生きるための希望
「流石にそろそろ不味いか……」
男性スタッフの呟く声が聞こえてきて、私とサヤはそちらへ振り向く。
体育館に隣接する倉庫の中。街中から回収した食料などをここへ集めて保管してある場所に、私とサヤと、それに少し年のいった男性のスタッフで今日の分の食料を取り出しに来ていた。
「どうしたの?」
「いま用意出来る食べ物のことなんだが、備蓄量が1週間分を切った」
何があったのか聞くサヤにスタッフは答える。
食料などの残量が書かれた紙を見て残り何日保つかを試算した結果、現在校内に残されている食料はあと7日の間に尽きることが判明したらしい。
「県や政府からの支援は?」
「まだ連絡すら来ていない。ずっと沈黙しているよ。ったく、一体どうなっているんだ……」
現在は足りなくなる前に放棄されたコンビニや食品スーパーなどから回収しているが、それらは所詮一時凌ぎに過ぎない。継続的に食料を得る方法がなければいずれなくなり、私達もまた飢えてしまうだろう。
話を理解した私達も、スタッフと同じように悩み出す。
「一番近くのコンビニにはもう食べられる物は残ってないよ。近場で行ってない場所や遠くの方にはまだあるかもしれないけれど……」
「遠くの店だと、別の避難所が既に回収している可能性があるのよね。この状況でわざわざ残しておいてくれているかしら」
既に魔力嵐直撃の日から2週間が経過している。政府の声明がこないまま久しい中、食料配給の車なども途絶えた。なぜ来なくなったのかの原因は不明。原因を調べるべくイグノーツにお願いし行かせているけれど、何となく嫌な予感はしている。
そして配給が来なくなったのはここだけではないだろう。政府や市・県などが頼れなくなっている中で、避難所の人たちは他の避難所とも連絡が取れるような体制を築こうとしており、既にここでは西の方にある2つの避難所と協力する関係にあった。それにより協力関係にある避難所の側でも配給が来なくなっているといった連絡を受けている。
あと東にも距離的に西の2つと同じくらいの場所へ避難所があった。だがそちらに向かった人によるとそこには誰もいなかったということで、距離的に近い西の2つとだけ連絡をし合い、他とは別の方法で連絡出来ないか考えている最中だ。
「残っていそうなのは避難所に人が誰もいなかった東の地区だが、歩きでの探索だと往復でも1時間以上はかかるな。それに遠い場所ほどコンビニの居場所が正確に分かっている人が少なかったり、道が分かりにくくなる」
「GPSを使えれば楽なのだけれど、あの異常な低気圧のあとから精度が悪くなっているのよね」
サヤは携帯を取り出して世界地図を開き、現在地を表示する。そこにGPSで得られる位置情報から自動で自分の位置も表示されたが、誤差にして100メートル以上のズレが見られた。
「この程度のズレなら別に対応出来ない問題ではないんだが……現実の道が変わりつつあるんだよな」
男性スタッフがため息を吐きながら運動場の方を見た。そこには2週間前まで砂一面の広々とした広場があったはずであるが、運動場の四隅から高さ約10センチ近くある雑草が侵食し出しており、まるで人の手が長いこと入っていなさそうな風景を連想させるような状態に変わっている。
私はその風景を何とも言えない気持ちで見つめていた。
「…………」
極大繁茂。
避難所に来て間もない頃にイグノーツから教えられた、次に起こると予測される魔力災害。その内容は即ち、広範囲に渡って発生する異常なレベルの植物の成長。
予兆として植物の成長速度の上昇が認められ、基本的な対処方法が『避難』しかないという、まさに人知の及ばぬ災害の名に負けない現象。あれはその予兆だろうと私は予想する。
魔力によって頑丈かつ強靭、高い成長力を備えるに至った植物が見せる力は、予兆段階で『常識外れ』の一言だった。
コンクリートには延々と繋がるヒビが入り、そこから生えてくる雑草が光を照り返す黒い道を容赦なく緑に染め、並びたつビルの表面には日光を奪い合うようにツル植物がびっしりと覆う。あるところではガードレールなどを踏み倒すかの如く木が生え、送電していない電柱を飲み込みながら成長した木が見られるのも珍しくない。そんな風景がわずか1週間の間で急激に増え続けている。
街中でこの状態である。雑草なんてそれはもう膝の高さにまで届くものも現れていた。学校の敷地内だけやたらとのんびりした成長なのは、間違いなくイグノーツのせいだろう。確か魔力の消費によって影響が抑えられるとか書いてあったので、毎日ここの人たちのために大量の水を発生させていることで植物が成長するスピードが周りより下がっているのだろう。
何はともあれ、こうした背景により既に街中の風景は2週間前とまるで違っていた。衛星から見た地図なんてどこまで役に立つか分からない変わり様に、スーパーなどへ物品の回収に向かった人が「その内迷子になるんじゃないかな」と冗談めかしながら不安を紛らわしているのを目撃している。
「最近の植物は逞しいよな」
はははと笑う男性スタッフの声も、影があるように感じられた。
昼過ぎ。誰もいない校舎の中、“3-2”という教室の中にいる私。
『それで、私に頼みたいことというのは何でしょう』
『極大繁茂が起きるタイミングと、それから一番安全な場所を探して欲しいの』
イグノーツにそれを聞きたかった私は、リストバンドを付けて話し合う。折りしも私のお願いで彼は避難所にいなかったので、こうする以外即時連絡をする方法がなかった。
『起きるタイミングの予想は以前お話しした時と変わりありません。経過日数分差し引いて言うなら、最短で2週間。一番安全な場所と仰られるのなら……現状近くにはありませんね』
少し考え込むような声の後、イグノーツは答えを伝えた。
前に聞いた際は遅くても本年度内にと言っていたのに、今回は言及しない。私にはそれが予想の中では早い時期の方で起きそうであると、彼が考えているように思えてくる。
次の魔力災害までどれだけの時間が残されているのだろう。頭の中に過ぎる不安。
『近くにないって……ここ以外に安全な場所がないって意味じゃないよね。イグノーツさんの言うことだから、この辺は全部危ないってこと?』
『ええまあ。魔力嵐の通過した直下地域、かつての暴風圏内はまず危ないと思ってくれて結構です。日本で安全と言える地域は北海道、沖縄本島より西側、くらいでしょうか。その次にやや安全なレベルなのが東北地方でしょうね』
東北地方は本州内で魔力嵐の中心部から一番遠かった地域。そこくらいしか地続きで安全といえる場所はない。表立って感情には出さなかったが、内心では軽くショックだった。
そのショックを心を読む魔法より読み取ったと思われるイグノーツ。
『発生まではまだ時間があります。ここからであれば2週間かけて歩き続ければ東北地方へ向かうのも不可能な数字ではありません』
『……でも、それだと弟は?』
私は弟のことを懸念する。実家のある方はここより更に西の方。イグノーツの提案に従って動く場合、弟のところへ行ってから向かう余裕はあるのだろうか。
『厳しいと言わざるを得ないでしょう。合流するには実家との往復時間がかかりすぎます。その分だけ余裕のない行程で東北地方を目指すことになりますよ』
難色を示してくるイグノーツ。本来電車に乗って何駅も通過しながら行く距離であるのに、それを徒歩で行こうとしているのだ。
下手すれば1日かかる。加えて現代人の鍛えられていない足だとその移動だけで足が棒になり、翌日には歩行速度が大幅に下がる可能性も考えられた。不確定要素が多ければ多いほど、災害前に安全な場所へ辿り着ける確率は下がる。私自身、そうなるだろうという予想はしていた。
メールで東北地方まで逃げてと伝える手もある。まだ充電が残っていれば向こうも気づいてくれるだろうし、なくても誰かが充電器を持っていて、それを使わせてもらえる可能性はある。
だけどそれはあまり良い方法とは言えないだろう。弟の傍には私の両親がいるはず。あの本のことを私から知っている弟ならともかく、なぜ東北地方に逃げればいいのか、なぜ避難所に留まらずに動いた方がいいのか、どうして未来に起きる災害の詳細が分かるのかなど、両親へ上手く伝えようがない。現実的な選択として留まり続ける判断をする方がよっぽど想像出来る。
『選択は2つに1つです』
イグノーツが告げる。
1つは弟のことは諦めて、自分達だけで安全な土地へ向かうこと。確実に安全圏内には移動出来るが、自分の家族は諦めて進む必要がある。
もう1つは、弟と合流し家族を説得しながら、余裕が少なく困難になるであろう道。
『……私は、弟と合流するよ』
答えはすぐに出てきた。
『例え両親に話して理解してもらえなくても、逃げることが出来なくてもいい。そのまま次の魔力災害に巻き込まれても、最後の瞬間まで家族と一緒にいることが出来るなら』
バラバラになった後、二度と会えないまま永遠に別れるくらいであれば、最後の時まで一緒にいて終わりを迎えた方がマシ。そう思った私の答えは、始めから決まっていたようにそれしかなかった。
『良いのですか? その場合ツカサさんは高い確率で極大繁茂に巻き込まれ、死ぬことになりますが』
『どうせいつか人は死ぬよ。いつ死ぬか、どんな理由で死ぬかが違うだけ。私はねイグノーツさん、一人ぼっちで死にたくないの』
誰も見知っている人がいないところで、馴染みも何もないところで、寂しさと辛さに抱かれ、心から寄りかかれる相手も、気持ちを共有出来る相手もいないまま死ぬのが嫌。人生山あり谷あり、色んなことがあってもしょうがないと思うけど、最期の時くらい山の部分で終わりたいと願う。それは誰しもが考えることだと思う。
『それに、ここの人達の中にはその移動が難しそうな年配の人もいるから。一緒に行こうとしてもきっと行けないし、そういう人を置いていこうとするのは気が引ける。だからごめん、私の人生は多分……今年で最後かも』
『……享年19歳。今年一杯まででも20歳。決して往生したなどと言えない年ですね。自分の人生に、不満はないのですね』
『ない訳ではないよ。けれど、生まれてきた時代が悪かったら、どうしようもないじゃん』
もし今が、戦争の真っ只中の時代だったら?
疫病や飢饉が蔓延している貧困に満ちた時代だったら?
そんな時代に生まれてきた時、どうすれば長生き出来る?
どうやれば大人になるまで生き残れる?
子供の頃に望んだ生き方の、何割が死ぬまでに達成出来る?
努力でなんとかなる部分はあるだろう。けれど一番重要なのは、運だ。
『運が悪ければ、人は死ぬんだよ』
この世には抗うことの出来ない力というものがある。人間の歴史において最も古くからあるそれは災害であった。
どんな権力者が優れた知恵や部下を駆使しようと、災害にだけは正面から打ち勝てなかった。言葉で取り繕うだけでは何一つ解決しない冷酷な現実、その権化たる『災害』と呼ばれるものがいま、私達の住む街を含めた広い場所で起ころうとしている。
逃げる事は出来る。けれどそれは大切なものを失うことと表裏一体に等しい。
失うものが何もない人間なら、それを選ぶことも出来ただろう。だけど私は違った。自分自身と同じくらい大切な家族がいて、かけがえのない友人がいて、そういう人達と最後まで一緒にいたいという人間に育っていた。
『私は……』
『ツカサさん?』
心の底から漏れる気持ちが無意識のうちに出てきて、イグノーツに聞かれそうになる。そのことへ寸前に気付きリストバンドを外し、
「死にたくないけど、仕方ないんだ……」
俯きながらその場に座り込んで、呟いた。




