覚悟
「あの鹿、どこで魔物に変わったのでしょう。周辺に『疫病帯』が発生したのなら遠くからでも確認出来るのですが、その存在も見つからない。となると……単体で魔化したのでしょうか」
枠の中の映像を見て思考を巡らせているイグノーツ。気になることでも、それとも調べたいことでもあるのか、映像を自分の手元にも出すとピントやアングルを弄り、サヤ達を追いかけている鹿の隅々まで観察していく。
「変質によって肉体の大きさだけでなく強度も上昇している様ですが、どれほど硬くなっているか次第だと、狩猟用の道具では捕獲どころか身を守れない可能性も出てきますね。こちらの世界の魔法でまともに対抗出来るものがないなら、狩るどころか狩られますよ」
「——助けに行かないと!」
イグノーツの言葉にハッとなる。彼の推測が当たっているならサヤ達ではアレに対処することは出来ない。サヤ達が持って行ったのはあくまで普通の獣を狩れそうな鈍器や刃物を括り付けた長い棒、それに小動物などを捕まえられそうな網くらい。魔法だって、あんな怪物を相手にするようなものなんて覚えていないんだ。到底あの人間よりずっと大きい獣を仕留めることも、止めることも出来そうにない。
私は急いで今いる白い空間から外へ出ていこうとするが、サヤがいる場所がここからどのくらい離れているのか、それを思い出す。
「走って行っても間に合いませんよ。サヤさん達がいる方へは歩きで数時間の距離。多少速度を速めたくらいでは、辿り着いた頃にはもう手遅れになっている可能性が高いです」
「だけどここでジッといていたら……!」
それをイグノーツからも指摘され、しかし助けに行くことを諦めたくもない私はそう言い返そうとした。
「落ち着いてくださいツカサさん。何も助ける方法がないと言っている訳ではありませんよ。私であれば、あそこへ数分と掛からずに送ることが出来ます」
「え……?」
「私の魔法を使えばいいのです。ツカサさんは私がデパートで使用した魔法を覚えていますでしょうか」
イグノーツがどうやってサヤ達のところまで私を送るのかを説明した。
まずここから外に出て屋上など障害物などの少ない場所へ上がった後、サヤ達のいる方角を求め、そっちへ向けて私を『物を飛ばす魔法』で高速で吹き飛ばす。この時、衝撃に耐えるために私の体には肉体の強度を上げるような魔法をかけておく。
吹き飛ばされた私は落下して地面に衝突する直前に魔法を使って衝撃を吸収。そのまま着地したら魔物の注意を自分に引きつけながら魔物を討伐する、という作戦であった。私がイグノーツから教わった魔法とイグノーツの協力によって成立出来る方法である。
説明を聞いた私は、確かに走るよりもずっと早くサヤのところへ迎えるというのは理解する。
「どうですか? 落ち着きましたか?」
「……屋上に行きながら話そう。色々詰めておきたいから」
「分かりました。では起きましょうか。それと、このことは他の人に伝えますか?」
「正直、色々と説明しないといけないことが多いし不安にさせるだけかもしれない。今はまだやめておいた方がいいと思う」
「彼らがこの情報を知ったところでどうしようも有りませんし、妥当な判断ですね」
その後、私は白い空間から戻って目覚めるとバッグからある物を取り出した後、すぐに近くで待っていたイグノーツと一緒に、出来るだけ周りには急いでいることを気取られないよう動く。入り口のところでどこに行くのかとスタッフに問われたので、ちょっと屋上で風に当たってくるとだけ伝えておく。
「今のは正直に伝えても良かったのですか?」
普通に教えてしまったことに問題はないのかとイグノーツが確認してくる。
「どうせ学校から出ないんなら探せばすぐに見つかるから。一応サヤが出かけている間は私が学校に残っていることになっているし。それに下手に誤魔化してもバレると思う」
「上手に誤魔化せないのならいっそ本当のことを言う……もう少しマシな言い訳もあった気もしますが、時間がありませんね」
私とイグノーツはそんな風に会話を交わしながら、お互いに必要な話を進めていく。私からはあの魔物になった鹿への具体的な対処法を。イグノーツからは私に教えた異世界の魔法の発動成功率を。特に衝撃を吸収する魔法と、魔物を傷つけることが可能な魔法の2種類について特に確認され、それらは今回重要になるため、精神的な動揺に注意するように、とまで言われた。
「——出来るのかな、私に」
助けたいという気持ちは強くあるが、それでも合理的に考えて、未知の存在を相手に自分が向かうことへの懸念がない訳ではない。魔物なんて、フィクションの中でしか見たことがない。実際に戦えるかどうか分からなくて、不安を感じる。
むしろ合理性やサヤ達を救出するという目的を重視するのなら、イグノーツに行かせた方が確実だと心の中で告げる声もあった。
「やろうともしなかった者に、出来るものはいません」
そんな不安を知ってか知らずか、イグノーツは優しい声で私に喋る。
「魔化現象は災害です。一度起きれば二度と起きないようなものではなく、条件さえ揃えばいつどこででも起こります。ここでやるかやらないかは、今取り組むか未来に先送りするかの違いでしかない。もし同じような場面に将来出くわした時、もし私が今ここにいなかったら、貴方は諦めるのですか?」
……諦めるわけない。そうだ、諦められない。
例えそれが起きる時が今でなく、1週間後や1ヶ月後、それこそ1週間は前だとしても。もしそれを知った時、助けたいと思うはずだ。彼の言葉にハッとするような気持ちにさせられた私が真っ直ぐにその顔を捉えて、
「……いいえ」
そう答えた時、イグノーツは微笑んだ。
「今のツカサさんには私が直に教えた魔法があります。それらを駆使すれば、魔物を退けることも狩ることも可能ですよ」
「でも私、まだ実質1日分しか練習していないけれど……」
「ならば時間を稼いでください。ツカサさんが稼いだ時間が多ければ多いほど、こちらが打てる手も増えます」
そうこう話している内に、学校の屋上までやってくる。イグノーツは屋上に出た直後から凡その方向を求め終わると、魔力で床に1人くらいが中に収まりそうな魔法紋を描き始めた。
「すごい……」
魔法紋を作っているところを生で見るのは初めてだった私だが、イグノーツの魔法紋を描くスピードはとても早く、精密で複雑な紋様をしたものでありながら数秒とかからずに描き終えてしまう。傍目には手指を動かした様子なども見られず、人の業とは思えなかった。
「こういう時、魔法具を作っていた頃の経験が活きますね」
「どうやって描けばそんなに早く……」
「平らな床に描くならば、指先に魔力を集中して描くよりも、瞳を映写機のようにして描写する方が早い。ただそれだけですよ。準備が整いましたので、ツカサさんは円の中に」
イグノーツが地面に描いた魔法紋の効果は、発射方向を補正する効果を持つものらしい。この内側に入った状態で効果を受けながらやると、受けるエネルギーの方向を変化させられるのだとか。
簡単に言うと砲身のような機能を果たすらしい。これならば飛ばす方向や角度のブレなども抑えられ、落下地点からそう誤差のない場所へ飛ばすことが出来ると、イグノーツは説明する。
私は円の中に入るよう促されたが、多分この中に入れば、サヤ達のところへ行くための最終準備が完了してしまう。その前に聞いておく。
「イグノーツさんは後から来るの?」
魔物の相手なんて初めてだし、対処法も今聞いたばかり。全く事前情報がないでいるよるはマシだが、やはり不安は拭えない。もしイグノーツも来てくれるのあれば、頼りたい気持ちはある。だがイグノーツは私の質問に対し黙って首を横に振ると、その訳を説明する。
「一応、ツカサさんがいなくなっていることを誤魔化せるようにこちらへ残ります。いつ何が理由でツカサさんがいなくなったことが伝わるか分かりませんので」
「………………」
一緒には来れないと知って、少しの間だけ気分が重くなる私だったが、さっきの言葉を思い出し己を奮い立たせる。
イグノーツさんだって、本当は自分が行った方が確実であるときっと分かっている。もしサヤを助けるために少しでも可能性がある方法を選ぶつもりなら、私を向かわせる必要なんてない。助けに行ってきますとでも言って、さっさと行けばいいのだから。そうせずにしているのは、私の意思を尊重してくれているからだろう。
ならここでかけるべき言葉は、彼が一緒じゃないことを不安がる様なものじゃない。
「必ずサヤを助けてくるから、それまでの間お願いします」
私がそう力強く返事をした直後、イグノーツは「承りました」と答えた。そうして円の中に踏み入れると、体を包むように力が働き、それが一定方向へと流れていくのを感じ取る。
「肉体の強化を魔法で施した後、カウントを開始します」
物を飛ばす魔法、その衝撃に耐えられるよう予め体が強化されていく。しかし体感としてはよく分からない。本当に掛かっているのだろうか、と実感出来ない効果にイグノーツの方を見たら、ニコッと微笑み返された。
まあ、そんな心配を今してもどうしようもないか。イグノーツの魔法だから大丈夫だろうと考えることにする。
「——肉体の強化と再生の完了。次いで周囲へ防音効果の6族魔法、発動完了しました。カウントを開始」
簡易ギプスを外し、サヤがいる方の地平線を見据え衝撃に備える。イグノーツのカウントは5から始まり、4を通過する。
「3…………2…………1…………ゼロ」
刹那、轟音が響いて私は空へと打ち出された。まるで魔法使いが空を飛ぶように、まるで砲弾のように街の上を滑空する。
全身に浴びられる大気の壁。目を開けるのも困難、息が出来ないと思えるほどの風の中で、けれど私は目をしっかり開き、息を吸って吐くことが出来ている。あれだけの急加速を受けながら、血が下半身の方へ引いていくような感覚もなく、頭にしっかりと血液が巡っているのを感じながら。それらは全てイグノーツの掛けた魔法によるもの。
「速い……!」
眼下に広がる緑に覆われた街が凄まじい勢いで通り過ぎていくのを見て、この速度であれば、サヤ達がいるところへもすぐに辿り着けると確信を抱く。
……サヤ。
何度も私を助けてくれたサヤ。私にとって一番の友達であるサヤ。そんなサヤのことが大切だから、こんなところでそれを終わりになんてしたくない。だから助けにいくよ。
“——ツカサをこれ以上、危険な目に遭わせたくないの”
そう言っていたサヤは、望んでいないかもしれないけれど。でも……私だって、サヤに助けられてばかりなのは友達として嫌なんだ。だから助けに行くよ。
「……見えた!」
魔物のいるところを視界に捉える。
本当に数分もかからず、この距離を移動してしまうとは。朝から歩き続けていた人の場所まで1分かそこらだなんて、笑っちゃうよね。イグノーツがいると地道な行動をしているのが馬鹿みたいに思えてしまうから困る。
だけど今はその彼に感謝しないといけない。彼がいたお陰でサヤを守ることが出来るんだから。私はそう心の中で整理をつけると、着地の瞬間に備えて魔法を使った。




