おまけ 全てが上手くいかずとも(2)
ツカサとサヤが出掛けたあとの頃。学校に残っていたイグノーツは、本の中にある白い空間へ入り、魔法の練習をしているケイスケの元を訪れた。
「……なにか?」
集中していたケイスケは最初イグノーツに気付かなかったが、ただ黙って立って自分を見ている彼に気付くと、練習を中断して尋ねる。
「ケイスケさんは、サヤさんのお兄さんなのでしょう。一緒に行かなくてよろしかったのですか」
「え……あ、ああ」
その質問に彼は曖昧そうな声で肯定すると、顔を逸らしながら理由を語り始める。
「俺が行っても足を引っ張るだけだ。二人の方が魔法は上手いし、何かあったとしても、俺より上手くやると思うから。今は少しでも咄嗟に使える魔法を増やしておきたい。……そっちこそ、行かなくてよかったのか?」
「いつも一緒にいてもご迷惑かと思いますし、気心知れた方だけとの時間も大切でしょう。私はまだ知り合って2か月も経ってませんので」
「2か月!? そんな最近だったのか!?」
「ですからまだ馴れ初めの『な』にも来ていません。付き合うには先が長いですね、はははは————冗談ですよ」
その言葉を聞いたケイスケの目が笑っているものとは言い難かったため、イグノーツは本意からの発言ではないことを告げた。しかし噛み付くような視線はすぐには収まらず、彼の機嫌がある程度戻るのには時間を要した。
「冗談はもっと笑えるやつにしてくれ」
「いやはや、すみません」
漸く口が開かれてケイスケが発した言葉。それを受け取り、何とかなったと安堵するようにイグノーツも息を吐く。
「ですがそう警戒なさらないでください。ここだけの話ですが私の好みは自分より年上の方なので、二人のことはそういう対象と見てませんよ。あと30くらい年を重ねていたらどうだったかは分かりませんが」
「人の好みは人それぞれって言うけど、実際に見かけたことはまだなかったストライクゾーンだな……」
見た感じ20代半ばと思われる容姿の、それほど年を食っているように見えない彼が、自身より倍は生きている人が好みのタイプだと言い放っている。それはケイスケの人生で初めて遭遇した恋愛嗜好の類だった。思わず困惑の表情を浮かべ引き気味になるほどの衝撃であり、一方でイグノーツはそうした反応にも驚くことなく、話を続ける強引さを発揮する。
「そういうケイスケさんは、あまり際立った好みの持ち主という訳ではなさそうですね」
「自分の親より上の年齢を好きになるのは普通抵抗があるんだよ。おかしいか?」
「いいえ、どちらかといえば私の方が特殊な側です。自信をもっていいですよ」
「そ、そうか……いやなんで自信を失いかけていることになっているんだよ。普通に考えればそっちの方がありふれているはずだろ?」
「そっちというのは、つまり私のような?」
「そっちじゃない! もっとこう……言い方を考えた上で、普遍的なほうだ! 生物として長い歴史がある好みの方であって、イグノーツみたいな方じゃない!」
「忙しい方ですねえ。とりあえず落ち着きましょうか」
自分の好みのタイプについて妙な言い方をして答えるケイスケに、イグノーツはどこからともなく出した本を読み出し、彼が落ち着くのを待つ。
良いように弄ばれたようで、ケイスケはぐっと眉間に皺を寄せた。
「——とりあえず、ケイスケさんの好みのタイプは私とは逆の、年下でそれほど年の差も離れていない方ということですね」
「逆って……間違ってはいないけれど……」
ケイスケと同い年の男性間では、優しくて思いやりがある相手、活発で元気いっぱいな相手、笑った顔が素敵な人、という好みを持つ人が多く、それが大体の人に通じる好みのタイプだった。中には自分より年上の姉系が好き、妹系が好き、黒髪ロングの王道スタイルが好き、日焼け肌褐色スタイルがストライクな男子なども小数ながらいる。
「ケイスケさんの年齢で好みの相手が生物的に自然なものならば、そういう相手を好きになるものだと思ったのですが、違いますか?」
チラリと顔を向け、本人に確認する。ケイスケはそれに返事を出せなかった。当たっているとも当たっていないとも言わず、ただ無言になって目を逸らす。イグノーツはそれを返事として受け取り、満足した顔を浮かべながら沈黙した。
やがてそんな空気に耐えられなくなったケイスケが練習を再開する。
未だ発動の安定しない魔法を何度も使い、傍に浮いてある本に成功と失敗の数がカウントされていく。イグノーツも彼の練習を邪魔しては悪いと、彼の後ろの方へと下がる。
(まだ、安定しないな……)
安定させようとしている魔法は衝撃吸収の魔法。
一昨日よりずっと同じ魔法を練習しているものの、上達したという様子はない。開かれたページにはこれまでの練習中に発動を試みた回数があったが、今のところ成功する確率は50%前後。2回やったうち1回は発動が失敗する計算になる。
(ツカサさんだったらきっと確実に成功させられるのに)
今日の分にだけ絞っても成功率はそう上がっていない。中々現れない上達にケイスケが焦りを感じていた中、後ろに控えていたイグノーツが語る。
「7族は通常使える範囲でギリギリの魔法です。たったの数日で成果が得られるようなものではありませんよ」
「それはそうだけど……ツカサさんは出来ていたんだよな? それも数日とかじゃなく半日くらいで」
「ツカサさんの場合とは同一に語れません。そもそもツカサさんは、この世界でいうところのマジックネイティブという、生まれた時から身近に魔法が存在し、魔力を操ることが出来る環境にあった、最初の世代なのでしょう? 対してケイスケさんが生まれた時点では、その浸透具合がまだほんの少し足りていなかった。たったそれだけの差とはいえ、それだけの差があります」
そう言ってイグノーツはケイスケ自身と彼女たちを比較しないよう注意した。ケイスケはそれを頭では受け入れつつ、どこか完全には受け止めきれない。そうした気持ちが声や顔に現れていた。
イグノーツはそんな彼の姿を見て同情しつつも、しかしどうしようもない部分だと考える。
「魔力の制御能力はいかに幼児期から魔力を操る行動をしていたかによります。8歳からピアノを習い始めた子と4歳からピアノを習っていた子を比べれば、普通どちらが上手になりますか? という話です。比べてもしょうがないことですよ」
魔法と魔力のことに関して、ツカサ達の世界よりうんと長い歴史を持つ世界に生まれ、そこで蓄積された知識と経験があるイグノーツからしてみれば、二人を比較してケイスケが下手だというのは事実でこそあれ、良い比較だとは言えない。
ましてや自制心の「じ」が育つ前からの環境が左右するのであれば、それを本人のせいにして優劣を語るのは浅ましいこと、という風に考えるのが自然なことで、ケイスケがその点を深く思い悩む必要はないとすらいえる。そういったいことをイグノーツは理解しているように語った。
「あの二人はこの国において数少ない魔法を使うことに長けた方なのですから、ご自身の能力を低く感じることはあるでしょう。けれどそれで足を引っ張るほどに不器用と決めるのは難しいのではないですか? 特定の分野において、その分野のプロと比べれば大抵の人は下になるのが必然です。それは誰も例外ではない」
「……そうだな。けどやっぱり俺は、そんな器用な人間じゃない」
「何かそう思うような経験をなされたので?」
魔法の練習を続けながら言葉に答えるケイスケに、イグノーツはさらに質問をした。
その言葉にケイスケの発動しかけた魔法が数瞬ゆらぎ、霧のように効果が掻き消えてしまう。魔法の練習を邪魔されたと思ったのか、質問を投げかけた彼の方に振り向く。
何か文句を言おうとして口を開いたケイスケだったが、しかし言うのを止める代わりに息をつく。それを見たイグノーツは深く反応せず、大人の対応で接する。
「適度に休みを挟んだ方が身に付きやすいでしょう。休憩するついでに、私との会話に付き合ってもらえませんか? 私と貴方の間ではあまり話をしませんし、この機会にお互いの理解を深めるのも悪くないかと」
(……会話に、か。確かにずっと練習だけしていて休んではいなかった。ここだと体力とか無視できるから、そっちの方がいいかもって思ったけど……)
自らの行動を客観的に見れば、確かにやりすぎなのかもしれない。そう思ったケイスケは首を縦に振った。承諾を得たとイグノーツが判断すると、空間中央の床が隆起し、粘土をこねるように姿かたちを変えていく。暫くして、それは二人用の白いソファになった。
「どうぞ、ケイスケさんも座ってはいかがでしょう」
変形する様子をぼうっと眺めていたケイスケに、ソファの左側に立ったイグノーツが誘う。
ケイスケは今いる空間を仮想空間のような場所と捉えているため、本物の体でないのに座ったり寝転んだりする行為が休むことに繋がるのか、疑問を抱かないでもない。しかしここは雰囲気が大事なのだろう。そう勝手に理由を補完しソファの右に腰を下ろした。
(——や、柔らかい!?)
ふわりと、満遍なく受け容れるような質感。
ケイスケにとって非常にリアルで、予想外の心地よさを感じられたことが衝撃的だった。座ったまま全身で驚愕を表現する彼に、イグノーツは口元を抑えつつ僅かに体を震わせる。
気付かれないよう眺め、十分に堪能したイグノーツは、彼が気を取られているうちにソファの左へ座って、やっと声をかけた。
「そろそろよろしいですか。特に問題がなければ質問をしたいのですけど」
「え? あ、ああ。質問っていうのは、さっきのこと?」
「それでも良いのですが、今聞きたいのは別のこと、貴方の言葉遣いについてです」
「……言葉遣い?」
何かおかしいところでもあっただろうかという風にケイスケは聞き返す。
イグノーツは「別の表現で話し方とも言えますね」と補足を加えながら、質問を続ける。
「貴方と暫く交流を経て気付いたことですけれど、ケイスケさんは私と話される際にそのような口調によくなられますが、サヤさんやツカサさんと話される際には、より丁寧な話し方をされますね」
イグノーツは言う。私から見て、貴方がサヤと話す際はより砕けた感じの、しかし気遣いの残った話し方に聞こえる。ツカサと話す際は、割れ物でも扱うようにずっと丁寧に包んだような言葉遣いに聞こえる、と。
「……そんなの普通だろ」
彼の話を聞いていたケイスケはそう言うと、僅かばかり顔を逸らした。
「なんで、そんなことが気になるんだ?」
「人間観察が趣味……という訳ではないのですけど、生前いた家系の職業柄、いろいろな方と会話したことがありましてね。相手の言動や服装、身だしなみの状態などを見て対応を選ぶ癖がついて考えてしまうのです。面白いですよ、会話する前から大まかな性格が掴めるような人もいれば、思考を研ぎ澄まさないとどんな人なのか窺わせてもらえない方まで、色々な人が世の中にはいます」
昔を思い出して懐かしんだのか、イグノーツはいつもより楽しそうな声で語っていく。ケイスケはそれを黙って聞き続ける。
イグノーツの過去について多くを知らないケイスケだが、前にアーノルドが語った話から今いる空間があの特殊な本の内部ということ、その名前から関係者である彼が異世界人であること、そしてどうやら隣に座っている彼がもうとっくに生きてはいない人だということも知っていた。
「——なので、ケイスケさんのように相手毎に話し方が変わる方を見ると、どのような基準でそれを分けているのか、気になってしまうのですよ」
「そうか。ただそっちには悪いけれど、別に大した理由じゃないんだ」
ケイスケは質問の意図を理解すると、顔色をそのままにしながら理由を答えた。
曰く、自分としては、別にどれが素というつもりではない。ただ、自分と相手の関係からどう話すかを無意識に選んでいるだけであると。
サヤは自分の妹だから、昔から慣れた話し方に自然となるだけ。
ツカサはサヤの友達だから、妹の大切な友達として気を配っているだけ。
そしてイグノーツには、異世界の人間であるから自分の中での適切な対応が決まっていない。一応丁寧に接してもいいかと思ってはいるものの、なんとなくこの話し方を選んでいる。
「……ただそれだけだよ。どれが素か、なんて考えたこともない」
「ある意味その全てが自分、ということですね。なるほど。私は色々と浮いた存在ですから、てっきり貴方に信用されていないことの表れかと思っていました」
「正直それもなくはないけどな。俺にはアンタが、サヤやツカサさんの傍に居させていい人なのか確信が持てない。今のところサヤ達が気にしていないようだから、余計な口は挟まないでいるが」
「おや、少しは予想も当たっていましたか。ですが同じ立場であったら私もそうするでしょうから、その行動には理解を示せますよ。あまりお気になさらないでください」
「……なら、そうするよ」
共感を示してきたイグノーツに、ケイスケは彼をやや不気味に思う。普通の人なら、自分が相手に信用されていないと言われればあまり良い気分にはならないし、鏡のように相手へ不信を返すことも珍しくない。なのにイグノーツはそうしないどころか、気にしないように述べた。
彼にはそれがとても理性的であると同時に、仄かな警戒心を抱くくらいには考えが読みにくい人のように感じられてならない。
「しかしそうであるなら、私がサヤさん達に関わることをケイスケさんはあまり快く思っておられないのでは? 大事な妹とその友人の近くに、私のような信用ならない輩がいる状況。悪い虫がついているように、感じそうなものですけれど」
一般論として率直に思った疑問を述べるイグノーツに、ため息を吐いて答える。
「俺を過保護か何かと思ってないか? サヤはもう立派な大人だ。誰と関わって、誰と関わらないかは俺が決めることじゃない。サヤが直接『もう関わるな』とアンタに言わない限り、俺から言うことはないよ」
相手の危険性や良し悪し、そういった諸々を判断できない妹じゃない。自身の妹であるサヤをそのように評価し、信頼しているようにケイスケは答えた。同時にそれは質問を投げた彼への圧を感じさせる声色で、顔に張り付いた固い表情が、イグノーツへの信頼を物語っている。
間違いなく自身へ向けられている不信の感情だったが、イグノーツは特に何も感じなかったかの如くふむと頷き返し、観察するような目を向ける。
「ならば妹さんの友達の方はどうです?」
「…………さっきと同じだよ。ツカサさんも大人だし、少し見知っているだけの相手にされるそんなこと言っても、多分大きなお世話になるさ。余程のことでなければ干渉せず、見守るだけでいい。仮にもし何かあったとしても、それなら一番近くにいるサヤが真っ先に気付く。俺がしていいことは、サヤの兄妹として、ツカサさんの友達の兄としてやっていい配慮だけだ」
それが自分に許される行動のラインだと言うように、ケイスケは言い切った。質問に対する答えをすべて聞いたイグノーツは、納得した風にうんうんと頷いて見せてから、感謝を言葉にした。
「そういう考えがあったのですね。貴方のことを少し知れたような気がします。答えてくださりありがとうございました」
「別にお礼を言われるほどのことは言ってないけど……ま、いいか。それじゃあ、俺からも質問をするけど」
「はい、どうぞ。私に答えられるものならば出来る範囲で答えましょう」
イグノーツはそう言って、受け答えの準備を整えた。
どんなことを尋ねようかとケイスケは思いを巡らす。
異世界人であるのだから、異世界のことを聞くのがいいのか。
魔法に詳しいのであれば、魔法のことについて詳しく聞けばいいのか。
色々と聞いてみたくなることはある。ただし、優先順位をつけるならばどれを一番に聞きたいか。
ケイスケは自身の中でそれを整理する。そして聞きたいことを決め、口にした。
「本当にあんた、死んでいるのか?」
「……ええ。私は肉体を持たない、紛れもない死者ですよ。より正確に言うならば、本の中に保存されている意識データをもとに仮初の体を与えられているのが今の私です。生前の私が記憶を持って死後の生活を始めるようなものですから、大体は死者と言えるかと」
「そうか。……そうなんだな。あのツェレンっていう女の子も?」
その確認にイグノーツは「はい」と答える。ツェレンも既にこの世にいない人だと理解し、ケイスケは黙る。
科学的な知識を持つケイスケにとって、死者と対話するというのは創作の中に限った話だ。現実にそんなことはあり得ない。もし実在するかのように語る人がいれば、それは極度のストレスなどで精神が健常でなくなった人か、そうした人を利用しようとする悪徳な者。それが彼の考えだった。
「辛いならば、信じないという選択を取られてもいいのですよ」
「やめてくれ。そう言われたら余計に嘘だと思えなくなる。信じるしかなくなるじゃないか。なんでそう、人の心を読んでいるようなことを言うんだよ……」
オカルトめいた説明だった方がまだマシだと告げるように、目を背けるケイスケ。コンピューターで再現した自我みたいなものだと考え、途端にあり得るように思えてしまった。ソファから立ち上がってイグノーツと向き合う彼に、イグノーツは平然と答える。
「それが可能な魔法があることをご存知のはずです。まあ今のは心を読まなくても分かりましたがね。ケイスケさんは案外素直な方のようですし、ツェレンとも仲良くなれますよ。どうしても気になるのでしたらたまにでも付き合ってあげてください。あの子もきっと喜びます」
イグノーツもソファから立ち上がると、ゆるゆると溶けるようにソファが沈んでいった。彼が歩み始めると向かう先の壁に縦長の穴が発生し、ケイスケはそちらへ歩んでいくイグノーツへ尋ねる。
「アンタはしてやらないのか?」
「最近は忙しくなって来ましたのでね。空いている時は付き合っていますが、他にも付き合ってくれそうな方を探しておいてもよいかと思いまして。難しいでしょうか」
「……今の状況だと都合が合わないことも多いと思う。それでもいいならだが」
遠回しに都合が悪い時もあると伝えると、イグノーツは「それで構いません」と言った。
「ツェレンもあれで聞き分けが出来る子です。無理だとキチンと理由を伝えればそれ以上求めることはしないでしょう。都合が合う時だけでも充分ですよ。ただ……」
「ただ……?」
穴の前で立ち止まると、イグノーツ頭を少し向け、彼に告げる。
「あの子は魔法が上手なので、それを学ぶ助けになってくれると思いますよ?」
そう言ってから穴の中へと消えていき、穴もその場から消えると、ケイスケは思案する。
(ツェレンに、か……)
小さな少女を脳裏に浮かべたケイスケは、しばらく考え込んだあと、また魔法の練習を始めるのだった。




