邂逅(2)
私はすぐ確かめにいった。
彼が見せてくれた紙に書かれてあった——家族と思しき名前。
その人達へ割り当てられた部屋まで。
部屋番を頼りに探して、同じ数字が書かれてある部屋の前で立ち止まる。
(ここだ……)
この部屋で合っているのかと尋ねるように、ザガムの方を見る。
まるで大丈夫ですと言う風に、彼は柔らかな顔を浮かべ、
「ここで合ってますよ」
と、私に告げる。
その答えを聞いてから、恐る恐るという感じにインターホンを鳴らした。
中から聞こえてくる足音。
程なくして扉が開き、私はその人と目を合わせた。
「はい、どちら様で……」
私を自然と見下ろすような、平均的な背丈。
毛屑と埃がついた、若干汚れている服を着ている、若い男性。
そんな人が中から出てきて、互いに呆然とした風に固まる。
だが、私はその顔を見た途端に湧いて出てくる気持ちに押され、すぐに聞いた。
「っ……! シン…………シンなの?」
「ね、姉ちゃん……?」
彼が私のことをそう呼んだ途端、身体は彼を抱き寄せに行っていた。
突然のことに彼——私の弟は、うわっと驚いた反応を出す。
「良かった……! 良かったよ……」
もう、二度と会うことも出来ないんじゃないかと思っていた。
弟が戸惑うのも気にせず、匂いが移るのも気にせず。
人目があるのも忘れる勢いで、しばらく抱き締めていた。
「姉ちゃん、くっつきすぎ! 離れてって!」
「やだ! だって……本当に会いたかったから!」
電波がなくなって連絡つかなくなってから。
シンは大丈夫なのかな、生きているのかなって。
ずっと考えてた。思いが溜まってた。
だから会えた瞬間それが弾けて、ただ心を満たしたくなる。
「もう少し、このままでいさせて……甘えさせて」
「…………一分だけだよ」
「うん」
私の気持ちを汲んでか、弟はされるがままに抱かれる。
約束通り一分が過ぎると、お互いに離れた。
一連の流れを静観していたザガムの方へ振り向く。
「よろしいですか」
「うん。ありがとう」
「家族の再会に水を差すような真似は致せませんので」
いえいえと理解ある風に返してから、ザガムは弟と目を合わせた。
「はじめまして、ツカサさんの弟さん。私はザガムというものです。お見知りおきを」
彼がすっと自然に頭を下げる。
弟は予想していなかったのか反応が遅れ、慌てて挨拶を返した。
「あ……どうも。俺は……シンと言います」
「シン、ですね。さん付けでよろしいでしょうか?」
「は、はい」
「では改めてシンさんへご挨拶を。私はツカサさんが避難した先の学校で知り合った者です」
私と知り合ったのは学校で……ではないんだけれど。
しれっと嘘を混ぜてありそうな話に変えられるのがザガムらしい。
訂正出来るけど、彼の好きなように語らせておく。
本当の出会いを語る方が色々とアレで信じてもらいにくそうだし。
「あなたのことは以前から聞いていましたよ」
「俺のことを?」
「ええ。弟さんのことはとても大切な家族であると。叶うならば出来るだけ早く会いたいと言っておりました」
(んん……??)
そんなことザガムに言ったっけ。
少し疑問に思いながらもまだ静観する。
「昔から特に可愛がられておられる様子ですね。お陰で姉思いの良い子に育ち、鼻が高いとそれはそれは自慢げに……」
流れるように語られるザガムの私とのエピソードに、一層記憶が首を傾げ出す。
いややっぱり、言った覚えがないんだけど。
ちらりとザガムの顔を見た時気づいた。
(…………あ)
いつもの彼の表情に比べ、くすくすと楽しむ故意犯の微笑みが混ざっていることに。
——やられた!
慌てて二人の話に割って入る。
「待って! そんなこと言ってない! 言ってないからね! ほら、この人の顔を見て! いたずら心が顔に出てるでしょ!」
弟に変なことを吹き込まれる前に訂正しなければ。
私の言葉で危うく間に受けるところだったと気付いたように、弟はザガムの顔を二度見した。
それを受けザガムもわざとらしい態度で返す。
「おやおや、バレてしまいましたか」
「弟を誑かさないでよ! 最近はザガムさんのこと信じてたのに!」
「最近までは信じていなかったのですね」
私がザガムとどんな出会い方をして、何があったのか、忘れたとは言わせない。
あれから色々な場面で助けられて、少しずつ気が許せるようになってきていたのに。
ちょっと裏切られた気分になる。
口では残念そうにしているのに肩を落としている様子もないし。
もう! と怒りを示す。
「ちゃんと反省してよね」
「反省したことの証明は難しそうですが、努力します」
「そうだね。失った信用を取り戻すのは難しいんだから」
「おや、よくご存知ですね」
よくご存知ですね、じゃない!
大丈夫だろうか……と呆れそうに頭を抱えた。
「ですがもう一つ知っておくと良いことがありますよ」
「…………なに?」
「それはですね」
彼は目の前まで歩み寄ると、私の顔をすっとすくいあげ、
「人を信じるなら、もっと相手を知ってからの方がよろしいということ、です」
そう、淡々と反応を楽しむように述べた。
ザガムが後ろへ一歩下がる。
顔に息がかかりそうな間合いでの出来事。
不意に起こったそれにしばらく呆気に取られていた。
「…………ちょ、ちょっと! 揶揄ってるでしょ!!」
私は立ち直った途端何をやられたかを感じ取って、声をあげる。
まさかこんなスキンシップ染みたことをしてくるなんて。
近くでそれを見ていた弟も、頭が処理落ちしていそうな感じで固まっていた。
「失礼しました。ツカサさんと話していると楽しいものですから、つい出来心で」
「なので他意はありませんよ」と弟の方を見ながら、ザガムは続ける。
「本当に揶揄ってるだけですか……?」
私と妙に親しげに話しているザガムを信用していいものか、窺うような目で弟は見ていた。
弟には、姉の近くに急に現れたよく分からない変な男みたく映っているのだろう。
実際変かどうかで言えば、当たらずとも遠からずなんだけど。
「私はツカサさんのことを素敵な人だと思っています。ですが、私にとっては身内の知り合い、その孫のようであって……抱く親しみもそれに似たものです」
ザガムはこちらを一瞥したあと、続けて言った。
「それに、私の心はもう決まっていますから」
彼がそう言って、弟が戸惑いを見せた。
「それって……?」
「口で明らかにするほどのことではありませんので、ご想像にお任せします」
いつもと同じ、嘘だか本当だか読めない態度。
でも、そこで心を読んでみた私は、彼の心に僅かな動きを感じる。
懐かしむような、眺めるような。
或いは、胸を締め付けるような気持ちが、霧のように現れては消えていく。
ザガムが口の前で指を立てた時、彼の中から読み取ったものになんとなく私は思った。
嘘を言っている風には思えないと。
「あと……」
ザガムは弟に近づくと、その耳元で何か、こちらに聞こえないような声で弟に伝える。
直後に弟は、びっくりとした風に目を瞬かせる。
「な、何を言って……!」
「あなたが知りたいことを教えただけです。確かめるも確かめないも、どうぞご自由に」
一体何を言ったのかは分からないけれど、弟は閉口してしまった。
私は訝しむような動きでザガムを見る。
「変なこと言ったんじゃないよね?」
「変なことかどうかは、いずれ分かりますよ。弟さんもいつか教えてくれるでしょう。それまではどうか、聞かないであげてください」
私には秘密ってことか。
すぐには聞かせられないようなことを伝えたのだというのは反応から窺えるけれど。
「……今はまだ言えない」
一体何を言ったの? と思っていると、弟は申し訳なさそうにそう答えた。
今はまだ。
つまり、いつかは言える条件が整う時がくる。
そのように弟くんが判断しているのだと察して、私は考える。
(心を読めば、何を言われたのかを推測出来る内容が読めると思う。けど……)
強引な方法を取れば、今すぐに、弟にそうと悟られずに知ることは出来る。
でも『見られることを前提に思考すべき』と言う、読まれることに慣れきったザガムの心を見るのとは違う。
勝手に弟の心を覗くのは、興味よりも理性が拒むことだった。
「…………そういうことなら、二人の秘密ってことで、納得しておく」
「ごめん、姉ちゃん。でも変なことを言われたとかじゃないから」
変なことを言われてなければ、何を言われたのやら。
気にはなるけど聞かないと決めた以上それに触れることは出来ない。
頭を切り替えるついでに話題も変えよう。
ここへ来た理由を思い返し、弟に質問を投げる。
「そういえば、お母さんとお父さんの名前もあったけれど、今も一緒にいるの?」
「あ、うん。でも部屋は違う。二人部屋しか空いてなかったから、俺が一人の方を選んだ」
今の話し方で、弟くんが一人で部屋を使用する方を選んだのだと把握。
理由はすぐ察した。
私は昔のこともあり幼い頃ほど親とは仲良くないが、関係が悪いってほどでもない、プラマイゼロ程度の感情を持っている。
でも弟は、私のそれよりお母さんお父さんへの心象が良くないらしい。
特にお母さんへはマイナス感が強い。
たぶん私が中学生の頃あった親の過度な干渉が原因だと思うけれど、理由は他にもあるだろう。
(この前に家へ帰省した時も……あんまり変わってなかったからなあ)
弟は高校を出たら魔法士の資格で一人暮らしを始めるつもりだったが、一人暮らしに不安を感じないか聞けば、「楽しみでワクワクしている」とか、「家で誰とも顔を会わせずに済むのって良いね」とか、喜ぶ声は出てもその逆は出てこなかった。
それくらい気持ちが冷めているのが見て取れるので、私も敢えて触れないでいる。
無理に嫌な気持ちを呼び起こすようなことを言って、仲良く出来ている姉弟関係を壊すのが、嫌だから。
「二人分の部屋を一人で使っているんだ。贅沢だね」
「羨ましいの姉ちゃん? 分けてあげよっか?」
「いりません。どうぞ堪能してちょうだい」
「へへ」
この状況ではしょうがないとはいえ、避難生活で一緒だったのは疲れたのだろう。
私が言ったことへの返事に混ざって、やっと離れられて楽になったという気持ちが、顔に浮かんでいた。
「それよりさ……その人とどういう関係なのさ」
「避難した学校で知り合った外国の人だよ。まあ、初めて会ったときは胡散臭いところがあったけど」
彼の嘘に乗っかりつつ、それ以上の意味はない、と声に込めて弟に伝える。
そこは絶対に誤解されたくないから。
初めて会ったときに胡散臭いと思ったのは本当だけど。
「魔法のこととかで色々頼りになるけど……たまにこんなことする人だから。気をつけてね」
「それは姉ちゃんの反応が面白くて遊ばれてるだけじゃ……」
「何か言った?」
「いいえなにも」
久々に会えたばかりでなんて言い草をするのだろう、この弟くんは。
生意気なやつめ。
だけど、そんなやり取りが出来るのが嬉しかった私は敢えて口にせず、代わりにまた抱きついた。
「うわあ! 人前でくっつのはやめてって!」
「さっきもやってたでしょ! な〜に〜照れてるの〜?」
「ちっ、違うっ!!」
口では否定するけれど、顔は正直である。
私に負けず面白い反応出来るじゃないか。
「…………ツカサさん、一つ尋ねてもよろしいでしょうか」
「なに?」
横からザガムの声がしたので、そちらへ振り返る。
彼は「答えられないのであれば答えなくていいのですが」と前置きした後、私へ質問した。
「先程からツカサさんは、弟くんのことを名前で呼ばれておりませんが、どうしてでしょう?」
「…………えっと……それは」
言葉に詰まる。
その問いは私にとって、とても答えづらいもの。
弟のことをほぼ名前で呼ばない理由は、言って
なんと答えればいいか悩んでいると、弟が言う。
「……それは、俺の名前が理由です」
腕の中でまだ抵抗していた弟は、目線を俯かせるように動かした。
「俺の名前はシンって読むんですけど、漢字だと……神の人と書いて『神人』ってなるんです。俺は、それが好きじゃないんです」
「親がつけた名前に不満がある、ということですね」
彼が「ふむ」という顔で相槌を返せば、弟も少しずつ語り出す。
「この名前はお母さんが考えたんです。最初は『神』の文字だけでシンと名付けるつもりだったらしく、そこにお父さんが『人』という字も付け足して、今の名前になりました。『神がかった』とか凄く優れたものを褒める意味合いだって、お母さんは言ってた」
どうしてそう名付けたか。
幼い頃のことながら覚えている。
母は弟を産んでしばらくは気分が高揚していて、いわゆる躁状態にあったという。
ハイになっていたお母さんは生まれてきたばかりの二人目の子供に、愛しさから名前を決定した。
恐らく「うちの子最高にかわいい。神がかってる」とかそういう感覚だろう。
何を思ってお父さんが『人』の字を付けたかは聞いていないけれど、「お母さんとはお互いに一字考えて、二つ合わせて名前にするって決めてたんだよ」とか言っていた気がするから、『神』の字と組み合わせることを考慮してそうなったのではないかと思う。
私の名前もそうやって決めたとか言っていたし。
「なるほど。とても凄い人になって欲しいという想いを込めた名前なのですね。私にはそれほど悪くない風に聞こえますが……」
「子供の名前に『神』を意味する言葉を付けている親がいたら、どう思います?」
「……なるほど」
ザガムは異世界人だし、名前をつける時の文化も日本とは違うとは思うけれど、流石に神そのものを意味する単語をつけるのは引っかかったよう。
多少なりとも共通認識を持つことが出来たあと、ザガムは弟へ謝った。
「想像力が足りていませんでした。申し訳ありません」
「いえ、分かってもらえただけで十分です……」
納得したらしきザガムは、「それでは、確認も出来ましたので」と立ち去る。
彼が去っていくのを見送って、私達はまた顔を見合わせた。
「確認ってなんだったの?」
「本当に家族かどうかのでしょ。面と向かって会うまでは、本人かどうかなんて分からないし」
「名前完全に一致してるじゃん」
「念のためだよ、きっと。ザガムさん優しいから」
「…………優しい?」
私から彼へ向けた言葉に、どこか頷けない様子の弟。
そんなにおかしな評価だろうか。
ずっと通路で立ち話もなんだということで、弟が使っている部屋の中へ入った。
内装は私達の部屋と全く一緒。
船の中だし、スイートルームとかでもなければ大差ない。
乗船したばかりなので中もほとんど散らかってない。
「荷物とかはこれで全部?」
大きめのリュックサックと中くらいのショルダーバッグ。
ベッドに置かれてあるそれらを指差して問う。
「着替えとか体拭く用のタオルとか、水の入ったペットボトルを入れてる。あと細かいの色々」
「それだけあればパンパンになるよねー……」
私はギッチギチに膨らんだリュックサックを見て言った。
弟はショルダーバッグを手に取ると、中に何を入れているのかを見せてくれる。
折りたたみの傘、懐中電灯、救急箱、消臭スプレー、バッテリーなど……
「沢山あるね」
「あと栄養失調対策にビンに入ってるビタミン剤とかも入れてる。それと塩も」
「塩?」
「味付けにちょうど良くて。ちなみに天然塩」
塩っけが欲しい時に使うんだと私に語る。
地味ながら重要な物資を準備しているとは。
まだ15だというのに、よく出来た弟だ。
お姉ちゃんは嬉しいです。
「え……?」
そんな気持ちになって微笑んでいた時、弟からそれとビタミンのやつを渡された。
キョトンとなって弟の方を見る。
「これ二つあるから、一つ渡しておくよ」
「え、そんな。悪いよ。私のじゃないし……」
「いいよ別に」
私が手を振って遠慮しかけたら、弟は気にしてないという素振りで返す。
「俺一人持ってたってしょうがないし、分けて持っておけば何かあった時のリスク分散も出来るから。それにお姉ちゃんも、避難生活が続いて栄養バランス崩しやすいでしょ? ……これ持っておけば防げるようなことで、そうなって欲しくないし」
顔を逸らしながらそういう弟は、けれどビンを持つ手を真っ直ぐこちらへ伸ばしていた。
(もしかして、私を気遣ってくれてるのかな?)
今の言葉を聞いた私はまさかと思いつつ、弟の真意を確かめる。
「それ、自分のために買ったやつじゃないの?」
「そうだけど、別に俺だけで全部使わなきゃダメって訳でもないだろ。買ったものの使い方は、買った人が決めていいんだから。だったら……誰に上げるか決めるのも、買った人の自由だろ?」
そんな風に、素直になりきれない感じで述べた。
弟の不器用な優しさが胸に染みていくようで、自然と笑みがこぼれる。
「…………なら、ありがたくもらうね」
「なくなったら俺の分を上げるから、遠慮せずに使って」
「弟のためにならないから気持ちだけ受け取っておくよ」
私に断られると、残念そうに眉を下げた。
姉思いの良い子に育ってくれて、鼻が高い。
そう、姉思い、鼻が高い。
(なんかデジャヴ……?)
その時、インターホンによる来客を示す音が鳴った。
おもむろに立ち上がった弟が、誰が来たのかを確認に向かう。
そして覗き穴から相手を見た弟は、
「あっ……」
いかにも気まずそうな声をあげた。
後ろから様子を窺っていた私は、それで誰が来たのかを理解する。
「姉ちゃん……」
「——いいよ、開けて」
立ち上がると同時に返事すると、弟はゆっくりドアを開けた。
向こう側に立っていた人の姿が映る。
私の倍以上は歳を重ねているだろう雰囲気の、夫婦らしき相手。
そのうち女性の方が室内を見回すと、私と目が合った。
「……ツカサ?」
驚きによって目を見開く相手。
ふわっとした青緑のチュニックと、それと質感の近そうな白い長ズボンが、彼女の身振りに合わせて揺れる。
目鼻立ちのくっきりした、凛とした顔。
耳たぶに付けてある、光を反射する銀のリングピアス。
それらから見知った感じを受け、私の脳裏にある相手が思い起こされ、微妙な気持ちになった。
「ツカサなの?」
「……お母さん」
静かに母へ向かって返すと、母は落ち着きのない足取りで来て、私の顔を見つめる。
まるで本物かどうか調べるみたいに。
「良かった、生きてて…………。連絡取れないから、もしかしたらって不安だったの」
目の前にいるのが実の娘だと理解した母は、安堵の息を吐いた。
母の肌を間近で見ると、頬や肘など、乾燥しやすいところが乾燥しており、ところによってはニキビもある。
髪の毛の方も、瑞々しさを失って久しいかの如く、見るからにパサついて光沢がなくなっている具合。
それは記憶にあるどのお母さんよりも老けて見えた。




