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第1フェーズ

 ハイペリオンという名前の、セコイアの木がある。

 アメリカのレッドウッド国立公園に存在する木で、その高さは約115メートル。世界一高い木として有名なやつだ。自由の女神像が台座からトーチまで93メートルくらいなので、それより20メートルも高い木といえば想像しやすいだろう。


 サヤは自由の女神像を実際に見たことはない。そもそも、アメリカに旅行しようと考えるの者が自他共に周りに誰もいなかったので、機会すら永遠に来ない。それでも、学校の中に突如現れた巨大植物の大きさに思わず連想してしまうほど、魔力で異常成長した植物は大きく、天へと(そび)えていた。


「何度見ても感覚が狂うわね……」


 雑草によくある特徴をそのままにこのサイズまで大きくなった植物を見て、サヤは自分が虫以下のサイズにまで縮んでしまったような錯覚に襲われる。


「——始めるわよ」


 学校の屋上。そこよりツカサを捕らえている植物を見据え、魔法の準備にかかるサヤ。目に見えない物質の魔力が、彼女の意思によって動き出す。目標の直下地点を中心に、半径70メートル以上を球状に囲い込むように。


「……っ」


 直径にして140メートルの球体。その球面を形成するように魔力が動き、魔法発動のために魔力の圧力を制御する。圧力が上がればその分下げて、下がればその分だけ上げ、変動を打ち消し理想の状態へ誘導していく。球面を綺麗に整えるように思考で制御するが、サヤは早くも負担を感じていた。


 この時彼女は、視界の縁に見える物全てにピントを合わせるような作業をしていた。一点に焦点を合わせて見ることしか出来ない目で、同時に多点へ焦点を合わせてそれを明確に認識しなければならない。でなければ空間上、魔力圧を制御しなくてはならないポイントでムラが生じて、発動出来なくなるからだ。仮に発動出来ても効果が不十分か不出来な効果となる可能性もあった。


 通常、そんな規模の魔法を単独で出来る人はいない。方法もない。


「サヤちゃん、大丈夫か?」


 後ろに控えて様子を見守っていた2人のうち片方、中年くらいの気の良さそうな人が心配を抑えきれないといった様子で呼びかける。


「ええ。大丈夫よ。何とかなるわ」


 サヤにはこの時、イグノーツから教わった方法があった。

 彼女の足元に描かれた大きな円が1つと、その円周上に中心点を置き、等間隔に並んでいる8つの小さな円。一見してただの円であるそれは、目を凝らすとそれぞれが全て細かい線の集合した模様であった。これらの模様には明確な呼び名が存在する。彼女の知る言葉で、魔法紋。


 サヤはそれを発動するため、1つだけ残していた魔法紋の欠損部へ紋様を追加し、輪を繋げた。

 瞬間、魔法紋から紫色の発光現象が始まって効果を齎し出した。彼女が感じていた負担は大きく軽減され、急に視野が広くなったような、視覚から取り込める情報の量がグンと上がったような感覚に包み込まれる。


 健康に悪そうな色だと思うサヤ。本来魔法紋は発光なんてせず、『発光する効果』の魔法でもなければこういったことは起こらない。イグノーツが後から付け足したものか、魔法紋を作った誰かが付けた効果であろう。ではなぜ? と考えるサヤ。


 恐らく、魔法の発動状態を視覚的に分かりやすくするため。もしくは魔法紋を設計した世界の都合で、何らかの理由により発光させると決めていたから。


 それが何なのかは異世界を知らないサヤには分からない。イグノーツからも特にこの魔法紋について詳しいことは聞かされていなかった。しかし自身の体に与えられている効果から、長時間使うのは悪影響があるかもしれないとサヤは考え、思考を打ち切った後魔法の発動に集中する。


「発動するわよ!」


 間もなく、直径140メートルの球面状に魔法が起こる。魔法士としての体感から察知したサヤが後ろにいる人へと告げる。そして後ろにいる若い方の——サヤより5、6歳ほど上のような——人がメガホンを取り出した。


「魔法が発生します。全員備えて!」


 1階へいる囮役の人へ伝えられた凡そ2秒後、サヤの魔法が発動した。地中に半分が埋まった状態の半透明な青い球体。それがツカサのいる場所と巨大植物の大部分を内側へ収め、うっすらと出現する。


「よし、魔法の中だ!」


 1階で待機中の筋肉が逞しい人の声がした。


「あっちのデカい植物の方は!?」

「う、動いているぞ!?」


 後ろで様子を見ていた2人が驚くような声を上げた。

 魔法の範囲内に収まった植物の部分では、その効果によって植物を変化させている魔法の効果が失われようとしていた。ケイスケがその身をよじ登って行こうとした時以外、全く動かなかった植物。それが今、のたうつように節から伸びる葉柄を動かしている。


「抵抗している……? ——っ!」


 様子を窺っていたサヤは、植物がのたうつ時の動きで生み出された巨大な風圧を受ける。同じ場所にいた後ろの2人も、不意の風圧から喋れなくなってしまう。


「なに——が————!?」


 風圧のせいで思うように言葉が出せない中、植物はサヤのいる方へ向けて葉柄を動かし、振り抜くような動作をする。万が一の時のために直接当たらないよう距離を取った場所で準備していたサヤだが、一連の動きから送られてくる強風に集中力が僅かに散った。


「あ、あの植物、団扇みたいに葉で扇いでいるのか!? 何のために?」


 意味不明というより、目的が読めない行動に声を荒げる中年の方。


「恐らく、私の魔法の発動を止めたいのよ」


 直接届かないなら届かないなりに妨害をしてくる。イグノーツから聞いていたため対策はしていたものの、それが不十分であったと顔に滲ませるサヤ。たかが風とはいえ、それなりの速度で一気に吹き付けてくれば目を細めるか閉じてしまう。


 目を開けた状態、それも足元の魔法紋から補助を受けた状態で何とか維持している状況で、こんなことを何回もされれば集中力がすり減らされ、発動した『結界内の魔力圧を上下させる魔法』が解ける可能性も出てくる。


「このまま強風で煽られ続けたら不味いわ。囮役へ伝達を!」

「あ、ああ! 囮役の人、出番だ!」

「貴方はゴーグルか何かを持ってきて!」

「分かった! すぐに戻る!」


 若い人はそう言い、メガホンを隣の男に預けてから階段を駆け下りていった。


 メガホンを持ってきたのは正解であるとサヤは思った。いちいち簡単な指示を伝えるために階段を上り下りしていたら、余計な時間を取られていただろうと。


 少しして、地上で待機していたケイスケがあの植物の注意を引くために前へ出たのを、サヤは屋上から視認する。視野のかなり下の方に見える程度であったが、今のサヤは視界の端に映る物だろうとよく見えた。


「…………」


 魔法の効果が及んでいる植物を見るが、茎以外の場所を激しく動かしている以外に変化らしい変化は見られない。


 発動中の魔法が効いていないということはない。でなければあの植物が苦しむように葉柄を振り回して、葉を大きく垂らすような動きなどしたりしない。ならばなぜ外見に変化が見られないのだろう。サヤは頭の中で思考する。


 恐らく、植物側が何らかの方法で魔力圧の変動を抑えているというのが一番妥当な理由になる。それが最もありうる話だと思うサヤ。けれど同時に疑問に思った。もしこちらの使っている魔法が無効化、或いは打ち消せるような方法があってそれを実行可能なら、あんな風に暴れたりせずそれに専念すればいい。ましてわざわざこちらを狙って魔法を止めようとする必要性が薄い。

 魔法はどの程度効いているのか? 暴れるような行動をしているのは何故? 何を嫌がっていて、この状況の何を変えたいのか? 変えられた場合、植物にはどういうメリットが発生するのか?


 思考を巡らせること暫く。数分も経っていないが、サヤは1つの可能性に思い至った。


「——囮役に伝達! 植物に接近して可能な限り表面に傷をつけるように! それと同時に、魔力の分離も行うように!」

「ど、どういうことだサヤちゃん!? なんでそんなに危ないことをさせる必要が!?」

「あの植物はこちらの魔法が通じない、膜状のバリアで自身を覆っている可能性があるわ!」


 サヤはあの植物が、こちらの魔力圧を上下させて結果的に魔法を解く魔法に対し、『魔力圧の変動を伝達しない魔法』を張って対抗していると考えた。結界の中にもう1つ別の結界があって、それによって外側の結界の効果から内側のものを守っている。理屈としては恐らくそんなところであるとイメージしていた。


 そんなことが出来る魔法があるならサヤの魔法は通らない。その魔法に阻まれているのだから。しかし、恐らくそれは決して利点しかないものではないともサヤは考えた。


「だけどもし私の予想が当たっていれば、あの植物はバリアで自己を永遠に守っていられる訳でもない。相当な体力を使って維持しているはず。この状態が長く続けば、息も絶え絶えになりながら走らされているのと同じになるわ」

「そ、そうか……なるほど。でもだったら、今の状態を維持すればいいんじゃないのか? そうすればあっちは勝手に倒れてくれるんだろ?」


 バリアを使い続けるほど体力を消耗してくれるなら、こっちは向こうが限界になるまで安全に待てばいい。そう意見を述べる男に、サヤは首を横に振った。


「残念だけど、多分そうはならないわ」


 魔法を使う際、使う側の体力が消耗するというのはよく知られたことだ。魔法士であれば必ず知識と経験の両方で理解している。しかしこの世には体力というものがないのに、魔法を発動し続けられる例外的なものが存在する。


 ——魔法具。一般的にそう言われているものは、魔法の発動において誰の体力も必要としない。必要なのは魔法紋という空間中の魔力に作用を及ぼす仕掛けとそれを刻む器だけ。


「もしあの植物が、魔法紋と同じ方法で魔法を維持出来るようになれば、消耗していた体力を回復する段階に入るわ。そうなれば不利になるのは体力が減り続ける私の方」

「でも植物に魔法紋なんて作れるのか? ましてそんな複雑なもの……」

「……世の中にはね、歯車のような部品を体に持つ生物がいるのよ。信じられる?」


 サヤは少しの間笑いながら振り返ると、男の人の方を見た。


「ましてあの植物、魔力の影響で異常に成長が早いみたいなの。数分の内にあそこまで成長したって話が本当なら、少しの時間があれば魔法紋と似た機能を獲得するかもしれない。それがあり得ないと言い切れる?」


 言い終わる前にサヤは前へと向き直り、魔法の維持に努める。その後、ハッとなった男はメガホンを手にすぐに先程の指示を下へ伝えた。


 それとほぼ同じタイミングで、ゴーグルを取りに向かっていた人が屋上へ戻ってきた。男の人はサヤのすぐ傍まで来ると、持ってきたゴーグルを差し出す。


「持ってきたぞ! これで風はもう怖くないな!」

「ありがとう、お陰で助かったわ」

「ああ。それと緊急の報告だ。急いで聞いてくれ」

「何があったの?」


 魔法に集中しなければいけないので、後ろ手にゴーグルを受け取りつつ報告を聞いたサヤ。落ち着いた様子で聞き始めていた彼女。しかし男の伝える内容を聞いた途端、サヤの瞳は大きく揺れ、指先がピクリと反応する。


「今、なんて……?」


 サヤは思わず、男の方へ聞き返した。

 男の持ってきた緊急の報告とは、このままだとツカサが助からないという内容だった。

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