔物目掛け伸びていくと、一旦横に走って回避した魔物。
(2本目があったらジャンプした後避けられないからね)
学習能力は見事。一度受けただけで対応してくるその凄さを、私は利用しよう。
1つ目の渦を対処して迫ってくる魔物に対し、私は予定通り2つ目の渦の魔法を発動する。
「————!?」
ただし自分に。
己に飛んでくると思った渦が来なかったばかりか、逆に私が空へ打ち上げられたのを驚きで見上げる魔物だが、すぐに驚愕から立ち直ると私の予想通り落下地点に待ち構える。そして渦の魔法が消え自由落下を始めた私を、噛み砕くつもりらしい。
(よし、かかった)
開かれている顎の中に落ちるまで2秒。魔物は私を真下から見上げたまま動かず。私が食べられる前に魔法を使って対処しなければ、結果は誰の目にも明らか。そしてこの状況こそ私が望んだものだった。
(——今っ!)
魔物の口内に落ちる寸前に魔力を動かした、と同時に魔物も私の体を両顎で挟む。噛み殺そうと勢いをつけたようだが、そのせいで衝撃吸収されており私へのダメージにはならない。
その間に移動した魔力が、腹の下と体内へ到着。そこから渦を発生し、内外から腹部へ攻撃した。死角から放たれた魔力と、死角へと放たれた魔法で完全に怯んだ魔物は口を開けて私を離すが、そのタイミングで魔法に干渉——魔力圧を下げ、その姿を変えている魔法を5族から4族に変えた。
巨大植物に比べれば、この魔物の強度なんて全然強くない。口の中から魔力を送り込んで体内で強度を低下からの急激な族変換、そして4族に見られる切断系の効果発動により、魔物は悲鳴を上げる。自身を構成する細胞1つ1つが銃弾に変わって体の中を穴だらけにされていくようなものだ。当然暴れる魔物だが、私は止めない。
魔物の体内から生まれ、周囲に飛び交う切断系の魔法。魔物の体を切り裂いて飛び出てなお威力は凄まじく、あの強靭な雑草どもを紙のように切断する。私自身もそれを受けたが、速度が速いために衝撃吸収の魔法で全て吸収された。
やがて致命傷となるまで自らの体を切り刻まれた魔物は、横にズシンと倒れて動かなくなる。
(た、倒したの……?)
魔物を倒したと実感出来たのは、それから1分以上過ぎてのことだった。




