チート能力があれば、救世主になれたのに 中
―次の日―
「それにしても…まさか、アイトさんでも勝てないとは…」
ザダイから撤退した俺たちは、次の日、応接室でミシェルさんと話していた。痛みで混濁していた思考も既に鮮明だ。いや、鮮明過ぎるのだ。
「でもアイト、まだまだ行けたろ?」
「…ああ、そうだな…」
「?」
ワンコが首をかしげる。ああ、きっとワンコには分かるまい。
中島 哀人 Lv10
HP 92/110 (41+69)
攻撃 65 (27+38)
魔法攻撃 140 (71+69)
防御 65 (28+37)
魔法防御 90 (36+54)
移動速度 52 (22+30)
これが、あの時見たステータスだ。
ザダイの放ったあの一撃は致命の一撃にも思えた。だが、実際はたったの30ダメージにも満たない一撃だった。考えてみれば当然だ。俺が素人で、奴が達人だったとしても、俺のステータスは決して低くはない。ステータスから考えればむしろ妥当なダメージだ。
「今回は負けてしまいましたが、もう一度しっかり準備して挑めば、あなたたちなら勝てると、確信しております…!」
「ああ、任せといてよ!」
そして、あれ程の出血で30ダメージだというのも考えてみればあり得ない話ではない。体力が0になれば、人間は、死ぬのだ。つまり、あと3発なら耐えられたということだ。正確にはあのまま出血が続けば体力は徐々に減るだろうし、それほどは耐えられないだろうが。正直どれぐらいで死ぬのかなど分からないが、あり得ない数字とは言い切れない。
「それにしても、アイトさん、顔色が悪いようですが…」
「……いえ、大丈夫です。次こそ勝って見せますよ」
きっと、それだけなら良かった。だが、思い出してしまった。
思い出してしまったのだ。ワンコと会った時のことを。思い返してみればあの時ワンコは血まみれだった。ステータスも見た。60あるはずのHPが残りたったの8だったことを。たったHP60で52ものダメージを受けたのだ。
そしてそれでも、ワンコは立ち上がった。逃げ出すなどこれっぽちも考えていないようだった。次の攻撃を受ければ死ぬというのに。無謀にも、ワンコは立ち向かった。
「よし!そうと決まったらいくぞ!アイト!修行だ!」
「……………ぁあ。」
何故、何故、ワンコは、戦えたのだろう。
思い知らされた。痛みとは、死とは、戦場とは、如何に恐ろしいか。これが戦いか。物語の中で幾度と識ってきたはずの物なのに、何も知らなかった。
そしてそれ以上に恐ろしかった。痛みを、戦場を、そして死さえも恐れぬ戦士が、恐ろしかった。その無謀に、怯えてしまった。未だ戦えるにも関わらず逃げ出してしまった。何故ワンコは立ち向かったのか。俺には理解できなかった。そして、恐ろしかった。
だから逃げたのだ。俺はザダイから逃げたのではなかった。戦場から、逃げたのだ。そして、ワンコから逃げたのだ。戦場から逃げ出すことで、その事実から逃げようとしたのだ。
だけど、だけど、
この街でザダイを倒せるのは俺だけだ。救世主にならねばならないのはこの俺だ。もう一度立ち向かわない理由はないはずだ。
「どうした?アイト、置いてくぞ?」
いつもと変わらず天真爛漫なワンコは今、畏怖の対象でしかなかった。
―2日後―
「よしっ…これで今日も500体。終わったぜ!!」
「さすがに疲れたなぁ…」
俺たちは2日間、ひたすらレベル上げを繰り返していた。ザダイに勝つにはこれが最善手というのが俺の結論だった。
ワンコは戦闘センスは申し分なくレベルの差がネックになっている。多少でもレベルが上がれば万々歳だ。
逆に俺は戦闘センスが問題なのだが…たった数日で身につくものではないだろう。「見切り」は戦闘センスに直結する能力のはずだし、他の能力同様強力なスキルのはずだが、ザダイ戦の攻撃を「見切る」事は出来なかった。
恐らくだが、俺に足りないのは戦闘センスだ。きっと戦闘センスというのはスキルでどうにでもなるものではないのだ。戦場においてのみ培われる力。俺の戦いはザダイの目にはつぎはぎ(・・・・)に映っていたのだろう。
だから戦闘センスを磨くべきなのだろうが…この街に何か月(下手すれば何年)も滞在しているわけにはいかない。ステータスの暴力でごり押しするのがベストだ。そのはずだ。
「でも、こんどこそいけるぞ!おれたちめちゃくちゃ強くなってるもんな!」
「そう…だな。」
それもそのはず、ワンコのレベルが9に上がったのだ。あとどれぐらい狩ればレベルが上がるかわからない中での強行軍、このタイミングで上がってくれたのはここ数日最大の幸運だ。
余談だが、猛烈に何かを勉強している時など、突然物事をはっと理解し、課題がサクサク進むようになるといったことがあるだろう。レベルが上がったというのは、そういう感じらしい。(俺は短時間に繰り返しすぎて全く実感しなかった。)
つまり、ワンコは戦闘でそんな劇的なブレイクスルーを8回も繰り返しているのだ。現実世界でもそんなこと早々ないだろう。弱いはずがない。
逆に俺のレベルは、前日と打って変わって2日で合計3しか上がっていない。当然レベルが上がるにつれ上昇速度が落ちていく影響もあるのだろうが…
「やっぱりマーマン、少ないよなあ。」
「アイトもそう思うか?戦いがいのある相手が少なくてつまんないよな!もっと強いの、こい!」
狩りすぎたのが原因だろうか?下級マーマンはそこらの雑魚敵より遥かに強い。(ちなみに中級マーマンは初日のあの一匹しか見ていない。まああんなのが一杯いたらここはとっくに焼け野原だ。)強い敵ほど経験値は多く、マーマン不在は得られる経験値を致命的に減らしているといっていいだろう。
これはかなり深刻な問題だ。ザダイとの再戦では攻撃を受けるのは何としてでも避けたい。一撃でも受ければあの激痛がやってくるのだ。そのためにも最低でもザダイを明確に上回れるレベル17、18あたりは必要だろう。
レベル10→13の急激な成長速度の鈍化を考えると下手したら1月弱はかかるかもしれない。だが、次は確実に勝利したい。そのためには一月ぐらいやむを得ないだろう。
だが、そんな俺の愚かな打算はあっさりと倒れることになった。
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―傭兵所 応接間にて―
「…ザダイが、侵攻準備を…?」
「ええ、偵察部隊の皆さんが集めてくれた情報によると間違いなさそうです…もっと結界の破壊を進めてからだと読んでいたのですが…遅くとも一週間後には…」
「ええっ…!一週間…!?」
「それだけの時間があれば、確実に侵攻準備を終えるでしょう。私たちもそれまでに迎撃態勢を整えなければなりませんが…」
ミシェルさんの話が事実なら非常にまずい。間違いなく俺のレベルは上がりきらず勝てる線はほとんどない。もし仮に勝てたとしても、俺にとっても、街にとっても、小さくない被害が出るだろう。
緊張に、とりあえず隣のワンコの頭を撫でる。ワンコが気の抜けた鳴き声を上げると、少しだけ気分が落ち着く。
「迎撃戦では結界の効果があるとはいえ…かなりの被害が出るでしょう。最悪の場合には……。ですから、できればその日までに大将を、ザダイを倒してしまいたいのです。」
「………奇襲ですか。」
「ついにザダイとの決着をつけるんだな…!」
「はい。アイトさんとワンコさんには負担をかけてしまいますが、それがベストかと…」
一見愚策ともとれるミシェルさんの提案だが、悪くない策だ。奇襲をかけたとしても、そうでなかったとしても修行に掛けれる日数はたいして変化しない。ワンコのレベルは確実に上がらないし、俺のレベルもいい感じに上がっても2か3がいいところだ。そうであるならば、奇襲をかけた方が、まだ勝算はあるかも知れない。それに最悪失敗しても逃亡さえ出来れば街での迎撃戦に備えられる。
だが、ミシェルさんは勘違いをしている。きっと俺のことを、――ワンコと同じような――無謀で勇敢な戦士だと、思い込んでいるのだろう。俺が多少のダメージで怖気づく臆病者だと知っていれば、こんな提案はありえない。
「アイト、今度こそ勝とうな!」
ああ。勝たねばならない。勝たねばならない。その言葉を繰り返し唱える。自らの体が小刻みに震えるのを感じる。
これが武者震いなどではないことは言うまでもないだろう。
§
―4日後―
「頼みます。アイトさん、ワンコさん。」
「ああ。」
「絶対勝とうな!」
ザダイの侵攻準備が判明してから4日後、ついに奇襲をかける日となった。
街の門前、俺とワンコはミシェルの見送りを受けていた。ミシェルさんの見通しの通り、ザダイの侵攻開始はあの日から一週間後、つまり3日後で間違いないようだ。可能であれば前日まで粘りたかったが、万一失敗して負傷した場合、前日では回復が間に合わない可能性があったため3日を残しての奇襲となった。
だが、昨日のレベリングでギリギリ俺のレベルが2上がった。(当然、ワンコのレベルは上がっていない。)マーマンが少ないながら、レベルが上がってくれたのは幸運だ。考えてみれば、マーマン達が少ないのは侵攻準備を進めていたからだろう。
「カインさんたちもよろしくお願いしますね。」
「任せてくれってよ!」
侵攻の準備をしているザダイ達に奇襲を仕掛けるのは困難だ。そこで今回の作戦に参加するのがカインさん率いる4人組パーティだ。平均レベルは6強。お世辞にも高レベルとは言えないが、これでもこの街ではそこそこの実力者だ。
作戦はいたってシンプルだ。カインさんたちが正面で戦闘を起こし、敵を引き付ける。その隙にザダイのいる層まで突入するのだ。
勿論他のマーマン達に見つからず侵入するのは困難だが、マーマン達とのステータス差を活かし伝令兵より素早く深層まで突入すれば問題ない。
だが、この奇襲が読まれている可能性は低くない。この奇襲は街の被害を少なくするならばとり得る選択肢の一つだからだ。あのザダイが想定していないとも考えづらい。だがそれでも意味ある奇襲だ。決戦は被害が大きすぎる。
「いこうか、ワンコ」
「よしっ!やるぞ!アイト!」
たった六人の行軍。だがこの行軍は恐らく、魚人たちとこの街、最後の戦争だ。
§
―滝の洞窟 奥地―
「やはり、来たか」
「ザダイ。今日こそ勝つ!!」
「だがたった数日。我を超えるなど不可能だ。」
ザダイへの急襲。カインさんたちのお陰もあり問題なく最下層へ到達する。やはりザダイはこの奇襲に気が付いていたようだ。
だが作戦は上々だ。この一帯のマーマン達が結集しているにも関わらずここに到達するまでの戦闘は最小限であったし、中級マーマンも洞窟内には何体かいるのに関わらずどうも俺たちの戦いに割り込まぬよう指示しているらしい。ザダイは一人でねじ伏せるつもりだ。街が戦場となってはこうはいかない。
「それに、どうやら――先日より弱くなった者がいるようだぞ?」
「??何を言ってるんだ?ザダイ?」
ザダイが小さく笑みを浮かべる。冷や汗が流れる。ザダイは一瞬、会話するワンコさえ気づけなかっただろうほんの一瞬、こちらを見た。その凍てつくような、嘲笑うような視線が脳裏に焼き付く。
「ゆくぞ」
「!?」
ザダイが踏み込む。それに応じるべくワンコが構える。しかし、その侵攻はワンコの方を向いていなかった。
「アイト!!」
「え!?」
狙われているのは俺だ。槍を構えたザダイは一直線にこちらをめがけて突進してくる。後衛を狙うのは定石から外れるが、俺の一撃はザダイにとって致命傷になり得る。だから先に倒すべきと考えたか。それとも―――
だが、これはチャンスだ。フルスピードだが前衛の間合いからは十分に距離がある。それに、いくらザダイとはいえ、あそこまでのスピードで突っ込むなら、俺の雷閃を躱せまい。
(いく…ぞ………………うっ???)
右手が震える。
喉が渇く。
構えようとした右手が震えに動かない。術を詠唱しようとした口元から一気に水分が奪われていく。右手を上げ、構えるだけなのに、たった4文字の詠唱をするだけなのに、たったそれだけが、覚束ない。何故だ、どうして動かないんだ!?俺の右手、上がってくれ、上がってくれ!!
(頼むから、頼むから上がってくれよ!!)
それでも、上がらない。時間が引き延ばされる。一歩、また一歩と迫るザダイに焦点が合わない。せめて躱そうとする両足さえ動かない。脳裏が血の色で埋め尽くされる。分かっている。動かなければ、動かなければまた――――
「させるかああ!!!」
「ちっ!!」
飛び込んできたワンコにザダイが応戦する。ワンコの爪とザダイの槍が激しくぶつかり合い火花を上げる。何とか助かった。ワンコのお陰だ。だが、いまでも右手は震えている。
「大丈夫か!?アイト??」
「………ああ、ああ。」
当然、無傷だ。ステータスを見ても一切の異常はない。でも、それでも体が動かない。理由はもう、分かっている。受け入れられるはずも、無い、が。
(くそっ!!ザダイの、言う通りだ。)
恐怖、恐怖。ザダイから受けたあの一撃が脳を埋め尽くし思考を侵食せんとする。でも、このままでは本当に足手まといだ。せめて、一撃でも当てねば。ダメージは力を、思考を、奪う。ザダイだって同じだろう。俺が一番よく知っていることだ。当てればまだ勝機はある。
恐怖に震える両足を無理やり動かす。震える右手をほんの少しずつ上げる。乾ききった喉を歯を食いしばって僅かに潤す。
ザダイの殺意が完全にワンコに向いているのは幸運だ。恐怖に縛られた体がほんの少しだけ動く。
一歩、一歩と前に出る。
射程圏内だ。いくらザダイが強くとも、躱せない。十分に近づいた。あと数歩あれば接近戦の間合いだ。
ザダイは予想以上の好戦を見せるワンコに気を取られている。静かに詠唱を始める。今度こそ、逃さない。
「雷―――――」
「ウォーター・カッター」
「え゛?」
「っ!?アイト!!」
「!?…え、まほ……う??」
右腹から血が、止まらない。あの時と同じように、右腹から、血が、止まらない。その場に崩れる。痛みが、激痛が、思考を拒絶する。
倒れ伏した地面の硬さを感じる、冷たさを感じる。腹の熱と混ざり合わさって頭を支配する。
その混乱に一瞬冷静を取り戻したように感じるが、きっとそれは間違いだった。一瞬で痛みにせき止められた思考が溢れだす。
意識は、鮮明だ。
何が、何が駄目だったのだろう。ここは異世界だ。レベルは十分に上げた。使う魔法だって非常に強力。持ち合わせのスキルも数えきれない。前世で足りなかった才能は、チート能力という形で十分に補われたはずだ。いくら恐怖に支配されていたとしても、補って十全な能力を持っていたはずだ。
それなのに―――――何故、何故、また―――――
―――ああ、もう、無理だ。もう、戦えない。
「アイト!!」
「我は武人だ。だが、我が役目は果たさねばならない。―――不自然だと、思わなかったか?戦争の準備がなされているというのに、あっさりと、奥地へたどり着き、大将と戦えること。そこにいる中級マーマンたちが手を出さないこと。全て、必要なことだ。貴様は弱者だが、その魔法は余りに、危険だ。混戦になるであろう此度の戦争を前に、排除せねばならない。」
「く…そ…、なんで魔法、が…」
「……これが、切り札の、切り方だ。」
ザダイが倒れ伏す哀人へと歩みを進める。
「させるか!!」
「ふん!!」
大振りな槍がワンコを吹き飛ばす。少し離れた壁はワンコが叩きつけられる。最早、ザダイを歩みを遮る者はいない。
―――もう、無理だ。もう、戦えない。
きっとワンコなら、立ち向かったのかも、しれない。いや、間違いなく立ち向かった。それがワンコという人間だ。
だが、俺はもう無理だ。今戦いを拒絶しているのはこの痛みじゃない。この体じゃない。間違いなく、自分自身だ。
だからもう、戦えない。
「弱き者よ。お前はここで、死ぬのだ。」
ザダイが静かに、ゆっくりと、槍を振り上げる。
そして振り下ろす。
「があああっっ!!!」
もう血は止まらない。
そして再び、振り下ろす。
「があああっっ!!!ごふっ!!ごふっ!!!」
「さらばだ。弱き者よ。」
最後の槍が、振り下ろされる。
「ぐあっっっっ!く…!!」
「……え…!?」
その鈍い痛みの声は俺の声ではなかった。
「………ワン、…コ……なんで…」
「愚かなものだ。弱き者を庇って何になる?」
「…分かってないのはお前だよ、ザダイ。アイトは、弱くなんてない!!」
「ふん、そこに倒れ伏す姿を見てもそういうか。やはり愚かだ。貴様から殺してくれるっ!!!」
「があっっっ!!!」
槍がワンコを切り裂く。
それでもその追撃は止まない。
「貴様らでは無理なのだ!!我等の、我等が魔王軍の歩みは止められまい!!!」
――――そして間もなく、ワンコが地に倒れ伏す。
「愚かな戦士よ。安らかに眠るがよい!!!」
「させません!!!」
「!?…ミシェ……ル、さん…なん………で…」
そこで俺の意識は途絶えた。
§
夢を見た。昔、日本にいたときよく見た夢だ。いつも見ていた夢だ。昼も、夜も、絶え間なく見続けた夢だ。
何の夢だっただろうか。ずっと見ていた夢だ。なのにもう、思い出せない。もう思い出せない。
もう思い出すことは無いだろう。
だが、夢を見た、ということはつまり、―見たのが走馬灯では無いのだから―死ななかったということなのだろう。生き延びたということだ。
何故生き延びたのだろうか。もう二度と戦えないというのに。戦士は血だらけになったというのに。
だがもう考える時間は残されていないことは分かっていた。ふつふつと意識がかき乱されはじめる。もうすぐ、目が覚める。最悪の目覚めが待っている。
覚醒の目前、薄れゆく意識の中、確かなことは、もう戦えないということだけだ。