最後の日常
貴方は、見知らぬ誰かを助けたとします。
しかし貴方が助けた人は殺人鬼だったようです。殺人鬼はその人に殺そうとしました。貴方はそれを目撃します。
けれど神が気まぐれで殺される寸前に時を戻しました。今、貴方は自分の家族を殺した殺人鬼を助けるかどうかの場面にいます。
貴方はもう一度助けますか?
「……分からない」
私にはその質問への答えが出せない。
「極端な質問をツカサに投げないで頂戴。全員が全員そうだったら世の中が終わるわ」
「終わるでしょうね。ですが、助けて当然という考えが広まると、助けてもらって当然という考えを持つ人も増えますので。その人達は誰かを助けはしませんが誰かに助けてもらい、それで周りの優しさを食い散らかしながら世の中に隠れるでしょう。貴方が助ける人の中に、それが混じっているかもしれませんよ? そんなものまで助けるつもりですか?」
イグノーツを睨むサヤの目が一層険しくなる。
それを見てこれ以上はやめとこうと思ったのか、イグノーツは次の言葉を最後にした。
「まあ、今のは仮定の話ですけど、見ず知らずの相手を可哀想だからと見境なく助けるのは、子供でも出来る雑な思考だという話です。大人であるならもう少し、自分の行動とその影響、助ける上での是非についてよく考えてください。貴方が助けようとしている相手の大部分は、人の皮を被っていますが中身が人か悪魔など、知れたものではないのですから」
それを告げると、イグノーツの体は粉のようにバラバラになっていき、本の中へとそれは吸い込まれていく。まるで本の中のキャラクターが光の粒となって戻っていくかのような光景。
イグノーツが消え去り、その場には私とサヤの二人だけとなる。
「…………」
「ツカサ。あまり気にしなくていいわよ」
「あ、うん。大丈夫だよ。でも……」
イグノーツの言葉はまだ頭の中で反復して覚えている最中であり、理解出来ているつもりはない。そのせいか、彼の言葉一つ一つに強い感情が込められていたことは感じ取れても、それがどういう原因で発せられた感情であるかは、掴めなかった。だからあまりそれにショックを受けてはいない。ただ、
「昔何かあったのかな。イグノーツさん」
彼が本の最後らへんに残した言葉を思い返すと、そういうことを言うような人とは思えなくて、それが意外で驚いている。それだけだった。
「……さあね。何かしらあったんでしょう。それより、この魔法は私の方でサイトにアップロードしておくわ。魔法紋もセットにしておくから」
「分かった。でもサヤ、あまり危険なことはしないでね」
「大丈夫よ、非公認魔法だからといって法律に引っ掛かるとは決まってないし、何とかなるわ。ツカサに迷惑はかけないから、あとは任せておいて」
「絶対に無茶とかしないでよ?」
最後にそう念押ししておいて、私達は別れた。
翌日。魔力嵐が中国上空を通過し半島上空へ移動しようとしている日の昼ごろ。
私の現在地は、実家住まいの弟の隣。
「姉ちゃん、どうしたのさ急に」
「ちゃんと備えているか確認しておこうと思って」
なぜ実家に! という理由はただ一つ。私が家族にシェルターの魔法紋を渡すためだ。
一応私が来た時点で実家は色々と水や食料などの備蓄が溜まっていたし、一部の窓にはガラス割れ対策にガムテープが貼られいつもと違う様子が見られ、倒れると危険な家具などを厳重に固定、または退けている状態。臨戦体制だ。
「最近どこのニュースもあの嵐についてばっかで、父さんと母さんもいつもより大変そうだし、俺も手伝いに駆り出されているから、かなり備えているよ」
嵐の日本到来まで間もなくという時期ゆえ、ニュースが一色に染まっているのは仕方がない。近くにある黄海では空が晴れているにもかかわらず大波乱の如く海が荒れ、船も出港出来ないというそうだ。日本海側に至っては言うまでもない。今日吹いている風もいつもより強くなっている。
それでも弟は準備が整っていることで少し気持ちが前向きになっているのか、前よりは大丈夫そうに私へ向け言った。そうかそうか、頑張っているね弟よ。
「なら良かったわ。ついでにこれも受け取っておいてくれる?」
「これって?」
私が渡したシェルターの魔法紋が描かれた紙を見て、キョトンとした様子になる弟。
「御守りよ。もしもの時はこれを使って身を守って欲しいの」
「御守り? これ魔法紋でしょ、姉ちゃん」
あ、やっぱ気付いたか。
魔法具に特有の模様なので、意外とすぐに分かったみたい。
「とっても強力なシェルターの魔法よ。非公認の魔法だからあまり大きな声では言えないけど、効果は保証出来るわ」
「非公認……姉ちゃん、危ない橋渡ってるわけじゃないよね? すごく心配なんだけど」
「ないない。ただちょっと非公認魔法を扱ってるサイトで見かけて、それをダウンロードしただけだから」
「めちゃくちゃヤバいことしてるように聞こえるんだけど!?」
平気平気。普通に検索すれば出てくるようなサイトだし、あんなの裏サイトですらないもの。多分クラスに何人かは知っている人いるレベルじゃないかな。
ともかくこれを持っておきなさい。予備含めて二枚渡しておくから、と押し付けるように手渡した。弟は非公認魔法と聞いてかなり困り顔をしていたが、命より大切なものは私にはない。他の人だってそういうだろう。
「あ、でもそういえばシェルターの魔法って聞いたことあるような……」
「あらそうなの。どこで聞いたの?」
「携帯でだよ。今日の朝だけど、友達の友達がとんでもない効果の魔法を手に入れたって。その子は魔法マニアなんだけど、今あるどんな魔法より凄いやつで、これがあればあの嵐が来てもなんとかなるかもしれないとか言ってたらしいんだ」
そりゃ600年の歴史がある魔法ですからね。現代のどの魔法でも敵いませんよ。
昨日アップロードしたばかりだというのに、知っている人が結構近くにいたんだな。いや、それだけ色んな人が必死になって耐える方法を探しているってことか。あれが魔力嵐だと知らなくても、とんでもなくヤバい嵐だってことは分かってしまうから。
藁に縋る思いで非公認魔法だろうと漁っている人がいるのかもしれない。私達の狙い通り、シェルターの魔法は順調に広まりつつあるということかも。どこまで浸透するかは分からないが、一人でも多くの人が助かってくれるといいな。
「学校は臨時休みになったけど、また友達と遊びに行きたいなあ」
「必ず行けるわ。だから嵐が過ぎるまで絶対家から出ちゃダメよ?」
弟はまた友達と遊べる日を楽しみにし、うんと頷いた。
その後、両親にもシェルターの魔法紋を渡して目的を達成した私は、また向こうへ帰ろうと家を出る。
「姉ちゃん」
「うん?」
「また帰ってきてよ」
……ははは、こやつめ。
弟の頭をわしゃわしゃと撫でまくった後、私は弟に別れを告げた。
家に帰る途中、仕事先からの電話が掛かってきたので出る。ヨツカ部長だった。
『あんな前代未聞の嵐が迫っているのに会社に出勤してくるのはおかしいってことで、明明後日まで誰も出勤してはいけないことになったから。ツカサくんもなるべく家から出ちゃダメだよ』
どうやら会社の方もこの状況に至って一時休業することを決めたらしい。大方、取引先などが全部休業に入ってしまったので、自分のところだけ働いていてもしょうがないという判断になったのだろう。
いずれにせよこちらからすれば助かることなので良いのだけど。
「確認しますが、明明後日まで会社への出勤は認められないということでよろしいですか?」
『そうだよ。テレワークとか在宅勤務も禁止だからね。そんなことしている余裕があるならきちんと嵐への対策をしておきなさい』
会社は出勤を認めてはいないが仕事はしろ、という意味ではないことを付け加えてくれた。そこにヨツカ部長なりの気遣いを感じられる。
本来言葉には字面以上の意味はなくそれ以外への曲解などする訳もないのだが、昔の人達が築いてきたもののせいで、額面通りに受け取れない言葉というのがかなり増やされてしまった。これくらいは言っておかないとどうとでも取れるようになってしまっている現在、そうならないよう配慮してくれる存在がいることのなんと有難いことか。
「分かりました。ヨツカ部長もどうかお気をつけて」
『嵐が過ぎたら、また元気な姿を見せてくれよ』
「はい。……失礼します」
そう最後に言って、電話を切った。
それからどれくらい時間が経過したか。私が実家ではない方の家に戻ってきて、今一度自分の備えにぬかりがないか手でパッパッと確認していく。その間、私が立てる物音以外は聞こえてこない。
賃貸マンションの一室を借りての暮らし。左右上下の壁より生活音が入ってくることにも慣れ切っていたが、こうも静かだったのは一年でも稀な部類。
なんとなく、壁の向こうに人がいるかどうかが気になってしまう。みんな実家に帰ってしまったのかな。ここには私しかもう残っていないのかな。そう思うと、途端に寂しさを覚えてきた。
「今からでも……」
自分もそうしようかと考えたものの、持って行きたい荷物が備えの分だけ多い。既に電車や飛行機なども運行を停止し出しており、交通機関を利用せずに一度に運び切るのは車でもないと無理だ。
「はぁ……」
諦めて横になると、ニュースとSNSを漁り始める。なになに……“超大型低気圧、異例の速度で南下中。明日には半島を通過、日本上陸は明日未明から朝の間か”。え、ちょ、勘弁してほしい。せめて午後に来てよ。これじゃあ碌に夜眠れないじゃないか。
普通の嵐……台風とかならともかく、あの魔力嵐を寝て待つなど出来ない。今までの話から考え、起きてすぐ何が起きても対処出来るようにしている方が良い。やばい困ったどうしよう。とりあえずアレだ、イグノーツに聞こう。魔力嵐についてはなんだかんだ一番詳しい。
そう思い立つと、「イグノーツさん、イグノーツさん」とあの本へ向けて何度も声をかけた。次の瞬間、景色が部屋の中からあの無機質な場所へ変わり、イグノーツがこちらの方を見て立っていた。
「何か御用でしょうか、ツカサさん」
彼の近くには覗き窓のような四角い枠が浮いてあって、私の部屋から見えていた外の景色が映っている。また本の中から外の様子を見ていたのだろう。
「実は例の近づいている魔力嵐が、日本へ明後日くらいに上陸するみたいなんだけど、その予想時刻が未明辺りから朝にかけてって予想でさ……このままだと寝る時間がないの。普段寝ない時間でも眠気を誘う魔法とか、いっそ寝かしつけてくれる魔法ってない?」
「ああ、自然災害は人間の都合に合わせて発生してくれるものではありませんからね。一応ないことはないですが……」
どうやらそういう魔法を知っているらしい。流石は異世界人、魔法に関しては40年程度の現代と比べ圧倒的な歴史の厚み。
しかし助かったという私の気持ちとは逆に、イグノーツの方は煮え切らない返事。
「……ツカサさんは、この魔法も広めるつもりですか?」
その言葉の意図はつまり、先に教えたシェルターの魔法みたいにこれも広めようとするのか、という意思確認か。
イグノーツの顔を見る。ふざけて言っている訳ではなさそう。
「イグノーツさんは、広めないでいて欲しいの?」
「止めることはしませんが、出来れば。ツカサさんはそうしたくないのですね」
「どう……かな。シェルターのやつは広めないといけないって思ったけど」
魔力嵐の被害については、既に通過された国の現状が日本にも伝わってきている。未曾有の被害、暴風で破壊され一面が土と瓦礫の色になった大地。死者と行方不明者は数え切れず、生き延びた者も家を失っていて避難所での窮屈な生活を毎日続けていると。
政府はどこも人手が回りきっていない。場所によっては完全に放置される地域もあるが、その理由として該当地域が無人になったからとも噂レベルで囁かれている。そういうのを聞いた身としては、この国でも同じような事態が起こるのは避けたい気持ちがあった。
「普通の人は、自分の見聞きする範囲に入ってこない人命なんてどうでもいいものです。ツカサさんはまず自分と自分の家族、その友人を大切にしてください」
忠告のような言葉と一緒に魔法紋が宙に出現する。それを紙に写し、こちらへと無言で渡すイグノーツ。
私はそれを「ありがとう」と言いながら受け取ると、
「恐らく、今日が貴方達にとって最後の平穏な日常を過ごせる日でしょう。これまでの日々をどうか忘れないように」
そう言ってイグノーツは、私をいつの間にか部屋に戻していた。
その日。家に帰ったあとの私は一歩も外に出なかった。準備は既にし終わっているため、ずっと携帯端末から動画を見ていたり、暇潰しをしていた。
こんな時でも一日中出歩くような変わり者によると、この日世の中は意外なほどの静けさに包まれていたという。
線路沿いに聞こえてくるはずの電車の走行音。
空港の側で絶え間なく轟いていた飛行機のエンジン。
昼になると運動場に出てきて遊んでいる学校の子供達。
ひっきりなしに車が行き交う道路を通る車の音。
人混みで常に溢れていた大都会の雑踏。
そういうものが綺麗さっぱりなくなったとか。
その様子がSNSに投稿され、動画がちょっぴりと話題を呼んでいた。みんな普段見慣れている風景が、一風変わって見えるのが面白かったんだろう。街中なのに人が殆ど映り込んでいない、あるいは全くいない風景というのはどこか不思議な気持ちにさせるものがあり、この日のちょっとしたハイライトを飾る。
弟もこの動画を見ているのかなあと思いながら、私もその動画を眺めていた。非日常感溢れるその内容は、しかし今の日本のあちこちで見られる光景なのだと感じ、本当に興味深いものを見せられている気分になる。
そんな感じで今日は過ぎて行き————翌日、魔力嵐上陸まであと一日。
昨日まででもかなり強めの勢いがあった風が、その日は文字通りの暴風となって日本全国に強く吹きつけた。街路樹がガッサガッサと勢いよくしなり、細いものだと根本から音を立てて倒れてしまいそうなほど、恐ろしく揺れていた。閉め切った窓も枠の中で出来ん限りの暴れっぷりで、間もなく沖縄と北海道、それに東北地方を除いた全国で暴風警報が発令した。
マンションの通路は完全に風の通り道になり、出ようにも風圧が凄くて少し開けるのも大変。電線の荒ぶり方も見たことがないほどの域に達しようとしている。唯一いつも通りなのは、雲一つなく晴れている空。しかし、それが却って不気味だった。
……これで嵐が上陸する前の段階か。既にとんでもない台風が上陸した時のような風だったが、依然として嵐の本体はまだ日本海の上にいる。いま来ている風は嵐の余波的な部分だ。
もし、魔力嵐が日本に上陸するほど近づいてきたら、どうなってしまうのか。
そんな不安と懸念を覚えながら、とうとう日本に魔力嵐が上陸する時がやって来た。




