健康診断(2)
「サヤさんの結果が出ました。数値を見るに特に問題は見られない健康な身体よ。若いだけあって羨ましいくらい良い状態。でもO系魔力の活性率が74とやや低下が見られるわね。休みを取ることを勧めます。こんなところかしら…………何か聞きたいことや気になる点はある?」
医者モードになったラシェルが、椅子に座りながら結果を告げる。言葉を濁す様子も多く飾る様子もないハッキリとした喋りは、仕事をしっかりする人のようと感じられる。いい加減なことをするタイプではないだろう……横で聞きながらそう思っていると、質問を考えていた様子のサヤが口を開いた。
「その数値は、放っておくと今日のツカサみたいに急に眠くなって倒れたりするレベルかしら?」
「74ならそういうことにはならないでしょう。バタンと倒れるようなのは活性率が50を下回った時だけ。でも休んでおいた方がいいことには変わりませんので、まだ平気だからと油断しないように」
「ありがとうございます。あと、診察の内容とは関係ないことを一つ尋ねたいのだけれど……その、少し変わった喋り方はなに?」
若干の躊躇いを思わせる聞き方に、ラシェルは「ん?」と声に出す。しかしサヤの言いたいことを察したあとは、合点がいった風に微笑んで、それに答えた。
「ごめんなさいね。知っての通り、私って貴方達から見て違う世界の人間で、日本語はまだ完璧じゃないの。自然な喋りにはしようとしているのだけど、妙な言葉遣いになってることもあると思う。出来ればお手柔らかにしてくれると助かります」
「分かったわ」
事情を理解したサヤは頷くと、良かったとラシェルは笑顔を咲かせた。
言葉遣いを状況に応じて使い分ける人は多いが、ですます口調が急に途切れたり戻ったりするのは、変な話し方に聞こえる。サヤが気になってしまうのもしょうがない。これが不慣れな外国人の使う日本語(レベル1)くらいなら、まだスルー出来たかもしれないけれど。
(ラシェルさんの場合は逆に目立つね)
彼女は自分の話し方が完璧ではないと言っているが、むしろ逆。普通の日本語(レベルMAX)くらい。その言葉遣いは殆どにおいてネイティブと差が見受けられない。だからこそ、ヘンテコな話し方がちょっと混ざるだけでそこだけ酷く浮いてしまう。綺麗に整頓された部屋で、一冊ずつ漫画と教科書が交互に置かれた棚を見かけたら、何となくでも目が行ってしまうはず。例えとして適切かはさておきラシェルのそれが気になってしまうのは、つまりはそういうこと。
もしこれが生まれた頃から日本語しか使ってない相手なら、最初から個性として受け取れる。でも日本語が母語でない人だとハッキリしているラシェルのそれをわざとなのか、それとも意図せずやってしまっていることなのか、聞かずに見極めることは可能か? 多分難しい。そう思いながら私は言葉を交わしていく。
「ラシェルさんにとって、日本語は外国の言葉なんですよね?」
「そうね。私にとってこの国の言葉はじゅう……さん? にかしら? 外国語だけなら11番目になるかも」
「11……って、え!? 母国語以外に11言語も話せるんですか!?」
「仕方ないわ。私達イグノーツは全員違う世界の人間だから。世界の数だけ違う言語を子供の頃から聞いていたのよ。それはもう大変」
そう言ってラシェルはため息を吐きそうな気怠げな顔を作る。相当に大変だったのだろうか。思い出している彼女の眉間にはシワが生まれていた。一方、その話を聞いた私は、11もの外国語を覚えているという事実にただ驚かされている。
(嘘……じゃないよね? そんな誇張した数字出しても本当じゃなければすぐバレるだろうし)
11番目の外国語ということは、ラシェルの頭の中には12種の言語とその話し方が入っているということ? イグノーツは全員違う世界の人間? そんなの初耳である。彼とツェレンが違う世界の人だろうくらいは察していたが…………全員違う世界なの? ということはツェレンが前言っていたもう一つの家族とはどうやってそれぞれが出会い、どうして家族になったのか。
「あ、頭が追いつかないよ……」
頭が強制マルチタスク状態に陥り、思考が散らかってまとまらなくなったので、助けを求めるようにサヤへ視線を送るが、
「私も理解し切れてないから説明出来ないわよ」
首を横に振ったサヤに、私はガックリと項垂れた。
「もしかして、他のイグノーツはこのこと話してません? 貴方が会ったイグノーツって私以外だと誰がいる?」
その様子を見ていたラシェルは、「あー……」と言いながら私に尋ねる。
「えっと、私達が話したイグノーツはツェレンちゃんに、アーノルドさん、そしてあの……」
彼女に促される形で順に名前を挙げようとして、その時ふと気付いた。そういえば最初に会ったイグノーツさんはどのイグノーツだろう。今更ながらあの人のことイグノーツさんとしか呼んでいなくて、別の呼び方を知らない。いや、いつか聞くつもりではいたのだ。アーノルドが自分のことをイグノーツと名乗った時から、それが本当の名前ではないのは理解していた。でもこれまで色んなことがあって、私の中でそれを聞く優先順位が下がっていたから、今の今までそれを思い出していなかった。
「誰か分からないイグノーツがいるの?」
「名前を聞いてない人が…………確か、ゼロって世界の人なんですけど」
名前を知らないので他に識別出来そうなものとして思い出したそれを伝える。幸い、私が言ったことからラシェルは誰なのか判別出来たらしい。
「ああ、ザガムですね」
「ザガム?」
「そう。ザガム・パラ・ウェスパノン。私達の間だとザガムって呼んでいるイグノーツ。ザガムにアーノルド、ツェレンか……知らないわけね」
一人だけ名を復唱して納得を始めた様子のラシェルは、困ったように天井を見上げたあと、窓に映る遠くの景色を見る。そしてこちらに向き直った。
「どこから話しましょうかねえ…………まずツカサさんは、イグノーツが何人いるかは知っている?」
「いいえ、聞いたことがないです。少なくとも9人はいるとしか」
少なくとも結構な人数がいるとしか知らない。ツェレンが言っていたもう1つの家族。その時挙がっていた名前はザガム、ガラク、エステル、シームル、マリア、アーノルド、コリョウ、ラシェルに、ツェレンを含んだ9人。そこまでは把握していたけれど、全ての人数は不明だった。現時点だとそのうち4人と会って話をしたことがある訳であるが……。
「半分以上は名前を知っているのね。まあ、私の言ったことからもう想像してるだろうけど、私達イグノーツ・ステラトスは12人の、それぞれが違う世界で生まれた人の集まりなの」
「それぞれが、違う世界の人……同じ世界の人は一人も?」
一人もいないのか。そう私が尋ねたことに、ラシェルは「ええ」と肯定を返す。
「私の世界は他のイグノーツから、終末期の人類がいる世界、『アフターD』と呼ばれていた。同じ世界から私達に繋がった人はいない」
ザガムが『ゼロ』、ツェレンが『パルヴァデア』という世界の人間だったように。ラシェルはそんな風に一度言葉を締めると、それを聞いていたサヤが喋る。
「私達のいる世界と、アーノルドがいた世界はなんて呼んでいたの?」
「ここの世界のことは『ウチュウ』って呼んでいるわ。あの人のはたしか『テストゥブ』だったかしら。あっちは意味を聞いてないから知らないけれど、ウチュウはこっちで一番大きな世界の概念に由来していると聞いているわね」
「ふうん…………全く違う世界の人同士が、どういう経緯で知り合ったのかしら」
質問への答えを頭に吸収したと思われるサヤは、続けて彼女にどうやってイグノーツと呼ばれる人達は知り合ったのかを問いかける。それにラシェルはどう口にしたものかという風に腕と足を組む。
「貴方達は、魂の存在って信じてる?」
「……いいえ」
「正直、どちらとも言えません」
ラシェルが出した問いにまずサヤが否定し、私が曖昧な返答を続けてした。それは一体何のための質問なのだろうと思いつつ、こちらの言葉を聞いて彼女が話し出す話に、耳を傾ける。
「信じているなら魂だとして、信じてないなら未知の現象として聞いて。私は『アフターD』の、中流階級にあたる家の子として生まれました。母親と父親、姉と兄の四人家族に加わる形で生まれた私だけど、ある時自分には、母でも父でも、姉でも兄でもない人たちの声が聞こえることに気付いた。同い年の男の子と女の子の声がそれぞれ5〜6人ずつ。まるで一つの部屋に集まってるみたいに昼夜を問わず頭の中で騒いでいた……」
ラシェルが話し出した彼女の過去の話。事前知識を持たなければ、それは未熟な精神が生み出した架空の友達や人格のことではないかと疑うような内容。明らかに異常な体験を話す彼女に対し、私達にはそれが意味するところを凡そ理解しつつ、黙って聞き続ける。
「私はその子たちの声を通じて、その子たちが見ているものを見た。その子たちの耳を通じて、その子たちが聞いているものを聞いた。私の暮らしているところとは全然違う、場所、人々、時間、言葉。そんなことを経て、次第にその子たちが私の中の人ではなく、世界のどこかで生きている人だと感じるようになった。話す言葉は違ったけれど、通訳をしてくれる存在があってお互いの気持ちを知るのに困りすぎることはない……っと、話がそれ始めたわね。それが私達イグノーツの出会いというべきものかしら。まあつまり、気付いたら知り合っていた訳よ。全く違う世界の人がね」
「冗談とかじゃないのよね?」
「こんなこと冗談で言うと思う? 笑えないでしょ。私の家族には信じてもらえなかったわ。他のイグノーツも、自分の家族に信じてもらえなかった。私達もなんでこんなことになっているのか分からなくて、大人が使う『魂』って言葉を借りて、それで繋がっていたんだと考えたくらいですから」
自分たちでさえ何が起きているかなど説明出来なかった、とラシェルが呟く中に、彼女がその頃の記憶を思い出して、懐かしんでいるような気がした。
「……ラシェルさんやツェレンちゃん達が知り合った経緯は、今ので分かりました。でも、どうしてその子達と家族になることになったんですか?」
「大体の理由は今言ったことが関係している。私達の関係は家族の誰に言っても信じてもらえるようなものじゃなかったし、証明なんて不可能。住んでる世界が違うから、その子に聞いた国の名前とか伝えても、誰も知らない。だから……きっと寂しくなったのよ」
組んでいた腕をほどき、手持ち無沙汰になった腕を机の上に置いたラシェルは、頭を俯ける。
「私も十をこえる前には誰にも言わなくなったわ。他のイグノーツも。けれどそうして家族にも、友人にも秘密にしていると、私達の繋がりが偽物であるみたいに思わされた。そうして……誰かが寂しさを覚え、その気持ちが流れてきた。流れてきた気持ちに他のイグノーツも感化されて、その子も寂しいって感じ始めた。どんなに寂しく感じても疎遠にもなれない、『さよなら』って言って離れることも出来なかった私達にとって、それは辛いことだった。でも、ある男の子が言ったの。
『なんで気にする必要がある。他の誰にも認められないからといって、僕たちが繋がっているのは本当のことだ。寂しいなんて思わなくていい。否定されても僕らが認めればいい。他の誰の許しもいらない。この繋がりを切ることは僕らにも、それ以外の人にも出来ないんだ。僕らは同じ者の集まりだ。誰も知らない暗闇の星、超常の意思か運命の悪戯によって放り投げられ、孤独を共有する仲間。気持ちを理解し合える、知り合える人になろう』
……そんな風に、年の割に難しい言葉を混ぜながら言った。そうして私達はお互いにじっくり考え、みんなで、もう一つの家族を作ろうと決めた」
言い終えたかのようにラシェルは顔を上げた。なんだか人の家庭の事情を垣間見てしまったような、気まずさを感じる私。そんなに深いところまで聞くつもりはなくて、せいぜいがざっとしたあらすじを知ることが出来れば十分なつもりで質問したのに、なんだか思ったより奥まった内容を聞いてしまい、返す言葉に困っていると、ラシェルが微笑む。
「あまり気にしないでいいですよ。これは私達イグノーツの事情というものですから、二人にとっては他所の家庭の問題。コメントし辛いならしなくていい。そうそう、アーノルドが迷惑をかけたことは謝るわ。あいつがあなたに酷いことしたのは知ってるから、もし迷惑受けたらまた言ってね」
「は、はい」
「じゃあケイスケさんだっけ? サヤさんのお兄さんのところへ行って、彼を診て終わりましょうか」
ラシェルが頼まれた最後の一人を診るために席を立つと、「部屋まで案内します」とサヤも立ち上がった。
「ツカサ、あんたも来なさい」
「え? なんで」
「いいから来なさい」
「えー?」
部屋から出ていくのを見送るつもりでいたので、サヤに連れられそうになるとキョトンと頭の上に疑問符を浮かべる。しかしサヤはそれを無視する。
なんでか分からないという反応をしつつ腕を掴まれ立ち上がった私は、サヤ達に連れられケイスケさんがいる部屋の前まで来てしまった。
(なんで連れて来られたの?)
自分が向かう理由が全く分からぬまま扉の前に着くと、コンコンと扉を叩き、ラシェルが中にいる人を確認する。そしてケイスケさんの返事が戻ってくると入室の許可を得て私達も入室した。
「なんだか大所帯だね。何しに来たの?」
「兄さんの健康診断を医者にしてもらいに。ずっと避難生活で健康管理とか出来てなさそうだから、診てもらって。あと『大所帯』の使い方間違ってるから」
ケイスケさんの発言にツッコミが入れられた後、「じゃあ失礼して」とラシェルが自己紹介する。
「こんにちは、生前は医者を務めていたラシェルです。よろしくお願いします」
「は、はあ。よろしくお願いします……ん? なんか妙な言い方に聞こえたんですが」
「あ、申し遅れました。私イグノーツの一人です」
申すタイミングを考えろ。ケイスケさんが驚いて後ろのベッドに倒れてしまったじゃないか。倒れ先のおかげで怪我はなさそうだけど、何かあったらどうするのさ。
「ど、どういうこと……?」
体勢を立て直してからラシェルと向き合うケイスケさん。そういえばケイスケさんにイグノーツのことってどれくらい話していたっけ。多義語がどうたらとかアーノルドが言っていた気がするが、私はそのことを伝えていただろうか。確か伝えていない、はず。
「その……イグノーツっていうのは記号なんですよ、ケイスケさん。私達のことを地球人って呼ぶような感じに近いらしくて、ラシェルさんはいわゆる、イグノーツ人、みたいな?」
「例えが酷くて余計に混乱を招きそうになってるわよツカサ。要するにイグノーツってのはあの本の中にある人達の集団の名前なの。家族でいうところの苗字的なイメージで捉えると良いんじゃないかしら」
「な、なるほど。それで俺はそのラシェルさんに、なんで診てもらうことになってるんだ」
「診てほしいって頼んだからよ。ツカサが」
そうサヤが答えて、私の方へ彼の注目が移った。想定してないタイミングで視線が飛んできた私は内心焦り、何て答えようと頭を捻る。冷静に考えるとなんで焦る必要があるのか分からないが、答えを知りたそうなケイスケさんのためにすぐ答えないといけない気がした。
「えっと、実はさっき私が魔法の使いすぎで急に眠気に襲われて……それでラシェルさんに診てもらったら体内の魔力が過労? を起こしているって言われたんです。ケイスケさんも最近魔法を使う機会多かったですよね、それで気になったから、一応診てもらった方がいいかなって……」
こんな感じでいいよね……? と顔色を窺いながら説明を終える。正直自分でもなんでこうしているのか分からない。心配だからと素直にいえばいいのに気恥ずかしさなのか、変な気持ちになって顔を逸らしていた。
「そ、そっか…………その、ありがとう」
ケイスケさんは私の説明を聞くと、軽く頭を下げて感謝を述べた。その時少し、風邪の引き始めと思うような熱を顔面に感じる私。しかし手で測ってみてもそんなことはなく(あれ?)と不思議に思う。
「では今から健康状態を測るけど、いいかしら? 数分くらいで済むけどトイレとか行きたいなら先に行っといてね」
「大丈夫です」
そしてその間にやる準備を整えたラシェルさんにより、彼の健康診断が始まるのだった。
数分後、健康診断の結果が出て、ケイスケさんの身体に問題はないとするものが紙として彼に手渡される。
「妹さんと同じでO系魔力の活性率に少しの低下が見られるけれど、きちんと休息を取れば問題ないでしょう。若いからといって徹夜とかしないように」
「は、はい。わかりました」
終わってみれば心配するようなことなどなく、何も問題なかった。そんな気持ちにさせる結果だったが、ハッキリさせられたことから多少晴れやかな気分になり、ホッとする。横に立つサヤは態度に出してないけれど、「杞憂だったわね」と少なからず満足している様子。それに私もうんと答えようとした直後、
「とはいえ精神的に無理してないかどうかって話してるだけだと見分けにくいのよね……一応診ておきましょう。ちょっとこっちに来て」
「え? あ、はい」
ラシェルがケイスケさんを手招きして、目の前まで近寄らせる。そして手を出すように片手を差し出し、ケイスケさんが手を差し出した。すると、その手を取ったラシェルが自身の胸まで持っていき、そこにあるふくらみを触らせた。
(……ふえっ?)
「——は? え、え!?」
「ちょっ、ちょっと!? 何やってるの!!」
ラシェル以外、何が起きているのか頭で認識出来ないような声を上げる。一方のラシェルはその反応をスルーしながら、ケイスケさんの様子をじっと観察していた。胸に被さっている手を甲の方から動かし、その位置のまま握らせたり、力を抜いたりを繰り返し、ハッとなったケイスケさんが手を下げるまで続けた。
「な、なにするんですか!? 俺の手を掴んで!!」
「なにって触診ですよ。精神的に追い詰められ過ぎると、こういう性的な刺激に鈍感になるものだけれど、少なくとも元気であるうちはちゃんと反応するの。この感じなら心の疲れは残ってるとしてもなんとかなる範囲ね。あ、急に揉ませたことは謝っておくわ。セクハラで訴えたりしないから安心して」
ケイスケさんにとっては有り難い言葉なのかもしれないが、そんな言葉だけで気持ちの整理がつくものではない。私は口を半開きにしたままだったがサヤはすぐに立ち直って抗議をする。
「い、いくら検査の一環だからといってやりすぎなんじゃないの! その過度な接触は必要のある行為だったとは思えないわ!」
「じゃあどうやって心の状態を素早く把握するの? 会話だけだと本当でないものも混ざるし、見分けるためには心理学に精通していないといけないのよ。それに比べれば、肉体の反応を観察するだけで凡そが掴めるこっちの方が、やれる分には簡単なんです。まあ、やる側とやられる側の気持ちの問題はあるし、本来なら目隠しをしてからチチモドキっていう触感を再現した道具でやるんだけど」
「だったら尚のこと必要なかったじゃないの! やった理由はなに!」
「役得。ケイスケさんがかわいい反応をしてくれるからやってみたくなっちゃって」
さ、最低だ……。
堂々と言い放った彼女へ心理的に距離を置く。
「それともケイスケさんは嫌だった? 私の胸を揉むのは」
ケイスケさんの方を向きながらそう確認するラシェル。服の上からでも大きいと分かるその胸を見せつけるように、胸の下で腕を組みながら。間違いなく故意にやってるポーズだ。ラシェル自身の顔やスタイルがいいのもあって、私から見ても羨ましいくらい誘惑的なものを感じる。
「いや、あの……」
対するケイスケさんは頬を染め、返答に窮しつつもラシェルより目を逸らそうとしていた。しかし答えようとして彼女の方へ戻すたび、あそこに視線がいっている。それを見ていた私は、胸の奥にトゲが刺さったようなチクチクを覚えた。
「兄さん、まさか嬉しかったとか思ったりしてないでしょうね? 今日初めて会ったような人にこんなことされて。美人局に引っかかるわよ。知らない女性が胸を触ってきていいって言っても胸を触っちゃダメなの。学校で教わったでしょ」
「お前はお前で何を言っているんだ」
「人を詐欺師みたいに言わないで欲しいですね。私はただ診察のひとつとして触診をしただけなのに、それを犯罪目的と同じに扱うなんて」
「鏡見てごらんなさいよ。自分を客観的に見れるから」
「鏡は化粧を整えるために見るものです。自分のしたことに間違いがなければ、磨かれた自分しか映らないわ」
以前として言葉に詰まっていたケイスケさん。それにまさかと学校で習った覚えのないことを言うサヤ。すると今度は事態をややこしくしている本人が口を挟んで……なんにせよ、ろくでもない状況だった。
正直、この場を去りたい気持ちでいっぱいである。もう面倒すぎて私には収拾がつかない。いや、つける気力が湧かない。でもそれとは別にケイスケさんをこの場に残しておきたくない気持ちがあった。
なぜか。ただ、なんとなくラシェルの側に放っておくのが、嫌だったから。
「ちょ、ツカサさん!?」
気づいたら私は動き出し、ケイスケさんの二の腕を引っ掴んでいた。そしてそのまま力任せに彼を連れていき、会話に熱中する二人を放置して、部屋から出るのだった。




