(6)デ、デート…
待ちに待った月曜日が来た。
約束の時間は5時。
―――あ~、まだ3時30分だぁ…
オフ日の恭子は、すっぴんで楽な服装で過ごしているが、今日は少し気合を入れた。
なぜ自分がこんなにドキドキしてウキウキしているのか、不思議な感じを覚えながら
仕度をして時間までソファに座ったり、鏡の前に行ったり落ち着かなかった。
4時50分に恭子はマサルに電話をする。
「もしもし!」 また大きい声だった。
「今日も元気がいいなぁ~、おまえ…」
「も、もうすぐ家出ます!」
マサルのアパートの方が駅寄りなため、先に恭子が部屋を出る。
恭子のマンションから駅に向う途中の脇道を曲がると、マサルのアパートに続く。
その曲がり角で、マサルと落ち合う約束だ。
恭子は電話を切るとすぐに家を出た。
約束どおり曲がり角でマサルが待っている。
「恭子、なんかすんごい気合入ってるなぁ。化粧ばっちりだし。なんか芸能人みたいだなぁ」
「えっ…、そ、そうですか?」
―――目立っちゃってるかしら?ヤバイかしら…。
今更遅いのだが、前髪を下に下げる仕草をして顔を隠そうとした。
「今日の俺、決まってるだろ?髭もちゃんと剃ったんだぜ!ほれっ!」
髭を剃ったからといって威張ることでもないが、マサルは顎を擦りながら恭子に言った。
―――マサルさん、そういう服持ってたんだ…ちょっと一般人というより…
マサルの格好は、ダーク系のスーツにネクタイは締めず、黒ベースに少し柄の入った
シャツを着ていた。マサルはがたいもいい、背も高いく見栄えはいいが、その出立ちは
夜の人だった…
二人は住宅街を抜け、駅に向い歩き始めた。
「何食うの?」 マサルが聞く。
「マサルさん、なにが食べたいですか?」
「何でもいいよ~、恭子が食いたいもんで!そうだ、恭子さぁ、マサルさんって
“さん”づけやめろよ。恥ずかしいから。マサルでいいよ」
「えっ…」
マサルの言葉に戸惑ったが
「ほれ、言ってみなよ。マサルって」
マサルは友人知人には、呼び捨てにさせている。
かしこまった言い方で呼ばれるのを嫌っていた。
「ほらっ」
「マ、マ、マサル…さん…」 恭子は小さく“さん”を付けた。
「ぁんだよ、それ…」
マサルはズボンのポケットに手を突っ込んだままガクリッとうな垂れた。
「はい!もう1回!」
「マ、マサル…」 恭子の声は小さすぎた。
「ぁあ”?聞こえねーよ。はい~もう一度」
「……サル!」 (マ)が小さすぎたらしい。
「…サルだけは、やめてくれ…」
二人はこんなことを繰り返して駅に着いた。
結局、食事は隣駅にあるマサルの友人がオーナーであるレストランに行くことにした。
恭子たちの地元駅は、急行も特急も止まらないが、隣の駅は雑貨やインテリアの
店が立ち並び、「住みたい街ベスト5」に毎回入っている。
マダムや若い女性に人気のある街で、おしゃれなレストランも豊富にある。
隣街の駅に着き、10分ほど歩いた静かなところに店があるとマサルに言われ歩き始めた。
電車に乗っていても、レストランに向かう途中もチラチラ街行く人の視線を
感じたマサルは、綺麗な恭子と自分がアンバランスなのかと勘違いしていた。
―――やっぱこんな格好じゃダメだったか…恭子綺麗だもんなぁ…
レストランの前に来ると恭子は少し驚いた。
そこは、一軒家を改装したフレンチレストランだった。
どう見ても普段のマサルとは噛合わない、おしゃれで高そうな感じだ。
「ここ!」
マサルはそう言うとツカツカとレストランに続く石畳を歩いていく。
その後ろを恭子は追った。
店に入り、受付のスタッフに挨拶をすると、マサルより少し年上で落ちついた雰囲気の
オーナーが出てきた。
「いよっ!宮元ちゃん~、悪いね。予約無しで来ちゃったよ」
マサルが宮元に言った。
「おやおや、今日はちゃんとした格好して…女連れかよ。おまえが貴子以外の女とここに
来るなんて久しぶりじゃないか?」
宮元はマサルの頭をちょこっと突っついた。
―――貴子…さんって?
恭子は女性の名前を聞き、少しドキリとしたが、たずねることも出来ずマサルの横に
立っていた。
「こいつ、恭子。なにかと世話になってるんだ!」
宮元に紹介した。
「こんにちは。坂井と申します」 恭子は頭を下げた。
「えっ?あっ、オーナーの宮元です。マサルがお世話になっているようで」
宮元は坂井恭香と気づいたが、マサルとは長い付き合いなので、
―――あ~ぁ、きっと、マサル知らないんだろうなぁ…彼女のこと。
と、感を働かせ挨拶だけをし、中庭に面したあまり目立たない隅の席へ案内した。
「今日はどうする?」 宮元がマサルに聞き、
「恭子、なんか食えないもんある?」 マサルが恭子に聞いた。
「なんでも食べられます」
「じゃ、宮元ちゃんにまかせる。食事も飲み物も」 マサルは宮元に告げると
「OK!じゃ食前酒からご用意させていただきますね」
恭子の方を向いて笑顔で言い、厨房へ入って行った。
「なんか、マサルさん、マサルがこんなステキなお店知ってるなんて、不思議」
恭子は店内を見渡しながら言った。
「不思議…って、俺、キャベツしか食ってないみたいじゃないかよ…まっ、こういう店は
ここしか来ないけどな。宮元の店だし。恭子とデートだから連れて来た」
―――デ、デート?!
マサルの「デート」という言葉に恭子は頬を赤くした。
店内はそれほど明るくはないのであまり顔色もわからない。が、
「あれ、恭子まだ酒も飲んでねーのに顔赤いぜ。
あっ、もしかして俺に酔っちゃったとかーー!」
マサルは笑いながら言ったが、恭子の頬の赤さは耳までも真っ赤にした。
食事が始まり、こういうレストランに不釣合いな普段のマサルからは想像できないスマー
トできちんとしているテーブルマナーに恭子は驚いた。
鍋を食べた時、カフェでパスタを食べた時のマサルとは全然違っている。
残念ながら会話の中身はいつもどおりのマサルであった。
恭子は恋をしたことがないわけではない。
高校生の時には一応付き合っていた同級生の彼氏もいた。
その恋も卒業と共に終わり、女優になってからは事務所の目が厳しくて恋だの愛だの
そういう世界は今のところNGである。
言い寄ってくる男も多いが、恭子の心を惹くような人には出会っていない。
ただ、マサルは他の男と違っていた。
恭子を恭香と見ていないことも大きい。恭子に対しても気取らず接している。
そんなマサルと一緒にいたいと思う気持ちは、どんどん大きくなるばかりだ。
今、目の前にいるマサルと過ごしている時間に幸せを感じていた。
2時間半ほど食事を楽しみ、恭子がレストルームにいくため席を立つと宮元がマサルの
テーブルに来た。
「マサル、どこで知り合った?彼女と」
興味津々で聞いてきた。
「ぁあ?家が近所だった。たまたま知り合ったんだ。宮元ちゃん~手出すなよな。
おまえ、手ェ早ぇからなぁ~。彼女そういう女じゃないからな!」
マサルは心配そうに言った。
「あほっ!誰がマサルの女を取るかよ。で、どこまでいったんだ?彼女とは、ん?」
「はぁ?そんな関係じゃねーよ。友達だよ友達。俺みたいな貧乏人、あんな綺麗な子が
相手にしてくれるわけねーじゃん」
マサルが言うと宮元は口元だけで笑い、
「お友達ねぇ。じゃ、そのお友達を連れて来たということで、今日の食事代は半額にして
おいてやるよ。どうせ、おまえ金ないんだろ?」
宮元は目を細めて言った。
「えっ?いいよ~、今日はバイト代も入って少しは楽なんだ」
マサルは遠慮気味に言ったが、
「いいっていいてって!その分は次のデートに回せ。なっ!」宮元はマサルの肩を叩いた。
「ラ、ラッキ~。ありがとう、宮本様!」
「こういうときだけ“さま”を付けるんじゃねーの」
マサルがテーブルで会計を終えると恭子が戻ってきた。
「ごめんなさい、おまたせして」
「んじゃ、行くか」
恭子とマサルは席を立ち、出口に向った。
ドア横には宮元が立っている。
「お会計は、あちらでいいですか?」 恭子はそう言い、
レジのところに行こうとしたが、宮元がすかさず言った。
「頂だいいたしておりますので」
「えっ」 恭子はマサルの顔を見た。
「ごっとうさん!じゃまたな!」
マサルは宮元に向かい手を上げ、恭子の肩を押し、宮元の開けたドアを出た。
「本日はありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
宮元は丁寧に頭を下げ、顔を上げ満面の笑みで二人を見送った。
「えっ、マサル…お会計…」
「今日は俺のおごりだ」 マサルは店を出たところで言った。
「でも、私が誘ったし、ご馳走する約束だし…ここ…高そうだし…」
恭子はマサルのお財布の中身を心配した。
マサルは最初から恭子にご馳走になるつもりはなかった。
恭子からの誘いの電話を貰ったときからそれは考えていた。
「気にすんなよ。デートで女に金なんて出させるわけにはいかねーだろ?
それにバイト代入ってるしさっ。ついでに宮元にまけてもらったから大丈夫!」
マサルはそう言い、
「ほら、行くぞ~」
「でも…」
「いいってば。今度また俺んちで鍋作ってよ、霜降り肉入りで!もう冬に近づいてるし。
鍋の季節に突入するしさっ」
マサルはやさしく笑って、立ち止まっている恭子の手を引っ張り歩き出した。
―――て、手ーーーー!繋いでるぅぅぅぅ。
恭子は動揺したが、マサルの大きな手が離れるまで繋いでいようと思った。
その手は駅の近くになっても離れなかった。
「ね、歩いて帰ろうか」 マサルは手を繋いだまま言った。
電車は一駅なので3分もかからないが、歩いて家まで帰ると20分はかかる。
恭子は繋いだ右手にほんの少しだけ力を入れて握り返し「うん!」 と
大きな声で返事をした。
気がついた。
繋いだ手から伝わってくる大切な気持ちに。
―――私、マサルさんが好きなんだ…
店が連なる道を歩き、長い坂道を登って、大きな通りを超え、また坂道を下り、
遊歩道を歩いた。
「春になるとさぁ、この遊歩道の桜並木スゲーきれいだよなぁ、恭子知ってるだろ?」
「うん。私は一度もお花見したことないけど、近所の人たちが集まってお花見してるよね」
恭子は枝だけになっている桜の木を見上げて言った。
「じゃ、来年の春は花見しよう~、弁当持ってきて!おまえ弁当作れよ」
「うん!」 恭子はうれしそうな顔で返事をした。
「おまえの返事、いつもデカイよなぁ。ははは~。あっ、弁当には肉入れろよ。
霜降りの肉!」
「うん」 少し小さめの声で返事をした。
本当なら20分ほどの道のりを、二人は寄り道しながら帰り、マサルが恭子をマンションの
下まで送り届けたときは1時間ほどかかっていた。
「お茶…飲んでいく?」
恭子は聞いた。
「んー、今日はいい。遅いし、恭子明日仕事だろ?OLって朝早いんだろ?」
「うん…早い…かな?」
OL の人が何時に出社なのか、OL 経験がない恭子にはわからないが、
一応、翌日は早朝ロケが入っているため、朝が早いということは間違いではない。
「今日はごちそうさまでした」
「ぉう。またなんか食いに行こうな!」
「はい!」
恭子は笑顔でエントランスを入っていった。
マサルはそれを見届けて自分のアパートに向った。
この日から、マサルの原稿料が入ると二人で少しだけ贅沢なものを食べに出かけたりした。
二人で出かけるとき、恭子は目立たないように気をつけた服装を選んでいた。
ドラマの撮影で恭子のスケジュールは、まる一日オフというのは少なかったが、
マサルのバイトがないときは、仕事が終わってからご飯を作りに行ったり、
平日がオフの時は、「日曜出勤したから平日振り替えで休みを貰っている」と嘘をついた。
それでもマサルは別段気にするわけでもなく、恭子がアパートに遊びに来る日を楽しみに
していた。食材を持ってきてくれることもうれしかったが、恭子に会えることの方が数倍
うれしい。
それは恭子も同じで、マサルと会う日の仕事は早く終わってほしくて、
共演者がNG など何度も出したら睨みつけ「普段やさしい坂井恭香は仕事に厳しい」
というイメージを持たれた。
恭子がアパートに行くと、マサルはいつも小さいちゃぶ台の上に原稿用紙を広げ、小説を
書いている。
恭子が料理を作り終え、振り向くとたまにちゃぶ台に伏せて寝てしまっていることも
多かった。
「やはり、自分で書いても寝てしまうような小説は売れない…」
恭子はそう思いながらも、小説を書いているマサルの姿が大好きだった。
近くのお寺のイチョウの木もギンナンを落とし、地面を黄色い絨毯にすると
マサルの部屋のちゃぶ台がコタツに変わる季節がきた。




