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心に残ったもの

「サヤ…………」

「ツカサっ!!」


 男達を無力化した後、サヤと私はデパートの1階まで下りてきた。周囲にはもう男達の姿はない。

 移動中、私はサヤにずっと手を握られていて、サヤは終始無言でいた。けれど1階に着いて私が話しかけた途端、こちらの名前を呼びながら思いっきり抱きついてきた。


「ご、ごめん。心配かけて……」

「無茶しないでよ……! 私、どうしても心配で戻ってきて、貴方があいつらに囲まれていたのを見た時、もうダメかと思ったんだから……」


 そこにはもう、鬼気迫る姿でいた彼女はいない。ただ、友人の身の安全を心配してくれているだけの友達しかいなかった。普段の姿からは想像も出来ないほどの、今にも膝から崩れてしまいそうなサヤの声に、私は応える。


「ありがとうサヤ。サヤのお陰で私、助かったよ」

「本当に……怖かったんだから」


 ありがとう。言葉だけでなく、彼女の背中に優しく手を当て返すことで気持ちを伝えた。


 ……また、助けられちゃったな。私が助けるつもりで行ったのに。本当、サヤはすごいなあ。

 途中までは私がサヤに連れられる形でいたのに、そこからは私がサヤを連れデパートの中を歩いていく。そして入り口の近くまで来た時、あの人が私達を待っていた。


「一週間と少しぶりですね。お体に傷はありませんか、ツカサさん」


 イグノーツ。少し前まで一緒にいた時と何ら変わりない姿で、心の機敏が読み取りにくそうな微笑みを浮かべた男が、静かに佇みながら顔だけをこっちに向ける。


「サヤとイグノーツさんのお陰で、なんとか無事です。でも服がちょっと……それに」

「破けていますね。乱暴に剥がされようとしたせいですか……臭いも少しですが移っている様子。せっかく取り除いたばかりだというのに」


 彼が言うように、私が着ている服は強引に破かれようとしたせいでところどころが可哀想なことになっている。破けた部位はあの人達が何をしようとしていたのかを物語るような場所ばかり。そのため見えそうになっている下着を腕や他の布で隠し、イグノーツに見えないようにしていた。いつの間にかサヤも、それを彼に見せないよう私の前へ出てきている。


 また臭いの方も、外からやってきた彼らに付着していたのがあの接触の間に移ってしまい、落とした臭いの上にまたかかってきてしまっている。


「ふむ」


 こちらの状態を確認したイグノーツは、その場で片足を動かすと靴底で地面を叩いた。トンという音と共に、周囲に白く輝く結界のようなものが発生し、私達3人を包む。


「これは……?」

「ツカサさんに移ってしまった臭いを取り除いております」


 助けるのが遅くなったお詫びです。そうイグノーツは語る。

 私はチラリと彼の履く靴へ視線を落とす。まさか魔法具? 足の裏の臭いが気になる人向けにそういうタイプもない訳じゃないが、範囲効果のものは初めて見た。


「自作品です」


 こちらの考えていることを読んだイグノーツが説明を入れる。そういえばイグノーツさん、魔法具を作る職人の家に一時期暮らしていたんだっけ。靴の魔法具とかどうやって作り方を……と思ったが、その時に学んだ技術なのかな。


 そんな風に私が思考を巡らせているうちに、どんどん嫌な臭いが薄く消えてなくなっていく。数秒でここまで臭いが消えるだなんて、こちらにある魔法具でもそうはいかないぞ。異世界の魔法具は効果も高ければ効き始めるのも早い。


「臭いはこれで十分でしょう。次はそっちですね」

「っ……!?」


 イグノーツがもう片方の足で足踏みをすると、今度は赤く光る先程と同じものが発生。

 途端、服の破けた部分やほつれた部分が綺麗に繋がっていき始める。破け具合が酷く修復が難しいところも、足りない繊維をどこかから補ってきて縫い合わせていき、最後はきっちりと元通りの姿にまで戻っていった。


「ふ、服を直す魔法……!? なんでそんなのが靴の魔法具に!?」

「靴の裏は擦り減るものでしょう? 特に、旅などで長く歩く人は余計に」


 な、なるほど……? これはとても便利だけど、買い替えの頻度が下がりそうだから服屋さんとかは反発しそうな魔法だね。けれど助かった。今は新しい服を買いに行けるような状況じゃないし、この服も割と気に入っている方のやつだから、結構ショックだったもん。


「そういえば、あの人達を吹き飛ばしたのってイグノーツさんの魔法だよね。あれって何なの?」

「ただの衝撃を放つ魔法です。いえ正確には『物を飛ばす魔法』と言った方がいいでしょうか」

「物を飛ばす……指定した物体を飛ばせるってことね。それで男の連中だけを正確に吹き飛ばしたの」


 イグノーツをジッと睨んでいたサヤが会話に混ざる。


「直接会うのはお久しぶりですね、サヤさん。相変わらず元気そうで安心しました」

「ちっとも心配していなかったって顔ね……まあいいわ。私のことはいいの。それより、なんでツカサがあんな目に遭っていたのに私が言うまで助けようとしなかったのかしら?」

「貞操の危機ではありましたが命の危機ではないと判断しましたので、様子を見ていました」


 躊躇う素振りもなくあっさりと理由を喋る。まるで後ろめたいことなど何もしていなかったと言うように。

 あまりに軽い説明にサヤは眉間に皺を寄せ、私はイグノーツの発言にただ言葉を失う。


「命の危機じゃない? ……貴方にはあれがそう見えたっていうの?」

「やろうとした行為を予想する限りですと、命を害するほどのものではありませんよね? せいぜい危険要素といえば、相手が大して自制の効かない“動物化”した者であったこと。大事になる前に処分した方が良いのではと考えるくらいでしょう。もし己が犯行の証人を封じるために命を奪おうとしたなら、私は手加減せず止めていましたよ」


 あっけらかんとした態度で、一般人が言わなさそうなことを幾つも口にするイグノーツ。


「…………想像以上ね、あなた」


 サヤが今聞いたことを飲み込み、より強くイグノーツを睨んだ。それでも彼の態度は変わる気配がなく、落ち着いた様子であり続けていた。


「ツカサさん。貴方をすぐ助けられたのに助けなかったことを謝罪します。ですが、ああなったのは私のせいだけではないですよ」

「……私のせいだけではない?」

「そもそも、貴方が彼らを相手に自らの身を危険に晒していなければ、避けられたリスクだという話です」


 あの現場の近くには既にイグノーツが近づきつつあった。せいぜい到着まで数分もかからない距離にいた彼を信じて待ち、その間デパートの中で逃げ隠れ続けていれば、デパートに到着した彼が男達のことを調べ上げ、男達を一人で無力化することも可能だった。男達と接触せずに一緒に逃げる場合でも、彼らをどうこうするなど容易く出来ただろう。

 なのにそれを根拠もない想像を理由に避けた挙句、ほんのちょっぴりしかない可能性を理由に危険な相手の前に出て、結果あんな目にあった。


 有り体に言って擁護が難しいことを私はしたのだと、イグノーツは告げる。


「ツカサさんには一度その身で理解しておいて欲しかったのです。あのような行動を続けていれば、いずれそういう取り返しのつかない事態になっていたと。平時なら向こうも欲求を抑えていたかもしれませんが、現在は国家レベルの非常時です。平時と同じ感覚でいられて、危ないところに進んで突っ込まれてそれを守れとなっても、困る話だと思いませんか?」

「………………」


 正直、何か言いたい気持ちがないわけではない。人というのは自分が悪いと理解していることでも、それをすぐには認められず周りに当たることがある。大抵そういうのは、当人が良かれと思って直前までやっていたことであり、悪いことをしていたという自覚がないという。善行をしていたと思うが故に周りからの指摘に反発してしまうのだ。


 私も、あれをサヤのためにやったつもりなので、そこに引っかかる思いが残っていた。けれど、


「もしツカサさんが大切に思っている相手が同じように危険へ飛び込み続けたら、貴方はどう感じますか?」


 私が大切に思っている相手……サヤや弟。二人がそんな風に危険なことを繰り返していたら、私は止めようと思うだろう。そんな危ないことはやめてと。無茶しないでと。


 守るのにだって限界はある。どんな状況からでも無事に帰ってこさせられるほど、私は万能な人ではない。手遅れになってしまう前にどうにかしたいと考える。


「ああ、そっか……」


 まだ心には馴染んでいないが、理屈では、頭では理解しつつある。

 私がしていたことは、単なる自己満足の延長でしかなかったのかもしれない。それに気付いて、目線が徐々に下がっていく。


「自分が取った行動の危うさ、身に染みて伝わりましたか?」

「…………はい」


 イグノーツの落ち着いた問いかけに力なく答える。


「私もツカサさんを極力守るつもりですが、それにも限度は存在します。同時に、貴方が貴方の力で自分を守れる範囲にも制限があります。貴方の身と心は貴方だけのものでしょう。でも、それが欠け損なわれた時に、貴方と深い縁を持つ方の心も損なわれるかもしれない……望まぬならば覚えておきなさい」


 それを告げると、もう話すことはないとばかりにイグノーツは沈黙した。

 彼の言葉が胸に突き刺さる。私はあの時、どうすれば良かったんだろう。イグノーツに全部を任せて、二人で隠れているのが正解だったのかな。今もなお思い出される男達に囲まれた時の記憶。その時に感じた身の恐怖。それらが、イグノーツに頼っていればなかったものだと思うと、私が選んだあの行動は、間違っていたのだろうか。


 サヤがこちらを心配するような目で見ていた。私はそれに微笑み返そうとするが、彼女の顔は変わらない。


「ツカサ…………」


 ああ、私いま、ちゃんと笑えていないんだ。

 目を背けるサヤの悲しそうな表情を見て、私はそう思った。


 帰りましょうか、というイグノーツの言葉を聞いて、私とサヤはデパートを後にした。外を移動する際、イグノーツの魔法具の効果によって彼の周囲では街中の悪臭がみるみると消える。その効果範囲内から出ないようについて行き、学校へと戻った。


 このデパートには色々な思い出があった。学生時代、友達と一緒に来た思い出。社会人になってからも、時々サヤと買い物に来た思い出。今日、臭いを落とすために屋上へ来て久々に体を洗った思い出。


 そして、3階で彼らに酷いことをされかけた記憶。楽しいことの方が多かったはずなのに、今はそれだけで暗い影が差したように、目を背けていたくなった。

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