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緊急事態

 人の都合に合わせて起きてくれるのなら、それは災害などと呼ばれない。長い目で見れば見るほど、世界から安全といえる場所はなくなっていく。妥協は必要だ。災害を切り離す生き方なんて出来っこないのなら、どの災害と向き合うかを選ばないと、いずれ後ろから襲われ死ぬだけなのだから。


 ……という考えを、ビル並みに高い場所で出した私。身動きが取れないので思考する以外にやれることがない。状況を変えようにも、この突発的に起きた非常識な現象を前にしてどうすればいいかなんてすぐに思いつかないものだ。つまりは一種の現実逃避である。


「どうしよう……」


 ここに留まっていては良くないというのは分かる。眼下を見れば、学校の敷地全体と周辺の地形が視野にすっぽりと収まっており、私と地面の間に視界を遮るような物体は何もない。このような状態で何故落ちないのか。それは、私の手前に生えているとてつもない太さに成長した植物の茎。こいつから伸びているツル状の部分に絡み取られているからである。


 最初は足の方を取られていたが、上昇していくうちに絡み取られる位置が足から胴の方へとズレていき、今は臍の辺りで固定されている状態。安定しているといえばしている。けれど、全く動けないほどの拘束というのは拘束部位への圧迫も強い。私の体はこのまま長時間に渡って圧迫され続けるのは不味いと、危険を感じ取っていた。


「くっ……この……!」


 全身に力を込めて脱出を試みるが、鉄なのかと錯覚しそうなほどに植物は頑丈だ。二の腕より太いツル表面に凹みを入れるどころか、1ミリ横へ動かすことも難しそう。


 力で強引に抜け出すのが困難ならばと、私は植物と融合している魔力の分離を狙う。恐らくこの植物が異常成長した理由も魔力が何らかの影響を齎してのはず。なら元に戻してしまえば、私を拘束しているツル状の植物も頑丈さを保てなくなり拘束が緩くなるはずだ。


 魔力の分離を開始すると、その密度は地上でやろうとした時よりもずっと濃く、強固になっていた。人間一人の重さがかかって、しかもそれでツル自体も不動に近い状態なのだから、想定はしていたが……解けるのだろうか。


 泣き言を言いたくなる気持ちを抑え手を動かす。予想通り、魔力の方もほぼびくともしない。


「…………」


 なにこれ。分離しようとするとすぐ近くから魔力が集まってきて元通りにされるんだけど。10分くらいやり続けて何も変わらないって、分離自体可能なの? 


 今の気分を例えるなら、滅茶苦茶にHPが高くて固いボス。そいつの体力を数十分かけて5%削り、あと95%かあ、って思っていたら次の瞬間に敵の自然回復が発生して体力が全回復されました。そんな感じ。


 ゲームなら諦めて攻略法でも調べるか、もう付き合ってられないとアンインストールするところ。しかしこれはゲームではなく現実である。


 ……イグノーツに助けを求めるという選択肢が頭の中に浮かぶ。こんな状況だ。私は極大繁茂については経験がなく、その現象の詳細を知る側ではない。もしこれが極大繁茂の一部であるなら、イグノーツは何か対処法を知っているだろう。


 リストバンドはズボンのポケットに入れている。取り出して腕につければすぐに彼に繋がって話せる。幸いなことにツルの拘束位置はポケットのある場所と干渉していない。私はポケットに手を伸ばそうとした。しかし手の動きは鈍い。


「…………?」


 首を傾げつつ顔の近くまで手を持ってくる。血色は普通だ。血の巡りが悪くなっている訳ではない。痺れているような感じもしないし、グーパーと開いたり閉じたりする動作もスムーズに出来る。そのことを確認して、何も問題はないともう一度ポケットに手を伸ばした。


 だが、ポケットに手を伸ばした時にだけ、手の動きが鈍くなる。まるでそれを手にするのを躊躇うみたく、その時だけ脳から送られてくる命令に従おうとしない。


 なんで? と私は思い、何度か同じことを試行してみる。だが一度の例外もなく、ポケットの中からリストバンドを取り出そうとした時、腕は私の意思を拒む。


 原因を考えるも不明である。いずれにせよ、これではイグノーツに助けを求めることが出来ない。この位置からでは大声で叫んでも下までは届かないだろう。届いたとしても言葉としては聞き取れない。私自身が助かるためには、下にいるケイスケさんが救助に動いてくれるか、私が自力で抜け出して地上にまで降りる以外の選択肢はない。


 しかし先程まで試していたように、力づくでの攻略は私の握力だと不可能に等しく、魔力方面での攻略さえ糸口が見えていない。これ以外にやれそうな方法はなく、どちらも困難という中でどちらかで行くしかない状況。私にとってどちらがまだマシといえるか。

 答えは出ていたが、素直に「よっしゃやろう!」と思える気持ちではなかった。攻略率0%と1%未満でどっちがマシですかと聞かれ、消去法で選んだような答えである。もっと良い手があれば飛びつきたいという気持ちが心の奥で音を立てて主張していた。


「やるしかない、か」


 私は深呼吸をして理性を優先させた後、この難題と向き合うべく手を動かし始めた。


 



 異常成長した植物によって、ツカサが高度70メートル以上の場所で動けずにいた時。

 地上でツカサの近くにいながらも、幸運なことに植物の成長に巻き込まれることなく逃げられたサヤの兄、ケイスケはツカサがいる場所を見上げていた。


「——ツカサさーん!!」


 大声で呼びかけるケイスケ。普段の彼からは発せられることもないような大きな音を、喉を使って発している。しかしツカサのところへ届くまでに拡散してしまっているのか、彼女には気付いた様子がない。


 仮に聞こえていたとしても、その距離のせいでツカサの表情や顔の向きはケイスケのいる地上からは認識出来ない。ケイスケは何度か繰り返し呼びかけ、やがてそれが無駄な行動だと察すると呼びかける行為を諦めた。


 ケイスケは少しだけ、その場より様子を窺うように立ち止まる。しかしすぐに巨大化した植物の傍まで近寄って、その表面にある細長い突起物に手と足をかけた。登る体勢に入ったケイスケは落ちないよう慎重、かつ急ぐように出来るだけ垂直に登ろうとする。


 そうして校舎の3階ほどの高さまで登り終えたケイスケは、未だツカサの居場所まで半分の道のりも終えられていないという事実を直視させられた。


 ケイスケは、気合いを入れ直すように息を吐いて吸う。その後、再び登り出した。少しずつ、ゆっくりとであるがツカサのいる場所まで近づいている。近づくほどケイスケの呼吸は荒くなり、焦りが心臓の鼓動を早める。


 あと少し。もう少しで半分だ。そう思えるところまで来ようとした直前、植物の節から伸びている葉柄(※葉と茎を接続している部分)が茎との接続部より垂れ始め、ケイスケを狙うように落ちてきた。


「っ……!?」


 ケイスケは驚いた様子を見せながら、横に生えている突起へ飛び移り回避する。すると彼がさっきまでいた場所へ、垂れた葉柄が茎を打った。巨木が倒れたようなズシンという音。凄まじい揺れが茎とケイスケを襲い、突起にしがみつきながらやり過ごす。


 これだけの衝撃に倒れたりしないか。そう思うケイスケであるが、揺れが収まった頃に見た茎は、折れたり曲がったりもせずにいて登る前と変わらぬ姿であった。彼は少しだけ安堵する。


「な、なんだ今の……」


 一体何が起きたのか理解が追いつかない。戸惑いの表情を浮かべるケイスケ。

 一応考えては見た。考えては見たものの、垂れ落ちた巨大な葉柄がたまたま自分のいたところへ落ちてくる。事実として確かなのはそれだけであるとしか、ケイスケには判断出来なかった。他は全て謎に等しい。


 葉柄が落ちてきた時の動きは妙なものであったが、ただの偶然である。植物に人間のような意思などない。ケイスケがそう納得しようとした時、妙な音が垂れ落ちた葉柄の方から聞こえてきた。ズリズリという何かの表面をこする音。


「お、おい。嘘だろ」


 落ちた葉柄がズリズリと茎の表面を撫で、自分の方へ向かってきていると気付き更なる動揺に見舞われた彼だが、迫る葉柄から逃げるべく突起物を飛び移っていった。その間も葉柄は表面の突起物を落としながらしっかりと追尾し、明確に彼を追いかけてくる。


 はあ、はあ、とケイスケの息が荒れる。背中の方から聞こえてくるズリズリと引きずる音が、彼の心に今までものとは違う焦りを与えていた。体力と精神が消耗する。あの葉柄に捕まったら不味い。ケイスケはそれを本能のように感じて下へ下へと逃れながら、追いかけてこない高さまで行く。


 そうして彼は屋上の高さまで降りていった。


「ここまで来れば、大丈夫なのか……?」


 上を見たケイスケ。葉柄は最短距離でケイスケのいる方を目指しているが、葉柄の長さではそこまでは届かず、伸び切った腕のように垂れている。


 本当に安全かはまだ分からないものの、葉柄はここまで追いかけてはこれない。そう理解して、ケイスケはホッと胸を撫で下ろした。そこで偶然真下を見てしまったのだろう。「わわっ!」と一瞬驚いた後、足元の地面に人達が来ているのを目撃した。


「兄さん!」

「サヤ!?」


 その中に彼の妹のサヤもいた。ケイスケは慌てて植物の上から降りていき、途中で面倒くさくなったのか直接地面に飛び降りた。


「ちょっと、危ないわよ兄さん! そんな高さから飛び降りて怪我したらどうするの!」

「2階の高さからなら大丈夫だよ。それより頼むサヤ。ツカサさんが危ないんだ!」


 何事かと集まってきた人達に、ここで何が起こったのかを説明する。ケイスケは当事者として見たことを全て話し、この巨大な植物がいつどうやって現れたか、その時なにがあってツカサが高い上空にまで持っていかれてしまったのかを伝えた。


 全てを聞いて、集まった人達がざわつき出す。事実ならあまりにもおかしな話である。極大繁茂の予兆によって周辺地域の植物が凄い早さで成長している状況下でさえ、このようなことはまだ一度足りとも観測されたことがない。目の前にその実例があるとしても、飲み込むには時間が必要。

 自分の兄が言っていることだというのに、サヤも信じがたいという気持ちを隠せていなかった。


「その話は本当なの?」

「この状況で出鱈目なこと言ってどうなるっていうんだ! それに理由がどうあれ、こんなものが学校の中に生えてきたんだ。放っておく訳にはいかないだろ!」

「それは私も分かってるわ。だから一先ず冷静になって」

「落ち着けるか! だって……」

「兄さん!!」


 妹の大声と一瞬だけ見せた鬼気迫る顔。それにケイスケは怯んだ。サヤは兄の様子を確認すると、諭すように喋る。


「焦ってどうにかなるなら、私だって焦るわよ。けれど今はそうじゃないんでしょ?」

「…………悪い」


 ケイスケは己の行為を恥じて謝ったあと、自身が感情的になっていたということを痛感する。


「兄さんはとりあえず気持ちを落ち着かせておいて。私はこの状況をどうにかする方法を考えるから」

「なんとか出来るのか?」

「なんとかしたい、ってところね」


 目前に生えている巨木の如き植物へ目を向けつつ、サヤは顎に手を当て考える仕草をする。根元の方から上の方へ、ゆっくりと視線を移動させながら伸びていく葉柄の一つ一つを観察し、その中の一つだけ、他の葉柄とは違い一箇所ぐるっと巻いている形状のものを見つけたサヤ。


「あれね……」


 ツカサがいる場所を確認したらしきサヤは、呟いたあとズボンのポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。


「それは?」


 今取り出したのだから何か意味があるのだろう。

 兄妹ゆえに慣れている妹の行動をそう思いつつ、けれど何故それを取り出したのかが分からないという様子のケイスケ。


 サヤはそんな兄の方を見返し、言葉の意図を察したように答えた。


「お守りよ」

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