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温度差の壁(2)

「あなたはそんなことのために……」


 己の欲望を満たすための行為。

 津越の振る舞いと言動に対し、私はそこへ正当性を見出すことは出来ず、怒りの滲むような視線を向けた。

 それを受けて津越は「おっと」と、両手を上げる。


「勘違いしないで欲しいんですがね、俺は私益だけでニュースを作ったりなどしません。これでも報道機関に属する端くれ。公益に沿うものをお出しするつもりです」

「さっきの言葉を聞いてそれを信用出来るとでも?」


 不信感を示す私へ、津越は変わらぬ態度で返す。


「あなたが俺を信用するかは、あなた一人で決めていい。あなたの心の問題だから。ですが、公益は社会全体の問題です。その是非をあなた一人で決めるのは如何なものですか? 一人の意見の重みは一人分です。決を取るなら民主主義に則って、その精神に反することがなきよう願いたいものですね」


 手を下ろした津越は、皮肉っぽい微笑みを浮かべそう語った。

 確かに、私一人で決めていいものではないが。


「津越さんのやろうとしていることが、公益に沿っていると?」

「犯罪者が集団の中にいるのであれば、その存在を周知しておくことは集団の安全と秩序を保つのに必要ではありませんか? これを知らずにおくか、知っておくか。どちらが良いと人々は思うでしょう」

「都合のいい質問はやめて」


 犯罪者が自分の属する集団にいるかいないか知りたいか?

 そんな大半の人が答える方向を合わせやすい質問、分かりきっている。

 自分の近くにそんな人がいて欲しいと思う人はいない。

 そうなれば、どういう方向で話が進むか、想像するのは容易い。


「ケイスケさんはもう裁かれた側でしょう。進行形で罪を犯している訳でもないのに、危険だと煽るようなニュースを作るのが、正しい判断なんですか」

「裁かれるというのは犯した罪を法的に処理するという話です。償えば過去の間違いはなかったことには、なりませんよねえ?」


 彼はそのよく回る舌から、淀むことなく言葉を吐き続ける。


「窃盗を犯した人が罰金を払えば、盗みをしたことのない人になれますか? 殺人を犯した人が懲役を終えれば、一度足りとも殺しをしていない方々と同じに戻れますか? 答えは、ノー」


 そんなものは、形だけの取り決めだと。

 彼の語り口調はそう言わんばかりの姿に映った。


「それが法治国家の在り方だといえばそこまでの話ですが、ならばこそ法は人々にとって守る価値のあるものでなければならない。罪に下される罰、量刑も問われます」


 津越は壁に背をもたれかける。

 そして審議を問うような目で、私を見つめる。


「多数の肉体的・精神的加害行為に及んだ彼。それに対する罰が、学校からの退学と四年の執行猶予のみで、世間に許されたとでも?」

「何が言いたいの?」


 わざとらしく首を傾げながら語る津越へ、私は返す。

 こちらが発言を待つ姿勢なのを理解した彼は、話を続けた。


「おかしいと思いませんか? いくら魔法による加害行為の証明が困難といえど、多数の目撃者がいた中での犯行です。誰の仕業かはほぼ確定していた。加えて、彼の裁判は今後魔法が使われた犯罪をどう裁くか、いかなる判例を残すかを問われる場でした。そうした世間からの注目も集まっていた中で下された判決が……執行猶予(野放し)だなんて」


 津越は不満気な声で述べる。

 だがそれは、彼が本心から語っている言葉ではなく、誰かの気持ちを代弁しているような、そんなクサさを感じる喋り方だった。


 未だ増え続ける不快感に、私は唇を固く閉じた。

 いま抱いている気持ちのままに喋ったら、それに飲まれてしまいそうだから。


「そりゃあ、いじめられていた妹を守るためという動機に、いじめる側に問題があったという、酌量の余地はありましたけどねえ。だからといって、限度がある。いじめに関わっていないクラスメイト達をも巻き込んだ報復を正当化できるなら、殴られたら爆弾テロで仕返すような行為まで許されてしまう」


 テロだなんて言い過ぎだ。

 そう思ったが、ぐっと堪えて言い返す。


「厳罰を与えれば良かったと、言いたいんですか?」

「いえいえ、そんなことは一言も口にしていませんよ。ただ、やったことに対し不適切な刑罰を科すと、社会復帰の妨げになるのではないかと思いまして」


 どういうこと?

 私の疑問が顔に浮き出ていたのか、津越は流れるように語り出す。


「司法が刑罰を与えるのは社会に復帰出来るよう、即ち更正のため。されど、その法の下に暮らす人々がその罰を十分であると受け入れられない量刑は、更正のために与えた刑罰の意味を薄くする」


 彼は言う。

 罰は多すぎても少なすぎても良くない。

 社会的制裁を受けた人物が、それを理由に減刑されることもあるから。

 しかし、その減刑は本当に目的へ適合しているのかと。


 そんな言葉を、いくつも口から吐き出していく。


「与えられた刑が過小である場合、刑を終えた前科者に対し、それを不足と判断した世間が制裁を継続すると、考えられませんか? 昨今の厳罰化を求める声の多さを聞けば分かるはずです」

「それはあなたの勝手な推測でしょう。今言ったことを事実と示すような論文や証拠があるの?」

「どうでしょうねえ。可能なら俺自身知りたいところです」


 私の問いを躱すと、「でも、感覚的に的外れな推測でもないでしょうよ」と、上を向きながら答えた。


 剃られている顎をさすりつつ、彼はじっと見つめてくる。


「法の精神に則って、過去の判例を参考にして、適切な判決を下そうとすることは尊い行為だ。しかし、その結果社会を構成する人々に『甘い』と思われたら……減刑された分を補うように、社会からの制裁は継続してしまう。裁判官達に人の心があるなら、執行猶予(情け)を与えるべきじゃなかった」


 どんな判決を下そうと、刑を終えた人が帰っていく場は、社会の中なのだからと。

 津越は長々と続けた発言を終えた。

 不快ながらも、彼の言うことは全く分からない訳ではない。


 罪を犯してしまった人へ、再び罪を犯すことがなきよう教育する目的で刑を科す。

 いわゆる教育刑という考え方では、そういったことを意図して刑罰を科すものだ。

 一方SNS上などでよく見られる、罪に対して報復する目的で刑を科して欲しいという考え方などは、応報刑と呼ぶ。


 目には目を、歯には歯をのフレーズで有名なアレも、応報刑だ。

 古くよりあって科す目的も形も分かりやすいということもあり、刑というとこちらをイメージする人は少なくない。


 現代では犯罪をした人のその後や更正を重視する傾向にあるので、応報刑はそうした意図にそぐわないと、教育刑が支持されている。

 社会復帰を促すなら、そちらの方が合っているから。


 しかし、そうした考え方のもと司法が続けてきた罪と罰への対応は、人々が犯罪者へ望む対応と、深刻なズレを抱えつつあった。


 それは、社会を構成する人々の少なくない割合が、犯罪者の復帰を望んでいない旨を発信するようになっていること。

 ある人はそんな危ない人間、一生牢屋の中に閉じ込めておいて欲しいと言い、ある人は殺人の罪を犯した奴は全員極刑で良いと言い、またある人は税金の無駄遣いだから無期懲役をなくして死刑に統一しろと言った。


(津越さんの言うことは、そうした人たちの意見とよく似ている)


 彼が何を代弁しているのか、凡その見当はついている。

 そしてなぜ刑が軽いと思われると不味いのかも、既に口にしている。

 刑を科す側や決める側が、「こいつは更正した」と判断した場合であっても、社会がそこで問題ありと判断すれば、帳尻合わせを始めるのだ。


(そう思われるだけのことをしたから、そうなっても可笑しくない)


 私自身、そう考えている。

 厳罰化を求める声の増大も、その一つといえるだろう。

 それに司法が応えて罰を重くし続けていく流れを、SNSやニュースなど、色んな媒体から見聞きしている。


 私はその流れに、否定も肯定もしなかった。

 彼らが厳罰を望むとき、その対象はあまりにもショッキングなニュースだったり、理不尽な動機から来る犯行だったりで、被害者に同情してしまったり、加害者への憤りを強く感じてしまうから。


「……津越さんの言うことは分からなくもありません。でも、人によって許せる基準と許せない基準は違います。全ての人が納得いく基準なんてどこにもない。だからこそ、公正な基準や判断が意味を持ち、それを守る意義も生まれるんじゃないですか?」


 ケイスケさんが犯した罪は決して軽いものではない。

 それは私も認めるところ。

 その上で、だったら尚のことそれにメリットはないと訴える。


「公益のためなんて言いながら、人々の私的な報復感情や嫌悪感を引き出して、悪い空気を広げようとしている。一人でも多く助け合って、協力していかないといけない世の中で。一体それのどこが、公益に繋がっているんですか?」


 私は数歩前に出て、厳しい顔で見上げながら、彼に告げた。


「——あなたのやり方に、私は反対です」


 彼は微動だにしない。

 目を逸らすことなく私の顔を、じっと見下ろしていた。

 そのまま笑うように息を吐き捨てると、言葉を返す。


「先ほども言いましたが、それを決めるのはあなた一人ではありません。もし自分の考えが正しいとお考えであるなら、是非とも周りに聞いてみてください。そろそろ、起こる頃でしょうしね」


 そうして彼は「では」と頭を下げ、去って行った。

 私へ意味ありげな微笑みを向けながら。


(なにか……胸騒ぎがする)


 私がケイスケさんのことで悩んでいた間に、この船の中で、良くないことが起きるそうな、そんな気分。

 去り際に見せたあの表情から、不安がぶわっと胸に広がる。


(心配しすぎ? いや……)


 そうやって何も確認をせず、後で悔いるようなことにはなりたくない。

 杞憂で済む方に祈りながら、動く意思を固めた。


(一秒でも時間が惜しい)


 広い船の中を歩いて探し回るのは効率が悪すぎる。

 思考を巡らす中、私は収集録のことを思い出す。


(あの本を使えば、場所が分かるかも?)


 ジッとしていられなくなった私は、すぐさま部屋に戻った。

 その後すぐ、ナイトテーブルに置いておいた収集録を開き、命令を出す。


(ケイスケさんがいるところを教えて!!)


 私が本に命じた瞬間、開かれたページの上に、彼がいる階であろう俯瞰図が浮き出てくる。

 前後に船を貫く細長い廊下に、隣接する形で沢山の客室が並ぶ構造。

 それを見て頭の中にある案内図と照らし合わせる。


(上の階だ)


 次いで船の真ん中あたり、階段の近くにピコンと赤い点が一つ表示された。

 その側に黒い点も一つ浮かんで、赤い点と一緒に移動する。


(これはケイスケさん? 誰かと……一緒にいる?)


 ページに強調して写し出されたそれを、目で追いかけた。

 歩幅を合わせるように動いている二つの点は、階段を上る方向へ移動する。


(そこにいるのは、誰?)


 居場所を確認出来た私は、そそくさと鍵を閉め、部屋を後にした。

 私の心配が無駄なものであって欲しいと、願いながら。





 階を二つ駆け上がって、追いかけていった先の廊下。

 収集録が示した場所にやってきた私は、ケイスケさんと一緒にいる男の人を目にする。

 その姿を見た私は立ち止まり、ほっと胸を撫で下ろした。


「なんだ……」

「ね、姉ちゃん、どうしたの?」


 少し息が荒れている私の方を見ながら、弟は困惑した風にハの字に眉を曲げる。

 その横で一緒にいたケイスケさんも、同様の顔を浮かべながら、こちらを向いていた。


(一緒にいたの、弟だったんだ)


 津越の口振りから、ケイスケさんに良くない印象を持っている人が出会しているんじゃないかと、そんな不安が出ていたんだけど。


「あー……さっき、一緒にいるのが見えたから、なに話しているのかなーって……」

「なに話しているのか? その……」


 適当に答えると、弟は濁すような言い方を返し、ケイスケさんの方へ振り向く。

 するとケイスケさんはドキッとしたように一瞬固まる。


「ちょっと、ツカサさんには話しにくいことで……」


 ケイスケさんは視線を忙しなく動かし、必死に言葉を探している。

 とても言いづらいことのなのか。

 それとも、間にある壁のせいか。


 私としては、聞いてもいいか迷うところであるけれど。


「聞いたらまずい、ですか?」

「…………後悔しない?」


 最終確認と思しい言葉に、こくりと頷く。

 彼は弟と顔を見合わせた後、重たい決断を下すような顔をする。


「——替えの下着の数が足りなくなりそうで、相談を受けてたんだけど」

「ごめんなさいっ!」


 速攻で謝った。

 もう、勢いよく頭を下げて謝った。

 それと共に、一気に恥ずかしさに包まれる。


(聞かなきゃ良かったーーー!!)


 知ったところでどうこうなる話ではなかった。

 なんてことを聞いちゃったんだと後悔せざるを得ない。

 それを見兼ねた風に、弟が訳を語り出す。


「最初に家出る時に持ち出した分はいくらかあるんだけど、それだけ大量に持っていくのは、難しいでしょ? 必要なものは他にもいっぱいあったわけで……。洗濯とかして今まで使い回してたけど、洗剤がなくて汚れがきつくなっていったり、魔物とかいうのが出てきて、安全に出歩ける場所も減っていってさ。段々臭いも酷くなって、もうダメになったものは捨ててたんだよ。そうしたら……」

「……予備の数が危うくなってきた、ということらしいんだ」


 そうならざるを得なかったのだろう。

 水道も電気もガスも機能しない。

 使えたとしても、平時の感覚で安全に使えるとも限らない。

 利用出来ても必要最低限に抑えねばならなかったはずだ。


 つくづく、ザガム()と一緒にいることの幸運を分からせられる。

 こんな生活が出来るのは当たり前のことじゃないと肝に銘じているつもりだが、その有り難みさえ過ぎていく日々の中で薄れていく。


 この気持ちを忘れないよう、いつかザガムへお礼とかを贈ってもいいかもしれないな。

 そんなことを考えてから、私は顔を上げた。


「聞いちゃった手前なんだけど、なんとかなりそう? それ」

「新品のやつがないかこれから聞きにいってみるつもりだから、まだ分からないね……」


 あればいいんだけど、と気まずそうにぼやく弟。


 なんか、本当にごめん。

 丁度すごいタイミングに来ちゃって、話を聞いたせいで。


(それもケイスケさんの見ている前で……)


 気まずい時期に更に気まずいことを目の前でやらかしてしまった。

 視線が気になるあまり、自然と目が逸れていくのだった。


 穴があったら入りたい。

 掘った墓穴でもいいから、入らせて。

 隠れられるなら墓石でもいい。


「あー……気にしないでよ姉ちゃん。俺も気にしないから。あんまり気にされる方が、逆に恥ずかしいし」

「そ、そうだね……うん、分かった。もう気にしないよ」


 困り果てた感じの弟に励まされて、流石に気持ちを切り替えた。

 私の宣言を聞いた二人も、ほっと安心した空気を醸し出す。


「上着の方はどう? 下着ほどじゃない?」

「そっちも汚れはあるけど、もう捨てた方がいいってレベルじゃないから平気だよ。というか……替えられるのかな」


 そう言って弟は、自身の着ている服に目を向けた。

 長袖のシャツやデニムの表面、そこに生地の色とは違う色が、ところどころに付着してしまっている。

 泥を被ったみたいな茶色に、飛沫のように散っている赤色など。


 私はその汚れを見て一瞬口を閉ざした後、返事をした。


「着倒すつもりでいた方が、マシかもしれないね……」


 ほつれた程度なら糸さえあれば直せるが、綺麗な服を着ての暮らしなど、出来なくなる覚悟をした方がいい。

 それこそボロボロになって、雑巾以外に用途がなくなるくらい。


 新しい服を手に入れられる可能性はこの先低いのだから。

 もしそれを解決するなら真っ先に頼れそうな相手は……


「イグノーツの誰かに相談するべきかな。でも、頼りすぎも良くないし……」

「俺たちはまだいいけど、ツカサさんは相談した方がいいよ」


 躊躇う私にケイスケさんが言うと、弟も「そうだね」と同調した。


「俺やケイスケさんは男だから、上に着るやつは下半身の方だけでも我慢出来るよ。でも、姉ちゃんやサヤさんはそうもいかないでしょ」

「うっ……」


 確かに私は、上着を着ないなんて選択は出来ない。

 室内など誰の視線も気にする必要のない場所ならまだしも、人の目があるところなら、光景を想像するだけで恥ずかしいものだ。


 分かった、今度相談しに行こう。

 ラシェルあたりに話を持っていけば、やれることが見つかるかもしれない。


「じゃあ、そうするね……」


 私はひとまず納得して見せた。

 その中でふうと安堵するケイスケさんと弟。


「ところで気になったんだけどさ。さっき姉ちゃんが言った、イグノーツって誰? というか、何?」

「ああー……説明するとちょっとややこしいんだけど……」


 首を傾げる弟に、私はイグノーツのことをかいつまんで教えた。

 イグノーツとは家族の名前みたいなもので、とある外国人の集まりを指す言葉だと。

 私がここで指すイグノーツは、ザガムやラシェル、ツェレンのこと。


 アーノルド?

 その名前を出して知り合いと思われるのが嫌だったので、敢えて出さなかった。


「ラシェルさんやザガムさんには会ったことあるよね。あの人たち、家族みたいなものなんだ」

「そうなんだ……」

「あと、エルビさんもだっけ」


 ラシェルが言っていたことを思い出して補足すると、弟は驚愕に満ちた顔で固まった。


「え? エルビさんが? 本当に?」

「そうだよ。何か気になることでもあった?」

「いや……」


 私の言葉を否定するが、どうにも引っかかることがあるような、曇った顔になる。

 その反応は、私とケイスケさんの疑問を膨らませた。


「カントくん、気になることがあるなら言っておいた方がいいよ。俺たちはイグノーツとそれなりに付き合いがある。ただ、知っていることは多くない。特にエルビさんとか、出会っていないイグノーツのこととかは」


 弟の考えていることが、私達の知っていることか、知らないことか。

 どちらか分からないけど、もし知らないことなら知っておきたい。

 私はそう思っている。

 ケイスケさんもきっと似たような思いでいると、今の発言から想像した。


 私は収集録のこともある。

 彼らのことは一人でも多く、些細な話でも知れるとありがたい。


「……ちょっと、思い浮かぶことがあって」


 ケイスケさんにそう言われ、躊躇いながら弟は話し始めた。


「俺、みんなと一緒にここに逃げてくる前、学校に避難してたんだけど。その時に死にかけたんだよ。いや、殺されそうになったんだ」


 その言葉を理解して飲み込むのに、数秒かかった。

 頭の中で発言を何回も確認して内容を理解し、聞き間違いがなかったかどうかを確かめる。


「いま、『殺されそうになった』って言った……?」


 弟は言い淀む感じに「うん」と答える。

 それを聞いていたケイスケさんも、驚愕を露わに口を開けたままになっていた。


 誰に?

 まさかエルビに?


 一瞬そんな風に考えてしまったが、そのときケイスケさんが確認する。


「それは、エルビって人にか?」

「違う。エルビさんはむしろ守ってくれた。殺しに来たのは、別の人」


 殺されそうになった相手は、エルビではない。

 それを聞いて、少しホッとした。


 冷静に考えればおかしな推測だということに気付けたけれど、あまりのことに頭が混乱していた。


「これは……正直に話すと、信じてもらいにくいと思う」


 不安が滲むのを隠せないように弟は俯く。

 私は、生まれてきてから長いこと付き合いがある。

 だから弟のこともよく知っているつもり。


(こういう時、冗談を口にしたり嘘をつくタイプじゃない)


 それを加味した上で、信じてもらえないだろうと思う程のことがあった。

 私は弟の気持ちを想像する。

 そして、どう接してあげるのが一番良いかを考えると、自分の表情を柔らかくした。


「疑わないよ」


 信じたいけど不安が残る。

 顔を上げ、そんな感情を帯びた目を向けてくる弟に、優しく語りかける。


「私もね、頑張って説明したって信じてもらえそうにない話、いっぱい持ってる。でもそういうのって、どう受け取られるか分からないもん。嘘だと思われて、傷つくかもしれない。私はそういうの嫌だから、打ち明けてもいいなって思える相手にしか、言わないようにしている」


 車に轢かれそうになったとき、魔法使いの人に助けられたこととか。

 うちの親が滅茶苦茶過保護で過干渉だった時期のこととか。

 進路で揉めて家出したとき、その魔法使いの人にまた助けられたとか。


 私の人生を変えたこと。

 でも、嘘と思われてしまいやすいことを、殆どの人には教えていない。


「だからもし弟くんが、私のことを信頼してくれているなら。私はその気持ちに応えられる人でいたい、かな」


 弟がどんな答えを出すか、ゆっくりと待つ私。

 しばらく経ち、私と向き合ったまま静かになっていた弟は、ケイスケさんの方を見た。


「ケイスケさんも、聞いておいて欲しい」

「お、俺も?」


 自身を指差しながら、ケイスケさんがキョトンとする。


「イグノーツって人達と知り合いなんでしょ? だったら、知っておいて損はないと思う」

「……そうだな。是非、聞かせてくれ」

「部屋に来てくれる? 姉ちゃん」


 同意を得た弟は、私の方に向き直った。

 ここでは話しにくいだろう内容だ。

 私は「いいよ」と返し、弟の部屋へ向かうのだった。

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