緊迫の時
これでいい。これで相手がどんな人であろうと、確実にサヤは、サヤだけは帰れる。
『友達想いですね、ツカサさんは』
イグノーツの心の声が聞こえる。リストバンドを付けたままだった。
「……聞いていたんだ」
『貴方の心の声だけですが、空気を読んで、何も言わずにおりました。もうすぐそちらへ着きますよ。デパートの下へ来たらサヤさんを保護します』
「ありがとう」
『一つ、質問してもよろしいですか』
えらく真面目な声だったので、私は「どうぞ」と心の中で応じる。
『なぜ私の到着を待つまで、なんとか隠れるという選択を取らなかったのです? デパートの中が危ない雰囲気になっているとなれば私は急ぎますし、男達の方も対処してみせましたよ』
それは当然、私も考えたことだ。イグノーツがデパートまで来ればこっちは女性2人ではなく女性と男性の3人のグループになる。しかも全員魔法士で、イグノーツに至ってはこの世界でも多分トップになるであろう人物。恐らく相手のグループが5人だろうが6人以上いようが、難なく対処してしまう気がした。
それが最も安全な選択であろうことも、理解していた。けれどそれをしなかったのは、私はイグノーツに一つの可能性を感じていたから。
『可能性とはどんな?』
こちらの思考を読んだイグノーツの質問が来る。
『……イグノーツさんが、私たちを守るためにとんでもない手段を使うかもしれない。そういう可能性』
何故かは分からない。確たる根拠がある訳ではない予想だが、イグノーツがこの状況に現れて、私達を保護する段階に入った時、相手のグループを容赦なく倒すというイメージが思い浮かんできたのだ。
『なんでかなあ。イグノーツさんのことを疑うつもりじゃないんだけど、いつもの表情でとんでもないことをしそうな気がするんだ。それが私には怖くて……』
『酷いですねえ。人をまるで一般人からかけ離れた存在のように扱うとは。配慮が足りていませんよツカサさん、私への配慮が』
『分かっているよ。だからごめんなさい』
私はイグノーツに謝った。勝手なイメージを抱いて、それも良くない方向のやつだということを謝った。
そうして彼と語らいつつも移動し、エスカレーターのところまでやってくる。ここは見晴らしがいいから、遠くの通路や下の階も見える。ここで私が下の人達の注意を引けば、サヤは階段からデパートを脱出出来るだろう。
「…………」
エスカレーターのベルトに手を乗せた時、自分の手が震えていることに気付いた。
『……怖いですか』
『緊張しているだけだよ』
心の機敏を読まれ、イグノーツから言われてしまう。ああもう、サヤには大丈夫そうに言って振る舞ったのに、なんて姿だ。こんな格好はサヤには見せられないな。
その場で深呼吸して心を落ち着ける。震える手を手で押さえ、ドクンと脈打つ心臓の元に当てながら。
「——誰かいるんですかー!!!」
大きな声でそう叫んだ。私が出せる限りのよく響く声で。
……これで、デパートの中にいる人たちは私の存在を見つけただろう。間もなく私という存在を確認するために誰かがやってくるはずだ。そうなれば、相手の出方がよりハッキリと分かる。
私はエスカレーターを下りて3階にまでやってくると、二人の男が同じ通路より姿を現した。
「貴方達は?」
出てきた二人に向け尋ねると、二人はお互いに目を見合わせた後こちらへ向き直る。
「俺達はついさっきこのデパートに入ってきた。使えそうなものがないかを探していたんだ。あんたは?」
「私も貴方達が来る少し前にこのデパートにやって来ました。近くの避難所で生活しているのですが、必需品などがなくなりかけてて……それで物資がここにないか調べに来たんです。そうしたら誰かが下を通るのが見えて……」
言う必要もないのにこちらの事情を話す。それは相手にこちらのことを少しでも分かってもらうためと、私のことを考えてもらうため、そして注意を引きつけるためであった。
「なるほどな。それでここに……で、その必需品ってやつは見つかったのか?」
「いえ。残念ながらここにはありませんでした。なので他のところを探しに行こうかと」
「……ならよ、俺達も一緒に探してやるから、一緒に行かねえか?」
私から見て右側の男が提案してきた。
「見た感じ一人でここに来たんだろ? こんなところに女一人で行かせるなんて、碌な連中じゃねえ。ただでさえ人も全然見かけねえし、何があるか分からないってのに、そんなのは良くねえな」
今のところ向こうが言っていることは真面だし、本当に一人で来させられているのならその通りだと思う。だが実際にはそうではないので、私も気を引き締める。
さて、相手の性根を見極めるべく、一つここで試してみるか。
「いえ、ここへは私の意思で来たので。わざわざ手間をかけてもらうほどではありません。私のことは気にしないでデパート内の探索を続けてください」
「遠慮するなよ。見たところ俺達とあんたの目的は似たようなものだ。お互い助け合える関係になれると思うんだ。どうだ、一緒に来ないか?」
「大丈夫です。お気遣いどうも」
そう言いながら、私は軽い会釈をしたあとに男の横を通り過ぎてみる。
「まあそう言うなって。なあ?」
「痛っ……!」
すると横を過ぎようとした直後、左の男から腕を掴まれた。思ったより強い力で掴まれ、痛みで声が出た。
「いいじゃんよお、ちょっとくらい一緒にいたって。どうせお前も邪険にされているんだろ?」
「ち、違います……離してください!」
振り解こうと試みるが、筋力の差でまるで勝てる気がしない。それでも抵抗する意思だけは見せ続ける。ここで諦めたら従ったと思われるだけだ。
「なあ姉ちゃん。別にあんたがどこへ行こうと勝手だが、ここで会ったのも何かの縁だ。出て行く前に1回やらせてくれねえか」
「は、はあ?」
右の男が急にそんなことを言い出したので、思わず素で返してしまう。
「姉ちゃんもさっき言っていたけど、俺達も避難所で生活しているんだ。といっても姉ちゃんのところとは別の避難所だけどな。ただよお、あそこは色々と不便で、思い通りにいかないことや出来ないことも多い。それで色々と溜まっているんだよ。だから発散させてくれねえか?」
発散……サンドバッグになれってこと? それとも、そういう意味でやらせてほしいってこと? どっちも嫌だ。私は見ず知らずの人とやるなんて絶対に断る。そういうのは自分が心からしてもいいと思える相手以外したくない。貴方達なんかとは死んでもごめんだ!
「嫌です、やめてください!」
「強情だなあ。そういうのも悪くないが、周りを見たほうがいいぜ?」
右の男が私の後ろの方へ目配せするような動きを取った。直後、いつの間にか後ろに回り込んでいた3人の男に体を掴まれ、自由に身動きが出来なくなってしまう。
「1対5だな。従順にしておいてくれるなら多少は手心を加えてやれるが、そうでなければ……」
「——嫌っ!!」
「なら仕方ない。残念だが手心なしだ」
男が指を上に掲げて何かを合図すると、他の4人は一斉に動き出した。ある人は私の体を押さえ、ある人は太腿辺りに手を伸ばしてきて、またある人は私が着ている服に手をかける。何をされるかが頭によぎり、私は反射的に悲鳴を上げた。
「叫んでも無駄だぜ。このご時世だ、助けなんて誰も来ないしそもそも人がいねえからな」
「ああ。せいぜい可愛がってやるから楽しませてくれよ?」
「つーかよく見たらこの子、俺好みの顔とスタイルじゃん。やべえ、興奮する……」
「まさかこんな日が来るとはな……俺もついているわ」
私は口元を手で覆われる。次々と吐き出される欲に塗れた声。己の願望を隠そうともしない目線と指の動き。触られたところから伝わってくる不快感。全部が地獄のようだった。
魔法を使って抵抗しようにも、精神が大きく動揺しているせいか集中出来ず、発動する気配がない。魔法を使えない魔法士なんてただの一般人。相手の思い通りにやられる一方だった。
嫌だ、嫌だ。こんなの嫌だよ。
誰か、誰かいないの。怖い。怖いよ。
ここから逃げ出したい、この人たちのいる所へいたくない。
お願い、お願いだよ。誰か、助けて————。
「——ツカサから離れろぉ!!」
その声はいきなり聞こえてきた。
私の心が、暗い暗い闇の奥へ沈みかけていた時。もう、取り返しがつかなくなるような事態が起ころうしていたタイミングで。闇の中に光を当てて、力なく上へ伸びていた手を掴み取るように。
よく耳に聞き馴染んだ声が、私の元へ届いた。
「熱っ!? な、なんだ!」
「お、おい。お前、背中に火が!」
「火ぃっ!?」
私を囲んでいた男の一人がいきなり離れると、その男の背に頭より少し小さい程度の火が燃え移っていた。
驚いて周りにいる人全員が火の付いた男の方を見る。すると、
「……あ、熱い! 背中の方に焼けるような感じが!!」
「足が、足がいつの間にか燃えてて!! た、助けて!」
「俺の髪が燃えてる! 誰か消火器持ってないのか!?」
「やるならまず俺にしろ! 背中の火が消えねえ!!」
次から次へと服や体の一部に火がつき始め、周りは一気に阿鼻叫喚の図に変わる。
何が起こったかまるで分からないでいる私は、状況を確認するべく周りを見渡した。すると、長い通路が伸びている方向に、私のよく知る人が立っていた。
「……な、なんで」
サヤ。私が囮になっている間に、とっくに逃げていただろう彼女が、なぜかその場にいた。
「貴方を放って帰れ? そんなの出来ない相談よ」
恐らくは、サヤが火をつける魔法で彼らの服や体に火をつけたのだろう。この場に火元が全くない以上、着火原因と考えられるのは彼女の使える魔法以外にない。理屈ではそう分かる。分かるが、なんでそこにサヤがいるのか分からない。
「ここで素直に言うこと聞いて、それで帰れたとしても。ツカサが無事に帰ってこれる可能性はどれくらいあるの? 貴方が心から幸せでいられる日々がちゃんとくるの? 私はそうは思わない」
サヤは独り言を繰り返しながら、ゆっくりとこっちへ向かって歩いてくる。その表情は固く、覚悟を決めた者のようであり、怒りに身を焦がす者のようであり、決して後ろに退かないという意志を持った人のようだった。
「だったらそれは、ツカサを信じての行動じゃない。——ツカサを見捨てるために、愚かな自分を正当化するための行動なのよ! そんな行動が取れたって、何一つ良かったなんて思えないわ!!」
顔を歪めるほどに感情を剥き出しにし、猛獣のように激しく叫ぶ彼女は、私の目の中に焼き付くような姿として映っていた。
「イグノーツ、貴方も貴方で何ぼさっとしているのよ。どうせそこから状況は把握しているんでしょう? まさか自分が“本の所有者の危機”にどうするか、言ったこと忘れたわけじゃないでしょうね!? もしそうなら頭に叩き込んでやるわよ!!」
『……やれやれ。仕方がないですねえ』
イグノーツの声が聞こえた瞬間だった。周囲で火に悶え苦しんでいた男達が突然何か、強い衝撃を受けたように遠くへと吹き飛ばされる。勢いよく飛んでいき壁に激突した男達は、体についた火が消えると共にぐったり地面へ転がった。あまりの一瞬のことに、その場で唯一燃えていなかった指示を出していた男が戸惑っている。
『数の有利はこれでなくしておきました。あとは私が介入せずともサヤさんなら勝てるでしょう。ではデパートに着きましたので下で待っていますよ』
「な、なんだ!? 一体いま何が起こった!?」
「……分かる訳ないわよ。あんた達みたいな頭の使い方をする連中には」
近くまで忍び寄っていたサヤが男の背後に回り込み、後頭部を鷲掴みする。
男からは決して視界に映らない。しかし、それでもそこから放たれる威圧は視覚など使わずとも感じ取れる。それを物語るかの如く、男の肌のあちこちから冷や汗が浮かび上がった。
「や、やめっ……」
「脳味噌燃やされて死にたくなければ、二度と私達に近寄るな」
既に混乱状態に片足を突っ込んでいた様子であったが、彼女のドスの入った声と今見た光景により、男は完全に抗う気力を喪失。
私は一連の流れを、何も言えずに呆然と眺めるばかりだった。




