まだ死ねない
人がいつ死ぬかなんて極端な話分からないとは言うけれど、私は今日死んでしまうのだろうか。これから何十年も生き続けるつもりだった人が唐突に余命宣告されるシーンはフィクションでたまに見るけれど、それを言われた側はこんなに浮き足立つような気持ちになるのかな。
……いやいや、そんなの嫌だって! まだ弟とも再会出来ていないのに、こんな意味も分からん経緯で死にたくない! なんでそんな状態になっているのさ。自分で言うのもなんだけど、まだそんな大病をホイホイと患う年齢じゃないし、不健康で死ぬような生活とは縁なしだからね!?
そもそも私の自我は今こうやってあるのに、どうして……
“【所有者】ツカサの現実での意識は途絶えています。現在貴方が感じている意識は、昏睡状態にある肉体の脳に代わり、この本の機能で意識を維持出来るよう処理することで成立しています。従って、自身の自覚症状の多くは現実の肉体感覚と一致しません”
こちらの心を読んだ本が命令と勘違いでもしたのか、ページ上の文章を変えてそう答えた。入れ替わった文を読む私とケイスケさん。
「これって本当なの? それが本当なら、今こうやって腕や足を動かしていると思っているのは、ただの錯覚ってこと?」
「信じ難いことがさっきから連続で起きるね。一体どうなっているんだろう、ここは……」
「うん。それに、私達の意識を維持する方法ってやつも何が何だか……」
意識を維持出来るよう処理するって、どうやるの?
SFみたいな技術を使って意識を保つというイメージなのか、それとも魔法世界特有のとんでも魔法で意識を保つというイメージなのか。考える私に本は解答を出す。
“相手の脳とこちらを繋ぐことで、本の中にある人格制御装置との連携を可能とし、これによって保存済みの意識データを動かす方法を使い、昏睡状態にある人の意識をこの空間内においてのみ覚醒させることが出来ます”
……つまりどういうこと? いや、全てが分からない訳ではなく、部分的には分かるところもあるのだけど、話を理解する上での前提知識に壁があるように頭にすんなりと入ってこない。
えっとこれは、私の頭と本の中を接続したことでネットワークを繋いだ扱いになり、そうすることで私の脳の処理を本の中からでも代行出来るようになった、という理解でいいのだろうか? うーんダメだ、合っているか自信が持てない。というかそんな機能を本に持たせているとか、イグノーツさんは何を考えているの?
そして恐らく、「どういうこと?」という思考が命令と取られたのだろう。本は空いているスペースのところに新たな文章を浮かべた。
“質問の内容が不明瞭です。適切な質問を出来ない場合は、3回目以降よりペナルティとして応答不可時間が設けられます”
はい?
パスワードを連続で間違えた時のリンゴ携帯みたいなことを言い出し、思わず女仕草もない言葉が出そうになったが、傍にはサヤのお兄さんがいる。なので、なんとか言わずに堪えることが出来た。
「……ひょっとして、ツカサさんが心の中で思った場合でも質問として受理されるのかい?」
「えーっと……はい。心の中で本に言うというか、特定の言葉に反応しているっぽいです」
「本の中にコンピューター的なシステムがあるってことか。とんでもない技術だね」
いやあの、そこ頷きながら感心するところですか? 勝手に心の中を読まれてるってことは、何考えているかも向こうに全部記録されているかもしれないってことなんですけど……。
「ん? もしかしてこれさっきの内容も踏まえるなら、頭の中を覗かれてるってことか!?」
遅ればせながらその事実に気付いたケイスケさんは、本から数歩後退って警戒するように様子を窺う。良かった、流石に心の中を読まれても平気って訳じゃないんだ。ホッとしたというか、イグノーツレベルの人が他にもいたら嫌というか、私はケイスケさんの反応に安心した。
「この本を作った人に、プライバシーというものはないのかい!?」
「ええっと、多分その……ないです」
私が答えにくそうにしながらも肯定すると、彼はもう両目を見開いて口がポカーンと開いた。だって本当になさそうな人だから。出会ってまだそれほどの期間でもないけれど、そのことは嫌というほど感じさせられている。
「…………」
本の方に向き直り、質問する内容を頭の中で固めた。
最初に聞くことは、症状についての具体的な確認。その次に対処法などを調べること。なにせことが本当であるなら私の命に関わる話だ。手を抜くなどしたら最悪死ぬかもしれない、そう考えると身が引き締まる。
そして出来れば現実の私を拘束している植物から抜け出す方法も知りたい。私が意識を失う前に陥っていた状況、そこから導き出すにつれこの3点をクリアすることが出来れば助かると思うからだ。
聞けばいい。きっとそれで私の命は助かる……
そう思いかけた時、私の中にあの言葉が思い起こされた。
“危ないところに進んで突っ込まれてそれを守れとなっても、困る話だと——”
“そもそも、貴方が自らの身を危険に晒していなければ、避けられたリスクだという話です”
その言葉が私の中にある、生きたいという欲に働きかける。
生きたいという普遍的で当たり前である筈の気持ちが、その言葉だけで萎縮したように小さくなり、代わりにそれとは全く違う気持ちが出てくる。
「……ツカサさん?」
立ったまま無言になる私へ、ケイスケさんが声をかける。
そもそも、こうなったのは誰のせいだろう。私があの植物の異変に立ち往生して、捕まってしまったからではないのか。ならそれはつまり、私のせいということ。そう、私が原因なのだ。
外では今、サヤ達が頑張っている。
間抜けなことに捕まえられてしまい、1人で脱出することも出来ずにいる私のために。
もしかしなくとも、それはとても危険な救助活動なのではないか。
一体外で、どれくらいの人が頑張っているのだろう。たった1人を助けるために、何名の人が身を危険に晒して動いているのだろう。
記憶ではその人数は、結構いたように思える。
「私は…………」
これほどの迷惑を周りにかけておきながら、五体満足で助けられる。
——私は、助かってもいいのだろうか。そんな思いが過ぎりそうになった時、弟のことが思い浮かんだ。
もしここで私が死んだとしたら、それを知った時に弟はどう思うだろう。
悲しむだろうか。泣いてしまうだろうか。怒るだろうか。最後に直接会った時、なんて言って別れたっけ。……ああ、そうだった。
“また帰ってきてよ”、だったね。
「私は……生きて帰らないと」
弟のことを思い出した時、潰されそうになっていた生きたいという気持ちが、再び湧き上がってくる。同時にこんな情けなくて、周囲に迷惑をかけてしまう自分が生きようとしていることに申し訳なさも込み上げてきた。
でも、今は譲れないから。せめてあの大切な弟と再会し、無事を心から祝える日が来るまでは、死ねる理由がないから。だからもうしばらくの間、生きて迷惑をかけることを許してほしい。その想いを胸の中に押し込むと、私はケイスケさんの方を見た。
「ケイスケさん、今からこの本に向けて質問をしていきますので、一緒にいてくれますか?」
「えっと、一緒にかい?」
そうお願いすると、ケイスケさんはよく分かっていなさそうに聞き返してくる。
「これから私は、自分が今どうなっているのか聞こうと思います。どうすればいいのかを知って、対処出来るように。ただ正直、冷静に死ぬかもってこうやって考えると、少し心が落ち着かないというか、思考がまとまらないっていうか……だから、傍にいてほしいんです」
「…………分かった。ツカサさんがそうして欲しいって言うのなら、俺は傍にいるよ」
少し考える素振りのあとに、優しさに溢れた顔でケイスケさんは答えてくれた。彼が傍にいてくれると、近くにサヤがいてくれるような気がして、心が少し楽になる。
「……私が死ぬ原因として挙げられた、O系魔力欠乏症とクラッシュ症候群って何ですか?」
本に向かって、何を質問しているかを隣の彼にも分かるように言う。
クラッシュ症候群というのは何処かで聞いた覚えがあるが、相当前に聞いて以来記憶から取り出していないのか上手く思い出せない。そしてもう片方に至っては聞き覚えもない単語の組み合わせ。オド? 欠乏症っていうことはそれは何かしらの物質を指しているのだろうけど……そうこう考えているうちにO系魔力欠乏症の説明が出てきた。
【O系魔力欠乏症】
体内に取り込まれたM系魔力の変質体、O系魔力の体内総量が著しく減少した際に起こる症状。
O系魔力の作用:
O系魔力は体内における魔力制御とそれを体外伝達する際の高次元命令への変換をする働きが知られているが、それ以外にも肉体の機能調節・自我が発生させる欲求に対し反応を示し、O系魔力が活発でない個体より生命力を強化する働きがある。しかしそれによってO系魔力が欠乏した場合に一時的な生命力の虚弱化が発生する。
症状について:
軽度の場合、ふらつきや眩暈、倦怠感など。ただちにO系魔力の回復を行うことで諸症状は消失するが、より中度に近づくにつれ頭重感、眠気などが発生。
中度の場合、眠気が増大して意識を保つことが困難になる。ただしこれは肉体が体内魔力の回復に専念し、その間肉体へのダメージを抑えるための意識喪失であり、O系魔力量が回復すれば意識は回復する。回復後の後遺症は滅多に見られないが、一時的な魔力制御能力の低下や、生命力強化効果が低下することによる不調が見られることがある。ここから回復する前に体内のO系魔力が減少すると重度へ移行。
重度の場合、O系魔力によって高められていた生命力が急激に低下し、全ての内臓の活動率が低くなって昏睡状態に入る。症状としては多臓器不全に相当。迅速な回復を行う必要が認められ、発症後の生存率は時間が経つほど低下。1時間を超えて回復しなかった場合の生存率はほぼゼロ。
【警告】
所有者に該当症状の兆候あり。現在症状レベルは中度から重度へ進行中。速やかに対応してください。
「…………」
書かれてあった内容に愕然とした表情をするケイスケさんと、何も口に出せない私。
まあ、死ぬ危険があるって警告してたくらいだし、こういうのが出てきても不思議じゃない。とはいえ、自分の体がそうなりかけてるだなんて知りたくはなかったなあ。他人事じゃない分、気持ち心拍数が上がっていく気がする。
そしてクラッシュ症候群の説明も出てきた。
【クラッシュ症候群】
長時間に渡って体の一部分へ強い圧迫が入った後、圧迫状態が解かれた際に起きる症状。別名、圧挫症候群、挫滅症候群、クラッシュシンドロームとも。
発症に至る過程:
圧迫部位にある筋肉細胞へ加わる圧力により、内部の物質が血中へ流れ出し、それが圧迫解除と同時に一気に大量に流れる。この際圧迫部位は血流が停滞するため流れ出た物質は停滞場所を中心に蓄積する。その後圧迫が解除され、血流が再び流れ出すことで急性腎不全・不整脈などの症状へ連鎖し、最終的に多臓器不全などを引き起こして死亡する。
特徴:
その性質上、救助された後に症状が出現し、適切な治療を施さなければ致死率が高い。救助前の段階で圧迫部位より四肢側の感覚が麻痺している、また四肢の膨張、肌の色が暗く変化などの症状が見られる場合、何もしなければ発症が確実なものとなる。
【警告】
人体への圧迫検知から1時間と24分が経過。発症リスクは現在も上昇中。
読んでいる途中で思い出した。そういえばそういうのがあったと。確かこれへの対処法は何だっけ……透析装置を利用するんだっけ? となると病院に行かなければならない。だが、今の世の中では病院なんてどこも人で一杯だろう。多分、間に合わないな。
この状況で助かる方法があるとすれば……恐らく魔法くらいだろう。
「私の出来る手で、その2つの症状から生還する方法はありますか?」
症状を確認したので、私は次の質問へ移った。自分の体に何が起こっているかが判明したので、どうすればそれに対処出来るかを知らなくてはいけない。
“それぞれの対処方法は以下の通りです”
本はそうページの上部中央に文字を出した後、その下へとこう文章を記す。
【O系魔力欠乏症】
他の同種生物からのO系魔力の補充。並びにO系魔力の欠乏原因の排除。
【クラッシュ症候群】
魔法による対処法多数あり。
1.結界系魔法による血管へのフィルターの設置。物体指定透過制限、透過量制限、それによって血液中の濃度を徐々に正常値へ近づかせる。特殊医療用魔法具が必要。
2.変質系魔法による有害物質を指定した無害化処理。特殊医療用魔法具が必要。
3.活性系魔法による破壊された細胞内への流出物質の再吸収、並びに回復魔法による破壊された細胞の再生。魔法発動者に知識(最低でも細胞の概念に理解)が必要で、救助前でしか効果がない。
4.該当患部を切断後に再生魔法で再生。完全な機能の復元には数ヶ月を要する。
「…………実質1択じゃないか」
「でも、仕方ないです」
なんでこの場で出来ない選択肢が入っているのかは聞きたいけど、今は助かる選択肢があって良かった。もしここでどうしようもないと結論を出されたら、それこそ嫌になっただろうし。
クラッシュ症候群は3以外にないだろう。1、2は聞いたこともない道具を求められている時点で不可能。4は絶対にやれない。確か私の圧迫部位は腰だったはずなので、間違いなく即死する。だから一番出来そうなのが3……といっても、地上にいるサヤが魔法を無効化する魔法みたいなのを出してるっぽいから、まずはそれを一旦止めてもらわないといけないけれど。
そして、敢えて読むのを先送りにしたO系魔力欠乏症の対処法だけど……他の同種生物からのO系魔力の補充? これはつまり、いやもしかしなくても。
「な、なんだい?」
……どうやればいいんだろ。
私にジッと見られて戸惑っているケイスケさんを見た後、そのやり方をまた聞かないといけないな、と考える私だった。




