林檎の里(内田) あなたの新たな一面が開花するでしょう
「ヒロキさーん、俺、林檎の里グループに営業行ってみようかと思ってるんスけど。」
ヒロキさんは、パソコン作業をやめ、椅子にもたれかかってこっちを見て、ため息ながらに言った。
「あー、あっこねー。俺もいいなーと思ってるんだけど、社長がなー…。」
株式会社 林檎の里グループは、全国にレストランやカフェ、結婚式場などを経営している会社で、最近は東南アジアにも進出している。どの店舗も女性人気がすごい。女性の好みを知り尽くしているような空間とサービスを提供している。そんな繊細でうっとりするイメージとは裏腹に、代表取締役の藤堂社長は、現在58歳、色黒固太り、、眉毛が太く鼻はどっしりとしていて、するどい眼光からはビームが出ているかの如く、目が合うとたいていの人間は、その眼圧にやられてしまう。店のイメージとは真逆に男性ホルモン過剰な感じのおじさんだ。経営もワンマンで、社長の意見が会社の方針になっている。とにかくそこの仕事を請け負うには、社長に気に入られるのが必須だが、好みが厳しく、なかなか気に入られる人間はいない、とヒロキさんは説明した。
「俺も前にがんばったんだけど、全然ダメだったよ。入り口で社長にスコーンって蹴られる状態よ。キャン!って泣きそうだったよ。」
「そおっスか。やっぱ無理かな~。」
やめようかと思ったとき、いつから居たのか応接用の椅子に座っていたタヌ子さんが言った。
「ウッチー、新たな才能が開花するって占いに出てるよ。」
タヌ子さんはテーブルに並べたタロットカードをマジマジと見ている。
何故かヒロキさんは「タヌ子、普通の占い方もできるの~?」って、腰を抜かしている。
「ん~、良き協力者に身近な女性がいるね。彼女だね。」
エマが協力者???
アイツ、今度は何やらかすんだろ???
「ウッチー、やってみなよー!」
「そだな、俺はダメでも内田ならいけるかも!」
さっきまで藤堂社長の大変さを語っていたヒロキさんまで、ノンキにそう言っている。
ダメもとで行ってみるか。
林檎の里グループの事務所は、林檎の里第一号店の中にあった。
そこは郊外の森の中で、ヨーロッパの城の門のようなゲートをくぐると、ありとあらゆる花が咲き乱れているおとぎ話の世界のようだった。ゲートのすぐ先には花屋兼雑貨屋があって、雑貨もヨーロッパ風の物が多く、女性に好まれそうな感じだ。その向かいには、イートインできるベーカリーがあり、その隣はワイナリー。その先にはレストランやチャペル、宿泊できる施設などもある。その奥のぶどうの木のトンネルをくぐると結婚式の披露宴などに使う大きなホールで、前はプールもある芝生の広場になっている。これは女心をくすぐるよな~、と思いながら横の小道を歩いていくと、一番奥に事務所があった。
実はこの会社には、大学の先輩が働いていたので、その先輩を通してアポをとったのであった。田代先輩という。先輩は小学校から大学までラグビー一筋の、逞しくて、ザ・男 という感じの人だった。本当は俺の友達の先輩だったのだが、何回か一緒に顔を合わすようになって、妙に気があって可愛がってもらっていた。いわば俺のメンターとも言える存在で憧れの人だ。
「久しぶり!内田、元気にしてたか?」
ドアが開いて、田代先輩が笑顔で入ってきた。
「お久しぶりです。おかげさまでボチボチがんばってます。」
田代先輩は「そーかそーか」と言いながら座って、部下の持ってきたお茶をすすめた。
先輩と会うのは久しぶりだ。そのせいなのか、先輩は少し変わっていた。色が白くなったのか?髪が伸びたせいか?いや、よく見ると、細部に渡って手入れしてる感が溢れている。ニキビが多かった肌はスベスベだし、手もきれいだ。ささくれもない。ん!甘皮処理までされている!!! 俺は、エマのネイル検定に付き合わされているうちに、他人の手がものすごく気になるようになってきたのだ。もとい、何故だ。何故だ、田代先輩。何があったのだ?
「内田、すごくよく出来てると思う。俺としては採用したいんだけど、知ってのとおり、うちの会社は社長の一存で決まるからな~。がんばって押してみるけど…。
「先輩、大丈夫です。うちの代表からも少し聞いてるんで。」
田代先輩は申し訳なさそうな笑顔を俺に向けた。その直後、ドアが勢いよくバタンと空いて、藤堂社長が入ってきた。
「君か、田代君の後輩っていうのは。」
藤堂社長はギラギラとした目で俺を見ている。
俺は頭を下げて挨拶した。その時、藤堂社長は何を思ったか、俺の手を取って、まじまじと見た。
(ひぃぃぃ~!)
俺は心の中で叫んだ。チラリと藤堂社長を見ると、鬼のような形相で俺の指を見ている。まずい!エマに手入れされた爪が原因か?男のクセに爪のお手入れとは軟弱極まりない!ってか?怖いもの見たさではないのだが、あまりに長い時間、社長が俺の指を見つめているもんだから、またチラミをしてしまった。
(ぎゃぁぁぁぁぁ~!)
鬼のギョロ目が顔を覗き込んでくるぅ~!!!お願い!殴らないで~!
失神しそうになった時、藤堂社長が静かに言った。
「ネイルは、赤がお好み?」
「えっ?」
慌てて爪を見た。エマがネイルを塗った後、落としてもらったんだけど、爪の際がうっすら赤くなっている!そんな細部でわかってしまうなんて!社長ともある人物は、相手のほんの少しの特徴も見逃さないんだ!改めて一代でここまでグループを大きくした藤堂社長という人物を尊敬した。しかし、まずいなぁ…。なんて言ってごまかしたらいいんだろう?
「あ、いえ、これは…その…。」
俺がうろたえていると、藤堂社長は目をつぶって顔を左右に振りながら言った。
「大丈夫だ。何も言わなくていい。私はわかっているから安心しなさい。」
え?何が大丈夫なの?
「田代君!内田君を招待するから君もついてきなさい。」
藤堂社長が田代先輩に言うと、田代先輩は俺に笑顔を向けて、素早く準備して車を回してきた。
田代先輩が運転して、俺と藤堂社長は後ろの席に座っている。恐る恐る藤堂社長を横目で見ると、思った通り、こっちをガン見してるぅ~!
「あ、あのぉ~、社長! どちらに向かっているのでしょうか?」
「まあ、付いて来ればわかる。」
どこに行くんだろう?嫌な予感ばかりする!
着いた先は、高級店が多い夜の街だった。車を降りてすぐ横のビルに入った。エレベーターに乗り込むと、田代先輩は20階のボタンを押した。20階に着くまでの間、みんな無言だった。
入口の横には、「クラブ・デビュタント」という小さな看板が付いてあった。ドアが開くと、女装したおじさんが立っていた。
「選ばれし紳士の社交場へようこそ!」
中に入ると、ハリウッドスターが住む豪邸のような設えで、ガラス張りの大きな窓からは大都会の夜景が広がっていた。高そうなソファセットが何個もあって、大勢いるお客さんたちは、どこかで見たようなセレブっぽい人がたくさんいた。そしてみんな男で女装していた。
(何なんだここはー!!!)
気が付くと藤堂社長が俺の真横に来ていて耳元でささやいた。
「君の爪のお手入れ、あれは素晴らしいね!ネイルも真っ赤なんて、大胆でいいじゃないの!」
「いや、あれは、違うんです!」
「いいからいいから! さ、衣装ルームに行って着替えなさい。田代君なんて、もう準備をしているよ。」
(えっ!何っ?何の準備なの?)
藤堂社長に背中をドンドン押されて、奥にある衣装ルームとやらの部屋に押し込まれた。
ドアを開けると、おびただしい数の衣装が吊るされてあった。
全部女物!
部屋の横の方には芸能人の化粧部屋のような女優ライトがついたパウダールームもあった。
このクラブには、専属のコーディネーターさんやヘアメイクさんも常駐してるらしく、その人たちが俺をとりかこんで衣装を選び、メイクをし、カツラをつけて仕上げていく!
口紅を塗られている途中で、背後から声がした。
「内田、終わった?」
鏡越しに、変わり果てた田代先輩が見えた。
うづぐしぐ女装してたぁぁぁぁ…あああ…。
「俺、前からおまえは才能あると思ってたんだよ。俺の見る目は正しかったな!」
そう言った先輩は、風紀委員のメガネっこだった…。
鏡を見ると…俺は、ゴズロリ少女のコスプレをさせられていた。
え~!何、何? 俺、超絶美少女じゃん!
何この儚げさ!清楚さ!やっべー!。
我ながら自画自賛が止まらないぃ~~~!
「君たち!こっちに来て座りなさい。」
藤堂社長が俺たちを呼んだ。
振り向くと、微妙なコスプレの社長がソファに座っていた。肩上くらいのボブヘアーのカツラをかぶって、その上から布製のつばが広い、特に後ろが広くなっている、いわゆるUV対策用の帽子。首にはタオルを巻いている。微妙なサイズの半そでのポロシャツで両腕にはこれまたUV対策用のアームカバー。そして、スポーツ用のパンツを吐いて、スニーカー。なんなんだろ?この微妙なコスプレは?
「さ、こっちこっち!」
藤堂社長は、手で自分の横をパンパンと叩いた。
やっぱり俺は勘違いされている! ネイルの跡があったからおかまと思われたんだ。いくら仕事相手の社長さんとはいえ、期待させるようなことさせちゃダメだ! 藤堂社長を受け入れれば仕事がもらえるかもしれないけど、そんな枕営業なんてダメだ!エマからぶちまわされる!いや、殺される! エマ、俺は君のために(というか自分の身の安全のため)貞操を守るからなぁぁぁー! 今、はっきり言おう!
俺は意を決して社長の横に座り、社長に向かって言った。
「あの…自分、おかまでも…男色の気も…その…ないんですっ!」
緊張のあまり、声が裏返った。
・…返事がない。静まり返っている。やっべー俺、もしかして地雷踏んだ???
恐る恐る藤堂社長をチラリと見た。俺の心配をよそに、藤堂社長はポカーンとしていた。横に居た田代先輩も、何言ってんだコイツ、っていう顔をしている。何なの?もう!!!
「勘違いさせて悪かった、内田君。 私たちは別に男が好きと言う訳では無いんだ。ただ女装愛好家なだけなんだよ。君のキレイに手入れされている手を見たら、これは確実にプロ級の愛好家だと思ったんだよネ…。アッハッハッハ。」
なぁ~にぃ~それ!安心から涙目になってしまった。
「あの…ちなみに社長のコスプレは、…何なのでしょう?」
「これ?微妙だろ?実はコレ、うちのレストランに来るお客さんが日常でよくしなきゃいけない格好なんだよ。子持ちの主婦層が多くて、だいたい息子さんだと野球だったりサッカーだったりチームに入ってるんだ。週末なんか、一日中子供たちに付き合って大変なんだよ。日焼けも気になるしね。このクラブを始めたのも、うちのお客さんの大半が女性客だから、女性の気持ちになりきろうと思った為なんだ。がんばるお母さん、働くお母さん、そして全ての忙しい女性たちを癒してあげたい。ストレスの多い日常を忘れて、しばし夢の時間を過ごさせてあげたい。そんな気持ちから林檎の里グループは始まったんだ。今日は内田君にとって、記念すべきデビュタントの日!是非私の経営理念をわかってもらいたくて、分かりやすく体感できるようにこのような格好をしてみたんだ。ま、初めは正直必要に迫られてしょうがなくやっていた感はあった。しかぁ~し! 女装し始めると最初の志を忘れるくらい没頭してしまってね、何コレ、化粧って楽し~! ネイル、何、何ぃ~自分の手が宝石みたいになるじゃぁ~ん!女性の洋服って、コーディネイト無限だよなぁ~って…もうその魅力、いや、魔力のトリコになってしまった、という訳だよ。」
藤堂社長は、スポーツチームママの格好で遠い目をして言った。
…そうなんスか。一代で事業を拡大させるためには、そこまで思慮深くないといけないんですね!でもコレ正しい方向なんスかね?いい話なのかそうでないのかわかんないスけど、内田、心が震えてます~。
「しっかし内田君の美少女ぶりには驚いた! どうだ?俺の愛人になるか?店持つか?」
藤堂社長はニヤリと俺に言ってきた。
「え、遠慮させていたらきまふ…。」
立ち位置わからなすぎて、まともに声も出やしない~。
「冗談だよっ!俺に男色は無いっつっただろ!」
藤堂社長は大笑いして俺の背中をバシーンと叩いた。
「今日から君は私たちの仲間だ!助けるよ~!助けるとも!困ったときは何でも言ってくれ!それではこれから毎週、顔を見せに来てくれよ!内田君!」
「恐悦至極に存じますぅ。」
いったい今日は何だったんだろう…。
えらい目にあった…。
しかし、林檎の里グループの仕事は取れた。ヒロキさんにはボーナスをたくさん出させよう!
「ただいま帰ってきましたー。」
フラフラで青ざめた顔で事務所のドアを開けた。
「お! 内田おかえり~。遅かったね~。どうだった?」
何にもしらないヒロキさんは、のんきな顔で聞いてきた。
俺は資料をヒロキさんの机の上にドスンと置いてギロリと睨んでドスの効いた声で言った。
「取れましたよっ! ボーナス、目いっぱい頼みますねっ!!!」
「は…はいぃ。」
ヒロキさんは訳がわからず怖気づいている。
このノンキな人は、少しぐらい怖がればいいのだ。俺が体をはって仕事取ってきたとは気付いてもいないのだから!
視線を感じて振り向くと、タヌ子さんがニコニコしてこっちを見ていた。
「ウッチー、新たな才能が開花したみたいだね!」
才能って、もしかして、女装のことなのかっ?
見抜いているのかっ、タヌ子さん!
でも…
でも…
俺って、けっこうイケてたかも!
タヌ子さんの言ってた協力者は、やっぱりネイルのモデルをさせてくれたエマか…。
エマ…らぶ。




