心の声
「ちょ、ちょっと! ツカサさん!」
通路を歩いて部屋に戻る最中、ケイスケさんの戸惑う声が聞こえてくる。いきなり腕を掴まれて、そのまま部屋から出されて、どこへ行こうとするかも知らされてない彼の、困った感じの言葉が聞こえるのを、私は無視する。
なんでもいい。今は遠くへ離れたい。通路に出たはいいもののそこへ留まっている気分ではなく、そのまま引っ張る。そして午前中休んでいた一室に戻ってきた。乱暴な勢いで彼を入れると同時に鍵を閉め、一息ついて顔を上げる。
「…………」
どういうことなのと言いたげな顔を浮かべたケイスケさん。外から聞こえてくる波の音がザーン、ザーンと静かな部屋に響く。
私は沈黙したまま視線を俯けて、そんな気まずい空気に我慢していられなくなったケイスケさんが、言いずらそうに問いかける。
「え、えっと……ツカサさん?」
「なんですか」
「どうして、急にこんなことを?」
なぜこんなことをしたのか。その理由について尋ねられたけれど、上手く言語化出来ない。私自身よく理解出来てないから。自分でも驚くほど感情のままに動いたようで、そこでハッキリした理由を持っていなかった。
困る彼と困る私。質問に答えないと。別に私はケイスケさんを困らせたい訳じゃないんだ。落ち着かない彼の方へ向き直り、私はなんとか返事を出そうとする。私の中の理性的な部分が答えようとする。
「——ケイスケさんは、あのままあそこにいたかった?」
しかしその前に、私の中のそれとは違う部分が彼に返事してしまっていた。表には出さなかったが、私の理性は自分の発した言葉に困惑する。何を聞いているの、と。
「それは……大変いづらい状態だったけど」
「私もそうだったからそうしただけです。それ以上の深い意味はありません」
「そ、そう……」
なんとも言えない返事。たぶん、私の言葉にどう返せばいいか迷った結果だ。叶うのなら理由を聞きたそうな雰囲気が、でも聞きにくい様子が見て取れた。ダメだ、困らせたいんじゃないのに困らせてしまっている。
変だ。一体自分はなぜこんなことをしているのか。私自身の言動が普段とは違う気がする。冷静さを失い、ぶっきらぼうになっているような…………そんな変化をうっすら認識した頃、やっと理性が口から出る言葉をコントロール出来るようになってきた。
「その、ごめんなさい。急に連れてきて……迷惑でしたか?」
「いや……そんなことはないよ。ただ驚いただけ」
「そうですか……なら良かった」
「ところであの、この部屋は一体? 誰かの荷物があるけれど、俺はいて大丈夫なの?」
「え? ああ、大丈夫ですよ。ここは私とサヤが今日入った部屋で、知らない人のじゃ……」
「え?」
誰か知らない人が使用している部屋なのではと気にしているようだったので説明すると、ケイスケさんが目を丸くして私を見た。あれ、何かおかしな説明をしてしまっただろうか? そう思って自分の言葉を思い出してみるが、別に変わったところはない。彼がそんな反応をするのか不思議なくらい、変な箇所を見つけられなかった。
「えっと、私何か変なこと言いました?」
「いや変なことというか……その……」
原因を探ろうとするとケイスケさんの視線が泳ぎ出し、落ち着きのない素振りで言葉を濁す。
(何か私が気付いてないことに気付いているみたいだけど、答えにくいことなのかな。なんのことだろう……いつもなら考え出せばすぐ分かりそうなものなのに……)
いまだ疲れが抜けていないのだろうか。それとも、オドの活性率というのが下がっている影響なのか。頑張って考えようとしても、うまく頭が働かなかった。
「……いや、なんでもないよ」
ケイスケさんはこちらが気付いてないことを察すると誤魔化す。そして部屋の外へ出ようと私の隣を通り抜けようとした。部屋から出ようとする彼の方へ振り向く。
「あの、どこに?」
「え? いやちょっと、廊下で休憩しようかなって……いま部屋には戻りにくいし。すぐ近くにいるから何かあったら呼んでね。じゃあ………………ツカサさん?」
ケイスケさんが「じゃあ」と言ったあと、ドキッとした表情を浮かべこちらを見る。その時に気付いた。私は部屋から出ようとした彼の腕を、後ろから掴んでそれ以上ドアの方へ進むのを拒んでいた。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて握った腕をパッと離し、後ろ手に組んだ。恥ずかしさから顔を逸らしながら無言になる。
「あの、行っていいですよ……」
「う、うん」
やっと出せた言葉にケイスケさんが頷くと、ガチャリと扉が開かれた。部屋に残って彼が出ていく姿を見送った後、私はベッドに横になって考え始める。
(なんで、あんなことしたんだろ……)
ラシェルが彼に胸を触らせた時、私の中で湧いた感情がありそれに突き動かされる形で動いた結果、彼を連れ出した。それはなんとなく理解している。分からないのは、感情の正体。モヤモヤとした感じで胸にまとわりつくような気持ちの正体。そしてそれと関係があると思われる、ケイスケさんに感じる不思議な気持ち。
(似たような気持ちを、感じたことはある。でも、いつだったっけ。ああ、そうだ、あの頃だ)
同じような感情を感じたことはないか、記憶から探っていると思い出される出来事があった。私がまだ中学生だった頃の思い出で、逸輝さんに感じたことのあるものだ。
話は家出騒動があった後にまで遡る。
自由な外出すら削る勢いの教育方針から私がついに家出するまでに至ったあれ以降、やりすぎは良くないとして多少の自由を獲得した私は、よくお出かけをするようになった。場所は家の近くから駅を使って隣町まで。一人で行ったり、友達と、弟と、色々な場所へ行った。行った先々で、親から貰ったお小遣いで買い物をしたり、遊んだり、くつろいだり。
溜まっていた鬱憤を晴らすつもりで時間は最大限利用。それまでのことを思えば私は充実していた。だけど、そのことで一度お礼を言っておきたいイツテルさんには中々会う機会が訪れなかった。
それもそのはず。私とイツテルさんは赤の他人で、あの事故がなければ関わることさえなかったはずの間柄。メールや電話番号など連絡先はお互いに知らず、どちらからだろうと聞けるわけもない。なので会えるかどうかは完全に運任せ。普通に考えれば卒業まで会えなくとも不思議でなかった。
あの日は一人だったと思う。
日がまだ空へと昇っていく時間帯で、ちょっと遠くまで買い物に行きたい気分。道中話し相手が欲しかったから弟を誘ったら、「ゲームに夢中」だからと断りやがったので、後ろから抱きしめて困る反応を楽しんだ後出かけた。
そして買い物に向かう途中、学校へ通う道を行きながら歩いていると、私が車に轢かれそうになった場所まで来て、ふと足を止めた。
(ここでのことがなかったら、今頃私はどうなって、どうしてたのかな)
などということを、事故があったことを示す周囲の痕跡から考えていたはず。そうしてその日のことを懐かしみながら周囲を見渡した——その時、逆側の歩道沿いにあるコンビニから、イツテルさんが出てくるのを目撃した。気付いた私はすぐさま走り出し、青信号の横断歩道を渡って彼のところまで向かう。
「あの、あの日はありがとうございました!」
ずっと会いたかった人に言いたかったお礼を言えて、興奮のあまり声にまで嬉しさが滲み出た。私が走ってくるのに気付いてイツテルさんはその場で待っていてくれたので、最初に出会った場所での再会である。
「その様子だと、良い方向に話が進んだみたいか」
「はい、おかげで! イツテルさんは……ふふ、またコンビニ巡りの最中?」
「人使いの荒いオ……身内を持ったものでね。今日は季節限定品のものを頼まれたんだ」
「た、大変だね……」
彼の手にはそれと思しき購入商品がエコバッグに詰められており、中身を見せてもらうとゼリー菓子が入ってあった。ざっと見て6個買った様子である。
「うわあ、一つの店でこれ全部買ったの?」
「コンビニ一つで一個だけ買っている。買い占めるような真似はしたくないが複数個買うように頼まれているから、他の客が困らないようにと。効果があるかは不明だけどな。そっちは一人で出かける最中か?」
「うん。あれから自由な時間が結構取れるようになって、いろんなところへ出かけてるの」
私はそう答えるが、正直なところお出かけ自体はまだ親が厳しくなかった小学の頃にも経験はある。だから別にお出かけがすごく新鮮という訳ではない。
だったらなぜお出かけするのか? それは…………イツテルさんに会えるかもしれないからだ。
彼との連絡先を持たない私にとって、彼と会うには運しかない。会うためには運よく外にいるところで居合わせる必要がある。家の中にずっといてはいつまで経ってもそれは出来ない。だからこうして出かけては、彼に会えたりしないだろうかと淡い望みを抱いていた。
本当はもう会えないかも思っていたけれど、こうして会えた瞬間に嬉しい気持ちが心から溢れ出てくるのだから、良かったと私は思った。
「そうか。君くらいの年の女性は一人で出歩くと変な人に話しかけられやすい。気をつけて行けよ」
「心配してくれるなら、一緒に来てくれてもいいよ? 私、イツテルさんなら気にしないから」
「冗談はほどほどにしとけ。俺だって、あの時あの場にいたから偶然関わりがあるだけで、はたから見れば他と変わらん」
「そんな寂しいこと言わないでよ。傷つくじゃん」
「傷つけられるかもしれないから、注意するよう言ってるんだ」
イツテルさんが親切で言ってくれているのは、十二分に伝わってた。親身になって諭してくれているような優しさと、私のことを普通に見てくれる欲のない目。それが分かっているから、私自身彼へ信頼を寄せていたのだろう。
「イツテルさんは、自分のことを怪しい人だって思うの?」
「俺自身はそう思ってない。だが、世間や社会から見た時同じように見られるとは限らない。俺くらいの年齢に達していると、普通は君のような女の子と関わることがない。ふさわしい身分や理由を持ってないのに何度も関わるのは、どうしても怪しい人なんだ。分かってくれ」
一般論で理解を促そうとするイツテルさんに、なんだか私はムッとなった。
「どこが怪しいって言うの? イツテルさんがいなかったら、私は一年前に車に轢かれてたのに。イツテルさんがいなかったら、休みの日に外に出かけることも出来なかったのに。二人の年齢と性別だけで怪しい組み合わせにされて、こっちは良い迷惑だよ」
「年齢と性別じゃなく、身分と理由だ」
「分かってるよそんなの。でも後になってしゃしゃり出てきて、そいつは怪しいとか変だから関わるなとか。社会や世間には怪しいところも変なところもないっていうの!? 鏡見て言える立場か考えてから言ってよ!」
感情を露わにした私が大声で吐き出した。この頃の私は大分マシになったとはいえ、受けた不満や鬱憤が綺麗さっぱり消えた訳ではなく、また社会への認識不足からその役割や義務というものをしっかり理解していなかったのである。今の私なら口が裂けても言えないであろうことを、若さゆえに言い放つことも可能だった。
心のままに思うことを言った私は、少しの間喋るのを忘れた。私の感情が急変するのを間近で見ていたイツテルさんは、こちらが落ち着くのを静かに待ち続ける。
「……ごめんなさい。別に私、イツテルさんを困らせたかったんじゃないの」
「分かっている。君にとって俺がしてきたことは、良くも悪くも大きすぎた。だから一般常識で割り切るべきところも、割り切ることが出来ないんだろう。俺がもっと変で怪しい人だったら、こんなことで悩ませずに済んだ。それだけのことだろう」
「そんなこと言わないでよ……」
今度は泣き出しそうになる私。そんな姿を見てかイツテルさんは、優しく頭を撫でる。それが私には慰めようとしているみたいに感じた。
「頭、勝手に撫でないで」
「こんな大人と2度と関わらないと約束するなら、すぐやめてやる」
言えるはずがない。この頃の私にとって、家族以外で一番心を許せる特別に近い人がイツテルさんだったのだから、彼との関係を失うようなことは嫌だった。それに彼がわざと嫌われようと振る舞っているみたいで、余計嫌いになりたくないという反抗心も勝り、私は頭の上にある手を掴んでそれを止める。
「……お願い。一つだけお願いを聞いてくれたら、もう関わらないって約束する」
本当は嫌だけど、でもいつか、私が拒んでいても彼の方からいなくなってしまう気がして。だったらそうなる前にと私は口にする。
「なんだ」
「遊園地。イツテルさんと最後に、二人で一緒に行きたい」
「……正気か?」
「ひどい!」
まさか正気を疑われるほどとは思わなくて、軽くショックを受けながらもポカポカと彼を叩いた。
「中学生の君には、遊園地に行って遊ぶための資金や交通費もバカにならないだろ」
「お金ならお小遣いのを貯めてるもん! 自分の分くらいなら出せるよ!」
「そういう問題では……いや、ううん」
まだまだ子供だった私と比べ、色々と悩むところが多い立場だったと思われるイツテルさんは、口にしそうになった言葉を引っ込め、うんうんと考えあぐね出す。
「……親だ。親にこのことを話して、許可が得られたら遊園地に行ってもいい。それが条件だ」
「本当? 本当に? 言質取るよ?」
最近本で覚えた言葉でそう聞き返すと、彼は「ああ」と首を縦に振った。
「約束だからね!!」
私はきっと満面の笑みを浮かべていたと思う。そして彼はなんとかやり過ごしたと思っていただろう。常識で考えて、知らない人と二人でお出かけするなんてこと親が認めるはずがないから。そこでストップがかけられて終わりになると予想するから。
しかし意外なことに、両親は強く反対してこなかった。前に私を事故から守ったことがあり、家出したときも危ないところを守ってもらった相手だからか。もしかしたら、私がまた家出することを懸念し下手に反対するよりは助けてくれた人に任せた方が安全と考えたのかも。
追い風のように、祖父も反対しなかった。というか、なんか伝言と称してその人に手紙を渡すよう頼まれたくらい。後日「許可もらってきたよ」と私から渡された際、唖然としたイツテルさんが呟いてた。
「何を考えているんだ……」
そうして私は中学卒業までの間に、彼と一緒に遊園地へ行けることになったのだ。
あの時、私が感じた思いはそれとよく似ていた。
イツテルさんと再会した時、しょうもない話に気持ちを心躍らせていた時、遊園地に行く約束をした時、それが親に認められて嬉しくなった時、胸の奥が熱くなる。
(まさか、いや……違うよね)
その気持ちについて、世間一般ではなんと呼ばれているか恐らく見当がついた。でも違う。これはきっとそれじゃない。だって私のあの時の思いは、遊園地の日以降消えるようになくなってしまったから。とても楽しく、嫌なことなんてない幸せだったあの日から、なぜか。これが本当にそういう感情なら、そんなことは起こるとは思えない。
(ならこの気持ちは……いつかまた消えるのかな)
久々に胸に灯った想い。あの頃の自分に戻った気分になった私は、切なさに溺れそうになりかけた。あの日の彼とケイスケさん、昔と今の私が重なって見える。胸の上で手をギュッと重ねながら、私は思う。
(確かめないと。これがあの時と同じものなのか。私はケイスケさんへ、どんな気持ちを抱いているのか)
知らねばならない。そう強く心に決めた。
*
日本列島が極大繁茂により大地の殆どを覆われた日。樹高100メートルからそれ以上までの木々が、低地から高地に至るまで、台地、丘陵、盆地、平野などの、それ以前より植物の存在した地を全てが支配し、旧支配者である人類を追いやった。その影響は魔力嵐が通過した地域を中心に強く、日本のみならず全世界においても拡大している最中。
この光景を見れば誰もが思う。人類の時代は終わりかけているのではないかと。人智を超えたものの力が支配する時代になりかけているのではと。
時計があれば午前の8時を過ぎたであろう頃。森林限界の遥か上、富士山の頂上に不自然なほど人が大勢いた。
「…………あとちょっと遅かったら、俺死んでたの?」
「間違いなくな」
山頂より見下ろしている高校生ほどの男の子に、隣に立った男は答える。見下ろす先には雲海が浮かび、それより下には森と海がどこまでも広がっている。その中に人が築き上げた街は影も形もない。
「日本はどうなっちまうんだろう」
「国は完全に終わっただろう。人口は既に9割以上消えている。生き延びている国民もいるかもしれないが、魔物に狩り尽くされていずれはいなくなる。日本だけではない。他の国も同じような被害を受けているはず。無事な国もあるかもしれないが時間の問題だ」
「そう。……姉ちゃんは、大丈夫かな」
「逃げ延びていれば、無事なはずだ」
彼より十歳は歳を重ねていそうな男の発した言葉。それに姉の心配をする彼は苛まれるような顔を浮かべた。可能性が低いことを嫌でも感じる目の前の光景が、希望を奪おうとする。隣の男の子が口には出さないでいる想いも、男には見えていた。
「お前の姉ならきっと生きている。心配するな。それとも弟を置いていなくなるような姉なのか?」
「……昔一度、家出していなくなりかけたから」
「…………それは悪かった」
男がバツの悪そうな顔を浮かべたのに気付いて、彼は慌ててフォローをする。
「ああいや、エルビさんは悪くないです! 姉ちゃんもその後ちゃんと戻ってきたし、俺にとってはずっと大切な家族だから、もう気にしてないって」
「そうか……なら、良いんだが」
「はい。その、あんまこういうこと言うのダメなんだろうけど……俺、自分の両親が好きじゃないんだ。大嫌いってほどじゃないけど、なんか、俺のやることを通じて見られる周りの目を気にしすぎてるっていうか、自分の子が受ける評判に敏感になりすぎていて。それで姉ちゃんを自由にさせないでいた時期があって……だから、あんまり好きじゃない」
そう言って彼は、後ろにいる大勢の人々を見た。その中にいる己の両親へと。
「姉ちゃんが家出しかけたのも、そのせいだと思うから。一番辛そうな時期でも優しくしてくれた姉ちゃんのことを嫌いになんてなれない」
「すまなかったな、嫌なことを思い出させて」
「エルビさんが謝る必要はないよ。悪いのは父さんと母さんだ」
彼の冷ややかな視線が人々の中にいる二人へ向けられた。しかし彼の両親は互いに言葉を交わしていたのか、その視線に気付くことはなかった。
そんな姿に彼は呆れ顔をした後、男の方へ向き直る。
「ところで……これから、どうするんですか? エルビさんの魔法でここまで逃げられたのはいいけど、ここに留まっても不味いんですよね?」
「今はまだ気温がマシだが、夜になれば地上とは比べものにならないほど冷える。空気自体も薄いし、すぐに下りれるところを見つける必要がある。しかし……」
人が暮らせるような土地はほぼ低地にあり、そこはほぼ全域が極大繁茂の影響下。無事なところを探すのが難しい上、魔物も紛れ潜んでいる恐れがある。安全に降りられる土地がなかったからこそ、富士山まで飛んで逃げた状況、まず難しいだろうというのが男の予想であった。けれどもここに留まり続けていては凍えるような寒さがいずれ襲ってくる。
(やむを得ないか)
「エルビさん、それは?」
「少し待て」
突如として現れた浮かぶ本。男の前でそれが綺麗に分かれる形で開かれると、ページに文字が浮かび出す。
『使用許可を確認。権限正常。システムにより利用を認めます』
日本語にすればそのような言葉が、日本語でも英語でもない、地球外の言語で書き出される。それをスラスラとエルビは読む。やがてページには地球の世界地図と、そこに刺さる赤いピンが5つ、ピンクのピンが1つ表示された。
「近くに、というほどではないが……東京へ向かって移動している船がある」
「本当に? なら俺たちも東京へ行くの?」
彼の質問に男は「いや」と否定で答える。
「ここからだと間に合わないだろう」
本には、富士山から動く自分たちと船の動きを示す移動線が映し出されていた。それを見ると、船が東京に留まる時間は短く、その後また移動を再開する動きになっている。自身らの移動速度では船が東京に到着する前、或いは滞在中にすら間に合わないということを本は表示していた。
(その後の動きはどうなっている)
男が本を操作すると、その後の船の進路として、日本列島を時計周りに海岸をなぞるように移動していた。そして最終的には東北にある県で動かなくなっている。
(あそこは日本でも被害が少ないから、生存者が多く残っている。船を降りるには絶好の場所か)
「ここから南西の方へ行き、そこで船に乗ろう。その方面に行けば間に合う」
「船が向かう先が分かるんですか?」
「全員に準備させるぞ。間に合わなければどの道ここで終わりだ」
男は今後のルートを目に焼き付けた後、本を閉じて虚空へとしまい、背後にいる人々の方へ歩き出した。




