対決
俺は居酒屋ぽんぽこに急いだ。この近辺は老人が多いせいか、歩行者も皆無で町は静まり返っていた。信楽焼のタヌキの置物は、どうやら無事のようだった。タヌキの置物も、今日は全く話しかけてこない。きっとタヌキの置物もタヌ子の魂を守ろうとしているんだ、と思った。
ヤツは必ずここに来る!
深呼吸をして心を落ち着かせていると、遠くから足音が聞こえてきた。足音はだんだん大きくなる。一歩一歩近づいてくる。
目を開けると、俺の目の前に男が立っていた。
「こんばんわぁ。」
男は首を少しかしげて挨拶した。
笑顔だったが、目は笑ってなかった。精気の無い顔。この男にタヌ子が痛めつけられたのかと思うと、怒りが湧いてくる。
「そういう感情、好きですよ。」
男は俺の気持ちを読み取っているように言った。
「返せ! 俺のタヌ子の魂を返せ!」
「あの人は、あなたのものなんですか? そんなはずないでしょう。あの人は僕の為に存在しているんですよ。」
男は俺の周りをゆっくり歩きながら話した。
「たまにいるんですよね、ああいう発電機みたいなエネルギーを持った人。あの人の魂が僕の中に入れば、世の中の苦しんでいる人々を、たくさん救済することができるんです。もう死にたいと思っている人がどれだけたくさんいるか、ご存知でしょう?僕は、そんな人たちを楽にしてあげられる力がある。それにはあの人の魂のエネルギーが必要なんです。あなたがあの人を必要としているより、僕の方が切実です。そして、あなたと一緒にいても何も生み出さないけど、僕と一緒にいれば、限りなくこの世に貢献できるのです。どうですか?素晴らしいでしょう?」
男はクックックッと笑っている。
「わかりましたか! 僕はあなたに用はない。後ろのタヌキの中に入っているモノに用があるんだ!」
男は俺を睨んで言った。
「だめだ! 絶対に渡さない!」
俺は男に体当たりした。
男はよろめいたが、後ろから何かに押されるように立ち上がった。
「あなたが何をやっても無駄なのに…。しょうがないな…。」
男が呟くと、男の後ろから黒いものがじわじわと出てきた。その黒いものは何本もの手になって俺の体の至る所から激痛と共に体の中に入ってきた。体がだんだん動かなくなり、恨みや妬み、怒りのようなネガティブな感情が体の中に入ってくる。いろんな人々の悲しみや苦しみが心を埋め尽くしてくる。だんだん意識が遠のいてきた。
「もうすぐ苦しみは終わりますよ。もう、がんばらなくていいのです。」
男は俺に薄ら笑みを浮かべて言った。
遠のく意識の中で、タヌ子の魂を感じた。その瞬間、今までのタヌ子との思い出があふれ出てきた。料理をするタヌ子、嬉しそうに毛づくろいをするタヌ子。口の周りにお菓子をたくさんつけたまま笑っているタヌ子、タヌ子の笑顔が溢れかえった。俺は我に帰って、黒いものを振り払い、男を思いっきり殴った。男は後ろに吹っ飛んだ。
「チッ、がんばらなくっていいって…言っただろ。」
男は口から出た血を手でぬぐいながら、もう片方の手を後ろに回したかと思うと、ナイフを取り出して俺に襲いかかってきた。すぐさま避けたが、左脇腹を切りつけられてしまった。血がボタボタ流れ出る。男は俺の右太ももにもナイフを刺した。激痛で地面にうずくまった。男はうずくまる俺に、さらにナイフを振りかざした。
俺、もうダメかも。ごめんよタヌ子、助けてあげられなくて。
最後にタヌ子に会いたかった。
その時、木の棒のようなものが飛んできて、男に当たって倒れた。棒の飛んできた方向を見ると、内田の彼女がヌンチャクを振り回して、こっちに向かって走って来る。内田も彼女を追うかのように息を切らしながら走ってきた。内田の彼女は男と格闘を始めた。内田は地面にチョークでメモを見ながら何か円形の模様を描いている。描き終わるとタヌキの置物をその中に運んで置いた。それから俺に肩を貸してくれて、円の中に移動させた。
「ヒロキさん、大丈夫ですか? よかった、間に合って。」
内田が息を切らしながら言った。
「これ、何?」
俺は円形の模様の事を聞いた。
「自分もよくわからないんスけど、エマがやれって…。」
内田がそう言った時、彼女のエマが円の中に滑り込んできた。
男は倒れていた。やっつけたのか?
「エマ、大丈夫?」
内田が彼女に言った。
「今、アイツノ体ガ気絶シテルダケ。黒イ影ハ生キテイル。マズイナ、私ジャヤッパリ手ニ負エソウニナイ。コノ円陣ノ中ニハ ヤツハ入ッテ来ラレナイ。デモ、イツマデモツカ…。コンナ時、ジーチャンガイテクレタラ…。」
エマは悔しそうに言った。
不思議な力と超人的な格闘術を持つ内田の彼女のエマでも無理ということは、どうしたらいいんだ。流れる血と痛みで意識が朦朧とするが、俺は深呼吸して落ち着いて考えた。そして決断した。
タヌ子を救う!俺はどうなってもいい!
「エマ、タヌ子の魂は、どうしたらヤツから取り返せる?」
エマは俺の目をじっと見て言った。
「男ノ体ガ弱ルト、次ノ宿主ヲ探ソウト 影ガ外ニ出テクル。ヤツノ体カラ アノ黒イ影ガ完全ニ出テキタ時ニ、ソノ中ニ入ッテ、タヌ子ノ魂ヲ探シテ持ッテ帰レバイイ。」
「わかった! 俺やるよ!」
「ヒロキ、簡単ジャナイ。モシ仮ニ タヌ子ノ魂ヲ取リ戻セタトシテモ、影ノ中ニハ ボスガイテ、ソイツガ トテツモナク 厄介ナンダ。簡単ニ倒セルヤツジャナイ。オマエ 死ヌカモシレナイゾ。」
「タヌ子が助かれば、それでいいんだ。無事タヌ子を連れ戻したら、あとよろしくな!」
二人が止めるのを振り切って俺は円陣から出て行った。
血が流れ出る足を引きずりながらヤツのもとへ行った。やつが起き上がろうとしていた。俺は馬乗りになってボコボコに殴った。手の感覚が無くなるくらいに殴った。ヤツの体から黒い影が出てきた。俺はヤツから離れ影を誘導した。
「こっちだこっち! ほら来いよ!」
影はゆらゆらやってきた。
俺は影の中に飛び込んだ。影の中は生ぬるい嫌な風が吹いていた。すすり泣く女の声や罵詈雑言を吐いている声、死にたい気持ち、この世に信じられる人など存在しない誰も自分の見方がいないという孤独感、裏切り、嘲り、あらゆるネガティブな想念がうずまいていた。その想念は俺の感情をコントロールしようと次々にやってきた。俺はそれに負けまいと、ひたすらタヌ子の事を考えていた。俺の心の中がタヌ子への気持ちでいっぱいになると、目の前に光が見えた。俺にはわかった。あれはタヌ子の魂だ。一目散に光の方へ走って行った。光の前までくると、その横で、ざんばら髪で乱れた着物を着ている女が怨念のこもった目で俺を見ていた。
「この子は渡さないよ。さっさと帰んな!」
ざんばら髪の女は怒鳴った。
「その子は俺のものだ! 命に代えても連れて帰る!」
俺は女を押しどけ、タヌ子の魂を抱きかかえて走り去ろうとした。
その時、急に体に力が入らなくなって何かが流れ出ているような感覚に陥った。
「おまえの魂を八つ裂きにして、元の体に帰ってこれないようにしてやる。」
女は俺の体に手を入れて、魂を抜き取ろうとした。
全身に激痛が走る。体中をナイフで切り刻まれてるみたいだ。痛みと恐怖で胸が破裂しそうになる。
俺の魂を八つ裂きにされても俺はタヌ子を助ける!
俺は女を振り払い力の限り走った。タヌ子の事だけを考えた。痛みや恐怖に心を奪われないように、ひたすらタヌ子の笑顔だけを思い描き、無我夢中で走った。女は後ろから追っかけてくる。
目の前にうっすら光が見えた。目を凝らすと、内田とエマとタヌキの置物が心配そうにこっちを見ている。もう少しだ!その時女は俺の肩をつかんだ。
これまでか…。
諦めかけたとき、前から爆風が吹いた。そして、雷が落ちたような閃光が走った。衝撃で俺は吹き飛ばされ床に叩きつけられた。しかしタヌ子の魂は腕の中にしっかり抱きしめて離さなかった。まばゆいばかりの光の中で、内田が俺を円陣の中へ引きずって行っているのがわかった。光の中からエマが飛び上がったかと思うと、女を剣のような物で叩き切った。女の体はちりぢりになって地面の中へ引きずり込まれ、消えていった。




