『魔化』
朝に出発したサヤ達が学校から北へ4時間ほど歩き続け、かつて田園地帯であった草原地帯の中を進んでいる。人がいなくなってから半世紀どころか、一世紀以上が経過していそうな草木の伸び具合。その背丈は学校内に生えていた雑草とは比べ物にならない。
低くても腰の辺りまで届き、高いものなら比喩表現でなく肩まで並ぶような状態だ。当然足元の視界は見通しが悪く、どこが農道でありどこが田んぼだったのかなど見分けも付かない。時折一緒に歩いている人が足場の認識を間違え転げそうになっている。
「当たり前だけど、植えていた作物は嵐が来る前に収穫されているわね」
数週間前までは米が等間隔に生え揃っていて、今では雑草が我が物顔で生えている田んぼの跡。嵐が来て全部がダメになる前に農家の人が収穫してしまったため、そこにはもう米はない。本来なら稔った黄金色の稲穂が見える季節であった。
もしここに実をつけた米が一つでも残っていれば、どうなっていたのか。サヤは消えてしまった可能性に対し一瞬だけ思いを馳せたのか、儚げな顔を見せる。
「米があればここらの草みたいに大きくなっていたのかなあ……」
サヤの隣でそんなボヤきが聞こえてくる。
これほど植物全体で大きくなる傾向の現象であれば、米もまたその影響を受けて大きくなったのではと考えるのは不思議ではない。
「サヤさん、この辺りにはいそうかい?」
「……いいえ。まだいなさそう」
「そうか」
傍を歩くロクトの質問に、首を横に振って答えるサヤ。
これだけ草原化が進んでいるであれば山にいる動物も下りてきているのではと、定期的に物探しの魔法で獲物の探索をしているが、未だ引っかかる気配は見られない。
「鹿でも森から下りてきていれば楽が出来ると思ったんだが、そう甘くはないか」
「野生動物は警戒心が基本強いから、少し前まで人が住んでいた場所へ近づく個体はいないのかもね。とはいえ1体くらいは食害を起こして、人の住む場所に慣れていそうな個体もいそうなものだけれど」
ここからだと流石に山が遠いため、やってきてはいないのだろう。そう考えるサヤは、もっと山林に近いところであれば警戒心の薄い個体もいるのではと思考する。
サヤは現在の時刻を腕時計を持っている人に確認してもらうと、更に先へ進むことを選択し、3キロほど全員で歩いた。それでも山までは依然として距離がある。出来ればもっと先へ行きたいと思うサヤ。だが、それは出来ない。
「これ以上は日没までに帰れるか分からないぞ」
ロクトが警告する。現時刻は既に昼になろうとしていた。ここからは空に昇った太陽が落ちる一方。朝から出発して行きだけでこの時間となれば、帰りも同じくらいの時間を要することは簡単に想像出来る。
夜中になれば辺りはもう真っ暗だ。電気が送られなくなって久しい今、夜を最も照らすのは月明かりだけ。もしも学校の近くに来るまでに日が暮れて帰るべき方向が不明になれば、下手に動けなくなってしまう。
「平地で迷子になるだなんて笑えないわね……」
少し前までなら迷う心配なんてなく、夜中に遭遇する可能性のある不審者などを警戒する話だったが、今では不審者どころか学校の外で人すら滅多に見かけない。逆に大人でありながら迷子になることを懸念するという事態だ。
流石にもう引き返すべきかとサヤも判断する……が、その前に最後の1回、物探しの魔法で動物が範囲内にいないか探しておく。これで何も引っ掛からなければ、そのまま全員で帰るつもりで。
見つかる可能性なんて大してないだろう。これは引き返す前に諦めるための、最後の決めてとして使うだけ。そういうつもりでサヤは周りに魔法を使うことを伝えてから、発動する。
周りの人も半ば仕方ないと徒労感に見舞われながら、日が暮れる前に戻れないよりは良いだろうと受け入れ、その場にいる全員が既に見つからないことを前提に思考を進め出した時。
「…………左斜め前方200メートル以上先。鹿がいるわ」
獲物を発見したというサヤの言葉を耳にして、一時沈黙に包まれた。
「サヤさん、今なんて言った?」
「魔法で探したら鹿がいたって言ったの」
聞き返されたのでそう答えるサヤ。ここに来て帰るかとなった直後での動物発見の報告に、現実感を失ったように立ち惚ける周り。
「ロクトさん、私と一緒に確認に来てくれる?」
「あ、ああ」
「他の人は一応待機。その場を動かないでいて」
すっかり帰る気でいたため感情の処理が渋滞しているようだとサヤは察し、すぐに動けそうなロクトだけを指名して探知した方向へ向かう。
「どうして他の人を置いていったんだ? 狩るなら一緒についてきてもらうべきだろ」
もし鹿を本当に見つけたのなら、わざわざ置いていく必要はない。そう考えるロクトは草を掻き分けて進みながら、サヤの方へ振り返って聞く。
「変だったからよ」
「変? いやあれは帰るつもりでいたら動物が見つかって気持ちの行き場がなくなってただけだと……」
「そっちじゃない。見つけた動物の方よ」
「動物の方? 鹿がか?」
話の流れが違うことに気付いたロクトが確認すると、サヤは「ええ」と進みながら肯定する。
「物探しの魔法は頭の中でイメージした物を決めた範囲内から探す効果の魔法なんだけど、その時にざっと位置が分かる他に、凡その形状とかも見えるの」
「それでさっき妙に具体的な距離を言ったんだな。姿形まで分かるなんて便利なもんだ。でもそれが今の話とどう繋がる?」
会話の流れを追っていくと、サヤが変といったのは『鹿の姿』のこと。何がどう変だったのかロクトには伝わってこない。サヤも自身の説明不足を理解しているようだったが、
「見れば分かるわ」
そう言って、鹿が見える位置にまでやってきた。鹿のいる場所は堤防であった部分を乗り越えた先にある、幅の大きな川の中。サヤ達が進んでいた道からは隠れて見えないところにいた。
2人は草を掻き分け川を見下ろせる位置に来ると、鹿に気付かれないよう探す。そしてそれはすぐに見つかる。何故ならそれは、遠近感が狂って見えるほどに大きな図体を持つ褐色の鹿だったから。
「お、大きい……!?」
「ニホンジカ? いえ、でもあんな大きさにまで普通育たない……」
日本に生息する鹿はニホンジカという種の鹿であるが、その体長は約1.2メートル。しかし目の前にいる個体はそれより5〜6倍は大きな体をしており、それを支えるための脚もニホンジカのものよりずっと太く、一歩前に動くだけで川底に蹄の跡を残し、その凹んだ面積は人間の足跡より二回りは大きい。まるで怪物のような威容を放っているようにも見えた。
ロクトは気付かれないよう声量を押さえながら驚き、横で鹿を見ているサヤも鹿の大きさに顔が固まりそうなほどの動揺を示す。
あれがニホンジカではなく外来種の鹿の可能性を考えるサヤ。しかし地球上で最も大きい鹿でさえ、目の前にいるものほど大きくはなれはない。あの体格に比肩するような地上の生き物がいるとすれば、それは恐竜だけだ。それを考慮に入れても、そんなものが日本にいる理由を説明出来ない。あり得ないとサヤの中の知識が語っている。
だが同時に彼女の知識には、この状況を説明出来るかもしれないものもまたあった。
「まさか……っ!?」
それにサヤが気付いた時、川の中にいた鹿がサヤ達の方を向き、その存在に気付いた。黒曜石を連想する黒い瞳とサヤの目が合った途端、大きな鹿は堤防を駆け上がって2人のいる方へ迫りくる。
身の毛がよだつような感覚を受けた2人は、本能的にその場から走って離れる。するとそこ目掛けて突進してきた鹿の蹴りによって先程までいた場所から盛大に土が巻き上げられた。
「な、なんだアイツ!? い、今の行動……襲ってきたのか!? 鹿が!?」
「それ以外にあんな行動をする理由があるの!? 走って逃げて!!」
もしあの場に残っていればどうなっていたか、想像するまでもない。
逃げながら鹿の行動を見たサヤは、あれが明らかにこちらを攻撃する意思を持っていると察し、大声を出してロクトと共に逃げ出し、2人の位置を再捕捉した鹿の方もまた、そちらへ目掛けて駆け始めた。
*
「な、なにあれ……?」
イグノーツと共に今までサヤの行動を見守っていた私は、鹿の発見からの一連の流れも見ていた。しかし、あまりにも信じられないことが連続して起きているせいで、頭の混乱が収まらない。
あの大きな鹿はなに? あれはなんであんなところにいるの? どうして目を見た瞬間に襲いかかってきた?
「——【魔化】ですね」
それに答えを教えてくれたのは、イグノーツだった。
「ま、まか?」
「魔物に変じる現象のことです。ゆえに『魔と化す』……と書いて魔化。私の知る世界ではごくありふれた魔力現象にして災害の一種でした」
イグノーツがそう言ったあと、私の手元に浮かぶ本に詳しい情報が浮かんでくる。
【災害名:魔化】
M系魔力を媒介として発生する帯状自然発生魔法『疫病帯』に触れた生物から主に発生する災害。5族を代表する変質系魔法の一種でもある。体内に存在するO系魔力が『疫病帯』を構成するM系魔力に触れる、『疫病帯』を構成するM系魔力をO系魔力として大量に取り込むことで発症。発生猶予は取り込んでしまった量、または触れた量によって変わり、長ければ48時間後、短ければ10分で魔物へ変化する。魔化した生物は共通して姿形に変化が現れたあと凶暴化し、見かけた生物に対し種族の違いなど関係なく攻撃行動を取る。
予防法:
疫病帯に近づかないこと。体内O系魔力の制御強化と『疫病帯』から魔力を吸収しないこと。O系魔力の欠乏を避けること。
治療法:
発症前であれば問題のO系魔力を体外へ放出することで治療が可能。吸い込みすぎた場合は疫病状態にないO系魔力を補充しながら放出すること。
発症後の治療法は現段階では存在せず、魔物へ変化した生物を元の生物へ戻す魔法は見つかっていない。ゆえに発症後は魔化した魔物の凶暴性を考慮すると、討伐することが最も有効で被害の出ない対処法であると各世界で見解が共通している。
「つまり、あれは日本在来の鹿が『疫病帯』に触れたことで魔化した結果である可能性が高いです」
「……対処法は?」
「そこに書かれてある通りですよ」
あの凶暴で大きい鹿を殺さない限り止められないという意味で、イグノーツはニッコリ答えた。




