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原野の春


 泥の原にも季節は巡る。

 新緑も、色とりどりの花もありはしないが、春は来る。



「皆、遅れずについて来てるか?」


 弓島そばの穂草の原は、背の高い草の合間に小さな新芽が顔を覗かせ、春の風情を装っていた。しかし新芽と言えど、古い葉に比べいくらか薄い黄土色をしているばかりで、やはり色彩で春を感じることはない。

 その原を、黒鹿毛の馬に跨る長身の青年が、十数人の少年達を連れ進んでいた。少年達はおよそ十から一二歳、年少の子らは馬を思うように進ませるのもやっとといった様子だ。

 青年が手を挙げて合図すると、ばらばらと乱れた足並みで停止する。きちんと全員が揃っていることを確認してから、青年は遠くの穂草の根元に転がる藁束を指差した。


「あそこにある的が見えるか? 今からひとりずつあの的を射てもらう」


 その言葉に元気のいい応えが返る。


「慣れない者は馬を止めたままでも構わない、まずは年長者からだ。カルム、行けるか? 皆に手本を見せてやれ」


 名指しされた少年は垂れ目がちの目をぱっと輝かせ、誇らしげに胸を張った。


「勿論です、セト隊長!」


 カルムはすぐさま背の矢筒から矢を抜き取ると、(あぶみ)を蹴って走り出す。指名された喜びに緩んでいた頬を引きしめ、青年の期待に応えるべく狙いを定めた。馬体の揺れに身体を合わせ、的の正面を駆け抜け様放つ。矢は弧を描いて飛び、ザッと小気味のいい音をあげ藁束の中心を貫いた。

 それを見届けた青年・セトは満足げに頷く。


「いいぞカルム、もう演習を行う上の組に合流しても良さそうだな」


 けれどカルムは焦ったように首を振った。


「いえっ、僕はまだまだです! まだこの組に居させてくださいっ」


 頑なに固辞するカルムに、セトは首を捻る。


「そうか? お前なら充分ついて行けると思うが」

「いえ、アダンさんのしごきはキツいって話なので……剣の稽古の時もまるで鬼ですし」


 少年達はカルムの答えに同意して笑いあい、親友(アダン)の厳しさを誰より知るセトも苦笑した。


「気持ちは分からなくもないが……今は狩りに出られる男手がひとりでも多く欲しい。怖気づいてないで、早いとここの年少組を巣立ってくれよ? アダンは口は悪いが根は悪い奴じゃない、俺から話しておこう」

「は、はい」


 セトの目が他所へ向くのを待って、カルムは大きな溜め息を零した。そんなカルムに馬を寄せてきたのは、彼の幼馴染であるヨキだ。三白眼をからかうように細め、カルムの顔を覗き込む。


「もうすぐ進級かぁ、オメデトさん」


 カルムは冷ややかにヨキを見返す。


「何がおめでたいもんか。失敗した、もう少し下手に射ておくんだったよ」

「でも憧れのセト隊長の前でだらしねぇトコ見せらんねぇもんなぁ? 仕方ねぇよなぁ」

「ヨキ、僕は無駄口は好かない」

「おぉ恐っ」


 睨むカルムに、ヨキは大袈裟に身震いして見せた。けれどその目は相変わらずニヤけたまま。カルムは小さく舌打ちした。

 そこへ、雑談しているのを見咎めてか、


「次はヨキ、お前だ」


セトがヨキを呼ばわり、ヨキは意地の悪い笑みを残し去っていく。

 カルムは忌々しげに幼馴染の背をひと睨みすると、ヨキに指示を飛ばすセトへ視線を移した。


「間違っても風上へ飛ばすなよ、あっちは今葦刈りの最中だからな」


 よく通る低い声、背筋の伸びた騎乗姿。他の民に比べ長身な原野(げんや)の民の中でも、一際上背のある彼の身体は、無駄のない実用的な筋肉に包まれている。何気なくいるようでいて、その振る舞いには一分の隙もない。剛毅な灰色の瞳は翳りを知らず、常に前を見据えている。それが少年達にとってどれだけ頼もしく、憧れであることか。左手には大ぶりの琥珀が嵌ったバングルが煌き、その姿を彩っている。

 束の間見とれ、カルムはひっそりと感嘆を漏らした。




 あれから一二度目の春が来た。

 あの時はまだ子供だったセトやアダンも、今では立派な青年に成長し、それぞれ後輩である少年達を指導する役目についていた。


 春、島の男達は少年達を連れ狩りに出る。

 春は原野の生き物達の繁殖期で、幼獣は少年達のいい標的だ。そうして少しずつ狩りを覚え、仲間内の遊びの中で技を磨き、やがては狩人として狩りの隊列に加わる。

 女達にとってもまた忙しい季節だ。

 女達も少女達を連れて原に出、葦を刈る。春先の葦は柔らかい。これを使い少女達は葦の編み方を習うのだ。そうやって幾世代もかけ、拡張と修復を繰り返し、少しずつこの島を大きくしてきた。この巨大な葦の浮島は、歴代の女達の手業の賜物。親から子へ、子から孫へ、脈々と受け継がれてきた(すべ)が皆の足許を支えている。

 老人達もまた忙しい。老婆達は女達が出払う間幼子の世話を一手に引き受け、老爺達は男達が次々に狩ってくる獲物を捌き、干肉や塩漬けにして岩盤の大地へ売りに行く。


 季節の訪れをいち早く察し、皆に告げるのは神官長だ。

 日中頭上を覆う雲は、夜になるとたちまち掻き消え、原野の上には星空が広がる。神官長は星を読み四季の移ろいを知り、また星の位置から島が今原野のどこにあるのかを正確に測る。

 族長はその情報を元に、過去の狩りの成果や穀類の自生場所の記録をあたり、狩場や収穫の指示を出す。

 その指示を受け、軍団長は男達を数隊に分けると、自らも一隊を率い狩りを先導するのだ。


 ここ弓島では老人から子供まで、皆協力し合い暮らしている。暇な者などひとりもいない。彷徨する浮島の上、互いに支えあいながら、肩寄せ合うようにして生きてきた。

 しかし今、島はその結束をより一層強めなければならない窮地に立たされている。

 一二年前のセト達と比べ今の少年達の技量が明らかに劣っているのも、年若のセトやアダンが少年達の指導に駆りだされているのも、そのことが関係していた。




「さぁ、次はシャルカだ」


 セトが口にした名に、少年達は列の最後尾を振り向く。


「はい、あに様……いえ、隊長」


 声変わり前の、高く澄んだ声が答えた。薄日を受けて輝く金色の髪に白い肌。他に類を見ない紫紺の瞳。あの時の赤子も、今ではすっかり()()らしく成長していた。

 シャルカは向けられた視線の束に萎縮する素振りもなく、堂々と馬を進ませる。顎の下で切り揃えた髪が揺れると、辺りに鱗粉を思わす光の粒子が振りまかれた。

 少年達の脇を通り抜けざま、


「早くしろよ、『色付き』」


セトの死角を狙って、ヨキが弓の先でシャルカの馬を突いた。馬は足を止め、歯を剥き出して威嚇する。


「やめてよ。……びっくりしたね、大丈夫だよ」


 シャルカはヨキと目を合わさず、かといって指導官である義兄のセトに訴えるでもなく、ただ愛馬の首を撫で宥めすかす。

 けれどそんな態度がますます少年達の嗜虐心を煽った。シャルカが懸命に馬を落ち着かせようとしている間に、馬を突く弓は二本になり、三本になり、馬はとうとう前ヒレを激しく泥に叩きつけた。


「何をしている?」


 異変を察したセトの声が飛ぶ。間髪を入れず、


「お前達いい加減にしないか! これ以上やるなら僕が相手になるぞ!」


慌てて弓を引っ込める少年達を怒鳴りつけたのは、カルムだった。

 シャルカは目線を上げじっとカルムを見やる。すぐにセトがやってきて、少年達の間に割って入った。


「どうしたシャルカ。カルム、何があった?」


 セトの問いに、カルムは子供の頃のビルマに似た顔を真っ赤にして言い募る。


「セト隊長、こいつらがシャルカの馬を突き回したんです! だから馬が怒って……」


 ヤバいと首を竦めるヨキ達を、セトの鋭い眼光が射抜く。


「何? そうなのか、シャルカ」


 けれどシャルカは小さく(かぶり)を振った。


「なんでもありません、騒いでごめんなさい隊長。行きます」


 それだけ言うと、シャルカは宥めた馬に合図し走り出す。細腕で精一杯弓を引き、放った矢は的の端に浅く刺さった。そして彼らから離れた場所で馬を止める。そこから動く気はなさそうだ。

 セトは首を縮こめたままの悪餓鬼達に無言の一瞥をくれると、シャルカの許に馬を寄せた。


「シャルカ、どうした?」

「いえ、なんでもないんです。ただこの子がまだ興奮しているから、少し離れていたほうがいいと思って」


 シャルカは目を伏せ、馬のたてがみを撫でつつ答える。長い睫毛が紫紺の瞳に淡い影を落としていた。

 こうなるとシャルカは絶対に口を割らない。頑固さは義父であるアト譲りだ。それを良く知るセトは小さく息を吐き、シャルカの頭をわしゃわしゃと撫でる。


「辛い時は遠慮せず言ってくれ、頼むから。そのために俺はこの組を受け持ったんだからな」

「…………」


 けれど弟は何も答えず、兄の大きな手にされるがままになる。

 セトは気持ちを切り替えるようにもう一度息を吐くと、少年達の方へ向き直った。


「次の者、前へ!」


 悪餓鬼達が何をしたのか、セトには大体察しがついていた。昔からなのだ、彼らがシャルカを爪弾きにするのは。

 時に子供は大人よりも残酷だ。似たもの同士で群れ、自分達とは異なるものを疎外する。まだ自己を確立する過程にあり、あって然るべきの個々の違いに寛容でないのだ。


 実際、一二になったシャルカは明らかに少年達から浮いていた。色だけではない。それは他の少年達と並んでみるとよく分かる。

 背はさほど変わらないのに、すらりとよく伸びた手足に華奢な身体、ほっそりとした首。実の母・ルッカに似て整った顔立ちは、少年らしい凛々しさと少女のような可憐さを併せ持ち、見る者の心をざわつかせる。少女と見紛うことはないが、他の少年達と一括りにするとどうにも違和感を生ずるのだ。

 ビルマも子供の頃、髪を短く切り揃え、少女にも少年にも見える時期があったが、それとも違う。いくら少年然としていても、少女達の輪に入れば彼女の姿はすんなりと溶け込んだものだ。

 けれどシャルカの場合は、少年少女どちらに交ぜてみようと、決して混ざることがない。

 まるで、仔馬の群れに一頭だけ仔鹿が紛れているような、歴然とした違い。

 シャルカの特殊な性別を思えば無理からぬことだが、周りは未だそれを知らずにいる。

 故に少年達は、当然のようにシャルカを疎んでいた。それだけで済めばいいのだが、異質な者に向ける好奇の眼はいとも簡単に害意に変わる。遊びの内で羽虫の足をもぐように、群れからはぐれたものを苛むのだ。



 雲越しの陽が中天にかかる頃、アダンが一五歳前後の少年達を引き連れ戻ってきた。それを見たセトは少年達に解散を言い渡す。

 本来ならば桟橋まで引率しなければならないが、アダンが島へ帰る少年達から離れ単身こちらへ駆けて来るのを見、そう言いつけた。ここから桟橋は目と鼻の先だ、何かあってもすぐ駆けつけられる。

 それでもカルムはその場に留まり、慕わしげにセトを見上げた。


「セト隊長、弦の調整について少し質問が……」


 けれどセトの目は、少年達と共に戻るのを嫌ってか、のんびりと馬に草を食ませるシャルカへ注がれている。


「すまないカルム、今にアダンが来る。何か話があるようだから後にしてくれるか」

「ならお話が終わるまで、ここで……」

「シャルカ、そこで待っていてくれ。すぐ済ます」


 セトはカルムの申し出に気付かず、シャルカに声をかける。シャルカは少しだけ顔を上げ兄を振り返った。


「はい、あに様」


 その返答を受けた後で、セトはようやくカルムに向き直る。


「悪い、何か言ったかカルム?」

「いえ……ご指導ありがとうございました」


 カルムは折り目正しく頭を下げ、馬首を巡らせる。シャルカを追い越し様、何か言いたげに視線を投げたが、黙って先行く少年達を追っていった。

 それと入れ替わりにアダンがやってくる。

 年長組の少年達を指導するアダンもまた、セトに負けぬほどの長身と屈強な身体つきに成長し、馬を駆る姿はそれだけで様になる。野性味溢れる精悍な顔立ちに、頬の古傷がいいアクセントになっていた。その腕にはセトと色違いのバングルが巻かれている。

 相変わらず弓の腕ではセトに劣るが、戦となれば一番得意な剣を振るい、軍団長のアトに次ぐ戦果を挙げる。恐れ知らずな戦人として名を馳せ、今やこの原野でアダンの名を知らぬ者はないほどだった。


「よぉセト、それにシャルカも。そっちも終わったみてぇだな」


 ぺこりと一礼するシャルカの横で、セトは軽く手をあげて応じる。


「あぁ、たった今。どうだ年長組は」


 アダンは深い溜息をつく。


「良くねぇな。今日は南の原の深くまで足を延ばしちゃみたが、やっぱり今年も獲物が少ねぇ。仕方ねぇから的を射させるばっかで、なかなか経験を積ませらんねぇんだ」

「……そうか」


 セトも顔を曇らせた。

 セトやアダンが子供の頃は、原に出ればすぐに何かしらの獲物を見出すことができ、子供同士で連れ立っていく遊びの狩りでもそれなりに成果を得ることができた。

 けれど今は違う。

 あの頃と今とでは、原野の環境が大きく変わってしまったのだ。





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