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現実的に考えて

 私がこの場所に避難してから既に一週間以上が経過した。現在の時刻は朝。起床した私は体育館のステージに上がり、下からは見えない幕の裏へと向かう。そこには避難者達のメンタルチェックをしている最中のサヤがいた。


「おはようサヤ」

「おはよう。調子はどう?」

「まあまあ元気……だけど、うーん」


 ここでの暮らしにもある程度慣れ、サヤ達と合流して心にもいくらか余裕が出てきたが、今の気分はあまり上向きではない。風に乗って漂ってくる嫌な臭いのせいだ。


 3日ほど前より、街中から生ゴミが腐り出した時のような鼻をつまみたくなる悪臭が広がり出している。それは日を追うごとに段々と濃く強くなっており、今では学校の敷地内にいても少し嗅げる。

 イグノーツはこの臭いを『死臭』と言っていた。人体が生命活動を停止し、時間の経過と共に腐敗が進んで生じる臭いだと。


 シェルターの魔法をギリギリで拡散させた私達だけど、魔力嵐から命を守れずに死んでいった人は数多い。恐らくその人たちはあの日に殆ど亡くなり、腐敗ガスを発生させる物体へと変わった。また恐ろしいことにその数はかなりいると推測される。

 以前私は魔力嵐によって日本の人口3分の2が消し飛んだと予想したけれど、イグノーツが調べてきてくれた市内の避難情報を見るに、それは甘い予想だった。なにせ……市内ではどこの避難所もキャパシティを超えるほどの収容は発生しておらず、逆にかなり余裕がある状態にある。これは極めておかしい事実だ。市内全174箇所の人数を足し合わせても、市の人口の1%にすら届いていない。


 もしかしなくとも、市内の生存者数は被災前の1割もいないのではないか。そんな不安が頭によぎる。


「……外からの臭いが気になる?」

「うん。サヤは平気なの?」

「まさか。ただの痩せ我慢よ」


 この体育館内では浄化魔法具によってまだ清浄な空気を保っているが、それでも臭いが僅かに残るような状態だ。外に出ればよりハッキリ分かる。


「厄介よね。臭いは性質上、嗅ぐか嗅がないかを選ぶことがしにくいから」


 五感の中でも嗅覚は情報の取捨選択が意識的にしにくい。視覚は目を閉じれば、聴覚は耳を塞げば受け取る情報量を減らすことが出来、触覚なら対象に触れなければゼロまでカット可能。意外と人間は知覚情報の多くを自身の意思で減らすことが出来る。


 だけどその点でいうと嗅覚は面倒。臭いの情報量は基本減らす手段がなく、別の匂いで上書きしたり、臭いの発生源に対処する、発生源から遠ざかる、自分とその発生源の間に遮蔽物を用意する以外の選択肢がないのだ。


 ティッシュなどを鼻に詰める、マスクを付けるなどの簡単な対策はあるけれど、そういった消耗品が必要という点において、カットするためにかかるコストが他の感覚より高い。これが厄介なんだよね。臭いを防ぐ物として咄嗟に思いつくのが消耗品の都合上、足りなかったり節約のために我慢しなくてはならないことも考えられるので、その分のストレスがくる。人によっては臭い対策のマスクを長時間つけていてもストレスだったりする。


 避難生活で既にストレスがかかっているのに、さらにストレスが上乗せされると人の心は一層荒む。お陰で最近はメンタルチェックの様子も芳しくない。避難者達の間で『臭い』に関するストレスが徐々に蓄積されて来ている。


 普通ならば水面下の内に不満が蓄積し出して割とヤバい状況だ。それでも今はまだ大丈夫と言える。


「浄化魔法具の調子はどうかな? 私が直しておいたやつ」

「特に問題なし。今のところは軽い検査をするだけで修理が必要なことはないわ。外に長時間いなければストレスもそこまで上がらないし、避難者達のストレス対策も進めているから、文句も抑えられている範囲ね」


 1級魔法士だから心を読めるため、集団生活では必然の人間トラブルを事前に察知することが出来、問題が発生する前より発見し仕留めることが出来たから。いわゆるサーチ&デストロイだ。もちろん魔法具関連のトラブルがあっても素早く対処が可能。


 会社で重宝されるくらいなので、集団生活を強いられている現状においても効果は高い。ただ……当然のデメリットとして私達は『他人の心中を覗いているやつ』という人聞きは悪いがその通りとしか言えない評価を受けるのだが。


「でも私とサヤを見かけた時のストレスは上がっていそうだけど」

「どう言い繕ったって、心を読まれて抵抗感じないはずないからね。許可は取ってやっているし、こういう人目につきにくいところでやるようにしているけど、やられてる側はリラックスし切れないでしょうね」

「だったら止めるべきかな。会社とは違って絶対にやらなくちゃいけない訳ではないし」


 あそこでは仕事の一環として実行していたことだが、ここでは別に仕事ではなく協力として、スタッフの助けになるならと思ってやっていた。それで少しでもトラブルの防止や対策に繋がるならと。けれどここは会社ではなく避難所。業務上の都合だと全員が理解してくれる訳じゃないし、多くの人が24時間この場で暮らす。


 会社では心を読まれても、家に帰れば心を読まれなかった。会社で蓄積したストレスを、家や休日で解放することが出来た。それがここでは出来ない。私は遅れながらもそのことに気付いたのである。


「心をチェックしてストレスを少しでも軽減しようとしたつもりが、その行為でストレスを増加させていた。そんなことになってないかな?」


 そもそも私は、イグノーツから心を読ませてとお願いされた時、自分の心を四六時中見られる可能性に難色を示して、彼が妥協案として用意したリストバンドを利用している。そんな私が、都合の良い理由を盾に他人の心を読む資格なんてあるのだろうか。

 そういうことも感じ、無意識のうちに止める理由を探そうとしていた。するとそれを聞いていたサヤが口を開く。


「ツカサ、貴方疲れてるわよ」


 私はその言葉にサヤの方を見た。


「そもそもメンタルチェックは、規模のある会社が成長するほど増える従業員間のトラブルを効率よく発見し、社内環境を改善するために行われるもの。実行を発表した時点でトップ以外には結構なストレスだわ。本来猛反対されてもおかしくない。なのに、どうしてそれが受け入れられていると思う?」

「……改善されると会社全体の利益になるし、下の人の要望も上に届きやすくなるから?」

「貴方、今だけわざと知能を落としてない?」


 ケイスケさん、貴方の妹の発言が酷いです……なんとか棘のない言い方を選ぼうとしただけなのに。でもその結果回答がズレたのは認めます。


 私が心の中で涙を流している中、軽くため息を吐きながら続けるサヤ。


「……まあ挙げようと思えば色々挙げられるけれど、一言で結論付けるならそれで『成功』した事例があるからよ。最初に社員のメンタルチェックを導入して、見事成長を遂げた企業の話は知ってるわよね?」

「それなら知っているよ」


 1級魔法士なら大体の人が知っている話だ。


 やや昔、まだ魔法士を活用した『メンタルチェック』という概念もなかった頃。とある場所に従業員200人規模の会社がありました。その会社は数年前まで20人くらいの規模の小さな会社でしたけれど、事業の成功や時勢の流れが幸運に働いたことで、みるみると大きくなって10倍くらいの規模にまで成長します。急激な成長は会社にとって様々な影響を齎しましたが、一気に人が増えたことでの悪影響も出てきます。


 それまで、従業員が一堂に会してコミュニケーションを取ることは割とあったのですが、会社が成長してからは困難になりました。20人くらいなら入れる空間は結構ありますが、200人も一緒に収められるスペースは中々ありません。物理的に用意するのも大変なので、しないことにしたのです。


 そして以前はあった、社長が“みんなの意見を聞いていく”ということもなくなりました。前は従業員一人一人の意見を大事にするべく、コミュニケーションの円滑化も兼ねてやっていたことなのですが、会社が成長した後の人数では単純計算で社長は10倍の時間必要になります。かつてはそれで有効な方法でしたが、今は時間がかかりすぎて非効率です。加えて以前より大きな仕事も増えたため、スケジュール管理が厳しくなり融通も低下しました。


 仕方ないので、そういった従業員同士の繋がりの管理は部下に任せることにします。最初はそれでまあまあ回っていました。けれど時が経てば経つほど、かつてはちゃんと掴めていた従業員達の気持ちが分からなくなってきます。社長は考えました。これでいいのだろうかと。


「……長い前置きはいいから、重要な部分だけを述べなさい」

「あ、はい」


 ちゃんと覚えてるから初めから言ったら、そこはカットしろと叱られました。みんなも気をつけようね。長い話は校長先生の魔法です。効果は、退屈になって眠気に襲われる。


 怒られてしまったので話の重要なところにだけフォーカスを当てます。


 社長はある時、社内で自分のところまで届いていない問題が起こっていることを知ります。調べさせると、従業員同士のコミュニケーションが上手くいってないことで起きたようです。これへの対策として社内教育を徹底する方針を部下が述べましたが、社長は「あんまり上手くいきそうにない」と経験から直感し、自ら解決に乗り出します。部下の仕事を奪っているも同然なのでオススメされないんですけど、早いうちに改善した方が良いと思い、社長権限でゴリ押しました。


 その後数日経って、社長は一つの解決策を持ってきます。心を読める1級魔法士を2、3人だけ派遣してもらい、社内に隠れているトラブルを洗い出させるのです。雇われた1級魔法士は既に取引先の会社で働いていた人ですが、社長は取引先に有利な条件を出し、会社が多少の損を被ることを承知で一時的な派遣を了承してもらいました。


 派遣された魔法士は、トラブル洗い出しのため心を読む魔法の許可をもらい、社長を除いた全従業員に使います。そして社長が知らなかった社内の問題を見事に洗い出し、まとめた内容を提出しました。その内容に社長は驚き、中には部下を持つ側であった者たちも知らなかった問題すらあったとか。


 これによって社内の人間関係が社長の前に全て曝け出されると、社長は会社が小さかった頃のように直接赴き、問題を起こしている人達と話し合いをしました。その甲斐あって、既に発生していたトラブルに加え、潜在的にあったトラブルの多くが未然に対処されました。社内の人間関係は改善され、会社の雰囲気が良くなると共に従業員が逞しく働くようになりました。


 派遣期間が過ぎて魔法士が取引先に帰った後、社長は新たに1級魔法士を雇用。自分が赴かなくても出来るよう体制を整えさせた『メンタルチェック』を正式に導入することを決め、そこは数年後に超強い企業になるのでした。ちゃんちゃん。


 ……以上。魔法士によるメンタルチェックを始めて導入した企業の話でした。ご清聴ありがとうございます。


 チラッとサヤの顔を見る。


「まあいいわ。つまるところ、メンタルチェックの目的はストレスの軽減などではなく、集団内において隠された問題の発見と、そこから効果的な対処を導き出し、集団を望ましい方向へ誘導すること。だからメンタルチェックにおいて魔法士の役目は『カウンセリング』じゃないの。集団の思考を見る『レーダー』なのよ」

「レーダー……」

「混雑する空港の管制塔を想像してご覧なさい」


 地上には多数の旅客機、空には多数の飛行機が旋回して待機中。管制塔の人により、地上の飛行機は滑走路へ誘導されて離陸していく。同様に上空の飛行機も、滑走路へ誘導されて着陸していく。

 サヤは一つ一つ情景を描写するように口ずさむ。


「私達は、そういう管制塔の中で頑張る人達のレーダーなのよ」

「人ですらないんだ……」

「私達がいなければ多くの企業は社内で起こる人間トラブルの内、6割に原因のメスを入れられず、3割は問題も発見出来ず、1割は企業がなくなる時まで残ると言われている」


 そんなに……? 誇張の入った数字じゃないよね?

 疑問を抱いた目で訴えるが、サヤは動じない。


「ともかく、それくらい重要な存在なのよ。だからメンタルチェックが本来の目的を果たせていないなら、やり続ける意味はないわ」

「えっと、つまり……」

「やめていいんじゃない?」


 今の流れでやめていいと言われるとは思わず、その場で膝から崩れそうになった。

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