チキン・ブラザー
「いや、サヤが不機嫌なのは俺がなんかしちゃったのかなって……」
後日、明らかにこちらを避けるように行動していたケイスケさんに私が話を聞きに行くと、そう心中を吐露した。
どうにもイグノーツとの会話中サヤが怒っていたのを見かけたらしいが、その原因が自分にあるのではと勘違いしているようだ。
実際は心を読める魔法でイグノーツと念話中、相手の言葉に怒ってそれで一時不機嫌になっていただけなのだが、傍目に見ればただ無言で機嫌が悪そうに見えた妹の姿。もしやと思ってしまったのだろう。
「サヤが怒っていたのは別の理由ですよ。気にしないでください」
「別の理由!? 一体どの理由だろう? サヤは一体いつ頃の行為に怒っていたんだい!?」
「別の人です、怒りを抱いていたのは別の人。ケイスケさんにじゃありません」
私の言い方が足りなかった。というか怒られるようなことに心当たりがあるの? 何をしたのか知らないけれど、どんな理由だろう。サヤのことだから興味がなくはないが、今は頭の片隅に置いてしまっておく。
「そっか……サヤは俺のことに怒っていたんじゃないだな」
「もし心当たりがあるのなら、謝っておいたらどうですか? ちゃんと伝えればサヤも分かってくれると思いますよ」
「あーその……多分ダメだ。サヤが怒っている理由は考えられるんだけど、謝ったくらいじゃ許してもらえることじゃないと思うから」
謝ったくらいじゃ!? 一体何をしたのお兄さん……?
サヤが許さないことなんてあまり想像……出来なくもないけど、大抵のことなら誠意を見せれば「しょうがないわね」で許してくれる気がするのに。ケイスケさんは普通の人に見えるけれど、何か悪いことでもしていたのだろうか。実は元不良? 体のどこかに刺青を入れている?
「あら、二人が会話しているなんて初めて見るわね。どうしたの?」
ケイスケさんの過去に妄想を膨らませていると、こちらに気付いたサヤが話しかけてきた。
「なんでもないよ。ちょっと……」
「ちょっと?」
「……その、ツカサさんに教えてもらっていたんだ。昨日のサヤが不機嫌だった理由を」
一睨みしただけでケイスケさんが誤魔化そうとするのを止めた。
兄の態度が一瞬で方向転換するなんて、サヤ、貴方は家でどんな地位を築いているのよ。私の中でサヤの家庭内ヒエラルキーが上位なのではないかという疑惑が浮かんでくる。
「昨日の……ああ。あれは兄さんには関係ないわよ。そもそも兄さんが関係を持つような相手じゃないから」
「関係を持つ……? まさか、何か裏社会的な人と繋がっているのかい!?」
「裏でも闇でもないけれど、地面の下となら繋がってそうね」
お墓の下って言いたいんだろうな……イグノーツは既に死んでる人だし。言っても混乱を招くだけだろうからボカしているみたいだけど。
ただ言い回しのせいで、余計にケイスケさんの方は混乱している気がしないでもない。地面の下という言葉に頭を働かせ、暗号を解くように考えているのが表情から伝わってくる。
「地面の下……地面の下……分からない。何の隠語だ?」
「別に兄さんは知らなくていいから。それより、ツカサにはちゃんと挨拶した?」
「挨拶? おはようございますはさっきしたけど」
「そうじゃなくて、自己紹介よ」
自己紹介? サヤの言葉に私は首を傾げた。
「自己紹介なら、最初に会った日にしただろう?」
「あんな適当な流れの自己紹介、不合格に決まってるじゃない。ちゃんとしっかり、己の身を弁えながら正確に述べなさい。はいツカサ、まずは手本」
「ええ、私!?」
急に話を振られても困るんだけど!? というか自己紹介に不合格って、面接じゃないんだから! いいじゃん友達のノリくらい軽くで。今時堅苦しい挨拶とか偉い人しか喜ばないよ。
気持ちが動揺して慌てていると、「やりなさい」というサヤの笑顔と共にポンと両肩に手を乗せられる。あ、これは断ったらダメなやつだ。やりますやります。やらせてください、はあ……。
お互いに向き合った立ち位置へ移動させられ、背筋をピンと伸ばした状態でスタート。
「こんにちは、サヤの友達を務めさせて頂いているツカサと申します。特技はありませんが1級魔法士の資格を持っています。若輩の身で経験の浅いところも多々見られると思いますが、最大限尽くす所存です。よろしくお願いします」
「ふむ……まあいいでしょう。正直聞いていて必要かどうか疑問に思うところもあるけれど、足りないところは今後で補っていけばいいわ。初めから全てを求める奴なんて生まれた瞬間死ねばいいのよ」
とりあえず合格を得られたことは理解した。最後の方でサヤが盛大に毒を吐いたような気がするが、聞こえなかったフリをする。きっと何かストレスを抱えていたんだろう。ここは敢えて何も聞かず、友達として支えてあげよう。
私の自己紹介が終わり顔を上げると、サヤは兄の方へ振り向き自己紹介するよう視線で促した。一歩前へ出るケイスケさん。
「どうも、人間ですがチキンです。サヤの兄を務めているケイスケと申します。よろし——」
そこまで言った直後、彼の斜め後方からサヤがメモ帳で頭を叩き、スパァンッという軽快な音が鳴り響いた。
「ふざけているの兄さん」
「いやだって、どう考えてもおかしいだろ。それに最初会った時、サヤが言ったじゃないか。チキンのケイスケだって……」
「それを間に受けて実際に言うバカがどこにいるのよ。あと私が言ったのは臆病者のケイスケ。イントネーションに気をつけなさい」
「それは日本人にLとRの発音の違いをマスターさせるよりも難しいな……」
「兄さんは何人だったかしら?」
「もちろん地球人だよ。チキンだからね」
再びスパァンッ! というメモ帳の音が鳴り響いた。
「今度伝わらないギャグを言ったら、兄さんのこと山に捨ててくるから」
「流石にそれは死ぬよサヤ。勘弁してくれ」
………………?
……ああ! 地球人、チキュウジンだからチキン! そういうこと!?
なるほど……ブッ……なんか無性に笑いそうになってきた。私そんなに笑いの沸点低くないと思ってたんだけど、なんでだろう。笑うなと言われると逆に笑えてくるんだよね。“水を口に含んで見てください”ってやつあるけど、ああいうの弱いんだよ。大体半分くらい負けている。
伝わらないと二人が思っているせいもあって、伝わっちゃった分妙にウケてきた……平常心平常心。
ていうか、よくすぐに理解出来たなあ。兄妹としての付き合いの長さだろうか。話の傾向とかそういうのを把握しているんだろうなあ。ちょっぴり羨ましい。
「全く、しっかり自己紹介してよ兄さん。そんなんだからいつまで経っても臆病者なのよ」
「そうは言うけれど、簡単に変えられるほど人の在り方ってのは単純じゃないからなあ。なあ、いい加減諦めないか? 俺は別に……」
「ダメよ。兄さんは男なんだから、権利と義務があるの。いつまでも臆病者でいられたら私が困るわ」
そんな二人の会話を流し聞きする。なんていうか、兄の気に入らないところを矯正しようとする妹って感じの会話だ。割と結構な頻度でチキンというワードが飛んでくるけど、具体的にどこら辺がチキンだと思っているんだろう。
「なんでサヤはお兄さんのことをチキンって言うの?」
「兄さんがいつまでも臆病で、あまつさえそれで最後まで生きるつもりだからよ」
どうやらケイスケさんの生き方に不満があるようだ。臆病かー別にそれでもいいと思うけれどなー。人生何があるか分からないし、勇敢すぎて危険なところに飛び込んでいくよりは、多少臆病でも命大事にで生きていてくれた方が、家族としては嬉しいと思いそうなのに。
もし自分の弟が臆病の反対みたいな性格で、次から次へと危ないことへ突っ込んでいったりしたら、私は血の気が引いて倒れる自信がある。そんな風にハラハラさせられるくらいなら、安全思考でこちらが安心する生活を送ってくれた方がずっとマシだろう。
ああ、ありがとうね弟、危ないことは避けるような賢い子に育ってくれて。次に会ったら思いっきり撫で回そう。あ、でもやり過ぎたら嫌われちゃうかも……程々にするか。
「ちょうどいいからツカサにも聞きましょう。この先何十年もなあなあで生き続け、臆病なまま終わるのと、少しでいいから勇気を振り絞って、実りある結果を得て終わるの、どっちがいいと思う?」
「その聞き方は誘導しているようでズルくない? でも……私は臆病でもいいかな」
私が答えると、サヤは意外そうに目を見開いた。そして「なぜ?」と立て続けに聞く。
「人生は一度きりって言うでしょ? 世の中、勇気を出して得たものが一生の宝になって幸せになりましたって話は多いけど、勇気を出したのに何も得るものがなくてそのまま失意のうちに過ごしていったって話も、現実には多いと思う」
そういう話は聞いていてつまらない、或いは辛くなったりするから世の中に流行ったりしないけど、古来より成功するのは一握りの人間だけという法則は変わっていない。その一握りになることを夢見て、現実に篩い落とされる人は常に圧倒的に多いのだ。夢を掴んだ人よりも。
「だったら、程々の幸せで妥協して無理なことはせず、臆病だけど堅実に生きるっていうのも、ありだと思う。というか殆どの人はそうやって生きているんじゃない?」
「……そうね。夢なんて叶いっこないから、それを諦めて生きている人はきっと、かなりの割合を占めているわ。でもだからこそ、挑戦もせずに諦めるよりはって思わないの?」
サヤの言いたいことも分からなくはない。最初から諦めきって全く挑まずにいるよりは、一度本気でぶつかってみて、それでダメだったら諦めた方が気持ちも切り替えやすく、スッパリと割り切れる。そう言いたいのだろう。
気持ちは分かるよサヤ。でもだからこそね。
「サヤのお兄さんはそれを望んでいる?」
本人の気持ちを無視して考えたら、いけないと思うのだ。私は諭すような言い方でサヤに向けた。
「家族のことだから、人一倍気になるのは仕方ないよ。でも、だったら尚更本人の気持ちは大切にしないと。どんな人生になるにせよ、それを最後まで生きるのは本人なんだからさ」
「…………」
サヤが私から視線を逸らす。分かりやすいなあ。
私はサヤの傍を離れ、ケイスケさんの方へ向かう。
「ケイスケさん。ああ言った手前でなんですけど、聞かせてもらってもいいですか?」
「な、何をだい?」
「サヤが勇気を出してお兄さんに挑戦してほしいと思っていること。お兄さんの人生ですから、諦めるかどうかはお兄さんが決めていいと思いますが、その、そこまでサヤが押すやつって何なのか気になっちゃって……」
好奇心に負けましたと正直に白状する。一体どんなことをお兄さんにやって欲しがっているのか、どうにも知りたいという気持ちが頭から離れないのだ。
「やっぱりダメでしょうか?」
「いや、ダメという訳じゃないけど……聞いてもしょうがないことだよ?」
渋るケイスケさんにそれでも構わないと伝えた。
どうせしょうもない好奇心から聞いているだけなのだ。内容を聞いてガッカリしたところで、自業自得で済ませられる。だから問題ないと自分に言い聞かせた。
「……ある人に、俺の気持ちを伝えるようにとお願いされているんだ」
サヤのお兄さんは、言いにくそうに閉じていた口を開いて話す。
「ある人って?」
「詳しくは言えない。でも、その人は俺にとって……忘れられない人だと思う。今の俺がいるのは、その人のお陰なんだ」
ケイスケさん曰くその人とは一昔前、まだ学生であった頃に会ったらしい。
「当時の俺は、流されるままに適当に生きていた。人生の目標とか夢とかなんてなく、無難に勉強して無難に就職して、無難に仕事して無難に金を稼いで、ごくありふれた病気にかかって死ぬ。そんな適当で特徴のない人生を送るんだろうと思っていた。けど……ある人に出会って、それが少し変わった」
その人に出会ったことで、ケイスケさんは今まで無難に勉強していたのが、やる気を出して勉強するようになったという。適当なところに就職すればいいやと思っていたのも、出来るだけ上の方を目指そうとするように意気込んだり、社会人となってからは精力的に仕事へ尽くすようになった。
何もかもが良くなったという訳ではないが、その人と会えたことでケイスケさんの人生は少し上向いたようだ。後になって、それが初恋というものであると気付いたと、懐かしむようにケイスケさんは教える。
「初恋……そうか。だからサヤは……」
「俺は諦めているんだけどね。もう結構時間が経つし、向こうとの接点も最初の頃だけですぐなくなっちゃったから。でもサヤは今からでも、気持ちを伝えなさいって言うんだよ。俺としては今更伝えてもねって思うけど……」
ケイスケさんの気持ちはよく理解出来た。ずっと前に会ったきりの初恋の人に想いを伝えて欲しいと言われて、困っているんだ。それは困るよサヤ。なんでそんな無茶振りをするんだ。言ったところで絶対叶わないだろそんなの。お兄さんのこと嫌いなの?
じろっとサヤの方へ振り返ると、視線に気付いたサヤがまた目を逸らした。おい。
「ケイスケさんは、その人のことが今でも好きなんですか?」
「んー……どうだろう。なにせ年単位の時間が空いているからね。流石にもう気持ちも薄れてると思うし、どれくらい好きなのかな」
困ったように苦笑して見せるケイスケさん。この様子だと初恋の気持ちの方もかなり弱くなっているだろう。ひょっとしたら次の恋をしている可能性も考えられる。ダメじゃないかサヤ。
ん? 待てよ……ならサヤがお兄さんに付ける『チキン』という二つ名の由来って。
「もしかしてチキンって、初恋の相手にずっと告白出来ていないから……ってことですか?」
「そういう意味になるね」
いくらなんでも酷い。最初はお兄さんが滅茶苦茶怖がりだとか、何かすごく苦手なものがあるからチキン呼びなのかと想像していたが、それとは違うベクトルの臆病者という意味だった。それも過ぎ去った時のせいで誰から見てもどうしようもないやつ。もう臆病かどうかなんて関係ないわ!
いけない、いけないよサヤ。そんな理由で実の兄をチキンなどと呼ぶなんて。
これは私が一つ教えてあげなくてはならないのではないか? いや、そうに決まっている。
「サ〜〜ヤ〜〜?」
「っ……用事を思い出したわ。暫くは探さないで頂戴」
身の危険を感じたか、サヤは雑な急用を思い出して早足で離脱開始。私も他の人の迷惑にならぬよう追いかける。
逃げるなーー!!




