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弟の意地


 一二年前、未曾有の巨大な嵐が原野を襲った。

 シャルカが産まれてすぐのことだ。

 強烈な雨風を伴う嵐は十日も続き、原野は泥水で溢れ返った。泥水は濁流となって葦の原を薙ぎ払い、穂草の群を一掃し、そこを(ねぐら)とする獣達をも容赦なく呑み込んで、原のぐるりを囲む岩盤の大地へ押し流したのである。

 呑まれたのは獣達だけではない。島の底を嬲る濁流に、葦がほつれて島が割れ、一番小さな島はなす術もなく四散した。他の島々も相当な損傷を負い、多くの犠牲者が出る大災害であった。

 幸い弓島は、神官長セラフナがいち早く嵐の到来を予期し、事前に備えることができたお陰で、ひとりの死者も出さずに済んだ。それでも島自体は雨風に削られ、一回り小さくなってしまった。


 けれど本当に大変なのは水が引いたあとだった。

 島の修復をしようにも、あんなに生えていた葦は軒並み流され、あるいは泥に沈んで使えない。

 狩りに出られるようになっても、原に獲物の姿はない。

 堪え難きを堪え、ようやく穂草が芽吹きだし、少しずつ獣達が戻り始める頃になると、今度は少ない資源を巡り島々の間で戦が起こった。それまでは互いの島の戦力差を鑑み交渉で済ませたであろうものも、ことごとく戦へ発展したのである。

 力づくで相手をねじ伏せ、少しでも狩場や葦を確保しなければ滅亡を免れぬほど、どの島も困窮を極めていたのだ。

 しかしそれにより働き手である男達が命を散らし、または狩りに出られぬほどの深手を負って、勝つも負けるも島々は衰退の一途を辿った。

 ようやく戦が止んだのはほんの数年前のことである。


 アダンは後方へ顎をしゃくった。


「さっき、午前の狩りから引き揚げてきたアト様に会ったぜ、今日はどの隊も獲物に恵まれてないらしい。できればオレらにも午後から狩りに出て欲しいってよ」

「勿論だ」

 

 予定では午後も訓練するはずだったが、島民の胃を満たすことが先決だ。こんなことばかりが続き、後進の育成もままならない。人手が足りぬ今、狩り手の育成は急務だが、それどころではないのが現状だった。

 若者で構成された一隊を率いる立場でもあるセトは、指導官から隊長の顔つきに変わり、副隊長のアダンに指示する。


「隊の皆に、昼食を終えたら桟橋に集まるよう伝えてくれ。子供達には俺から言っておく」

「了解、隊長殿」


 アダンは片眉を跳ね上げて親友の命に応じた。それからシャルカへ馬を寄せ、金色の髪を無造作に撫でた。シャルカは驚きびくっと肩を震わせる。


「おいシャルカ、今日も景気のいい色だな、オメェの頭は」

「は、はぁ……ありがとうございます」


 ぎこちなく微笑むシャルカに首を捻るアダン。セトはそんなアダンを急ぎ呼び寄せ、早口に耳打ちする。


「止してくれ、今子供達にからかわれたばかりなんだ」

「またか。どやしつけてやったんだろ?」

「…………」

「何だ、オメェもまたか。何故見過ごす? そんな糞餓鬼はぶん殴ってやりゃあいい」


 そうしたいのは山々だが。セトは奥歯を噛みしめる。

 それでも、シャルカを異端視しない友の台詞が嬉しかった。気遣いに欠けた無遠慮な台詞を吐くのも、気遣いの必要性を感じないまでに受け入れてくれているからだ。


「シャルカが何もなかったと言い張るんだ。子供には子供の世界がある、俺がしゃしゃり出るのは親が介入するようなものだ」

「ハッ、くだらねぇ。オレと組の受け持ち代わるか?」

「いい、お前は無茶をするからな。子供を葦の小舟に乗せるのはご免だ」

「ならしっかりしろよ、()()


 力一杯背を叩かれ、セトは思わず顔を歪めた。

 言われなくとも、大事な弟に対する虐めを止めたい気持ちは誰よりもあるのだ。

 けれどセトは知っていた。

 少年達を叱りつけても、何も変わらないだろうことを。

 少年達がシャルカを貶めるのは、決して彼らの思いつきだけではない。親や周りの大人たちが、彼らの耳に入る場所で囁き合っているからだ。『色付き』シャルカの陰口を。


「…………」


 物思いに沈んだセトの背を、アダンはもう一度強く叩いた。


「痛い。何だ?」

「兄貴がンなしけた面してんじゃねぇよ、弟まで不安にならぁ。オレは先に戻るぞ。午後は大量に狩ってこようぜ」


 アダンは左の拳を突き出す。セトは頷き、その拳に自らの拳をかち合わせた。互いの手首で、揃いのバングルがしゃらりと音をたてる。

 島へ向けて駆け出したその背を見送ってから、セトはシャルカに向き直った。


「なぁシャルカ。考えたんだが」

「何でしょう、あに様」


 ふたりきりになると、シャルカは心なしかホッとした顔でセトを仰ぐ。

 少年達の前では堂々と振る舞っているが、本当のシャルカはそう強いわけではない。必死に虚勢を張っているのだ。

 弱味を見せれば漬け込まれる。幼いながらもそう心得ざるを得なかった境遇を思うと、セトの胸は強く痛んだ。

 手を伸ばし、アダンの粗暴な手つきで乱された髪を整えてやりながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「お前は読み書きが得意だろう? 算術なんて俺も敵わないほどだ」


 褒めると、シャルカは素直に喜び頬を染める。


「セラフナ様の教え方が上手なんです。最近、星の読み方も習い始めたんですよ」


 神官長セラフナは、子供達の輪から外れたシャルカをよく神殿に招き、手習いや本の読み方を教えてくれている。お陰でシャルカの孤独感は随分と薄らいだろうし、読み書きに長けたことで、少しずつ自分に自信を持てるようになってきていた。セトは心の中でセラフナに深く頭を垂れた。

 そんな兄には気付かず、シャルカは無邪気に手を取る。


「そうだあに様、今夜原へ出てみませんか? 習った星座を実際にこの目で見てみたいんです!」


 その笑顔に、セトは目を細めて頷いた。

 この無邪気な顔が見られるのは、ふたりきり原へ出ている時だけだ。

 島では、例え家の中に居てさえ、どこか気を張り詰めているところがある。だからセトは狩りや訓練の合間を縫って、なるべくシャルカを原へ連れ出すようにしていた。


「もう星の読み方まで教わっているのか、凄いじゃないか。……なぁシャルカ、それなら神官になる道もあるんじゃないか? 正式に神官候補になれば、こうして訓練に参加しなくてもよくなるし、思う存分好きな本が読めるぞ。神官長様もそのつもりで教えてくださってるんじゃないかと思うんだが」


 そう本題を切り出した兄に、シャルカは一瞬の躊躇もなく首を横に振る。


「嫌です」

「何でだ?」


 こんなにはっきり拒絶されると思っていなかったセトは、穴の開くほど弟の顔を見つめた。他の少年達と一緒に訓練をする以上、今日のようにちょっかいを出され続けるのは目に見えているというのに。

 そんな兄の瞳を真っ直ぐに見返し、シャルカは言う。


「ぼくは軍団長アトの義理の息子、そして狩りの一隊を率いる隊長セトの義弟です。……色のことや、本当の母様のことでからかわれるのは、ぼくにはどうしようもないけれど……アトの家の()として、弓や馬の腕のことでからかわれるのはだけは嫌なんです、絶対に。鍛錬すればどうにかできることだから。逃げたと思われるのも癪ですし」


 苛められっ子の弟が見せた意外な気概に、セトはますます目を見開く。


「それに、」


 シャルカは語気を強めた。


「神官になったら、戦に出られないじゃありませんか。まだ戦が続いていた頃、あに様と父様が戦っている間無事を祈ることしかできずにいるのは、とっても辛いことでした。だからぼくは一緒に戦えるようになりたいんです。アダンさんのように、あに様の横で戦えるように!」

「シャルカ」


 子供の頃、セトが思っていたことと同じことを言う。

 それを父に告げた時、父は何故か黙ったまま困ったように微笑んでいたが、その理由がようやく彼にも知れた。

 シャルカの目に映る彼自身の顔は、おそらくあの時の父と同じ顔をしているのだろう。

 けれど彼は兄である。だからセトはからかうように笑って見せた。


「何言ってんだ、寝床に虫が出たくらいで泣いて飛び起きるクセに。大体、獲物を射るのにも同情して躊躇するお前じゃないか、対人戦なんてとんでもない」


 シャルカはむっと頬を膨らせる。


「苦手なものは誰にだってありますっ。あに様だってケーグの実が苦手じゃありませんか!」

「食い物の好き嫌いと一緒にするな」

「弓も剣も、しっかり練習します! 決して足手まといになんてなりません、あに様を守れるようになるんです!」

「お前に守られるようになったら、俺は戦士として終いだよ」

「酷い! ぼくだっていつか、立派な戦士になってみせますからっ!」


 膨らせた頬を染め可愛らしく拗ねる弟を、セトは苦笑混じりに見下ろした。

 その気持ちは嬉しいが、そんな風に思っているのなら尚のこと、危なっかしくて戦場に出せようはずがない。無論、一番いいのはこの先戦が起こらないことだが。

 すっかりへそを曲げてしまったシャルカを宥めるべく、セトはもう一度その頭に手を置いた。


「まぁ、ともあれだ。お前は俺の義弟なんかじゃない、俺のたったひとりの()だ。父さんだって母さんだって、お前を義理の息子だなんて思ってやしない。さっきの義理の息子だなんだって言葉、父さんの前で言ってみろ。どうなると思う」


 前半の言葉に照れたように俯いたシャルカだったが、投げかけられた問いに、目の前の兄に負けず劣らず逞しく、|(いかめ)しい面構えの父が激怒する様を想像したのだろう。怯えきった目で、


「……怒られるでしょうか、」


恐る恐る呟いたが、セトはきっぱりと否定した。


「いや、泣くな。そりゃもう泣くな、大号泣だ。目に入れても痛くないほど可愛がってるお前に、『義理の』父だと思われてたなんて、ってな。だから絶対言うなよ?」


 冗談めかしたその言葉に、シャルカは耳まで真っ赤に染め、幸せそうにころころ笑った。

 その笑い声に和みつつも、セトはどうにかしてこの負けん気の強い弟の目標を変えられないかと思案していたが、だしぬけに腹の虫が鳴いた。それを聞きシャルカが吹きだす。


「さぁ、帰りましょうあに様。午後から狩りに出るんでしょう? しっかり腹拵えして、たんと獲物を獲ってきてくださいね」

「……おう」


 バツの悪さを感じつつ答えると、シャルカは馬に合図し軽やかに走り出した。金の髪が風に舞うと、反射した光が砂子のように細い肩を彩る。セトは馬を追いつかせると、並んで島に戻っていった。




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