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昼過ぎの校舎内

「私と初めて会ったあそこで、小さな女の子を見た……ですか。その相手は本当に少女だったのですね?」


 私は『少女と出会った時の状況から消えた直後まで』のことを説明する。

 言ったことを聞き終えてそう自身の中で整理したイグノーツは、出会った相手が少女だったかどうかに再度確認してきた。その様子は普段通り。驚いている訳でもなく、ただ落ち着き払った風に聞き返してくる。


 私はコクリと頷く。するとイグノーツは「ふーむ」と考えるような声を出して、黒板を消す作業に集中し始める。そして黒板から読める文字がなくなり、ある程度綺麗になった頃に黒板消しを溝に置いて、こちらへ振り向いた。


「イグノーツさんなら何か知っているかなって思って聞いたんだけど……」

「そうですねえ」


 勿体ぶるような言い方で、質問への答えを引き伸ばす。それは質問の内容に対して心当たりがあるといった素振りであり、何かを知っているという様子を隠していない。どう答えるか、伝えるかを考えているような仕草。


 あまりにも焦らされるので、答えにくいことだったのかな、と考え出す。


「その……言いにくいことなら」

「あ、すみません。大丈夫です、質問には答えますよ」


 もういっそ断ろうかと思い口から出した直後、それに気付いたのかハッとなって慌ててそう答えられた。


「ツカサさん。前に私が自分のことを“本の中に収めている複製意識”と説明したことは覚えていますか」

「え? うん。覚えているけれど……」


 かなり最初の頃の会話だったか。彼がイグノーツであると名乗った直後の会話の中でこの状態で生きているのかと疑問を抱いたところ、イグノーツから死んでいると聞かされた時の話だった。私の人生の中でもトップの衝撃的な出来事だったので、忘れられる筈がないのだが。


「でしたら既にお気付きかもしれませんね。ツカサさんが会ったという女の子は、本の中に保存されている意識の1つです」


 気付いている可能性があるならもうぶっちゃけようとでも思ったか、彼はうんうんと考えていたのが嘘と思えるほどあっさり答えた。

 なお気付いていなかった私は驚いている。


「本の中に保存されている意識って、イグノーツさんだけじゃなかったの!?」

「おや、気付いていなかったのですか。私の意識だけが保存されている訳ないですよ」


 さも常識みたく語るイグノーツ。そんなの言われなければ知るか! あの時見た少女を除けば私はイグノーツ以外と会ってないもの! というかそんな大事なこと説明しておけ!

 常識が常識過ぎて教えることすら忘れていたのだろう。イグノーツは全くそのことに気付いていなかったようだ。それどころか「常識って大変ですね」と他人事のように苦笑する。


 けれどイグノーツの言うことが本当だとすると他に会えていないのは逆に不思議だ。私は最近あの空間へ出入りする頻度が増しているつもりなのだが。なんでイグノーツ以外に会えていないのだろう。そんな疑問が浮かぶ。


「まあそう言うことであれば、直接会いに行きましょう。既に面識をお持ちということなら、向こうもツカサさんが会いに来ても困りはしません」

「あ、やっぱイグノーツさんなら会えるんだ」

「はい。ただそろそろ体育館に戻った方が良さそうですし、今すぐには無理ですがね」


 私に魔法を教えるために5時間は待たせてしまったので、実質私のせいである。行く前には出来るだけ早く話が終わるよう努力するつもりでいながらこの有り様だと、非常に申し訳なく思った、


「イグノーツさんは先に戻っていて。私は教わったことの復習をするから」

「でしたら本の中にあるあの空間を利用することをお勧めしますよ。あそこであれば他の場所と比べて迷惑を掛けにくく、何かあったとしてもすぐに本の機能が対処してくれます」

「分かった。今日は色々教えてくれて本当にありがとう」


 私は改めてイグノーツに対し異世界の魔法やこちらの世界では知らない基礎知識を教えてもらったことへのお礼を述べ、イグノーツを先に帰す。そして『異世界災害収集録』の本を呼び出した後、あの白い空間へ移動して練習に取り組んだ。




 魔法を発動するための練習は重要だ。魔法を発動するための方法は、一定以上の魔力圧の上下動を抑え、魔力にとって不安定な状態を維持すること。

 どんな物体も不安定な状態にあれば安定した状態へ移ろうとする。円錐の頂上にボールを立たせようとすればどうなるか? 落ちると思うだろう。ボールが円錐の上にある状態が不安定、落ちて窪みに嵌まったり、平らな場所で静止するのが安定。魔力も同じだ。そして不安定な状態というのは物体が持つエネルギーが出て行きやすいものである。


 この状態に置かれた魔力はエネルギーを放出して自らを安定した状態に移そうとする。それを阻止し続け、常に魔力が保有するエネルギーを吐き出させる。これが魔法の基本だ。魔法の効果は、このエネルギーの吐き出し方が違うと言うだけ。考えてみるとシンプルなものだ。


 今でこそ私の中でそうハッキリとしているが、そうなるまではイメージで動きを制御して魔法を起こそうとするのが普通だったし、人類すら長らく定着していた魔法のイメージで発動させようと試行錯誤していた。そうならなかったのは私が魔法を学ぶ前には原理の解明が進んでいたから。


 イグノーツの教えてくれた知識も得た今の私からすれば、それでさえまだまだズレている解釈や間違った理解の少なくないものであったと、この練習過程で実感している。


「とりあえずこれくらいかな……」


 前よりも魔力の操作精度が上がったとはいえ、練習をサボっていれば腕は鈍る。加えて体力も落ちやすくなる。新しい魔法など覚えたてのやつは不慣れだから感覚を掴んでおかないと、発動が安定しない。なので練習は大事だ。


『警告。【所有者】ツカサは生命活動を維持するための十分な栄養を本日まだ摂取していません』


 練習を始めてから3時間。私がお昼を食べていないと気付いたのは、練習をしていた白い空間の中で漂う本に告げられてのこと。どうやらこちらに意識が飛んでいる間も、時間は普通に流れているらしい。


「そうは言うけれど、食べ物の方が今問題で……このままだと尽きて餓える一方だから」

『警告。【所有者】ツカサは生命活動を維持するための十分な栄養を——』


 融通の効かない機械みたいなメッセージが出始めたので、一旦無視して戻ることにする。とはいえ、無視したところで食料が無くなりそうな現実からは逃れられない。どうにかして食べ物を安定供給させられるのが理想だけど、もうコンビニやスーパーに残っているのなんて消費期限切れで腐っているやつだろう。保存が効くタイプも極大繁茂の予兆に飲まれて無事かどうか怪しい。避難所にいる人全員のお腹を満たせる量があるのかどうか不安だ。


 そろそろ海の幸か山の幸を自分で取りにいくことを覚悟しなくてはならないのか……?

 などと食べ物のことを考えていたら、同じ文章を表示させ続けていたページの方に変化が現れた。


『外部より反応。【所有者】のいる場所へ接近する人間あり』

「ん? 誰か来たのかな……」




 現実の方に意識が戻ると、私は椅子に座って机に伏して寝る体勢でいた。授業の合間に寝て休んでいる学生のような姿勢である。私はしたことがないが、寝不足の人がたまにこういう状態になっているのを昼休みに見たことはあった。まさか寝落ちみたいな格好を今になってやるとは……。


 起きて立ち上がると間もなく誰かが歩いてくる音がする。私は教室のドアの方を見て誰が来たのかを確認すると、ケイスケさんだった。


「あ、ここにいたんだね」

「ケイスケさん?」


 お互いに歩み寄って近づくと、私はケイスケさんの様子を窺う。


「イグノーツさんが戻ってきたのにツカサさんが中々戻らないから、サヤが心配していたよ。何していたんだい?」

「あー……ごめんなさい。ちょっと魔法の練習をしていて、それに熱中していたんです。ケイスケさんはサヤに頼まれて?」

「パシらされたよ」


 苦笑しながら答えるケイスケさん。兄妹の間だからか扱いが存外雑だね……。


「すみませんケイスケさん、また私のせいで迷惑を……」

「俺は気にしていないから大丈夫だよ。それよりサヤの方に早く顔を見せてあげてやってくれ。俺なんかよりあいつの方が心配している」

「サヤが?」


 私が聞き返すと、ケイスケさんは「ああ」と頷いて答えた。

 外へ出掛けている訳でもないし、たった3時間戻ってくるのが遅かっただけなのに、サヤがそんなに心配するだろうか。危ないことをしに行っているのでもないのに。


「なんていうか一見落ち着いている風に見えるんだけど、少し会話のない時間が出来ると体育館の中を見渡すんだよ。特に入り口の方を。まるで誰かが早く戻って来ないか待っているみたいに」


 その誰かとは話の流れを汲み取るなら、私のことを指すのだろう。

 私が戻っていない間のサヤの振る舞いをそう語るケイスケさんは、ちょっと笑っていた。一瞬笑っている理由を考える。けれど彼の語る場面を想像してみると、確かに笑えてきた。


「変なサヤですね。挙動不審じゃなかったですか?」

「挙動不審だったけど、周りにバレないよう最大限気を遣ってはいたよ。ま、俺には関係ないけどね」

「あはは」


 兄妹としての付き合いの長さから、ソワソワしている妹の様子にはすぐに気付いたというケイスケさん。その関係が微笑ましくて私は笑みをこぼす。


 なおケイスケさんはその後サヤと目が合い、ソワソワしているのを見られたと気付いた妹にキッと睨まれ、探すよう命令されたのだとオチを語る。その話の結末が間抜け過ぎて、今度は少し大きめな声で私は笑ってしまった。


 ケイスケさんもオチを自分で言っといて恥ずかしくなってきたのだろう。途中からは顔を逸らし、赤らみを帯び始めた頬を人差し指で掻いている。


「ツカサさん、笑いすぎだって……」

「ご、ごめんなさいっ……」

「そんなに俺の話おかしかった?」

「おかしいというか、綺麗にオチが付いたなと思って」

「お、オチか。確かにそうなのかも……」


 どうやら言っているケイスケさんはオチを述べていた自覚はなかったようだ。言われてみれば確かに……と、額に手を当てて再認識し、話は終わった。


 こうして名実ともに会話にオチもついた(?)ので、私とケイスケさんは体育館へ戻る。これ以上そっち方向で話を広げると彼が恥ずかしさのあまり変になってしまいそうだったので、その精神に気を遣ってのことでもあった。


 その後、体育館へ戻るために教室を出た直後のこと。


「——ツカサさん。出来ればサヤとはこれからも仲良くしてあげてね」

「え……?」


 不意にケイスケさんはそのような言葉を放ったので、私が言葉の真意を尋ねるように彼の方を見るが、彼は振り向かずに歩きながら喋り続ける。


「俺は例外みたいなんだけど、サヤは殆どの人……自分の家族にも心の距離を取るくらい滅多に相手に気を許さないんだ。小学中学と進んでも友達の話とかまるで聞かないほど、心を開かなかった」

「そ、そうだったんですか?」

「その様子だとやっぱりサヤは言ってなかったか。あいつは人の好き嫌いが激しいからさ。だけどそんなサヤが高校に入ってから、ツカサさんのことを話すようになったんだよ」


 ケイスケさんは、自分以外のことであんなに話すようになった姿を見るのは初めてだったと語る。

 最初はちょっと「学校で知り合いと……」という内容を聞くようになったのが、徐々に「ツカサって同級生と」、「ツカサって友達が」と段々変わっていき、やがて来る日も来る日も私とのことを話すようになったと。私が知らないサヤの話を。


 それを聞いた私は……知らなかったサヤのことを知り、そしてサヤが昔からどうだったのかを聞いて。サヤにとって自分がどういう存在なのか、その理解が深まっていって無性に落ち着かなくなる。この気持ちは照れだろうか。恥ずかしさだろうか。


 分からない。だけどそこには嫌という気持ちは全くない。されど疑問は残る。


「なんで今、そんなことを……?」


 私はケイスケさんに疑問をぶつけた。けれど、彼からその答えが返ってくることはなく、ただ誤魔化すように私へ微笑み返すのだった。

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