第4フェーズ
次に目を開いた時にツカサが見たのは、地平線の向こうまで広がる青い空。どこまでも白い部屋ではなく、まばらにある白い雲。
長い間、意識が飛んでいたような感覚。ずっと閉じていた彼女の目が開き、頭を起こす。
「お、起きたんだ……私」
すぐに状況を把握した様子のツカサは、周囲を見渡す。すると真っ先に目に飛び込んできたのが、ツルの上で光に触れるようにして固まっていたケイスケだった。
「け、ケイスケさん!?」
意識が飛んでいるように見えるケイスケはとても危ういように映った。もし風でも吹いたり、植物の動きのせいでバランスが崩れてしまったら……と、彼が何かしらの勢いで落ちてしまわないかあたふたするツカサだが、
「あれ、植物が動いていない……」
意識がなくなる前は暴れるように動いていた葉柄が、時が止まったかのように固まっていることに気付き、疑問に思うツカサ。死んでいる、という訳ではないだろう。もしこの植物から生命力がなくなっているのなら、周囲を覆っているこの青いバリアは用済みとして消されているはず。そしてツカサ自身も魔法が使えるようになっているはずだ。
とりあえず彼女は魔法の発動を試すが、やはり使えないままだということを再確認する。
ではなぜ? とツカサは頭の中で思う。すると傍に浮遊していた光の中から本が出てきた。それはあのイグノーツが著した、異世界災害収集録だった。
「このページ……」
初めから何かが書いてあるページ。それを開いた状態でツカサの目前にまで来た本を、彼女はそのままの姿勢で読む。
【O系魔力の免疫作用】
O系魔力の譲渡時に受け渡し側、または受け取り側へ抵抗感情が見られる場合、受け取り側の体内にあるO系魔力が呼応してアレルギーに似た過剰免疫反応を示す現象。魔法のある世界では普遍的に知られたものであり、体内のO系魔力を意思で制御することで緩和することが出来る。ただし例外として、強引に他者から、または同種以外の生物から奪い取ったO系魔力を吸収する場合、受け取ったO系魔力が体内で反発するため強烈な拒絶反応を示しうる。
それを読んだツカサは、本の中に自分の意識があった時、ケイスケからO系魔力を受け取ろうとした際に起こった現象を思い出した。あの時の自分の身に現れた症状は、これだったのではないかと。そして、自分の意識が戻ってからというもの、落ちる前に感じていた脱力感などは一切感じていないことに気付く。
「まさか……」
O系魔力欠乏症のそもそもの原因。それが何なのかについて、本の中では考えてはいなかったが、今思えば、己の身に起きた症状と、それが始まったタイミングを考慮すれば、原因が絞れるような気がした。
巨大植物の方を見ながら、ツカサはもしやと思い始める。
「っ……ツカサさん?」
意識が今戻ったのか、ケイスケはツカサの方を見ると、意識の戻った彼女と目が合った。そして、意識が戻ったツカサの様子を確認して、気が楽になったようにホッと息を吐く。
「気が付いたんだね。良かったよ」
「ケイスケさんごめんなさい。こんな危ないところまで私のせいで……」
「別にいいさ。ツカサさんはサヤの大切な友達だからね。さて……」
気にしてない素振りで応じつつ、ケイスケは動かなくなった巨大植物の方へ視線を動かす。
「O系魔力欠乏症ってやつの方は、もう大丈夫なんだよね?」
「はい、多分。後はもう1つの方だけで……」
ツカサは自身の下方に意識を向けたが、下半身の感覚が上手く感じ取れなくなっていた。恐らくはクラッシュ症候群の症状にある、長時間の強い圧迫で出現する感覚麻痺である。本の中で知った経過時間より、ツカサはそう自己判断した。
「分かった。今から俺が降りて、サヤに魔法を止めるよう伝えに行く。それまで耐えられるかい?」
「大丈夫です。その……気をつけて」
ツカサが彼の帰路の心配をするように口にすると、すぐ戻ってくるよ、とケイスケは笑い、巨大な茎の方へと戻っていく。
段々と視界の中で小さくなっていく彼の姿を、ツカサは只々ずっと見送った。
ケイスケが現実で光の球に触れた数秒後、キィンという金属のような高音が、周囲に広がった。それに続くように、爆風のような突風がツカサ達のいる辺りから発生した。
何事かと、地上にいた人達が頭を上げている。
「え……!?」
直後、ツカサを捕まえていた巨大植物がいきなり静止した。それは完全に不意に起こった現象。その場にいた誰も、その現象がなぜ起こったかを知らず、どうして植物が固まったかも理解出来ない。サヤもまた同様に、目の前で何が起こったのか戸惑っていた。
「植物が急に動かなくなったぞ! 何が起こったんだ!?」
「魔法が効いたのか? でもなんで急に……」
サヤの近くに立っていた2人も、困惑を隠せないという様子のまま、どうすればいいのか判断しかねている。この場にいる誰も、現状を掴みきれていない。そんな中、植物の上から下りるような動きの人影を見つけたサヤが、ハッとなって声を出した。
「兄さんが戻ってくるわ!」
「救出に成功したのか!?」
ケイスケが戻ってくるのであれば、恐らくツカサの救出に成功したタイミングになる。そう思っても何も変ではない。だけど、サヤは下りてくる人影を見て「違う」と断じた。2人分の影が一緒にいるように見えないし、下りる速度が速くて単独で動いているように見えるから。
何らかの理由により救出に失敗し、仕方なく下りているのだろうか。推測を立てても結論には至らない。サヤは思考の末に指示を決める。
「……兄さんをここへ呼んで。それと、今のうちに下で頑張っていた人達に休みをあげて」
どういうことにせよ、あの植物が動かなくなったことにより、こちらへの妨害や攻撃などは止まっていた。その間に出来るだけ休ませようというサヤの配慮が出た指示。
「急にまた動き始めるってことはないよな?」
「あいつに罠を仕掛けるような知能があるなら、もっと賢く動けると思うわ。多分大丈夫よ」
「分かった。伝えるぞ」
若い男の方がそう言ってメガホンを口元に当てる。そうして囮として動き回っていた人に休憩を与えたサヤだが、彼女はその間も魔法を絶やさず維持し続けていた。周りには隠し通しているが体力の消耗は大きく、立ち上がっている姿勢にまで反映されてきている。
2人に気付かれないよう振る舞っていたサヤだが、数分後、誰の声を聞くまでもなく屋上まで走ってきたケイスケが、サヤのすぐ傍までやってきた。
「サヤ! 発動中の魔法を止めてくれ!」
「……事情が見えてこないんだけど、どういうこと? まさかツカサを助けない……って、顔じゃないわね」
魔法を維持しながら振り向けば、兄が全く息の整っていない顔をしていたので驚いたサヤ。せめてもっと呼吸を整えてから話すようお願いしたくなる顔に、呆気に取られそうになる。
ただそれと一緒に、彼の表情からはツカサを見捨てるつもりなど欠片もなさそうだと感じられた。
「もう単刀直入に言うけど、このままツカサさんを助けると不味いんだ! ずっと拘束されていたせいで体の下側に溜まっている血の中に有害な物質が溜まってて、そのまま解放したら……」
「っ! そう……なるほど、へえ、アイツ……」
「さ、サヤ?」
ケイスケの話をそこまで聞き、サヤの表情が驚愕に変わったかと思うと、なにかを思い出して気付いたように眉を動かし、やがて苛立っているような顔へと変化していく。それに対してケイスケは彼女の考えや気持ちが掴めなさそうに困っている様子になる。
「……なんでもないわ。ちょっと前にイグノーツが言っていたことの意味が分かっただけ。それで、どうして欲しいの? クラッシュ症候群の治療が出来る道具なんてここにはないわ。せいぜい出来ることと言えば応急処置くらいだけど、それだけだと助けられるかは怪しいわよ」
症状を聞いてクラッシュ症候群であると推測したサヤは、学校内に残っていた、或いは外から回収してきた物では十分な対処が出来ないだろうことを予想する。その上でこのまま助けると不味い可能性があると認識し、迅速に専用の治療準備を整えなくてはいけないことも考えた。しかし……
「それに関しては、ツカサさんが自分で自分の体を治療する予定だ」
「はあ? そんなのどうやって……まさか、あのままの状態で自分に回復魔法をかける気!?」
ケイスケがそれを話すと、何をしようとしているのかを察したサヤが声を荒げた。するとケイスケもまたやろうとしていることを具体的に説明しようとして、
「発症前なら、全身に有害な物質はまだ回っていないはず。だから拘束された状態で魔法を使えば治せる……って、本に書いてあった」
黒いオーラを纏い、裏のありそうな笑みを浮かべるサヤ。その妹の威圧感に押され、逃げるように目を逸らしながら呟いた結果、
「兄さん、何を知ったのか全部今高速で吐き出しなさい。すぐに」
「はい」
ケイスケはサヤに対して高速で先程あったことの説明をする羽目になった。それは殆どが本の中で見た空間上での話であり、魔力嵐が日本を襲う前にツカサから聞いた、イグノーツの意識と初めて対話した白い空間でのことである。サヤはそのことに話を聞いていくうちに気付いた素振りを見せるが、結局最後までそれは問わなかった。
全てを聞き終えた後、走り続けたのと喋り続けたことの二重で疲労した兄の姿をチラリと視界に入れながら、サヤは息を吐く。
「……いいわ」
そう言った直後にサヤは、ずっと続けていたあの魔法を止めたのだろう。植物とツカサのいる位置を覆っていた青い半透明の半球が消え、それを維持し続けた疲れからか、その場に膝をついた。同時に足元の魔法紋から出るように倒れかけ、咄嗟にケイスケが受け止める。
「サヤ、やっぱり体力が……無茶するなよ!」
「はぁ……はぁ…………。ごめんなさい。後のこと、頼めるかしら。しばらく私、動けそうにないの」
肩で息をするほどに絶え絶えといった様子のサヤ。その顔色は青ざめている。
あれだけの魔法を持続させ続けた影響だろう。体力が回復するまで一歩も動けそうにないと言ったサヤは、自身の体調を把握したことで今は何も出来ることがないと思い、兄に任せようとそう口にする。当然、体力がある程度回復すればまた動くつもりで。
「馬鹿野郎」
だがその考えを読み取ったのであろうケイスケが、眉間に皺を寄せる。そして静かに罵倒した。
「これが終わるまで休め。働きすぎなんだよ。これ以上動いたらお前の体力だと本当にぶっ倒れる。ツカサさんは俺や他の人達と一緒に助けるから、サヤはここで大人しくしていろ」
いつもの彼とは違う語調で、違う目つき、違う態度を取る彼の姿に、サヤを含めたケイスケ以外の3人が、目を見開いた。サヤに至っては一瞬放心したような顔をする。
「でも…………それじゃあ、指示が……」
迅速に指示を出せる人がいなくなる、そうサヤが言おうとするものの、ケイスケは彼女に言い返す時間を与えない。
「いい大人が3人もここにいるんだ。お前1人休んでたって回らない仕事なんてねえよ。指示を出す側に立つなら、自分だけじゃなくて指示を出す相手もこきつかえ」
「……兄さんらしくない考え方ね。誰に教わったの?」
「もう結構昔のことだから………………まあ、忘れてしまったよ。俺はチキンだからさ。鳥頭なんだ」
「……それくらい、覚えておきなさいよ」
サヤは優しく叱りつけるように呟き、兄の方を見て微笑むと、眠るように意識を手放した。意識が落ちる前に彼女が見たのは、よく知っている兄の顔だった。




