(18) いただきます!
恭子は撮影が少し延びたため、パーティーの始まるギリギリに会場に着いた。
坪井と一緒に受付を済ませ、中に入ると沢山の人が来ていて、恭子は顔見知りの人たちに声を掛けたり掛けられたりして挨拶を交わした。
そんな中、マサルの姿を見つけた。父親の菅野優三と一緒に業界のお偉いさんたちと
談話している。
いつもと違い、黒い細身のスーツに、今日はちゃんとネクタイもして髭も剃って髪型は
オールバックにしていた。
(マサルさんって、カッコイイわよね!)
(あぁ~、一度でいいからデートしたい!)
普段のマサルを知らない人たちの会話だ。
(今日はマサルさんの婚約発表もあるのかな?)(貴子さん羨ましい~)
(でも貴子さん、まだ見てないわよ)(控え室でお披露目準備してるんじゃない?)
近くにいた人たちの言葉は恭子の耳に有無を言わさず入ってくる。
胸は縛られるほど苦しくて、マサルのことを離れたところから見ているだけしか出来ない
恭子は、鼻の奥がキュンとして涙がでそうだった。
―――泣くな!恭子!忘れるって決めたんだから!
全然忘れられずにいるが、鼻を少し啜って自分に言い聞かせた。
「恭ちゃん、パーティーが始まって自由になったら社長のところに挨拶にいくからね。
その時、優さんにも挨拶しておこう。次期社長になる人だから」
恭子は、坪井の言葉に「はい…」と小さく返事をすることしかできなかった。
―――逃げ出したい…早く帰りたい…ここから、この場所から早く離れたい…
恭子は大きな扉の出入り口付近の壁に寄りかかっていた。
「なになに、恭香ちゃん~こんな壁の花になっちゃって!」
先輩女優の片岡寿美子が声を掛けてきた。
「片岡さん…」 恭子は弱弱しい微笑みを向けた。
「あなたは主役級の女優なんだから、こんな隅にいたらダメじゃない。
もっとこう、ぶわ~~っと、大川有美みたいな高ビーな女優になんなさいよ!
ふふふ。まぁ、無理かな?恭香ちゃんは、やさしい子だし、いい子だから」
恭子は、何気ない片岡の言葉になぜか涙が出てしまった。
「え!え!やだやだ!私なんか変なこと言っちゃった?どうしよう~、え~ん、
ごめ~ん」
片岡は自分の頬を両手で挟みあせり出した。
「違うの…違う…」
恭子は片岡の慌てぶりが可笑しくなって、涙をぬぐいながら
「違うから…片岡さんのせいじゃないから…ありがとう」
片岡に抱擁した。
「あっらぁ〜、やだわ!女がこんなところで二人で抱き合っちゃって!」
派手なドレスを纏った女優・大川有美がやって来た。
「なによ、大川ちゃん。後輩をいじめに来たの?」 片岡が言うと
「やだわぁ、片岡ったら!私、そんな意地悪な女優じゃなくてよん」
大川は片岡のお尻を叩いた。
「ちょっとぉ~大川!なにすんのよ!」 片岡が大川のお尻を叩き返す。
同年代の片岡と大川はいつもふざけあっているが、世間ではライバル同士と見られていて「ふざけてお尻の叩き合い」も週刊誌に載ると「本気で頬の殴り合い」に変化する。
それでも二人は仲が良く、恭子にもやさしく接してくれている。
恭子は知らないが、今日も片岡と大川が、恭子の様子がおかしいと話し、心配して声を
掛けてきた。
二人のやり取りを見ていて恭子の心は少し和らいだ。
「片岡にいじめられたからって泣かないの!私が後でしばいておくから、この女は!」
大川はそういうと自分のハンカチで恭子の涙をふいてあげた。
「…ちょっと!私がいじめたんじゃないわよ」
片岡と大川はまたふざけてじゃれ合う。その様子はカメラにしっかり収められ、
後日、「片岡VS大川、後輩坂井恭香の前で大喧嘩!!恭香泣く!」 と
スポーツ誌にデカデカと取り上げられた。
会場の照明が徐々に落とされ薄暗くなっていった。
パーティーが始まる。
恭子は扉の近くで片岡と大川と一緒に立っている。
司会者が段取りよく進行させて、還暦を迎えた菅野優三が挨拶に立った。
優三は来客たちに礼を述べ、少しスピーチをしたあと、
「今日はこの席で紹介したい人物がいる」 と言い、マサルの名が呼ばれた。
マサルは父・優三の横に立った。
「わたくしの長男で、このネクスト・プロダクション次期社長として継いで――」
優三がマサルを紹介している話など恭子の耳には何一つ入ってこない。
壇上に立つマサルの姿を見るのも辛く、ずっと下を向いていた。
紹介されたマサルがマイクを握った。
「ただ今、父・菅野優三から紹介の言葉を頂だいいたしました長男の優でございます」
恭子は一瞬、マサルの声に顔を上げたが、すぐさままた下を向いた。
「本日は父・優三のために沢山の方々にお祝いしていただき家族共々感謝して
おります」
しっかりとマサルが来客に挨拶をし礼を言っているその姿に、優三は満足し、
―――よしよし、優も一人前になったなぁ。私は嬉しいぞぉぉぉ。
などと、満面の笑みを浮かべ、少し涙ぐみ、うなずいてた。
満足げな父を余所目に、マサルは一呼吸置いた。
そして少し笑いながら、
「俺はネクスト・プロの後は継ぎませんので!」
片手を上げた。
「へっ?」
優三はマサルの顔を見たまま壇場で固まり、来客はざわめいた。
マサルは続けた。
「跡継ぎは俺の弟、次男の優治に任せます。それからネクスト・プロダクションの
みなさん、すみません!!女優の坂井恭香こと坂井恭子は、俺がいただきます!!」
マサルはそれだけ言うとマイクを投げ捨て、扉のすぐ横にいた恭子のところに
真直ぐに向って行った。
そして、そのまま恭子の手を掴み、会場を出て走り出し、赤い絨毯が敷き詰められている
ロビーを抜けてホテルを後にした。
マサルは、恭子が会場に入って来たら、恭子の居場所をチェックするように優治に頼んであった。
壇上に上がる際、「恭香さん、中央扉の右側」 弟・優治が軽く耳打ちをした。
マイクを握ったマサルは一瞬だけ扉の方を向いて恭子を確認した。
そして、マサルは恭子を連れ出し逃げた。
恭子はわけもわからずマサルの手を握ったまま一緒に走り続けた。
走りながら時折、恭子の方を見るマサルの顔は、微笑んでいる。
恭子はヒールが高すぎて走りずらいが、マサルの手が離れないように一生懸命走った。
会場では来客たちが騒ぎ出し、あっけに取られていた坪井が我に戻り、
「お、追えーー!」 とスタッフに言い、追いかけたが、時すでに遅し見失い、
片岡と大川はなんだか嬉しそうに酒を飲み交わし、父・優三はずっと固まったままだ。
「おい、父さん?あれ?!動かないよ。銅像になってどうすんだよ…
まだ銅像になるには早すぎるぜ、父さん…」
優治は今がチャンスと優三をバンバンと叩きながら言うと、
母・由紀も笑いながら一緒になって夫・優三の頭を引っぱたいた。
―――ほほほ~あらッ、楽しいわぁ。
夜の閑散とする休日の副都心。
マサルと恭子はホテルを飛び出し、もう息が続かない、というくらい一生懸命、
走って、走って、高架橋のところまで来た。
息が上がって何も言えなかったが、お互い繋いでいる手は離れてはいなかった。
マサルは少しだけ息が落ち着いてから、恭子を抱きしめた。
まだ大きい鼓動を押さえきれないマサルの胸の中に、恭子は顔をうずめた。
「ごめん、恭子の気持ちも聞いてないのにネクストプロから奪ってきちゃった」
「うん!」
「もう、恭子の好きな女優の仕事辞めなきゃならないかも」
「うん!」
「俺と一緒になったらビンボーまっしぐらだと思う」
「うん!」
「冬はコタツだけかもしれない」
「うん!」
「飲み水は水道水だ!」
「う、うん!」
「ペットは小蝿だ!」
「……」
それはイヤなので返事に困った。
「もう、不安にさせるようなことは二度としない」
「うん!」
「…俺がいる。恭子の傍にはずっと俺がいる」
「はい!」
抱きしめたままマサルが言い、
抱きしめられたまま恭子がうなずく。
まだ肌寒い春の夜、上弦だけが二人を見ていた。




