人を操る人形師
「あのことって、何?」
サヤがポツリと呟いたそれ。さっきまでのと違い、軽い雰囲気には思われない色々なものが含まれていそうな……恐らく、ケイスケさんがあんなことを言った原因。それと関係があるのを感じ、私は復唱する。
「私と兄さんが、まだ同じ中学に通っていた時のことよ。回りくどい言い方得意じゃないから、ざっくり言っちゃうけど、いじめにあっていたの」
「え! それって、ケイスケさんが?」
「ううん、私の方」
あっけらかんとした様子でサヤは言った。
私はサヤがいじめに遭うというのが想像しにくくて、また同じ風に聞き返してしまう。
「サヤが!?」
高校で初めて会った時から今みたいな性格だった彼女は、並大抵のことでは動じそうもない芯の強さと図太さを持っていたから、そんなことになれば絶対に報復する。真っ先にその可能性を考えるタイプだからこそ、いじめに遭っていたと言われてもどこか現実味のない話に聞こえてしまった私は、信じられなかった。
……なんて考えているのが顔に出ていたようで、クスリとサヤに笑われた。彼女は頬に手を当てると、あのことについてどんな言葉で伝えようかと吟味し出す。
「信じられないって顔してるわね。あの頃の私も今と大して変わらない……いや、今よりも愛想とか振りまかない人間だったから。勉強は出来るけど人付き合いも人当たりも最低限ってくらいの、大人でも時々顔を顰めそうな子供だったの。だから私からいじめを引き寄せちゃった部分はあったのよね」
いじめを誘引したのは自分自身だと、自嘲するように表情にこぼす。その目は過去を見つめているように、部屋の中のどこも見ていない。私の知らない昔のことへ思いを馳せている。
それを見て取った私はサヤが座っているのと同じベッドへ腰を落ち着かせ、彼女の方を向いた。
「どんなことがあったのか……聞いてもいい?」
「………………」
恐る恐るといった具合に尋ねた時、サヤがピクリと反応する。無言のまま手をギュッと握りしめ、逡巡するような動きを見せたあと、首を横に振って返すサヤ。
いつもの彼女であればハキハキと喋るだろう。けれど今は言葉選びにさえ酷く躊躇している。高校からの付き合いである私は僅かな変化を察すると、その手に手を重ねた。
「言いにくかったら、無理に言わなくていいよ。話せることだけで良いから」
「……悪いのは私だから。全部教える覚悟が出来ていない私の、問題」
「聞いたのは私だよ。サヤは自分が大丈夫になるまで考えなくていい」
私は手を離すとサヤの横からそっと背中を撫でた。何かを抱えていそうな彼女の心を、少しでも軽くしてあげたいと思って。
私が優しく撫で続けているうちに、サヤはそっと身体を預けてくる。
「ありがとう、ツカサ」
「うん」
お互いにそう交わして、言葉のない時間が流れていった。窓枠の中に映ってきた遠くの建物が、段々と枠の反対側へと通り過ぎて見えなくなるほどの時が過ぎ、サヤが少しずつ口を開いていく。
「兄さんはさ、その時いじめにあってた私を助けようとしてくれた。けど、張り切りすぎちゃって……いじめを止めた代わりに退学になったの。中学で退学処置とか何やってんのよって思ったわ。学歴とか色々と不利になるじゃない。愛想のない私なんか気にしないで、放っておけば良かったのに」
「……先生は、いじめを止めなかったの? いじめが起こっているなら、普通止めようとするはずだと思うけど」
こぼれていく声を隣で聞きながら、疑問に感じたことを尋ねてみた。
学校内でいじめが起きていると知っていれば、放っておくなどまず有り得ない。いじめという問題が知られるようになった過去の話ならともかく、今は軽視されがちだった昔の昔に比べればかなり真剣に対応されるように、世の中が変わっていっている。歴史を考えれば疑問符をつけたい。そんな私の疑問にサヤは答える。
「気付けなかったのよ。いい年した大人だったから」
「どういうこと?」
「私たちの世代が何て呼ばれているか、ツカサは知っているわよね」
「マジックネイティブだよね。それが——」
一瞬続きを言いかけたあと、私はサヤが言っている意味を察し、固まってしまった。
「まさか……魔法を使ったいじめ?」
「そういうことよ」
その目は再びどこでもないところへ向けられる。
「どこのクラスにも、妙に情報通な子とか、流行りを追いかけている子とか、承認欲求の塊みたいな子っているでしょ。私の学年にもいたのよ、魔法に詳しい子が。その子から魔法の知識が色々と広がって流行ってたみたい…………いわゆる『非公認魔法』ってやつ」
サヤは、その時の学校の教師は若い方だと25、26くらいの人が若干名、残りは30後半から50前半くらいの人達ばかりだったと言った。
魔力の初観測が40年前。そこから魔法という現象を発見して、魔法を身近なものにした魔法具が開発され、世界に普及するまでの期間を踏まえると、当時の教師は魔法というものを知ってはいても、それが学校生活に絡んで起きるトラブルに関し、十分に対応出来るほどの経験も教訓も積めていなかっただろう。
彼女の中学でいじめに利用された時、それを素早く見つけ出すことは果たして可能だったのか。その可能性を考えるには情報が足りない。
「生まれた時から魔法具で魔力を操って鍛えられた私達と、そうでない世代だった教師の間には、生まれた時からケータイが近くにあった世代となかった世代くらい、魔力・魔法への慣れや操作技術が違う。例え子供でも隠れて魔法を使えば、それを察知するのは困難だったの。私の時には心を読む魔法も使われてたわ」
「……そんなものまで使われてたなんて」
「当時は発見されたばかりの非公認魔法だったからね。規制も追いついていなかったし、酷い話だけど時代の変わり目にはあることよ」
伝えられた話に愕然とする私に、サヤはわざとらしく苦笑しながら、全身をベッドにあずけた。肩にかかっていた重みがなくなると同時に、横になったサヤの方へと振り返る。
「結構、全国レベルのニュースになった筈なんだけど、聞いたことない?」
「……多分その頃、勉強ばっかさせられてたから。ニュースとかも気が散るようなものは流さないようお母さんが徹底してたし。時事系でも私が反応しそうなのは切ってたくらい、ノイズとして扱ってたもん」
「そうなのね」
当時の母は、私達の世代が持つ高すぎた学習能力を最大限活用しようとしながら、余計なことを覚えるのに使われないよう情報をフィルタリングしていた節がある。
それはまさにアダルトなものが子供の視界に入らないようにする親の如く、中学生だった私へ見せたくないものを排除する方向で働いた。結果として魔法を使ったいじめがあったというニュースを高校の授業で習うまで知らなかったほど。
私がサヤと会う以前にその過去を知っていた人は割といたかもしれないが、私自身は全く知らずに接していたのだから。
「それなら、私とツカサが初めて会った時の態度も納得いくわね」
「初めてのって、最初の授業で自己紹介したあとのやつ?」
「そうよ。思い出すと笑えてくるやつ。私に近づいてきた理由ってなんだったかしら。……『声が好き』だっけ? 『みんなの自己紹介の中で一番タイプの声だった』とか、初対面の癖にぶっ飛んだことを言うもんだから呆れちゃった」
「ちょ、恥ずかしいから言わないで!」
高校に上がりたての頃はまだ束縛から解放された反動も残ってたせいか、気分が舞い上がっちゃって変な発言を結構して残した。今となっては半分くらい恥ずかしい過去である。
その一つを思い出させられた私は羞恥心に襲われ、こちらが取り乱している様子を見ながらサヤはくすくすと笑っている。
「でも良かったじゃない。あれがあったから私、ツカサのことを変な人って思いながら友達になれた気がするわ」
「変な人は余計だって! 私よりもサヤの方が変だったもん!」
「そう? 五十歩百歩だと思うけど。でもこんな距離の詰め方されたの初めてだったんだからね。それがなかったらツカサと今の関係になれていたか……ああ、いつの間にか話が変わっていたわ」
サヤは話が脱線し始めているのに気付き、本来の話題の『あのこと』へ思考を戻す。
「兄さんはね……いじめを止めるためにしたことを、やり過ぎたと思っているのよ。客観的に見れば正しい認識だと言えるし、他に取れる手段があった可能性は私も理解している。でも、そのせいで私に迷惑をかけたってね……」
楽しげな表情から物憂う顔へと移りながら言う。その目や声からは、責めるような感情は感じられない。逆に、自身の本音は言葉にしていないように私は受け取る。
「サヤはどう思ってるの? その時のケイスケさんがしたことを」
いじめをどうにかしようとした兄をどう思っているのか。顔色を窺いつつ確かめる。するとサヤは苦笑気味にそのときの気持ちを振り返る。
「嫌だとは思ってない。私のために怒ってくれたことに、嬉しかったと思ってる。でも、後悔もしている。もっと早く自分で手を打っておけばこんなことにはならなかった。その方が兄さんも変わらなかったかもしれない。……昔は兄さんも、今みたいに自信のない感じじゃなかったの。私ともずっと打ち解けたふうに話しかけてくれた」
——自分のしたことに負い目を感じて、そうなっちゃったのかしら。
体を転がして窓の方を見る直前、心中を吐露するように呟いていたサヤの顔は、物悲しそうに見えた。
(サヤもケイスケさんも、自分がしたことを、自分がしなかったことを後悔しているのかな。私が話を聞くことで少しでも助けになれたら嬉しい、けど……)
部外者の私がどこまで関わっていいのか、触れていいのか、その境界が曖昧な問題すぎて、迂闊な言葉が危険なのはすぐに分かる。下手に踏み込みすぎれば却って悪化するかもしれない。そうなっては誰も幸せにならないだろう。
(今はゆっくりと、お互いのことを見守るしか……)
「その、答えにくかったら言わなくていいんだけれど……ケイスケさんがいじめを止めようとしたら退学って、何があればそんなことに?」
ちょっと前にサヤが言ったことで、ケイスケさんがいじめを止めた結果退学になったという話を思い出した私は、ふとその経緯について尋ねた。今一番聞きたいことを口にしないよう代わりに選んだ質問だったが、その時は聞きにくい内容な気がして、保留していたものである。
「……私は現場を目撃したわけじゃないから伝聞になるけれど、目撃していた人が言うには、魔法を使って相手に怪我を負わせたことが理由らしいわ」
(魔法を?)
その言葉になにか引っかかるような感じを覚えて、サヤに確認する。
「ケイスケさんってその頃、魔法を覚えていたの? それとも、校内で流行っていた非公認魔法を覚えたとか?」
「いえ……当時の兄さんは魔法なんて一つも習ってなければ覚えてもないし、非公認魔法の噂は一年の階が中心地だったから三年の階までは碌に届いてなかったはずだけど、兄さんは魔法を使って、いじめてきた子達の身体に全治四週間くらいの怪我を負わせたらしいの。その場に居合わせた人達によれば——」
私はその後、サヤが口にした内容に衝撃を受けた。
*
同日の昼を回った頃。ザガムとの訓練を終えたケイスケは、船の中を一人歩く。午前の分の特訓を終えたので、午後の特訓のために食事休憩を取るよう促されたので、そこへ向かおうと階段を下りていた。
(そういえば食べ物の残りがやばいって話、まだ具体的にどうするか決めていなかったよな。陸の近くにいたら飢え死にする前に死ぬから、燃料を食わない魔法具の推進器を取り付けて港から出てもらったけれど)
何百人もの客を相手に優雅な船旅を送っていただろうこの船。本来であればそこで提供される食事は優雅でおしゃれな雰囲気のものであったはず。しかしケイスケが来た時ツカサと見た食べ物は、保存食のパックや缶詰だけだった。それはこの船の食料も既にそこまで払底しているということを意味する。
船長達から聞いたことと、ツカサと一緒に船内を見て回った時のことを思い出すや否や、ケイスケは明日以降のことを不安そうに考え出した。
(……やっぱ魔物とか狩って食料にするのが手っ取り早いんだろうな。あれが食べられるのと食べても平気だってことは避難所にいた頃確認済みだし、この船に乗っている人達の食事を賄うつもりならやらない理由が思いつかない。だけど、その時俺はまだ戦わせてもらえないんだろう)
ケイスケの頭の中にイメージが浮かんでくる。陸地にいる魔物を前にザガムという男が前に出て、サヤとツカサがそれに続く中、自分は他の客達と共に残るのを。これまでの彼ならそれを歯痒く思いつつも仕方ないと自分に言い聞かせるしか出来なかった。しかし、以前よりもその表情はマシになっている。理由は、ザガムとの特訓が始まったことにあった。
(あと一週間だ)
自分の中に期限が生まれた。ザガムから受ける特訓で、防御魔法を完全に習得するための期間。それを乗り越えて使いこなした時、ケイスケは自分で自分の身を守れるようになる。ツカサ達の手を煩わせることもない。やがては自分で魔物へ攻撃することも、ツカサ達を守れるようにもなる。
そうした想いを胸に秘め、ケイスケは行く。
(なんだ?)
船内のレストランにいるスタッフから昼食を受け取り、自分の荷物を置いた部屋がある階まで来た時、ケイスケは自室のある方の通路、その端に一人の男がいるのを目にした。
(乗客の人か?)
四角い眼鏡をかけているその男は、ケイスケから見て10以上は年上の風貌をしていた。
上下とも紺色のスーツに包んだその格好。ボタンをかけていないスーツの前からはシャツが覗き、それを遮るはずのネクタイは見当たらない。シャツの一番上のボタンも外し、襟の部分は少しダラけている。そこにさながらリラックス中といった感じに壁に背を預けて腕を手すりに乗せていた。
そんな姿を見たケイスケは、自分が乗る前より船に避難してきた客だと察し、一瞬だけ気にしたあとその横を通り過ぎる。
「ん? おっと、少しいいですかな」
ケイスケが通り過ぎようとしたところ、横切ろうとする彼の姿を見た男は声をかけた。ケイスケが振り向くと男と目が合う。周りにはケイスケとその男以外誰もいない。自分が話しかけられているのだと判断し、ケイスケは立ち止まった。
「なんですか?」
「いえ、もしかしてと思いまして。名前を聞いてもよろしいですかな?」
相手のこなれたような聞き方と、一方的に自分を知られているような態度にケイスケは不審そうな目を向ける。男はその変化にしばらく気づかなかったが、ケイスケから返事が来ないこととその身構えた風の動きを見て怪しまれているのを察した。
「ああ、すみません。別に怪しいものじゃありませんよ。実は俺、こういうものでして」
スーツの表側にあるポケットに手を入れた男は、名指しを出してケイスケへと差し出した。ケイスケは受け取ると名指しに書かれている内容を確認する。
「津越夜白、陽明新聞社の新聞記者……?」
「ええ。ご存知ないかもしれませんが、昔あなたのことを記事にしたこともあるんですよ。仁賀月さん」
「なにを……っ!?」
彼が顔を上げると、津越という男は顔を覗き込むように首を動かし、微笑んで見せた。
「やはりニガツキ・ケイスケさんでしたか。こんなところでお会いできるとは思いませんでしたよ、あのパペッティアに」
「……そのパペッティアという呼び方はやめてください。俺はそれが好きじゃない」
「なるほど」
ケイスケは目を細くし、津越を睨みつける。その敵意は津越にも伝わってきて、不快を露わにしてきた彼へ譲歩するように一歩下がって見せるに至った。が、その内心が浮き出た顔には臆した様子は微塵もなく、余裕綽々といった振る舞いが見て取れた。
「いやしかし、これはどんな偶然だろう。前代未聞の嵐が日本に上陸するからしばらく休めなくなると、この機会にクルーズ旅を満喫していた私の前へニガツキさん……あのパペッティアが現れるなんて」
「言ったことが聞こえなかったのですか? その呼び方はやめてください」
「そう呼ばれているのはニガツキさんが原因でしょう? 妹をいじめていた下級生の体を魔法で操り、階段から転げ落としたり、自分の手で自分の関節を折らせたり、二階の窓から飛び降りさせようとした。しかも多数の人を単独で、一度に操って報復…………そんな事件に注目し、大衆がつけた呼称がパペッティアだ。いじめをしてきた相手を人形のように操って仕返しなんてすれば、こうもなる」
淡々と説明しながら上着の裏地に縫い付けられたポケットへ手を伸ばし、津越は携帯を取り出した。そして画面を操作し内部に保管しているデータを開くと、その画面をケイスケの眼前に持ってくる。ケイスケはそこに映し出されていたものを見て、目を見開く。
(あの時のニュース記事……!)
津越が見せてきたのはケイスケが中学3年生だった頃のネットニュース。記事のタイトルは、『いじめの報復で中学生13人が骨折などの怪我 魔法による復讐か』。それはケイスケが起こした報復事件を取り上げたものだった。
「当時の記事は削除済みなのでこれは私的に保存しておいたやつですが、あの時の世間の反応はもう凄かったですよ。社会へ浸透しつつあった魔法が学校でのいじめと、その報復行為に使われたということで……ニガツキさんのいた中学は元より、他所の地方の中学校から小学校や高校まで、子供達が魔法を使っていないかを教師が把握しているか、それらが大々的に調査された。本当、凄かった。あっと、パペッティアと呼ばないでくださいとのことでしたね。興奮してしまい直すのを忘れていました。すみませんねニガツキさん」
「っ…………それであんたは、そんな俺を見つけてどうしたいんです?」
両目を激しく輝かせて語る男に、引き気味になりながらもケイスケは質問する。それに津越は先程までのテンションを一気に落ち着かせた後、その問いに答えていく。
「いえ、あの記事を書いてから随分と月日が経ちましたからね、その後どうなったかでもこの機会に聞いてみようかと思いまして。確か中学を退学したあとは都心にある高校へ進んだとか」
「答えなければならない必要はないでしょう。お断りします」
「ただの世間話ですよ、記事にするつもりはありません。とっくに旬の過ぎた内容ですし」
「だったら尚のこと言う必要はない、帰ってくれ」
「……仕方ありませんねえ」
津越はもの惜しそうに後ろへ下がると、その場を離れようと背を向けた。そしてどこかへ向かおうと歩き出す。
(なんだ? あっさりと引き下がった……)
意外そうに津越の後ろ姿を見つめるケイスケに、津越は別れの言葉をかける。
「本人に聞けないというのであれば、別の人に聞くことにしましょう。では」
「…………待て!」
その言葉を聞いたケイスケは彼が去ろうとする僅かの時間に思考を巡らし、発言の意味するところを想像して呼び止めた。
「誰のところへ向かうつもりだ」
「それを言う必要がありますか? 俺は話を聞きたいけれど断られた。だから言ってくれそうな人、聞いてくれそうな人を探すだけ。ああ、でもニガツキさんの妹さんは口が堅そうですし、他の乗客に聞いてみましょうか。でも覚えていますかねえ、6年も前のことを」
津越がそう言ってくっくっくと笑みを浮かべれば、ケイスケは口もとを力ませ眉間に皺を作る。
「あの話とともになぜそれを聞くのかを説明しないといけないかもしれないのは面倒ですけれど……仕方がないですよね」
「この……っ!」
怒りを声に乗せ出したケイスケ。段々と理性より感情が強まってきている相手を前に、津越は怯んだ様子も臆した風もなく、挑発するかの如くその姿勢を崩さない。
「俺も操ってみますか? 事件を起こした日の下級生達のように。ここなら海にでも落としてしまえば、証拠なんてほぼ残らない。報復には向いていると思いますよ」
「ふざけるな、誰が」
「もう前にやったじゃないですか。それともニガツキさんに、俺がわざわざ回りくどいことをしなくて済むほど、魅力ある提案が出来るので?」
出来ないでしょう? と笑いながら言う。怒りに満ちた表情のケイスケも、それが挑発であることはすぐに分かる。明らかに意図が透けて見える言葉だ。これに引っかかるほど理性を失ってはいなかった。
(くそっ……!)
ケイスケは自分が二つの選択を迫られており、自分にとって許容出来ないものはどちらか、天秤にかけることを求められていると気付く。
男の提示するもの。それは自ら打ち明けて話す代わりに、他の者には話をしない。或いは自ら話さない代わりにこの船にいる者から聞かれることを止めない。どちらがケイスケにとって受け入れ難いか、どちらならまだマシだと思えるか。それ以外の選択肢は——
「どうします? あまり時間を無駄にしたくありません。出来ればお早めに答えてください」
——振り返った津越の、追い込みをかける言葉で封印された。
ほんの数秒から数十秒。ケイスケに残された選ぶ時間は短く、だが彼から考える余裕を奪うのには十分な時間。その間、悩んだケイスケは奥歯を強く噛みながら沈黙で抵抗し続けた。けれどそれが効くのは一分にも満たない間だけと理解しており、
「……俺の口から全部話せるだけ話す。だから、やめろ。やめてくれ」
最後には観念するように頭を下げた。
「ならば仕方ないですねえ」
合意した津越は満面の笑みとなり、「ありがとうございます」と両手を合わせて喜んだ。それはとてもよく作られた笑顔で。
「俺としても心苦しいところだったんですよ。避難客の中にパペッティアがいると伝えれば、怖がらせてしまうかもしれなかった。でもあなたのお陰でそうする可能性がなくなって……ああ、何よりです。ご協力、感謝しますよ」
下を向いて黙り込む彼に、津越は満足そうにしながら手を伸ばす。そして彼の手を取り自分の手を握らせたあと、無言で握り返すのだった。




